新たなる船出(六)
尼子氏による毛利家の乗っ取りが現実味をもってささやかれ始めていたこの時期――。
元就は苛立ちと苦悩を、元綱は漠然とした不安を、それぞれに感じていたのだが、おそらくこの二人以上に精神的に追い詰められていたのが、坂広秀であろう。
衆議の力によって元就を退隠に追い込み、養子として迎え入れた尼子経久の孫を新たな家督に擁立する。
この陰謀をスムーズに実現させるには、実際に尼子軍が吉田にやって来るまでに、重臣たちの間で一定以上のコンセンサスを得ておかねばならないのである。
なぜと言えば、毛利側の受け入れ態勢が調わぬうちに尼子側が養子入れを強要すれば、戦さになってしまう。尼子軍の後ろ盾がある以上、養子擁立派がこの政争に勝つことは間違いないが、ひとたび武力衝突となれば元就支持派は徹底的に粛清され、夥しい血が流れることになろう。そういう結果になることは、広秀にとって本意ではない。
大名家の力というのは、結局のところその家に属する人の力の総和なのである。伝統ある庶家や有力な族党が滅び、譜代の有為の人材が払底してしまえば、その家はどれほど広大な領地があったとしても内部が空洞になった樹木のようなもので、大風を受けただけで簡単に倒壊してしまうであろう。毛利の庶家でも屈指の名門である坂氏の宗家に生まれた広秀は、この男なりの仕方で毛利家を愛しており、綺麗事でなく実利の意味からも、出来る限り少ない流血でこのクーデターを成し遂げたかった。
広秀の見るところ、是も非もなく元就と運命を共にするという愚か者は、一門、譜代の重臣のなかでせいぜい三割ほどである。井上党などの外様出身の重臣は、率いる族党を滅ぼしてまで元就個人に忠節を尽くすような義理はないから、尼子軍の脅威を間近に感じ、養子擁立派の勢いが侮れぬと見れば、それほど抵抗なく賛同に回るに違いない。残りは大勢に流される付和雷同の者たちで、これは風になびく稲穂のように強者に低頭するものであるから、衆議を動かすに足る与党を形成することも決して不可能ではないはずだ――。
そう広秀は皮算用していたのだが、実際には広秀が同志を集めるより先に、どうしたわけか不穏当なうわさが吉田の城下を覆い始め、広秀は周囲から疑惑の眼を向けられるようになった。密かに政治工作をしたくとも、いかにも動きづらい状況に追い込まれてしまっていたのである。
大内軍の出陣は当初予想されたより遅れているが、おそらく大内義興は領国内の田植えが終わるのを待っているのであろう。だとすれば、早ければ四月の後半、遅くとも五月のうちには、山口を出陣するのではないか。大内軍が動けば、これを安芸で迎え撃つために尼子経久も即座に軍を動かすはずであるから、中村元明が指摘した通り、政治工作に費やせる日数はもういくらも残っていない。
――ぐずぐずしてはおれぬ。
焦った広秀は、ともかくも身内の坂一門を固めるべく、密かに桂城まで足を運び、従兄にあたる桂広澄に勧説を行った。
が、その結果は惨憺たるものだった。
「長門殿よ。おぬし正気で申しておるのか」
話を聞いた桂広澄は、ほとんど叱責するような語気で広秀を難詰したのである。
「みずから腹を召された兵部殿(坂広時)の無念を想えば、殿さまや上野介(志道広良)に対しておぬしが恨みを含む気持ちは、わからぬではない。じゃが、おぬしがしようとしていることは、どれほど上辺を繕ったところで、殿さまに対する謀叛であることは紛れもない。おぬしは坂を、かつて滅びた麻原の二の舞にするつもりか」
麻原氏というのは南北朝の頃に毛利本家から分かれた庶家である。
