3-8
外に出るドアの前に立った時、おかしな緊張感に胸が鳴っているのを自覚した。
一歩を踏み出すのに勇気がいるなんて、ラブラビットとしてステージに上がって以来のことだ。
あたしを落ち着かなくさせる理由にはうすうす気が付いている。
それでも強気に知らないふりをして、いつものように前を見据えてドアを押し開いた。
兄弟が見張る中、あたしはあっという間に男たちの波にさらわれた。
いつものように騒々しい、変わり映えのしない光景だ。
一人一人に返事をしつつ、視線を巡らせて例の色を捜す。
あちこちから飛んでくる声に笑みを返しながら目を配ったものの、あいにく近くの輪に、捜している彼はいないようだった。
今度は背伸びをして、熱心に遠くの方まで目を凝らした。
時間をかけて辺りを見渡してみたけれど、男たちの隙間から覗く人影や、その奥で順番を待つ一かたまり、離れたところから控えめに視線を送ってくる中にも、目当ての人物は見当たらない。
結局、何度首を振って捜してみても、闇夜に浮かぶ清潔なホワイトカラーを見つけることはできなかった。
ステージからは見えたのは確かにあの人だった。
間違いなんかじゃないはずなのに。
まさか、今夜は顔を見せずにさっさと帰ってしまったのだろうか。
もしそうだとしたら、どうして?
昨晩と同じように声をかけてくれたら、あたしは笑顔で頷くのに。
楽屋でひそかに膨らませていた期待が、空気が抜けた風船のように急速に萎れていく。
そう長い間俯いていたわけじゃないのに、目ざとく気付いた男がすかさず声をかけてくる。
「どうしたんだ、クルト。なんだか元気がないね」
「まさか、そんなことないわ。今夜も無事にステージを終えたことにほっとして、お腹がすいてきただけ。でも、あなたに心配してもらえるのなら、しおらしいふりをするのも悪くないわね」
気持ちを持ち直して、かけられた声に都合のいい言葉を返す。
猫なで声ですり寄る真似をすれば、男はころっと騙されて目尻を下げた。
他人に気付かれてしまう程、気持ちを顔に出しちゃいけない。
大体、落ち込むことなんて何もないのだ。
別にあたしは、あの人のことを待っているわけじゃない。
また来るとは言っていたけれど、あたしに声をかけるとは言っていなかったじゃないか。
まったく、こんなことに気分を左右されるなんて、まるであたしの方があの人に会いたいと思っているみたいじゃない。
かつ、とかかとで地面を叩き、きれいさっぱり気持ちを切り替えた。
満面の笑みを浮かべて恋人候補たちに向き直り、差し出される贈り物に埋もれていく。
「今夜も素敵だったよ、クルト」
「君は誰よりも美しい。本当だよ」
「ステージを見るだけじゃ足りないよ。もっと長い時間、君のことを見ていたい」
優しい声の中に「最初のステージで出てくるのが遅かったけど何かあった?」なんて問いかけがあってちょっとむっとしたけれど、大げさに困り顔を浮かべ、小首を傾げる。
「ちょっとアクシデントがあったの。でも大したことじゃないわ。心配してくれてありがとう」、そう微笑めばもう誰もその件には触れてこなかった。
腕に食い込むショッパーバッグをちらりと見下ろす。
どれもこれも有名なブランドのロゴが入っている。
大きさからしてハンドバッグに靴、服、アクセサリーといったところだろうか。
でも今夜は、どれだけ高価な物を贈られても、心はちっとも浮かなかった。
趣味に合わないものをもらったとしても、いつも少しは嬉しいのに。
あまりに極端なことが自分でもおかしくて、愉快な夢から唐突に目を覚まして呆けているみたいだ、と思った。
ぶれない笑みを顔に貼り付けたまま、今夜何十回目かのお礼を口にした時、鼻先にふっと甘いにおいが漂った。
嗅いだ瞬間ぴんときた。
それは、思わず喉を鳴らしてしまう程に濃厚な、バニラエッセンスの香りだった。
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