籠手斬り重蔵(三)
「それまで!」
検分役の男が鉄扇を上げ、勝った西軍の武士の名を高々と告げた。
会場の周囲を埋めた数百人の武士たちからどっと喚声が上がる。
――いやいや、やるものだ。
東軍の控えに座し、幔幕の隙間からここまで三試合の様子を眺めていた重蔵は、声に出さずに何度も唸っていた。
御前試合に出て来るほどだから、いずれも戦場の勇者として知られた猛者たちなのであろう。木太刀を使う者も稽古槍を使う者も、凄まじい気合と共に力任せに得物を打ち合い、ぶつけ合い、押し合っている。どれもこれも戦場覚えの我流兵法のようで、要するに膂力と体力にものを言わせた叩き合いに過ぎないが、その太刀行きの速さ、槍先の鋭さ、気合の迫力には眼を見張るものがある。
――さすが、熊谷直実以来の武門の名家よ。
熊谷 次郎 直実は源平時代の武士で、坂東屈指の荒武者として知られ、「一の谷の合戦」では義経に従って敵陣に一番乗りを果たし、平敦盛を討ったことで歴史に名高い。およそ武門に生まれた男ならその名を知らぬ者はないというほどの有名人である。安芸・熊谷氏はその直系の子孫で、熊谷家の武士団は吉川家と並んで安芸国屈指の強兵なのだと聞いた。
御前試合に臨んだ武士たちは、まさにその家名に恥じぬ武勇の持ち主ばかりであった。
試合は、家中から剛勇の八名が選ばれ、兵法者である神崎弾正と重蔵を含め、計十名によって行われていた。十名を東西の二軍に分け、五番勝負をするというわけである。神崎弾正は四番目、重蔵は大トリの五番目に試合が組まれており、それぞれ相手は熊谷家の武士が務める。勝ち抜き戦ではなく、一人一番の勝負である。
――神崎とはやらずに済んだか。
昨夜、その事を知らされた重蔵は、胸を撫で下ろした。
実はこの五日間、重蔵は可能な限り神崎弾正について情報を集めている。神崎その人を見ることはなかったが、その素行や日常生活について、孫次郎の家来などを通じて聞き込みをしてもらっていた。
それで判ったのは、神崎にどうも妻子があるらしいという事である。神崎は高松山城下にすでに数年も暮らしており、さる下士の後家と良い仲になり、子まで作ったのだと言う。
――この地に骨を埋める気でおるのか。
神埼が本気で武士になる事を目指し、仕官を願って努力しているらしいと知ってから、重蔵は試合に対してまったく闘志が失せてしまった。
――わしが勝っても誰も得をせぬ・・・・。
重蔵は熊谷家に仕官の望みはなく、来春には城下を立ち去るつもりでいるわけで、いわば熊谷家にとって何の益にもならない人間である。重蔵が勝てば神崎は城下に居られなくなるだろうし、神崎という兵法者を失う分だけ熊谷家にとってはむしろ損であろう。
一方、重蔵が負ければどうか。神崎はあるいは熊谷家に仕えることが叶うかもしれない。そうなれば熊谷家のために懸命に励むに違いなく、それは神崎の妻子のためにもなるであろう。
重蔵はこの事ですっかり気鬱になっていたのだが、試合の取り組みを知って拍子抜けし、同時に大いに安堵したわけである。
――胸のつかえが取れたわ。
