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ホワイトマン  作者: 水見 あさや
1.日常
4/67

1-3


 幕が開いたステージは、様々なピンクで彩られている。

ステージの袖や背面を飾るドレープの強いカーテンは元から濃いピンク色をしているし、白い床は色のついたライトで淡く色付けされている。

その中に飛び込むあたしのドレスは、目が覚めるようなはっきりとした赤だ。

目を引く色だけれど、暗闇に紛れている今はまだ誰も気づいていない。



 客席より後方、天井近くにある照明席から伸びるスポットライトが、ホールに満ちる闇を切り開く。

強い光を追って、観客の視線はステージへと誘導される。



 ステージの両脇と照明席の左右に設置されたスピーカーから流れる音楽が、四つ打ちの重低音からメロディへと変わっていく。

ステージに貼られた蓄光テープを頼りに、足音を立てないように所定に位置についた。

夜目の利く照明兼音響係のロキオがそれを確認して、スポットライトの光線を徐々に太くしていく。

何が起きるのかと釘付けになっている観客を焦らしながら、ステージ上にピンクの円が切り取られた。



 その中に爪先を下すと、客席が小さく波立った。

あちらこちらで期待の息が漏れる。

ぐっと熱を増した空気に、むき出しの肌がじりじりと焼かれていく。



 音楽が大きくなるにつれ、ライトの明度が上がっていく。

リズムに合わせて上下するかかとを存分に照らしてから、ピンクの円があたしの身体を上り始める。

足首、ふくらはぎ、膝と這い上がって太ももまで来た時、一度身を捩って体勢を変える。

短い停止の後、再び上昇するライトが腰を経由し胸をあぶると、歓声が大きくなった。

ライトの熱が、のけ反った首、次いで顔まで到達したのを、伏せたままのまぶた越しに感じる。



 誰かの囁きが聞こえる。



 クルト、今夜はしょっぱなから出たな。



 誰かの囁きが問いかける。



 クルト?


 なんだ、知らないのか?


 ここは初めてなんだ。看板娘かい?


 そうさ。ガラスの靴が履けそうなくらい小さな足、猫のようにしなやかな身体、小柄な身に似合わない豊満なバスト。身体を見ればすぐにわかる。あれがキャッシュマクレーの裏看板ショーガール、クルトだ。



 重たいまつげを押し上げて開いた視界は、痛みを覚える程に強いライトのせいで客席もろくに見えない。

音楽が静まった合間に拾ったやり取りに、機嫌を悪くしたりしない。

確かにあたしは、キャッシュマクレーのセカンドショーガールだわ。

でも二番目だからといって安くはないの。

華美な装飾が映える身体も、ぽってりとした唇も、たやすく触れられるわけじゃない。

だってあたしは、ナンバーワンの背中に胸を押し当てられる程近くに控えるナンバーツーなんだもの。

常連の彼はもちろん、今夜が初めての彼も、他の女に目移りできなくしてあげる。



 ホールを揺する音量が最高潮に達するのを待って、身体に巻き付けていた腕をばっと広げた。

それと同時に横一列に並んだ頭上のライトが、一気に最大まで上げられる。

唐突に暗闇を遠ざけたその効果は爆発を思わせる。

観客の目を眩ませて、ステージ全体が呼吸を始める。



 あたしを魅力的に見せるよう計算されたライトの先で、ピンク色の世界を身体一つでかき回す。

太股を擦り合わせながら気取って歩き、ステージの先端で腕を伸ばす。

客席からエスコートの手が反射的に伸びるのを視界におさめ、手の平をいっぱいに広げて太股から腰、脇腹、へそ、胸をねっとりとなぞる。

反対の手でうなじから髪を掻き上げ、唇を薄く開いて頭上を仰ぐ。

反らせた喉と、ちらりと覗く舌をライトが効果的に照らせば、客席からため息がもれる。



 くるりと背を向け、腰を左右に揺らしてもったいつけて歩く。

その度に短いスカートがちらちらとめくれるのも計算のうちだ。



 ドラムの音に合わせて華奢なヒールで床を叩けば、踏みにじられたいという願望がこもった濃厚な視線を右手から感じる。



 ぐっと胸を寄せると、後列のどこかで歓声が上がる。



 床に四つん這いになりねだるように首を回すと、前列で喉が鳴る。



 一つ一つの反応に気付きながらも何も知らない顔をして、あたしは男たちの心を念入りにノックしていく。



 猫が伸びをするように胸を低くした時、装飾が床にぶつかってビスチェがずれた。

元から開いている胸が更に露わになり、最前列から期待の声が上がる。



 あたしが任されているのは刺激的なダンスで、ストリップじゃない。

こんなところでトップレスになったら、次からもっと過激なステージを期待されてしまう。

胸を自分でまさぐるような仕草で素早くビスチェを引き上げ、何もなかったような顔で短いスカートを指先でつまみながら立ち上がった。



 こういうアクシデントの時、頬を染めて恥じらってみせるのは新米の役目だ。

誰もあたしに、そんなうぶなパフォーマンスは求めていない。

強気なあたしは、零れかける胸を片腕で押し上げる様子すら見世物にする。



どんなミスであろうと、堂々としていれば観客の目には失敗したように映らないということを知っている。

本番にアクシデントはつきものだ。

ライトを浴びている間は、何が起きても慌てちゃいけない。

ダンスや立ち位置を間違えたことも、本番の直前で他のショーガールの穴埋めを任されたこともある。

様々な経験のおかげで、幅広い対応ができるようになっていた。



 今着ている新しい衣装は、スパンコールやレースで華やかに装飾してあるわりに身体の動きを邪魔しない。

そんな中で支配人がはめてくれたバングルだけはずしりと重さがあった。

腕を振る度に小気味いい音が鳴るものの、それに気を取られていると動きが引っ張られそうになる。

見栄えはいいけれど、正直なところ邪魔になっていた。

せっかく支配人が贈ってくれたものだ、それが映えるように動きたい。

バングルの特性を少しずつ把握しながら、あたしは表情を曇らせることなく金属が打ち合わされる涼やかな音を聞く。



 床に落ちる影まで操り、音楽に合わせて全身でリズムを刻み、巻いた毛先をわざと乱して、くるりと爪先でターンする。

今夜、ステージを独占できるのもあと少しだ。

最後まで気持ちをぴんと張って、隅々まで意識を行き渡らせる。

大きな動作で客席を煽り、ステップを踏みながら肩幅に足を開き、前屈みになってぴたりと動きを止めた。

それと同時に音楽は止み、攻撃的だったライトが一斉に落ちる。

瞬時に闇に包まれた客席は、一拍の静寂に飲まれた後、わっと湧き立った。



 何も見えない暗闇の中、息を切らしながら心の中で舌打ちをする。

髪をかき乱した時、勢い余って爪で頬を引っ掻いてしまった。

ひりひり痛むそこは血を滲ませていないだろうか。

それが気がかりで、あたしは呼び声に振り向くことなくステージを後にした。



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