全国の武家が南朝方と北朝方とに割れて争っていた時代、麻原氏はその争乱に乗じて毛利本家を凌ぐほどの勢威を蓄え、毛利本家による惣領支配に反発し、しばしば紛争を起こすようになった。歴代の毛利家当主はその統制にほとほと手を焼かされてきたのだが、時代が下って「応仁の乱」の数年前、麻原氏は毛利の傘下を脱するために幕府に所領を公的に安堵してもらうべく直接働きかけたため、毛利本家との対立が決定的となった。麻原氏とそれに味方する庶家の独立を許せば、毛利家の勢力は半減してしまう。絶対に許容できない話であり、意を決した毛利本家は一門の総力を挙げて兵を集め、周囲の豪族たちの力まで借りて、麻原氏とその与党を徹底的に族滅し、その所領を奪い取った。毛利家はこの事件を経ることによって、現在の惣領支配体制を確立したのである。元綱の祖父・豊元の時代のことで、この時期から六十年ほど昔の話になる。
「一門の者、譜代の者が、主家を想わぬようになれば、武門はたちまちにして滅ぶ。毛利本家の家主を蔑ろにすることは、結局のところ、そのまま我ら自身の首を絞めることになるのじゃ。そもそもおぬしは、数多ある庶家の中でも第一の名門とされる我が坂の、宗家の惣領ではないか。一門の範を示すべき立場というものがあろう。いかなる不平不満があろうとも、毛利の二字をゆめ疎かにしてはならぬ」
「誤解をしてもらっては困る。わしは何も、毛利の二字を疎かにするものではない。それどころか、お家の先行きを案じたればこそ、このように心を労しておる。尼子の下でお家が安泰を得るには、出雲のお屋形から憎まれておる上野を執政の席に座らせてはおくわけにはいかぬのじゃ」
広秀はあわてて言葉を重ねたが、その言い訳はいかにも苦しい。
「早くに父御を亡くされた元就さまが、上野を師父のようにしてお育ちになったことは、おぬしも知っておろう。その上野を、元就さまが手ずから貶降なさることは決してあるまい。非道を行わずに上野を除くには、元就さまにご退隠頂くしか策がないのじゃ」
「それで、殿さまの跡目に出雲のお屋形のご令孫を迎えようというのか。言葉をどう繕おうと、それは尼子に主家を売ることにほかならんではないか」
「左衛門尉、言葉が過ぎる。このわしが主家を売り物にしようか。お跡は、必ず尼子から迎えねばならぬということではない。おぬしが毛利の血胤を重しとするなら、相合の四郎殿に家督を継いでもらうという手もある」
「相合殿か・・・・」
呟いた広澄は、しばらく思案する風を見せたが、やがて大きく息をつき、首を振った。
「相合殿が悦叟院さま(毛利弘元)のご長男であったなら――と考えたことは、わしもある。じゃが、現実には相合殿は庶子のご三男。これは天の配剤というものであろう」
肚を決めたのか、広澄の眼光に強さが戻った。
「この乱世にも、いや乱世であるからこそ、守らねばならぬ倫理というものがある。もしいま相合殿が、ご兄弟の順逆を犯し、家督を奪うために兄君を追い落としたとなれば、正直である者ほど主君を心から敬仰できぬようになろう。そんな相合殿の下に集まるのは、正邪善悪より私欲を先にし、主君に媚びる佞臣ばかりとなる。そのような連中が我が物顔でのさばる毛利家を見るのは、わしは死んでも御免こうむる」
この桂広澄という男は、子供の頃から、言い出したら最後、決して自説を曲げぬという信念の人であり、押せば押すほど、それ以上の反発力で必ず押し返してくる。従弟である広秀はその厄介な一徹さを知悉しているので、さらに説得を続けることの無益さに虚しい徒労感を覚えた。たとえ殺す気で恫喝しても、現状でこの男が心をひるがえすことは決してないであろう。
――この種の阿呆が、結局はお家を途方もない危難に落とし込む・・・・。
広秀は内心で毒づいた。
桂広澄が気持ちを変えることがあるとすれば、現実に尼子軍が吉田の間近に迫り、毛利家滅亡の危機を肌で感じて、二進も三進も行かなくなった時であろう。広秀に言わせれば、そうなるまで広澄は正論を盾に取って事態を放置しているというだけであり、
「いざとなれば主家と運命を共にして滅ぶまでよ」
と、開き直っているに過ぎない。主家が危難に陥る前に、それを回避すべく頭を使い、努力することを、最初から放棄しているだけではないか。