現金なもので、気鬱が去った重蔵は俄然やる気になった。今日は朝から上機嫌で、用意の襷と鉢巻で装束を調え、幔幕で仕切られた控えから試合を観戦し、それを大いに愉しんでいた。
会場は、高松山山頂の本丸から南側に少し下がった馬場である。熊谷家の家士が数百人も見物に詰め掛けていて、仕切り縄の周囲はびっしりと人で埋まり、その後方には立ち見の衆が幾重にも列を作っている。
馬場の北面には大きな厩と棟続きになった狭い殿舎があり、その広縁に熊谷氏の一門、重臣がずらりと座っていた。孫次郎の厳つい顔も見える。
中央に座す四十男が熊谷氏の殿さま――民部少輔 元直であろう。どっしりとした堂々たる体躯で、言っては悪いが孫次郎に輪を掛けた醜男である。その隣に、紅葉色の小袖を纏った嫋やかな女性と十歳前後の少年の姿が見える。城主夫人と嫡子であろうか。子はともかく、女の身で兵法試合を見物するというのも変わり者ではある。
「ここまで東軍の一勝ニ敗か。残り二戦、負けるわけには参らんな」
重蔵の隣で床几に座した力士のような巨漢が、鉢巻を締め直しながら大声で言った。
別に東西で勝敗を争っているわけではないが、同じ控えに配された者同士にある種の連帯感が生まれるのは人情であろう。
「わしは勝つ。芸者殿も是非とも勝ってくだされよ」
不敵な笑いを浮かべる巨漢は、家中一の怪力の持ち主であると言う。
重蔵は微笑を返した。
「これからお手前が戦う兵法者――手練と聞いています。ご油断なきよう――」
「おう、念には及ばぬわ」
再び合図の太鼓が鳴り、四番目の勝負に臨む武士の名が呼び上げられた。
巨漢は気合で応え、勢いよく立ち上がるや四尺近い長大な木太刀を掴み、鼻息荒く幔幕を出て行った。
――いよいよか。
西の控えから、枯葉色の小袖に襷を掛け、鉢巻を締めた痩身の武士が現れた。
神埼弾正である。
眼光が鋭く、眉間の皺が深い。頬骨が高く、顎は鋭角に尖っている。歩く姿の歩の運びよう、腰のさま、眼の配りなど、さすがに尋常ではない。いかにも兵法者らしい雰囲気を漂わせていた。
長大な木太刀をぶんぶんと素振りした巨漢は、その太刀を肩に担ぐように構え、やや半身になって足を前後に大きく開き、腰を深く沈めた。
神崎は定寸の木太刀を下段に取り、自然に佇立している。
「始めっ!」
検分役の武士が叫び、勝負が始まった。
巨漢は凄まじい気合の声を上げ、長大な木太刀を二度、三度と振り回したが、神崎は敏捷にそれを避け、かするどころか受けもしない。
――これは勝負にならんな・・・・。
あの巨漢がどれほどの大力でも、いちいち動作が大きいから、動きを読むのも太刀をかわすのも手練であればそう難しくはないのである。相撲や組み討ちでの勝負というならともかく、剣術の勝負でなら神崎の敵ではないだろう。
その予想通り、試合は実に呆気なく終わった。
巨漢の長大な木太刀は唸りを上げながら何度も空を切り、地を叩く。神崎はそうして男をあしらいつつ見せ場を作ると、男が上段から振り下ろした木太刀をかわし様、かぶせるようにその柄近くを強烈に打ち下ろした。
――合撃ち・・・・!
