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ホワイトマン  作者: 水見 あさや
4.事件
40/67

4-3


「しかし、彼は見かけ通りのクリーンな男なんだね。正直な話、あんたが彼の車に乗ると言った時、私は嫌な想像しかできなかったんだよ。もしかしたら、あんたにはもう二度と会えなくなるかもしれない、ってさ」

「物騒なことを言わないでよ」

「仕方ないだろう。車で連れ去るなんて、大昔からある常套手段なんだから。でもホワイトマンは、あんたをちゃんと家に帰した。あの様子じゃ、帰りも送ってくれたんだろう?」



 あたしが嫌だと思っても、マージはこの話題から離れるつもりはないようだ。

観念して、あの夜のことを正直に打ち明けることにした。



「送ったも何も、寄り道一つしなかったわよ。彼の車に乗ってポーラーを出て、ほんの短いドライブをして、アパートに送られて、荷物を運ばれただけなんだもの」

「へぇ、珍しい。部屋に上げたんだ」

「部屋には入らなかったの。玄関に荷物を置いておしまい。あたしが彼といた時間は一時間にも満たなかったわよ」



 ふてくされてそう言うと、マージは元々大きな目を更にまん丸にした。

言葉にされなくても、言いたいことはわかっている。



「あたし、彼とは夜を共にしてない」

「信じられない。あんたが、選んだ男と寝てないって?」



 また笑い倒されるのを覚悟したけれど、マージは驚きに目をしばたたくだけで、笑うことも忘れたようだった。

思案するように何度も瞬きをして、顎に手を当てて唸り出す。



「この街にそんな紳士が来るとはね。しかも、こんな肉食獣の手本みたいな女を前にして」

「引っかかる例えだけど、あえて否定しないでおくわ」



 それまでの呆け顔をやめて、マージは急ににっこりと笑った。

それは見ているあたしに伝染しそうな程、晴れ晴れとした笑みだった。



「面白いじゃないか。クルト、これはチャンスだよ。逃げられないように、ホワイトマンをしっかり繋ぎとめるんだ」



 特製ドリンクとは別に用意していた水はとっくに飲み干してしまっている。

持ち上げたグラスを揺すり、小さくなった氷をからからと鳴らした。



「だから、繋ぎとめるも何も、誘いをかけさせてもらえないんだってば。そのチャンスをもらえないの」

「それでもしつこく食い下がりな。いいかいクルト、あんたはプライドが高くてひねくれ者で意地っ張りで負けず嫌いだから、ホワイトマンとの駆け引きに破れ続けてさぞ悔しいと思う。でも見方を変えてごらん。これまであんたは、声をかけた男とは一人残らず遊んできた。連戦連勝だったんだ。その証拠に、今までそんな風に不機嫌続きだったことはないだろう?」

「まぁ、確かにそうね」



 気のない返事をするあたしを気にも留めず、マージはずいと前のめりになって言った。



「よくお聞き。ひょっとするとあんたは、救世主に出会ったのかもしれないよ」



 マージはとっておきの内緒話でもするかのように、声を潜めてそう言った。

これはまた、予想だにしない単語が飛び出したものだ。

そのあまりの仰々しさに、今度はあたしが声を上げて笑う番だった。



「いやだもう、マージったら笑わせないでよ。彼が、何? あたしの救世主ですって? いくらなんでも突飛すぎるわ。第一あたし、そんなの望んだ覚えはないわよ」

「そうだとしても、長い人生の中で、誰でも一度はそういう相手に出会うんだよ。望んでいようといまいと、誰にでも用意されてるもんなんだ」

「それは素敵なお話ね。誰に説かれたの?」

「いいだろう? 私の持論さ」



 自信たっぷりなマージに、大げさに肩をすくめて見みせる。



「あたし、あなた程前向きに生きてる人間を知らないわ。確かにそれは素晴らしい考え方だと思う。不幸のどん底にいても、生きる希望が湧いてくるわ。でもね残念なことだけど、誰にも関わってほしくない、一人で生きていきたいって思う人間は、思いの外いるものなのよ」



 ロキオが流す音楽は、少し前から同じパートを繰り返すようになっていた。

練習している子の要望に合わせて、何度も何度も途中で止まり、途中から始まる。

さっきまではそのことをなんとも思わなかったのに、少しずつ耳障りに聞こえ始める。



 マージは静かに腕を組み、さっきよりも重苦しい感じであたしを見つめた。



「二十数年しか生きていないのに、そんな風に決めつけるのは早計なんじゃないかい?」

「でもあたしはそう思うんだもの。今を生きているあたしは、未来のことまで考える余裕がないの。先のことは未来のあたしに任せるわ。百歩譲ってあたしにもその救世主っていうのがいるんだとしても、それがどうして彼なの?」

「私は神様じゃないからね。そうなんじゃないかと思っただけで、絶対にそうだと決めつけたわけじゃない」



 確かにマージは、男のことでやきもきするあたしを見てそんなことを言い出したに過ぎない。

けれどきっかけはそうだったにしても、あたしが反論したせいで話の矛先がこちらに向けられたことは明らかだった。



 マージの言葉にいちいち噛みついていたせいで、そのことに気付くのが遅れた。

逃げ出すタイミングを逃したあたしは、マージの言葉を真正面から受け取る形になってしまった。



「凝り固まった考え方をするあんたに、私はもっと広い目を持ってもらいたいのさ。あんたの意固地が痩せ我慢からくるものだったら、早いところ矯正した方がいい。そういうのはいずれ、がたがくるよ」



 マージの表情には、大切なものを持っている人間だけが浮かべることができる余裕や落ち着きが見え隠れしていて、居心地が悪くなった。

標的をこちらにすり替えたマージは、あたしが嫌う類の話を切り出してくる。

そんな気がした。



「私はこの街に来てからのあんたしか知らないけど、生まれつきそんなにドライな考え方をしていたわけじゃないと思ってる。

どこかのタイミングで何かがあって、偏ったんじゃないかってね。

それをほぐしてやるのは、早ければ早いほどいいんだ。

この街での生活は刺激的で愉快だろうけど、あんまり長居しない方がいいよ。

眠らない街で夜通し汚れた空気を吸っていると、いずれ芯からがちがちに凝り固まった人間になってしまう。

あんたのことだけを言ってるんじゃない。

ここにいる若い連中はみんな、いつかはまっとうな世界へ戻った方がいいんだ」



 嫌な予感は的中した。

それまでかわせていたマージの言葉が、あたしの背筋をぴりっとかすめた。

触れられたくない部分をくすぐられ、心がすとんと不満に落ちる。



 組んでいた足を下ろし、テーブルを挟んで向かい合うマージをきっと睨みつけた。



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