尼子経久が本気になれば、顎ひとつ動かすだけで毛利家を地上から消し去ることができる。数百人の侍が殺され、郡山城が陥落してしまった後に、仮に毛利家そのものの存続が許されたとしても、それは経久の孫を家主に戴いてのことになるであろう。そうなってしまってから、最初から養子縁組を受け入れるべきだったと後悔しても、取り返しはつかないのである。
――なぜこの自明の道理がわからんのじゃ。
広秀は桂広澄の説得を諦めはしなかったが、実際問題としてこの頑固者を変節させる方策がない。彼の危機意識がより切迫したものに変るまで、時機を待つほか手がなかった。
その代わりというわけではないが、藁をも掴む想いで次に目をつけたのが、渡辺勝である。
渡辺勝は、元綱がまだ幼かった頃、その傅人を務めていた過去があり、元綱の後見役をしていた広秀とは何かと繋がりが深い。自分が勝から必ずしも好かれていないことを広秀は自覚していたが、元就と元綱を天秤に掛ければ必ず元綱を選ぶ男であるから、説得の仕方を間違わなければ同志に引き込むこともできる、と見た。
一日、陽が暮れてから長見山城へ密行した広秀は、訝しげな表情を作った渡辺勝に強いて人払いを頼み、膝を突き合わせて自分の想いをぶつけた。
勝は直情で正直な男である。話を聞くや、
「御辺は自分が何を言うておるのか、わかっておるのか」
と、顔を真っ赤にしてまくし立てた。
「御辺がやろうとしておることは、要するに謀反ではないか。馬鹿なことを考えるものではない」
「坂の惣領たるこのわしが、毛利のご本家に対して謀反なぞ、考えるわけもない。確かに元就さまに対しては、逆意ということになろう。じゃが、すべてはお家の滅亡を未然に防がんとする赤心から出たことじゃ」
おぬしもすでに知っておろう、と広秀は続ける。
早ければ一月後には尼子の大軍がこの吉田までやって来る。その軍事力を背景に、養子入れを談じ込んで来るというもっぱらのうわさだが、これはうわさでは終わらない。尼子のさる重臣から漏れ聞いたところでは、現実にそうなる。尼子経久は、元就がこの養子入れを受けぬことまで見越し、むしろ戦さになることを望んでいるのではないか。戦ったところで毛利側に勝ち目はないのだから。毛利家を降伏に追い込み、元就と志道広良を処断し、尼子に不従順な重臣を粛清した上で、みずからの孫を新たな家督に据える肚に違いない。
「元就さまの家督相続のときの経緯から、お屋形は上野を憎んでおるらしい。上野をこのままのさばらせれば、お屋形は本当にお家を潰してしまうぞ。上野を執政の席から追い、ご養子を家主に戴くことが、お家を滅亡から救う道なのじゃ。おぬしとて上野のやり様を、肚に据えかねておるのじゃろうが」
「確かに昨今の執権殿は、お家を支え続けてきた譜代の者や重臣の意見を蔑ろにするようなところがある。その点、わしも腹立たしく思うてはおるが、それとこれとは話が別じゃ。お家を尼子に売るような陰謀に、加担なぞできぬ」
「お家を売るとおぬしは言うが、お家が滅んでしまうよりはずっとマシではないか。おぬしは、元就さまの家主の座さえ守れれば、お家が滅んでしまっても構わぬのか。それでは本末転倒ではないか」
残すべきは元就個人ではなく、あくまで毛利の二字である、という点を、広秀は強調した。
「道理も筋目もわかるが、それもお家が残ってこそじゃ。おぬしは毛利の二字が安芸から消えてしまってもよいのか」
「それは・・・・」
もともと勝は口下手な男であり、弁舌では広秀には敵わない。毛利という「家」に対する忠誠と元就個人への忠誠を分けて考えたこともなかったから、広秀の論法に反論の言葉を失ってしまった。
「戦さになれば多くの者が死に、お家は滅ぶ。これは誰が考えても自明のことじゃ。お屋形が毛利の二字を残してくださるとすれば、家督をご令孫に継がせてのこととなろう。それならば、何も無駄な血なぞ流すことはない。初手からご養子をお迎えし、家督を継いで頂く方が遥かによい。そうは思わぬか」
「む・・・・」
