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ホワイトマン  作者: 水見 あさや
2.出会い
21/67

2-8


「よろしければ、腕に抱えた荷物をお持ちしましょうか、お嬢さん」



 それは、輪が乱れたことで生まれた隙間の奥の方から聞こえた声だった。

あたしの周囲はそれなりに騒々しくなっていたけれど、その言葉ははっきりと耳に届いた。

決して強い声ではないのに、最初から最後まで欠けることなく。

その声は他の男の耳にも届いたらしく、あたしを取り囲む輪が細く割れた。



 そこから控えめに姿を現したのは、見覚えのない男だった。

思わず目を細めてしまったのは、その人が暗闇に浮かび上がるような白いスーツを着ていたからだ。



 ポーラーで遊ぶ男たちは、暗色の服を着てくることが多い。

誰もが黒い服というわけではなく、グレーやネイビー、グリーンなんかも見かけるけれど、どれも色味の濃いものだ。

それに気がついたのは、いつかの恋人がディナーのさなかに長電話を始めた時のことだった。

その男の、ビジネスの話をひけらかすような声を聞き流しながら、暇つぶしにレストランのいる男たちを見比べていたら、その場にいる全員が暗い色の服を着ていることに気がついた。

誰もが連れ合いの女性の華やかさを引き立てるように、夜に近い色をした添え物になっているようだった。

女性のものに比べて、男性の服が色味に乏しいからかもしれないけれど、あたしはそれを、暗がりに身を潜ませて夜遊びするのに都合がいいからだろう、とひねくれた考え方をしたものだ。



 けれど今視界の中にいる人は、あたしの推測の輪を飛び出して、あたしでも気後れする程に白い色をまとって微笑んでいる。

ジャケットの中にはネイビーのシャツをかっちりと着て、ダークグレーのネクタイを締めている。

あたしの正面に立った時、かぶっていた白いハットを片手で軽く持ち上げて小さく会釈をした。

その下から垣間見えた頭髪も、ところどころグレーが残っているもののほとんどが白かった。

汚れの一点もないスーツは清潔そのもので、猥雑なこの街には不釣り合いに思える程だ。

目元や口元に刻まれた皺は深く、あたしより二回りくらい年上に見えた。



 その老紳士はそれなりに上背があり、小柄なあたしは首を倒して見上げる格好になる。

あたしを見つめるその表情は穏やかで、他の男がそこはかとなく漂わせている下心を微塵も感じさせなかった。

「今のはあなたの言葉?」と問うように首を傾げ、角度を変えて見つめても、そのまなざしは少しもぶれず、どう探っても他意が見えてこない。



 返答のないあたしに、今度は目配せと小さなジェスチャーを交え、老紳士は「荷物を持ちましょうか」と再度問うた。

他に余計なことは何も言わず、ただ静かにあたしの答えを待っている。



 唐突な申し出に少し面食らったけれど、その申し出は今のあたしにとって、とてもありがたいものだった。



「ありがとう。じゃあお言葉に甘えて、少しの間お願いしてもいいかしら」



 遠慮がちに腕を伸ばすと、老紳士は笑みを深めて大切そうに荷物を受け取り、まるで親切なホテルのボーイのようにあたしの斜め後ろにそっと控えた。



 始めは、ポーラーでは浮いて見える老紳士の出で立ちや提案に奇異の目を向けていた周囲の男たちも、誘いをかけるでもなくそこにいるだけの老紳士に害はないと判断したのか、ただの荷物持ちとみなして再びアピールを始めた。