よほどの腕がなければ出来ない高等技術である。
巨漢はたまらず木太刀を取り落とした。
「それまで!」
検分役の男が叫び、群衆からはため息のような唸り声が上がった。
「く、組み討ちを所望じゃ!」
巨漢が叫んだが、検分役はそれには応じず、両者を分けて控えへ下がるよう厳しく命じた。
神崎は殿舎に向けて礼をし、重蔵の方をちらりと見て西の控えに下がって行った。
巨漢は無念そうに肩を落として引き上げて来た。
ほどなく次の太鼓が鳴った。
「東軍、羽田重蔵!」
呼び上げの声に応えた重蔵は木太刀を握り、東軍控えの男たちの激励を受けつつ幔幕を出た。
「西軍、水落源允!」
西の幔幕から、四十代と思しきがっしりした体格の武士が現れた。
水落直綱――当主・熊谷元直の叔父であり、熊谷家の侍大将を務める男で、家中屈指の武勇の持ち主であると言う。小具足姿に鉢巻を締め、得物は一間半(2.7m)ほどの短い稽古槍を握っている。
武士にとって主なる武器とは太刀よりむしろ槍である。そうでなくとも槍と太刀では間合いが大きく違い、太刀の側が圧倒的に不利なのだが、この水落は我流ながら槍仕として一流で、これまで数々の戦場で数え切れぬ武功を挙げた、と孫次郎から聞いた。そういう履歴は別にしても、男が醸す雰囲気は紛れもなく手練のものである。
――出来る。
重蔵は気を引き締めた。
両者、馬場の中央に進み出、まず殿舎に向けて一礼し、続いて検分役に頭を下げ、さらにお互いに目礼した。
重蔵は抜刀から木太刀を正眼に、水落は半身になって稽古槍を切っ先下がりの中段に構え、四間(7.3m)ほどの距離で対峙する。
「始めっ!」
検分役の男が叫んだ。
腰を低く取った姿勢で、水落がじりじりと距離を詰めて来た。
太刀と槍では間合いがまったく違うから、重蔵から飛び込んで攻めるのは難しい。水落に先に槍を出させ、それをかわしつつ太刀の間合いに付け入る事ができなければ、重蔵に勝機はないであろう。
会場は水を打ったように静まり返っている。群衆が息をするのも忘れるようにして見守る中、ついに両者の間合いが詰まった。ただし、あくまで槍の間合いである。あと一歩踏み出せば水落の槍は十分に届くであろうが、とても太刀が届くような距離ではない。
重蔵は正眼から右足を大きく引き、八双気味に構えを換えた。
誘いである。
「はぁっ!」
がら空きになった身体を目掛け、気合と共に水落が槍を繰り込む。
重蔵は左に回ってそれをかわすが、水落の槍の引き戻しも速い。ニの槍、三の槍が立て続けに飛んで来、それを払うのが精一杯で、踏み込むどころではない。
――鋭い!
重蔵はたまらず大きく跳び退いたが、水落も飛鳥のように踏み込み、追い討ちの槍を突き込んできた。
重蔵の態勢が悪い。
「くっ!」
木と木がぶつかる音が鳴った。
重蔵はほとんど無意識に身体を左に捻り、切っ先の下がった太刀をすくい上げ、槍の先端から一尺ばかりのところで柄を打ち上げたのである。槍筋が上方にいなされ、槍先は重蔵の小袖の襟元をわずかにかすめた。
いなされた分、水落の槍の引きが鈍った。付け入りたいところだったが、重蔵は上体が反り、体重が後ろに掛かっていたために、動き出しが一瞬遅れた。已む無くそのまま横っ飛びに飛び退き、素早く態勢を整え、再び正眼に構えた。
「なるほど・・・・。孫次郎が褒めるだけのことはある」
構え直した水落が愉しそうに口元で笑った。
「真剣であれば、今ので槍の穂を斬り落とされたかな」
重蔵も釣られて笑った。
「いや、斬れなかったでしょう。さすが熊谷随一の槍と、感服しております」
世辞ではない。これほど鋭い槍は戦場でも滅多にお眼に掛かれぬであろう。重蔵は全身に冷や汗をかいていた。
「せっかくの機会だ。木太刀であったと諦めて、もうしばらくお付き合い願えるか」
「ご随意に――」
一拍置いて、気合と共に水落が突いて出た。
重蔵は正眼の太刀をわずかにずらして突きをいなし、水落の引き槍に合わせて踏み込もうとしたが、やはり引きが速い。慌てて左に飛び、辛うじて二の槍をかわした。