「上野を討つことまでわしは考えた。上野さえ除けば、心頼みを失った元就さまもご退隠を承知なさるやもしれぬし、お屋形も手荒なことはなされぬやもしれぬ。当然わしも腹を切らねばならんが、それでお家が安泰となるなら、わしひとりの命なぞは軽いものじゃ。それも已むを得ぬものと覚悟をした。じゃが、非道を用いるのはやはり最後の手段とすべきじゃと思い直した。元就さまにご退隠頂き、ご養子を迎えるよう、衆議によって決するのが、筋じゃろう。このため、お家大事と思う者を糾合せねばならぬ。おぬしは譜代の老臣のなかでもその筆頭たる立場の男じゃ。それで、こう話をもって来た」
広秀の危機感とその説得の必死さが、勝を沈黙させた。
「わしはこれでも懸命に考えた。考えた末に、こう申しておる。もしおぬしに、他にお家を救う考えがあるというなら、教えてくれ」
「考えなどは、ない」
勝は力なく言った。
「戦さとなれば、毛利家のために懸命に戦って死ぬまでよ。お家が滅ぶというなら、その滅びに殉ずるのが、譜代の家に生まれた者の務めじゃと思うておる。それだけのことよ」
「臣下としてその意気と覚悟は立派じゃ。じゃが、おぬしは木端武者(雑兵)ではあるまい。譜代の老臣として、毛利の二字を末代まで残すことを考えるのも、その務めではないのか」
「ぬ・・・・」
重臣の責務について責められる形になった勝は苦吟するように唸った。
この男をやり込めることが広秀の目的ではない。鞭の次には飴が必要であろう。
「ご養子を迎えると言うても、それはあくまで姫さまの婿としてのことじゃ。そのお二人に子が生まれれば、次代に毛利の血が半分入るのじゃから、血胤の正統が途切れるわけではない。お屋形のご令孫はまだ元服前と聞いた。当然、これを後見する者が必要となるが、元就さまにご退隠を頂く上は、相合の四郎殿にその役を務めてもらわねばならぬ。四郎殿は未だ部屋住みの日陰者に甘んじておられるが、主君を後見なさるお立場となれば、多治比なりどこなりに分家を立て、自立なさることができよう。多くの侍を死なせることなく、それでご当家が安泰を得られるならば、それもひとつの形じゃと、わしは思うのじゃ。おぬしもそうは思わぬか」
勝はついに返す言葉を失った。
その渡辺勝が、相合の元綱の屋敷に現れたのは、三月の末、そろそろ二更(午後十時ごろ)になろうとする時刻であった。
このとき元綱は私室にいて、重蔵を相手に『尉繚子』という兵法書の講読をしているところであったが、勝が人払いを願ったので、重蔵を部屋から去らせ、差し向かいで座った。
ゆきを呼んで酒を持って来させ、部屋に誰も近寄らせぬよう言いつける。
「これで満足か? こんな夜中に――まるで密談だな」
「かたじけない。ですが、他聞をはばかることでござる。拙者が今夜ここへやって来たことも、ご家来やご内室には堅く口止めを願いまする」
勝が身にまとう雰囲気が尋常でないことに、元綱はすでに気づいている。
「なんという顔をしておる。まさかお前まで俺が謀反を起こすなぞという風聞を鵜呑みにしてるんじゃなかろうな」
ややおどけて言ったが、勝はその軽口には乗らず、
「ご教示して頂きたきことがござって参った」
と重い声で言った。
「俺がお前に教える――? はっ、これまで聞いたことのない台詞だな。これはいよいよ愉しい用件ではなさそうだ」
勝は元綱にとって傅人――いわば幼少時からの教育係だった男である。それだけに持ち込んできた相談がただ事でないことがわかる。元綱は表情と気分を引き締め、足を組み替えて背筋を正した。
勝は立て続けに三杯をあけて喉を湿らせると、意を決したように身体ごと元綱ににじり寄り、声をひそめて言った。
「――実は、陰謀がござる」
坂広秀が進めようとしている尼子からの養子入れと家督交代の陰謀を、勝は朴訥とした言葉で余さず語った。
それは元綱にとって驚くべき内容であったが、悪い冗談として笑い捨てる気にはなれなかった。
――うわさの裏はそういう事だったか。
うわさを生み出した流言、それを流した者の思惑などについて、むろん元綱も自分なりに考えてはいたから、勝の告白を聞いて多くのことが腑に落ちた。
しかし、疑問点もまた多く残る。