声をかけてくる男をあしらいながらも、斜め後ろが気になって時折ちらちら振り返る。

あたしが腕いっぱいに抱えていた荷物を軽々と持ち、老紳士はやわらかな笑みを崩さない。



 いつしかプレゼントを掲げる腕はなくなり、今夜の恋人を選ぶ頃合いになった。

この後の流れを知る男たちが、あたしの目を引こうと熱を上げて名を呼んでくる。

けれど今夜は、目を血走らせた男たちよりも親切な老紳士の方が気になっていた。



「ごめんなさいジェントルマン、重いでしょう。あいにくその量を全て持って帰ることはできないから、半分マクレーに置いていくわ。今、楽屋まで運ばせるから」



 動向を見守っていたジョーが、あたしの目配せに気付いて再びこちらに向かおうとする。

けれどそれよりも先に、老紳士が落ち着いた声音で言った。



「今夜は車で来ているので、もしよろしければお送りしましょうか。もちろん荷物だけではなく、あなたもご一緒に」



 周囲の男の視線が一斉に老紳士に向いた。

無害だと思った男が誘いをかけたこともそうだけれど、ここに車で来ること自体が珍しいからだ。



 ホワイトナイトに入るには、たった一か所しかない検問所を通る必要があった。

そこにはがたいのいい門番が立ち、客がポーラー内に面倒事を運び込んだり、持ち出したりしないように目を光らせている。

出入りの度に車内やトランクを入念に調べられ、同時にアルコールやドラッグチェックが行われる。

ポーラーで酒を飲まない人間はいないから、大抵はその時点で車で入ることを断念する。

時間をかけてチェックをクリアして、安くはない通行料を払いようやく中に入っても、ポーラー内は道が狭いうえ、歩行者は周囲の確認などしない酔っ払いばかりだ。

車の利用が少ない為に駐車場もほとんどなく、あっても待機中のタクシーが陣取っていることが多かった。

そんな理由から、ポーラーを訪れる人間の大半が徒歩かタクシーを利用していた。



「ありがたいお申し出だけど、悪いわ。こんなにたくさんの荷物ごと送ってもらうなんて」



 親しくない男の車に容易く乗るもんじゃない。

この街に来たばかりの頃、マージにそう忠告された。

親しくない男はもちろん、初対面の男の車になんて、恐ろしくて近付きたくもない。

軽い気持ちで乗ったら最後、どこに連れていかれても文句は言えないのだ。



 愛想笑いを浮かべつつその腹を探るあたしの警戒を取り除くように、老紳士は更に眉尻を下げた。



「あなたにお会いするために乗ってきたのです。何を悪いことがありましょうか」



 その視線は温かくあたしに注がれ、疑われているなんて微塵も考えていないように見えた。

過去の恋人の中にも、人のよさそうな顔をした男は大勢いた。

けれど、どの男もあたしと二人きりになった途端に顔色を変え、夜が深まる頃には隠していた牙をむき出しにした。

相手がどれだけ甘いマスクをした男だろうと、結局は同じことになるんだ。

だから騙されるふりはしてみせても、心の底から信用なんてしてやらない。

一見親切なこの老紳士もきっとそうだ。

そうでなければ、寒空の下であたしを待ったりするもんか。



ただ、これまでの恋人の中で、老紳士は飛び抜けて年齢が高かった。

たとえ彼が、笑顔の裏に恐ろしい本性を秘めた男だとしても、寄る年波には勝てないだろう。

それなりに危ない夜は過去にもあった。

でも、よく回る舌と表情でうまく切り抜けてきた。

あたしにはそれなりに武器があり、相手は勝てる見込みのあるご年配だ。

車というワードが出てきたからといって、警戒する必要はないように思えた。



「ありがとう。ではお言葉に甘えて、ご一緒させていただこうかしら」



 あたしの返答に周囲がざわついた。

アレルとジョーも顔を見合わせ、隣の輪のマージは盛大に顔をしかめた。



 見たこともない奴にクルトを奪われるなんて。

聞こえてきたぼやきを心の中で否定する。

奪われる? とんでもない。

いつものようにタイミングよく伸びてきた手を取っただけよ。

ひどい言い方をすれば、体のいい荷物持ちを得ただけだわ。



 唇を笑みの形に固定して、荷物を抱え直した老紳士の隣に並んだ。

あたしの手にあるのは、指に引っ掛けられる程度のショッパーバッグが数個だけ。

老紳士は前が見えない程に箱を重ね、両腕にもたくさんのバッグを引っかけている。



「それじゃあ前が見えないでしょう。もう少し持つわ」

「いいえ。レディに重い物を持たせるわけにはいきませんから」



 バランスよく抱えた荷物が雪崩を起こしそうで、今夜は腕に絡まるのを控えた。

あたしの心配をよそに器用に歩き出した老紳士に、まるで淑女にでもなったような気分でしとやかに続いた。



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