――無理に飛び込めば次の槍をかわせぬ。
と、考える間もなく槍先が足元に来た。
慌てて飛びかわすと、態勢の崩れに付け入って、胸元、胴と次々に槍が飛んで来る。
いなし、払い、かわし――と、息つく暇もない。
一方的に攻められながら、
――やはりこちらからは打ち込めんな。
と悟った重蔵は、なんとか飛び退いて再び間合いを取り、八双に構えを換え、柄を肩のあたりにまで上げた。
家伝の技に、ただひとつだけ槍を相手にした型がある。
――これほどの槍を相手に、果たして上手くゆくか・・・・。
水落が渾身の気合と共に槍を突き出した。
その瞬間である。重蔵は胸元に迫る槍をわずかに左にかわして右脇の下へと流し、同時に太刀を振り下ろして槍の柄を打ち、それを押さえ、そのまま滑るように一気に間合いを詰めた。
「――!」
手元に飛び込まれると槍は弱い。反射的に間合いを取ろうとして、槍を握ったまま飛び下がっていれば、水落は成す術なく籠手を打たれていたであろう。
しかし、そこはこの男も戦場で鍛えた実戦の達者である。飛び退きながら槍から手を離し、帯びていた脇差を抜いて重蔵の木太刀を受け、同時に重蔵を蹴り離すために足を飛ばした。
間一髪、飛び退いてその蹴りをかわした重蔵の口から、
「お見事」
思わず感嘆の声が漏れた。
水落は苦笑し、脇差をゆっくりと鞘に納めた。
「この試合、槍を失うた時点でわしの負けだな。おぬしの太刀とわしの脇差では勝負になるまい」
「いや、引き分け、勝敗なし――というところで如何でしょうか」
両者の戦いを呆然と見ていた検分役が、我に返ったように、
「それまで!」
大声で宣した。
同時に――同じく我に返ったのであろう――周囲の群衆からやんやの喝采が上がった。
重蔵は水落に一礼し、広縁の方に向きを変えて膝を付き、礼をした。
「見事な勝負であった」
顔を上げると、熊谷の殿さま――民部少輔 元直が興奮冷めやらぬといった顔で笑っていた。
「羽田とやら、義経流の技の冴え、確かに見せて貰うた。また源允も、家中随一の名に違わぬ凄まじい槍であった。決して恥じるには及ばぬぞ。試合は引き分けである。勝敗はこのわしが預かった」
その言葉を聞いて、
――熊谷の武士には、勝負に遺恨を残さぬ爽やかさがある。
重蔵はあらためて実感した。それが熊谷直実以来の家風なのかどうかは判らないが、この家には気持ちの好い男が多いらしい。孫次郎の気性も、こういう家風の中で育まれたのかもしれない。
「畏れながら――!」
突如、会場に野太い声が響いた。
重蔵も、水落も、広縁に座る面々も周囲の群集も一斉に声の主に視線を向けた。
西の控えの幔幕から神埼弾正が歩み出て、広縁に向けて片膝をついた。
「ご両所の技量には感服つかまつりました。同じく兵法を志したる者として、この機会に是非とも羽田殿に一手ご教授願いたく――民部少輔さまには、この事、伏してお願いつかまつりまする」
重蔵と勝負させてくれ、と、神崎は衆前で願い出た。
――冗談ではない。
重蔵は思ったが、
「面白し――」
熊谷元直は大いに乗り気になった。
熊谷家の武士同士の試合なら怪我や遺恨を気遣うようなこともあったろうが、兵法者同士の試合というのであれば熊谷家にとって損はなく、純粋に勝負の模様を愉しめる。神崎と重蔵の技量を見た後だけに、どちらが強いのか、どういう勝負になるのか、といった興味もある。見てみたいと思ったのも無理はない。
神崎は馬場の中央付近まで無造作に進み、水落に目礼し、重蔵と向き合った。
「お初にお眼に掛かる。神崎弾正と申す」
その口元に薄い笑いがある。
「羽田殿にはこちらから何度も立ち合いをお願いしたはずだが、一向に色好きお返事が頂けぬゆえ、このような仕儀となった。よもやお逃げにはなるまいな?」
「逃げは致さぬ・・・・」
重蔵の表情は苦い。
この衆目の中で逃げることなぞ男としてできるものではない。
「それは重畳。されば――」
神崎は検分役に視線を送り、
「いざ、尋常に――」
右手に下げていた木太刀を左手で抜き、正眼に構えた。
――な!?