尼子氏がこの陰謀を成就させたいと本気で思っているなら、あくまで秘密裏に政治工作を進めるはずだ。元就らに陰謀の存在を気づかせかねない流言を、わざわざ撒き広めたりするだろうか。それとも流言を放ったのは尼子氏ではなく、大内氏なのだろうか。尼子氏による毛利家乗っ取りを阻止し、毛利家を再び大内方に寝返らせるための策謀であるとするなら、一応は筋が通るが、元綱さえ知らなかった尼子氏の陰謀を、遠い山口にいる大内義興が察知できるものだろうか。それは何らかの手段、あるいは偶然から知ったものと仮定しても、それならそれで、尼子氏の陰謀を挫くために流言を流して元就らの注意を喚起するというのは、やり方があまりに迂遠すぎはしないか。大内義興ほどの男なら、苦境の元就を救うことで恩を売り、毛利家を味方に取り込むような外交的アプローチも可能であったはずだ。
――どうもすっきりせんな。
すべてのうわさの元となった流言は、亀井秀綱が鉢屋弥之三郎の献策を容れて放たせたものである。元綱を精神的に追い詰め、謀反へと暴発させるのがその主眼であったが、元綱はこの段階に至っても謀反を起こす気は毛ほどもなかったし、兄の元就が根も葉もない風聞に踊らされて自分を処断するなぞとは思ってもいないから、己が深淵の崖っぷちに立っているという自覚さえなかった。性に合わない権道に手を染めてまで秀綱が仕掛けた謀略は、結果として元就や志道広良の危機感をいたずらに煽り立てたというだけで、毛利家を乗っ取るという本来の目的にとってむしろマイナスに作用したと言える。だからこそ裏面の事情を知り得ない元綱には、尼子氏が描こうとしている絵の全体像が視えず、ちぐはぐな印象しかない。
が、それはそれとして、いまは埒もない憶測や推論を重ねるより、もっと重要な事実を直視せねばならない。
「経久公は毛利家を乗っ取る肚か・・・・」
なんという横暴であろう。
毛利家は、人質を献じて尼子家に臣従して以来、常に尼子からの命令に従順に従ってきたはずだ。昨年の鏡山城攻めにおいても、もっとも過酷な先陣に配されながら懸命に働いたではないか。それだけではない。近々あるという大内軍の安芸討ち入りに対しても、兄の元就は尼子軍に参じて戦うことをすでに確約してさえいるのである。言わば尼子家に対して犬馬の労を取っているというのに、そういう毛利側の忠節と貢献をまったく顧慮せず、力ずくで元就を退隠させ、家督を奪い取ろうというのか。
――我らを虚仮にするにも程がある・・・・!
元綱は猛然と腹を立てた。
が、これは元綱の早合点と言うべきであろう。毛利家の乗っ取りを策していたのは実際には亀井秀綱であり、その動機は元就に対する個人的な怨恨から出ている。尼子経久はこの陰謀を主導してはおらず、それどころかほとんど関知さえしていなかった。
しかしそんな実態は、毛利側にとっては関係ない。亀井秀綱の言葉は、その主君である尼子経久の意志なのである。
「四郎さまは重々ご承知でござろうが、我が渡辺の家は、毛利時親公がこの吉田に入部を果たされる前からの譜代、我が一族が代々ご当家に忠節を尽くして来たことは、拙者の誇りとするところでござる。はばかりながらこの勝も、主家のためとあらば水火も辞さぬ。殿さまから死ねと命じられれば即座に腹も切り申そう。父祖の霊に賭けて、その覚悟には微塵の揺らぎもござらぬ。――さりながら、いまの拙者は、主君である殿さまへの忠節と、毛利というお家に対する忠節との間で板ばさみとなり、どちらを取るべきなのかが、わかり申さぬ」
勝は苦渋の表情で言った。
尼子経久に膝を屈し、家督を明け渡してまで家の安泰を計るのか。あるいはあくまで現当主の元就を立て、家の存亡を賭して戦うのか。
どちらが正しい、ということはない。神ならぬ人の身では未来のことなどわからないわけで、どちらの選択が結果として毛利家の繁栄に繋がるかということは、この時点では何とも言えないからである。勝はこのことに悩み、迷い抜いた末に、毛利の血を受けた元綱にその選択を預けようと思い定めた。
