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「今夜の歌も最高だった。聞いていて涙が出た。お前は本当に、何をやらせても素晴らしいものを返してくるな」
力いっぱいあたしを抱きしめる支配人は、毎晩似たような言葉で性懲りもなくあたしを甘やかしてくれる。
とてもよかった、最高だった、興奮した、支配人の口から、一晩に何度その言葉を聞くだろう。
それが、適当なことを言ってあたしの機嫌をとっているのではなく、支配人の語彙があまり豊かではないからだということを、あたしはちゃんと知っている。
持っている言葉を全て使ってあたしを褒めちぎる支配人のふくよかな身体を、力いっぱい抱きしめた。
「歌わせてくれてありがとう、ダーリン。あなたに喜んでもらえて、あたしとても幸せよ」
熱い抱擁を交わした後、支配人と入れ替わりでマージがやってきた。
このタイミングで近付いてくるマージからはいつも逃げ出したくなる。
今まで満足に褒められたことなんて一度もないからだ。
「お疲れさん。なかなか雰囲気が出ていたよ。それに前より声の伸びがよくなったね。教えたことが身についているようで嬉しいよ」
文句があったり小言を言いたい時でも、褒め言葉から入るのがマージのやり方だ。
それを真に受けて気を良くしていると、続く言葉に打ちのめされることになる。
うっかり喜んでしまい、何度落ち込んだことだろう。
「さて、私がこれから何を言おうとしているのか、わかるかい?」
「詳しいことはわからないけど、ありがたいご指摘が飛んできそうなことくらいはね。今まで何度もぬか喜びをさせられてきたんだもの。さすがのあたしも学習するわ」
「そうかい、それじゃ手短に。
乱暴に語尾を投げ出すくらいなら、無理に音を伸ばさなくてもいい。
最低限の音程を守ろうと気を配っていても、息が足りなくなりそうなことくらいわかるだろう?
見せ場の高音が弱々しくなっちゃ、みっともないよ。
今度はちゃんと計算して、息継ぎをするんだ。
それから、舌足らずで何を言っているのか聞き取れないところがあったね。
あれじゃせっかくの気持ちが冷めてしまうよ。よくないな」
「サビ前のこと? あれはわざとよ。甘えた言い方をした方が可愛いかと思って」
「嘘つけ。仮にはっきり歌えてたとしても、あれじゃ歌詞を間違えてるよ。前に、動きすぎて声が出なくなったのを踏まえて、動作を制限したのはいいよ。でも今回は極端に動かなくなりすぎだ。せっかくの生歌なんだから、生きていることを感じさせないと」
注意されたことを次回完璧にこなしても、マージに褒められることはきっとない。
マージは、他のショーガールにも「現状で満足しちゃいけない」と常に言っている。
もしマージが不満の一つも言わず、支配人のように手放しであたしを褒めたとしたら、それはそれで気味が悪い。
マクレーの終わりだ。
一しきりのお説教を渋い顔で聞き、区切りがついたところで唇を尖らせた。
「そんなに言うならマージが歌ったらいいじゃない。ご存知の通り、あたしの歌はそこまでのものじゃないでしょう? 粗が目立つ歌よりも、完成されたものを聞けた方が観客も喜ぶわ。CDを流すばかりじゃなくて、たまにはマージがステージで生歌を披露したらどう?」
それまで組んでいた腕を解き、マージは露出した肩を軽く竦ませた。
「それができるならとっくにやってるよ。残念ながら、私はあんたに出会う前に喉をやってしまってね。思うように歌えなくなったんだよ。昔とは比べ物にならない程の、ひどい歌声さ。こんなのを聞かされたら、お客がみんな怒って途中で帰ってしまうよ」
「それでもあたし、録音じゃないマージの歌が聞きたいわ。実際こうして話してる分には、違和感をちっとも覚えないきれいな声よ。歌えなくなったのには原因があるの? 治療してトレーニングに励んだら、前みたいに歌えるようになるかもしれないわよ」
「ずいぶん熱心に口説くじゃないか。ひょっとして、ステージで歌わずに済むようになればいいと思って、おべっかを言ってるんじゃないだろうね」
そんな下心がないとは決して言えない。
でもそれよりも、この耳でマージの歌を聞いてみたいという思いの方が強かった。
「違うわよ。純粋に聞いてみたいの。マージのファンだって、生で歌を聞けたらきっと泣いて喜ぶわよ」
「いいんだよ。歌えなくなった時に、未練は断ち切ったことにしたんだ。それになにより、あんたが私の歌を聞きたいと思ってくれるように、私ももっとあんたの歌が聞きたいんだよ。私の期待を裏切らないで、これからも精進しておくれ」
あたしの追求からするりと抜けて、マージは雑務係のダズの呼び声に返事をした。
お説教には口を挟みたくなるし、マージの生歌を聞いてみたいのも本当だけれど、どうしても歌うことをいやだとは思っているわけじゃなかった。
マージの指摘には頷けるところがたくさんあったし、マージがあたしを嫌いで言っているわけじゃないこともわかっているからだ。
もしもあたしが本気で歌いたくないと言えば、おそらくマージはそれを許してくれるだろう。
でもそれは、どうしてもいやになった時の切り札だ。
期待をしてもらえているうちは、渋い顔を控えめにしてマージの声を聞こうと思っていた。
屋上で一息つこうにも、次の出番が迫ってきていた。
衣装係のイルから次のステージ衣装であるエンパイアドレスを受け取り、あたしはさっさと着替えを始めた。
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