重蔵は表情を動かすことこそしなかったが、内心で激しく動揺した。
――左太刀だと・・・・?
正直、虚を突かれた。
両刀は左腰に差すのが常識であり、つまり太刀を抜くのは右手になるのが必然である。これまで数え切れないほどの武士を見て来たが、右腰に刀を差した男は戦場でさえ見たことがない。たとえ箸を左手で使う者であっても、それが武士なら太刀を抜くのは右手であり、柄の握りは右拳が左拳の上に来るのが当たり前なのである。この神埼も、先ほどの試合では普通に右太刀を用いていた。
しかし、考えてみれば、それはただの常識であるに過ぎない。その常識に縛られねばならないという決まりはなく、決まりがあったとしてもそれを破ることが罪になるわけでもない。そもそも兵法者にとって人目を驚かすのは名を売るための常套手段であり、左手で太刀を抜いたとして誰に非難される謂われもないのである。
――まさか、というのが兵法の要諦だな・・・・。
敵の心理の裏を突き、来ないと思ったところを攻めるのが駆け引きの勘所であろう。重蔵を驚かせた時点で神崎の勝ちと言わねばならない。
左太刀は、神崎が学んだという「香取の太刀」、「鹿島の太刀」<*注1>にはその型があるのかもしれないし、あるいは神崎独自の工夫なのかもしれないが、いずれにしても重蔵が父から叩き込まれた型にはなく、重蔵の常識にもない。重蔵はこれまで稽古も実戦も右太刀の者ばかりを相手にしていたわけで、実際に左太刀と対峙すれば、初めて体感する間合いや太刀筋や足運びの違いに戸惑うに違いない。逆に神崎は右太刀との戦いには慣れ切っているはずである。
――そんな事さえ知らずにこの男と立ち合うつもりでいたのか。
己の浅慮に唾を吐き掛けたいような気分になった。
敵を知り己を知れば百戦危うからず、と言うではないか。敵を知ることもなく勝負の場に身を投じるのは無謀無策以外の何物でもない。勝つ勝つと念じるだけで勝てるなら、修行も稽古も必要ないのだ。
「どうなされた。始めても宜しいのか?」
神崎は口元で笑っている。
重蔵も太刀を構えざるを得ない。
ざわついていた群衆が、再び静まり返った。
「始めっ!」
検分役が叫ぶと同時に、神崎は左足から飛ぶように踏み込み、左太刀を無造作に逆袈裟に一閃させた。
不覚にも、重蔵は面食らっていた。左太刀だと頭では解っていても、身体に染み付いた動きが勝手の違いに対応できていない。混乱が重蔵の初動を一瞬遅らせ、神崎の太刀を受けるのが精一杯であった。鍔迫り合いを嫌ったのか神崎が太刀を引いたので、重蔵も飛び下がって間合いを取り、再び正眼に構えたのだが、無用の迷いや気後れもあって心中の動揺は増すばかりである。
重蔵が集中できていないという事実は、本人よりもむしろ対峙している神崎によく視えている。
――敵が気を立て直す前に勝負をつける。
神崎にすれば、それが必勝の戦法であったろう。
先、先、と神埼が鋭く打ち込んだ。
重蔵は左に回りながら引き足でかわすが、逃げ回っているようにしか見えない。
――怖れるな。