――四郎さまならどちらを選ばれるか。
元綱は現在はただの部屋住みに過ぎないが、この陰謀が成功すれば、新たな幼君の後見役として毛利家の実権を握り得る。かつて元就が幸松丸を後見していた頃のように、毛利軍の麾扇を執る位置につけるのである。が、元綱がそういう私欲から判断を下す男ではないということを、幼少時から元綱を育てあげた勝は誰よりも知っている。
「四郎さまは殿さまの弟御、妾腹とはいえ悦叟院さま(毛利弘元)の血を受けられた嫡統のお人でござる。その四郎さまが、長門殿が進めようとしておる陰謀をどうお考えになるか。これは是か、あるいは非か。思うところを、どうかお聞かせくだされ。もし四郎さまが是とされるなら、拙者、殿さまに弓引くこともあえて厭いませぬ」
「おいおい、渡辺勝ともあろう者が、血迷うたか」
一考もなく、元綱は即座に言った。
「こうまで虚仮にされて、この上さらに尼子に頭を垂れて、武門の面目が立つか! 経久公が本気で家督を奪いに来るというなら、我らは兄者と共に滅びるまで戦って、武門の意地を見せつけてやるまでのことじゃ。それで家が滅ぶか残るかは、問うところではない!」
そのあまりの明快さに勝は言葉を失った。
――負うた子に教えられ、とはこれか。
我知らず口元に苦い笑みが浮いた。
庶子の三男として生まれた元綱に、毛利家当主となる兄に対して誠忠であれ、と刷り込むように教え込んだのが、勝なのである。問いの答えは初めからわかっていたとも言える。自分は無意識にこの言葉を求めて元綱の前にやって来たのではなかったか。そして肚を決めたかったのだと、このとき思い至った。
――陰謀なぞ、もともとわしの柄ではなかったわい。
生臭くて重苦しい桎梏から逃れられたという感じで、勝はよほど気が楽になった。もともとこの男は誠忠の臣であり、己が毛利家の譜代の重臣であることに誰よりも誇りを持っている。毛利家のために戦い、それで死ぬなら本望ではないか。毛利家が興るか滅ぶかは、究めて言えば当主である元就の天運次第であり、その臣下である自分は、己の埒のなかで最善を尽くせば良いのである。
「豁然――目から鱗が落ち申した」
「当たり前だ。長門のヤツが何をとち狂うたかは知らんが、お前までそれに引きずられてどうする」
叱るような口調で元綱は返した。
坂広秀に衆望が不足しているのは元綱から見ても明らかであり、現時点であの男がどれほど旗を振ったところで思惑通りに重臣たちを踊らせられるとは思えない。現当主の弟である自分と新当主の義母になるお夕とが広秀を支持でもしない限り、衆議によって養子入れを実現させることはまず不可能であろう。
元綱はそう見切ったので、坂広秀の策動を兄に告げる必要性を感じなかった。
家主交代の運動は、元就に対する逆意には違いないが、広秀が衆議によって事を進めようとしている限り、まっとうな政治行動であるとも言える。むろん元綱は広秀に与する気などないが、だからといって声高に広秀の非を鳴らし、謀反だ何だと騒ぎ立てるのも趣味に合わない。それでは誣告に匂いが近いし、それで元就が広秀の行動を「謀反である」と断ずれば、向原の坂宗家は族滅されることにもなりかねない。内訌なぞは愚の骨頂であるから、この問題はどう考えても、広秀に家主交代を諦めさせて事を穏便に治めるのが最善であろう。元綱としては、さしあたり勝の話は聞かなかったことにしておくのが良い。
そんなことより、このときの元綱の思考は、どうやって尼子の大軍と戦うか、という具体的な実施面の方にすでに移っている。
尼子経久が、毛利家を乗っ取ることにどれほど本気であるかが問題であろう。戦さも辞さず、という覚悟なのか。そこまで強硬な姿勢ではないのか。毛利側が頑として受け入れない態度を取れば、養子入れを諦めさせることが可能なのか。このあたりの経久の心事が元綱にはまったく想像がつかないのだが、いずれにせよ毛利側としては、実際に戦さになることまで想定して防戦の準備を整えておくべきであろう。戦う備えと覚悟がある、という実景を見せ付けることが、経久への抑止力にもなるかもしれない。
