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ホワイトマン  作者: 水見 あさや
2.出会い
18/67

2-5


 朝からあたしの気を重くしていた原因と、ついに向き合う時が来た。



 今夜披露するのは、あたしが生まれる遥か昔にはやった恋の歌だ。

「小鳥たちや星々があなたにくっついてくるのは、私と同じようにあなたのことが大好きだからなのね」と、優しい曲調に乗って少女の思いが綴られる。

大好きな人を見つめる少女の恋がうまくいくのか、それとも片思いで終わるのか、この曲だけではわからない。

でもはっきりと結末を見せないからこそ、自分の体験と重ねることができるのかもしれない。

以前これを歌った時、ある男は「手を繋ぐだけで精いっぱいだった若い頃にタイムスリップした」と声を弾ませ、またある男は「思いを伝えられないまま終わった初恋を思い出した」としんみり語った。



 あたし自身はどうかといえば、実はこの歌があまり好きじゃなかった。

愛しい人を優しいまなざしで見つめる少女は、相手にこちらを振り向いてほしいとは決して言わない。

それはその恋が憧れのままで終わることを示唆しているようだったし、幼い恋心を美化して「初恋は叶わないからこそ美しいのだ」と言われているような気になるからだった。



 プログラムは順調に消化されていき、あっという間に出番がきた。

息継ぎもままならない激しいダンスをこなしたショーガールと入れ替わりで、ステージの袖に立つ。



 直前まで六人のショーガールが大胆に回していたステージは、せわしないライトの明滅と轟音の余韻で熱気が濃く残っている。

観客もその雰囲気に呑まれたまま、次に何が起こるのかと目をぎらぎらさせている。



 あたしが今着ているのは、静かな水面を思わせるアイスブルーの色をした、ワンショルダーのドレスだ。

裾を引きずる程の長さだけれど、前側は膝が出る程度の長さで動きやすく作られている。



 軽い感触の布で床を撫でながらステージに上がると、客席の空気が静かに波打った。

あたしは頻繁にステージで歌うわけじゃない。

週の半分は訪れるという常連客でも、タイミングが合わなければあたしが歌っていることを知らないだろう。

現に観客の半数以上が不思議そうな顔でこちらを見ている。



 頭上から注ぐ筒状のライトは彩度に乏しく、見る者の色彩感覚を麻痺させる。

更にノスタルジーを感じさせる為に、時折ちかちかと瞬いたり左右にぶれたりして、まるで質素な豆電球の下で歌っているのだと錯覚させる演出が施されていた。



 水を打ったようにしんとしたホールに、ドラムスティックを打ち合わせる音が四つ響き、伴奏が始まった。

花畑を撫でる春風のような原曲が、支配人の好みでしっとりとしたジャズにアレンジされている。

サックスとピアノ、ベースにドラムのカルテットが、互いの音を引き立てながら音楽を作っていく。

夜の小川のせせらぎを思わせる音楽がゆっくりと身体に染みていき、ホール内にあった高揚した空気が哀愁を帯び始める。



 透明のマイクスタンドとアイスブルーのドレス、それにロキオが操る照明が重なると、床に水の波紋のような影が落ちるのはあらかじめ計算された仕組みだ。

残念ながら、あたしは歌だけで観客の気持ちを揺さぶることはできない。

照明、ドレス、伴奏、様々ものを混ぜ合わせてようやく、あたしは人の心にそっと寄り添うことができるようになる。



 右手をマイクに、左手をスタンドに絡め、頭の中に入っている最初の歌詞をそっと取り出した。

マージに教わったことを意識はしても、リラックスする気持ちは忘れない。

あたしががちがちに緊張していたら、聞いている方も思い出に浸ることができないからだ。



 キーがぶれやすい低音、かすれやすい高音に気を付けて、丁寧に音を繋いでいく。

さっきまであたしを見つめていたたくさんの瞳が、今はここではない風景を眺めるように遠くへ向けられている。

見ず知らずの景色がホールに溢れ、あたしの視界までモノクロームに染まるようだ。

繊細なシーンを踏みにじらないよう、あたしは歌に没頭する。

今この場に関係ないことを思い出してしまわないよう、必死に。



 自分のステージのことだけを考えているはずなのに、いつしかあたしは追い立てられていた。

覚えのある嫌な予感に肩が重くなり、背筋がざわざわと警戒に粟立つ。



 観客の過去へ手を伸ばすことができるこのステージは、実はあたしの心にも大きく作用してしまうのだ。



 頭の片隅に、ちらちらと人影が見え隠れする。

聞こえるはずのない声が、静かに鼓膜を揺さぶる。

どんなに気持ちを強く持っていても、その人のことを思い出したら最後、あたしはいとも容易く崩れてしまう。

所かまわず姿をちらつかせては、一瞬であたしをだめにする。

そんなあたしの弱点ともいえる唯一の人は、幼い頃から大好きだった恋の相手だ。



 実らなかった恋も、豊かに揺れ動く感情も、遠く離れた場所に置き去りにして、あたしはこの街へ出てきた。

そう割り切っているはずなのに、心の奥深いところにはそれを受け入れようとしない箇所があって、過去に通じる最後の糸を切れずにいる。

少女の愛の深さをみせるこの歌は、あたしに幼い恋の記憶を強引に思い起こさせる。

だからこの歌はいやなんだ。

捨てたはずの過去にしつこく干渉して、わざわざ思い出させようとするから。



 胸の中から出てこないで。

お願いだからこっちに来ないで。

あとでいくらでも相手をしてあげるから、どうかステージにいる間だけは近付いてこないで。

代わる代わる顔を覗かせる、後悔や未練や恋しさに必死に言い聞かせているうちに、曲が終わりに近付いてきた。

途切れそうになる気持ちをなんとか繋ぎ合わせて、今夜もかろうじて歌いきることができた。



 伴奏がフェードアウトするにしたがって、郷愁の風に吹かれていた観客の意識が、一つ、また一つとホールに戻ってくる。

徐々に大きくなるさざ波のような拍手を浴びて、頼りなく揺れるライトの下でそっと目を閉じた。



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