意を決し、上段から落ちて来た太刀を合撃ち気味に切り返し、そのまま踏み込みつつ左斬り上げ、さらに続けて袈裟斬りに返す。
が、神崎の受け太刀が巧い。最後の袈裟斬りを頭上で受けて己の背中側へと受け流し、体を左に回しながら太刀は円のような軌道を描き、重蔵の足を薙いだ。
重蔵は飛び下がってかわす。神崎はそのまま踏み込み、太刀は止まらず円の軌道を描きながら今度は頭上へ斬り掛かって来る。
重蔵はその流麗な太刀筋に戦慄した。かわすことも流すこともできず、反射的に太刀で受け止めるのが精一杯である。
「くっ!」
足を飛ばす。
神崎は飛び退き、再び三間(5.4m)の距離で対峙となった。
神崎の口元には余裕の笑みがある。
――これは本物だ。
そう実感すると、奇妙なことだが、
――これほどの相手なら、負けても良い。
とも重蔵は思った。
神埼が顕示欲のみの騙りの兵法者であるというなら兎も角、これほどの腕を持っていれば、これを召抱えても熊谷家の損とはならぬであろう。武芸が武士の本分だとすれば、並みの武士など足元にも及ばぬほどの技術を身に付けた神崎には、武士になるに十分な資格がある。
――ならばわしは負ける方が良いのだ。
太刀を捨て、「参りました」と一言叫べば、おそらく神崎も太刀を引くに違いなく、お互いに怪我せず勝負を終えることができるであろう。名をあげるなぞ烏滸がましいとする重蔵は、己の名に惜しむほどの価値を感じていない。
――よし、負けるに決めた。
そう肚を決めると、重蔵は何とも不思議な心境になった。
重蔵はこれまで、稽古を含めれば数え切れないほどの兵法者や武士と相対して来た。立ち合いの場では常に、どのように相手に勝つか、どのように相手を打つか、という事しか頭になかった。相手がこう打ってくればこう返そう、こう変化をつけて相手のここを打とう――身に付けた技でどのように相手に勝つかをのみ考えていたのである。真剣勝負の場で、負けてやるつもりで立ち合ったことはこれまで一度もない。
しかし、いざ負けると決めてしまうと、心の裡でそれまで猛っていた闘志とか負けん気とかいったものが静まり、不思議なほど心が澄明として、それにつれて神崎の姿がより鮮明に視えるようになった。
――これは・・・・?
初めての体験に、重蔵はわずかに戸惑った。
一方、神崎弾正は別の意味で困惑していた。
目の前にいる重蔵の剣気が、急に消えてしまったからである。
手練同士の立ち合いというのは剣気の押し合いであり、対峙した兵法者は両者の間の空間に漂う濃密な気配で相手の力量技量を推し量り、目の配り、足の運び、肩や腕のわずかな動き、太刀先の揺れなどで相手を牽制し、あるいは惑わし、騙したりすかしたりして先を取り合うものなのだが、しかし、いかに神崎が気合を掛け、剣気、殺気を叩きつけても、牽制しても誘っても、重蔵からは気配が何も返って来ない。暖簾に腕押し、糠に釘――と言うが、圧力を掛けようにも跳ね返りがなければ実体のない影法師を相手にしているようなもので、なんともならない。
――なんだこの男は・・・・?