幸い――というより、これは当然のことだが――大内軍との戦いに備えて元就は家中に出陣の準備を命じており、糧食や馬糧、武器などは、三ヶ月の戦陣に耐え得るほどの量が城に蓄積されつつある。
あとは――。
「郡山城の要害を少しでも堅くするよう、普請を急ぐことだな。尼子の軍が出張って来るまでもういくらも日数は残ってないだろうが、出来得る限り、塀を高くし堀を深くし、矢石を溜め集めておくべきだろう」
たとえ行く手に敗亡しかないとしても、戦う以上は武人として恥ずかしくない戦さがしたい。
兄の政治に嘴を入れたくない元綱は、郡山城の防御強化について、勝の方から元就に意見具申してもらうことにした。
「俺は明日から船山の普請に掛かろう」
相合にある船山砦は郡山城の西の出城である。元綱はその城主であるから、己の裁量で自由に手を加えることができる。
元綱は、船山砦に配属されている雑兵を残らず招集し、なけなしの銭を叩いて二十人ばかりの人夫まで雇い、砦の補強工事を開始した。
その二日後のことである。
早朝から船山砦で工事に従事した元綱が、日暮れになって相合の屋敷に戻ると、玄関まで迎えに出て来たゆきが血相を変えていた。
「四朗さま、お義母さまが・・・・!」
「なんだ。どうした」
「お屋敷を出て行かれたのです。出家をすると申されて――」
相合の方は、満願寺の英秀和尚を屋敷に招いて導師とし、周囲には何も告げずに突然髪をおろしてしまったのだという。
墨染めの僧衣に袖を通し、白い尼頭巾をつけた義母は、驚いて言葉を失ったゆきの前で丁寧に頭を下げ、後事を頼んだ。これからは多治比の悦叟院に居を移し、庵室を建てて終の棲家とするらしい。領主である元就からその許可をもらうために、英秀和尚に同道を願って共に郡山城へ向かったと、ゆきは早口で説明した。
「二刻ほど前のことです。すぐ四郎さまにお報せしようとしたのですが、それはしてくれるなと、お義母さまに堅く止められましたので――」
「そうか・・・・」
亡父の菩提寺である悦叟院は多治比の猿掛城の山麓にある。猿掛城主であった元就が家督を継いでから、多治比は毛利本家の直轄領となっており、猿掛城も本家の管轄になっている。そこに身ひとつで居を移すということは――。
――つまり母上は、みずから人質になりに行ったということか。
元綱が謀反をたくらんでいるといった類のうわさが、母の耳にまで聞こえていたのであろう。
相合の方は、むろん誰よりも我が子の性質を知っており、元綱がそんな恥知らずな醜行に手を染めるはずがないと信じていたが、それを他人がどう観るか、ということはまた別である。家中に吹く腥風を感じて密かに心痛していた彼女は、我が子に叛逆の意志がないということを元就に示すために、自身の身柄を差し出そうと思い立ったのだった。事態をこれ以上深刻化させたくないという、母の祈るような配慮がそこにある。
その献身には感謝しつつも、
――そこまでせねばならんのか。
元綱は勃然と腹を立てた。
自分には兄にとって代わろうなどという野心はない。これまで毛利家にも兄にも不為を働いたことはないし、元就に対しては忠節を誓う誓紙まで書いている。暴走し始めている坂広秀についても、その陰謀に加担するどころか、去就に迷う渡辺勝を叱りつけて抑えに回ったほどなのである。その自分が、さらに生母を人質に出すという恥辱に堪えねばならないのか。そこまでせねば自分は兄に信じてもらえない、と母は考えたのか。あるいは兄がそれほど自分を疑っている、と母は懼れたのか。
――なんという不快さだ。
武門の家に弟として生まれてしまった者の悲哀のようなものを、元綱はこのとき初めて痛感した。
元綱はこれまで厭世的になったことは一度もない。日常の中で生起する不自由や不都合といったものは、自身の努力なり我慢なりによって克服することができる程度のもので、外的な要因によって窒息するほどの閉塞感を感じさせられた経験がなかったということもあるが、厭世観を抱くには元綱の性質はそもそも楽天的であり過ぎたし、ある意味で苦労知らずのその人生は、周囲の人々の好意と陽性の情景とで満ちていた。陰気に沈むということを、ほとんど知らずにこれまで生きてきたのである。
――海が見たくなった。
不意に、元綱の心象に瀬戸内の風景がよぎった。潮の匂いと、肌に痛いほど冷えた海風と、静かにうねる海原に浮かんだ島々の景観には、廿日市で出会ったあの海の男の印象が結びついていた。万里の波濤を自在に往来するあの男の自由さに比べ、自分はなんと窮屈で不自由な世界で生きていることか。あの男が宙を自由に舞う鳥なら、己はまるで地を這う地虫のようではないか。
そう思ったが、それを愚痴として口に出して妻に聞かせるのは、男としていかにも情けない。
「母上のことはよい。すでに落飾されたというなら、なさりたいようにさせるほかあるまい。兄者も悪いようにはせぬだろう」
「はい・・・・」
「そんな顔をするな。浮世の雑事に飽いて、仏界の父上にお仕えしたくなったんだろう。父上には妻妾が幾人もあったが、尼御前になった者はおらなんだからな。その菩提を弔うことに専心する者が、一人くらいはあってもよかろうよ」
「それは、そうかもしれませんが・・・・」
ゆきとて義母の出家の真意は酌み取っている。
巫女あがりであり諜者あがりでもあるこの女は、楽天的な夫と比べれば現実認識により辛さがあり、毛利家中の不穏の気配をただならぬものとして感じてもいたから、義母の苦悩や心痛は我が事のようによくわかった。
が、話はどこまでも政治向きのことであるから、武士である夫にあえて意見しようとは思わなかった。元綱の側室に収まって以来、ゆきはその種の生臭い世界からは意識的に遠ざかろうとしていたし、尼子氏の陰謀について裏面の事情をまったく知り得なかったということもある。伝聞やうわさから憶測を重ねたところでほとんど意味はないし、裏づけも根拠もない意見を声高に言い立てたところで、元綱の危機感をいたずらに煽り、兄との関係を悪化させるだけ、という結果にもなりかねない。口に出してよいことと、そうすべきでないことを、この女はわきまえていたと言えるであろう。
「仏に仕えて生きるのも、舎弟の就心なぞを見ておる分には、そう悪いものではない。母上が多治比で落ち着かれたら、お前と鶴寿と、幸なども連れて、皆で一度見舞いに行くとするか」
そう言って、元綱はこの話を切り上げた。
このとき元綱は、兄の居る郡山城までみずから足を運び、母の希望を叶えてもらえるよう頭を下げ、その庇護を懇ろに頼むべきであったかもしれない。どういう理由であれ、直に兄と顔を合わせる機会を作ることができれば、それが破局を回避する何らかの端緒になったかもしれないからである。
しかし、保身のために生母を人質に出すというその行為の見苦しさと不快さが、常にはむしろ軽快でさえあるこの青年のフットワークを極度に重くした。
――兄者の前でどんな顔をしろというのだ。
兄に頭を下げるのはいい。兄は毛利家の家主であり、毛利家臣としてそれはむしろ当然のことだ。
しかし――。
今の今では、とてもではないが屈託ない表情なぞ作れそうにない。内心の不快さを押し殺して卑屈な愛想笑いでも浮かべれば良いのか。そういう自分を想像するだけで、その厭わしさに身の毛がよだった。せめて心情の澄明さと信条の堅固さを取り戻すまで、すこしだけ時間が欲しかった。
元綱は、兄に格別の会釈をすることもなく、そのまま己のやるべき事に没頭した。
――私情と公事は別だ。
というポリシーが、この青年にはある。
毎朝早暁から船山にのぼり、時には砦に泊り込んで、防備を強化するための工事を急がせた。みずから率先して土を掘り、丸太を運び、柵を結わえるなどして汗をかき、肉体を酷使することで、不快さや不安感を心身から追い出そうとしていたのかもしれない。
皮肉な話だが、こういう元綱の行動が、そうでなくとも神経過敏になっている志道広良に絶好の口実を与えることになる。