神崎も長く兵法者を相手に暮らしてきたが、負けるつもりでいる相手と勝負した経験なぞあるはずもない。御前試合という華々しい舞台でそんな馬鹿げたことをする者が居るとは思いもしないから、重蔵の異様な静けさに不気味さを感じ、対処に迷った。
実は神崎は、これと似た感覚を体感したことがある。
関東に流浪し、名高い鹿島の地で師に出会った時の事である。
神崎が師事した吉川左京覚賢は鹿島神領家の四宿老の一人で、後に剣聖と讃えられた塚原卜伝の実父として名高い。「鹿島の太刀」を修めた兵法者として卓越するだけでなく、優れた人格者で、およそ剣気や殺気を表に出す人ではなかったが、剣を握るとおそろしく強かった。神崎は師と立ち合うたびにこの静かな感じを味わい、吸い込まれるような感覚に慄き、達人とはこのようなものかと思い知らされたのである。
兵法の大家には、長い修練の末に己の依怙心を去り、水のような悟達の境地に至る者があるという事を、神崎は鹿島の地で知った。鹿島を去って十年以上になるが、いま師と立ち合っても勝てるという自信はない。
――この男、あるいはそれほどの達人か。
戦慄と共に、その事を思った。もし重蔵がそれほどの兵法者であれば、とても自分が敵う相手ではない。
――衆目の前で勝負なぞするのではなかった。
神崎は、この勝負に負ければすべてを失う立場なのである。兵法者としての名声は地に落ち、熊谷家中で築いてきた人脈も、これまでの苦労もすべて水泡に帰し、高松山城下を去らねばならなくなるであろう。すでに家族も出来ている。今さら根無し草の浮浪人に戻るわけには断じていかない。
絶対に負けられない。負けたくない――
そう思えば思うほど、神崎は精神的に追い詰められた。焦りが怖れを生み、怖れが疑心を生んで、その身体は呪縛されたように重くなる。いつしか神崎の表情から余裕の色がまったく消えていた。
両者、三間ほどの距離を置いて固着したように動かない。
じりじりと、ただ時間だけが過ぎる。
勝負を見守る群衆は、真剣勝負が持つ異様な雰囲気に気圧され、寂として声もなかった。
神崎は、わずかな対峙の間に驚くほどの疲労感を覚えた。極度の緊張を強いられ、それに負けぬように気を張り続けていれば、気力は吸い取られるように疲弊する。気が揺らげば位負けに負けてしまうであろう。
――このままではいかん。
神崎は覚悟を定めた。
肚から気合を吐き出しつつ、一気に間合いを詰める。
左八双から籠手を狙って繰り出した初太刀は囮で、瞬転、左に変わりつつ体を沈め、右片手で抜き胴を打つ。
が、焦りが神崎を力ませ、その余分な力が四肢の動きをわずかに鈍くした。技は普段のキレを失い、太刀先は疾らない。
重蔵は神崎の太刀筋が鏡に映すように判った。わずかに動いてその籠手打ちを外し、右から胴を薙ぎに来る木太刀に己の木太刀をぶつけるようにして弾き落とす。木と木が打ち合って乾いた音が鳴った。
「――!」
弾かれた太刀を捌きつつ神崎は右の脇構えに変化し、すくい上げるように斬り上げる。
重蔵は飛び退き、紙一重で太刀の間合いを外した。
神崎の動き出しからここまでがまさに一瞬。
再び三間ほどの距離を置いて両者が対峙する。
――いとも容易く凌ぎおった・・・・。
立ち合いの最中、瞬間的に利き手を換え、構えも左右に換え、さらに片手打ちを使うことで相手に太刀の間合いを測らせず、見切りを狂わせるのが神崎の戦法であったが、そのすべてを重蔵は事も無げにかわした。この動揺は大きい。
一方の重蔵は、異様なほど心気が冴えている。向かい合う神崎の剣気、気迫の揺れ、焦り、怖れなどが、剣先から伝わって来るように判った。初めて体験する、なんとも不思議な心境だった。それが勝敗を捨てた境地であったという事に気付いたのは、試合が終わった後である。
神崎の尖った顎から、汗が滴り落ちた。
すっかり自信を失い、気が揺らいでいる。
重蔵はゆっくりと下段に構えを換え、左足を半歩前ににじり出した。それにびくりと反応し、神崎が一歩下がる。
さらに重蔵が半歩詰めると、神崎はやはり半歩退いた。
――あぁ、ここまでだな。
これ以上神崎を追い詰めても何もならない。
重蔵はゆっくりと三歩下がって構えを解き、右手に下げた木刀を左手に収めた。
神崎が不審気に眉根を寄せた。
「熊谷孫次郎殿まで申し上げる!」
重蔵は大声をあげた。素浪人に過ぎない分際で、歴とした地頭である熊谷 民部少輔 元直へ直言するのは礼に失するから、その傍にいる孫次郎へ話し掛けるという体裁で、実際は熊谷元直に語り掛けている。
「神崎弾正殿の比類なき剣の技量はよう解り申した。このまま立ち合いを続ければ、たとえ木太刀と言えども、両人のいずれか、あるいは両人共に、必ず手傷を負う事になりましょう。大きな合戦が近いと聞き及んでおります自今、浮浪の身のそれがしはともかく、神崎殿の如き有為の士が怪我をするような事になっては、ご当家にとって損。一技一芸に優れたる者を抱えるは武将の心得、士は生かして使うが良将の道とやら申します。この勝負――これにて民部少輔さまにお預けいたしたく思いまするが、このこと如何に」
勝敗は、余人は知らずとも重蔵と神埼にだけは判っている。
この言葉を聞いた神崎の顔は、何とも複雑に歪んだ。自分を救う言辞を吐いた重蔵に対する驚きと、恥をかかずに済んだという安堵と、手も足も出ずに負けたという悔しさが、同時に噴出したのであろう。名状し難い腹立たしさと情けなさがあるが、同時に、
――これなら明日から路頭に迷わずとも済む。
という打算めいた気持ちがない事もない。
「なかなか好き見物であった」
熊谷元直が広縁で立ち上がった。
重蔵と神埼は、それぞれその場で向き直り、片膝をついた。
「羽田とやらの申す事ももっともである。この勝負はわしが預かろう。両人、何ぞ望みがあるか」
「お、畏れながら――」
神崎が顔だけをあげて叫んだ。
「ご当家は熊谷直実以来の武家の名門。それがし、ご当家の家名を慕い、当地に住まい付きましたる者でござりまする。民部少輔さまのご家来の端にお加え頂けますならば、一死をもってご奉公つかまつる所存!」
静かに頷いた熊谷元直は、今度は重蔵に視線を向けた。
重蔵は大真面目な顔を作って言上した。
「それがし、孫次郎殿のお屋敷にてご厄介になっておりまする。願わくば、孫次郎殿へ酒を一樽ご下賜くだされたく――」
それを聞いた元直は、口元に微笑を浮かべた。
――なるほど出来たご仁のようだ。
重蔵は直感した。
孫次郎は殿さまである元直にずいぶん心酔しているようなのだが、孫次郎が男惚れするだけあって、この男は士を愛する徳を持っているのであろう。
「あい判った。望みの通りにするであろう。両人共、大儀であった」
重蔵は一礼し、一度だけ神崎に視線を送って東の控えへと下がって行った。
<*注1>
京に「京八流」と呼ばれる兵法があるのに対して、関東には「関東七流」と称される兵法がある。伝説を信ずるなら「関東七流」の成立は「京八流」より遥かに古く、遠く神代の昔にまで遡らねばならない。
神話の時代、名高い『国譲り』が行われた際、高天原から天降って葦原中国を平定した経津主神と建御雷神という武神がある。このニ柱の神は後に関東に居つき、下総国 (千葉県)香取神宮が経津主神を、利根川を挟んでそのすぐ北隣にある常陸国(茨城県)鹿島神宮が建御雷神を、それぞれ奉じた。この二社の神職・七家に伝えられたという武神の兵法こそが「関東七流」の発祥であり、俗に「香取の太刀」、「鹿島の太刀」という名で呼ばれた。
「香取の太刀」から天真正伝神道流(香取神道流)が、「鹿島の太刀」から鹿島神道流(新当流)がそれぞれ生まれている。当時、兵法を志す者の間でこの二派は特に知名度が高かった。