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鷲爪伝  作者: 堀井俊貴
第一章 毛利元綱
5/62

長兄の死(ニ)

「ふざけるな!」


 俺の怒声が闇夜に吸い込まれた。


「兄上のご病状はそこまで悪かったのか!? 執権殿はこの事知っておられたのか!?」


 俺の隣で床几に座した志道しじ広良は沈痛な面持ちで地面を睨み、こちらに視線を向けようとはしなかった。しかし、答えはあらためて聞くまでもない。集まった諸将の顔を見渡せば一目瞭然で、福原貞俊、桂広澄ら、驚愕の表情を示さなかった数人だけが、長兄の容態をあらかじめ聞かされていたのだろう。

 つまり、この凶事が誤報でも悪夢でもないということである。

 武将たちは、ある者は声を殺してき、ある者は悲憤し、ある者は悲怒の声を放った。眼前に主君あるじの遺体でもあればそれに取り縋って大泣きに泣いたであろうが、ここは戦陣なのである。せいぜい嗚咽おえつを漏らすことしかできない。


「なぜ今の今まで俺に報せなんだ! 敵を前にしたこの土壇場で、いきなり主君あるじが死んだなぞと――俺にどうせよと言うのだ!」


「若――!」


 顔をくしゃくしゃにした太郎左が、いきり立つ俺の腕を強く掴んだ。


「わしも驚いた。驚き入り申した。じゃが、人の口に戸は立てられぬと申す。わしも執権殿のお立場であれば、同じように殿のご容態をひた隠しにしたでござろう。執権殿を責めるわけには参らぬ」


 毛利の敵は宍戸氏ばかりではないのである。北東には備後の三吉氏が、南には安芸守護の武田氏が、虎視眈々と毛利領を狙っている。毛利興元が重い病の床にある――なぞということが漏れていれば、この機に兵を向けて来ぬとも限らなかったろう。それを防ごうとした志道広良の処置に間違いはない。

 それは解っている。


「済んだ事をあれこれ言い募っておったところでせんも無い。今は、この戦にどう始末をつけるか――それこそを考えねばなりますまい。殿が身罷みまかられたことを宍戸方に知られれば、彼奴きゃつらはかさに掛かって攻めて参りましょうぞ」


 それも解っている。

 ただ、俺のなかで気持ちの収まりがつかないだけだ。


「兄上・・・・!」


 長兄は名将ではなかったかもしれないが、名君だったと俺は信じている。

 わずか九つで毛利家の家督となり、海千山千の大人たちに囲まれて暮らした長兄は、大名の地位とは決して絶対的なものではないという事と、権力は地位によって生まれるものではないという事を、どうやら肌身をもって学んだ。

 毛利家は三千貫(約二万石)ほどの所帯しかないのに十五人もの宿老がいる。宿老たちはそれぞれが族党の当主であり、つまり主家である毛利本家と傘下の族党の実力に大きな差がないのである。その毛利家を束ねる長兄は、君主としての権力の基盤が非常に弱く、宿老たちの利害の調整役を務めねばならぬ立場であり、ことに十五の時に親父をうしなってからは、家中の融和を保つだけでも大変な気苦労を重ねてきたのだ。


「大名というのは、皆が担ぐ神輿みこしのようなものだと私は思っている。私が清らかで大きく立派であれば、これを担ごうと寄って来る者も増えるが、私が汚く小さくみすぼらしい神輿ならば、誰もこれを担いではくれぬ。担ぐ者がおらねば、神輿は地にうち捨てられるのみだ。私は武勇つたなく生まれ、人並みの知恵もないが、せめて、担いでくれた皆々が担いだ事を誇りに思えるような神輿でありたい」


 いつかの長兄の言葉である。

 だから長兄は、己という神輿を担いでくれる人間を大切にした。家臣に対しては常に温顔を持って接し、領民に対しては常に慈悲の心で臨み、人を叱り飛ばしたりその面目を失わせるような言葉を吐いたことがない。一度口にした約束はどんな些細な事でも律儀に守ったし、訴訟においても依怙えこ贔屓ひいきを決してしなかった。その無私公正な人柄は、家中の誰からも信頼されたのである。

 いや、それは毛利家中だけには止まらない。

 まだ若輩の長兄が、遥かに年長の豪族たちを説き伏せ、安芸国人一揆の締結に主導的な役割を果たすことができたのも、長兄の人柄があったればこそと俺は信じている。毛利・吉川・高橋の同盟による武力が背景にあったにせよ、

 ――毛利興元おきもと一度ひとたび約定したことを決して破らぬ。

 という信頼が得られなければ、この戦国乱世に豪族同士の大連合などという離れ業は実現しなかったに違いない。長兄は一兵も損なわず敵を味方に変え、毛利の存在感を強く大きくしたのである。

 そう考えれば、

 ――安芸に毛利興元あり。

 と他国にまでその名が響くようになったのは、長兄の徳の力によると言っても外れてないはずだ。乱世は武力にばかり眼が行きがちだが、徳の力が武の力に優るということを、長兄は体得していたのだろう。

 あらためて説き聞かされた事はないが、おそらく長兄は「信義」を己の揺るがぬ中心に据えていたのだと思う。もちろん、この乱世である。綺麗事だけで渡ってゆけるものではないが、足りずとも及ばずとも、ずることのない大道を歩もうと長兄はもがき、努力し続けていた。「百万一心」という座右の銘も、長兄の大いなる理想を表していたのではないか――

 そんな男であったからこそ、長兄は俺の誇りだった。長兄のために戦場で働き、その役に立つことが俺の悦びだった。俺と次兄とで長兄を支え、若い三人で力を合わせて十年、二十年と頑張れば、いずれは毛利が安芸一国の盟主にもなれるのではないかと――俺は半ば本気でそう考えていたのである。

 ――しい。

 俺は闇色の天を仰いだ。

 両眼の縁から涙が落ちた。

 ――郡山へ戻っても、もう兄上の声を聞く事はできぬのか・・・・。

 人が必ず死ぬものであることは解っていたが、近しい肉親の不慮の死には、人の営みの儚さをあらためて思い知らされる。わずか二歳の嬰児えいじのこし、志半ばでかねばならなかった長兄は、どれほど無念であったか――

 嬰児――幸松丸こうまつまる

 長兄が死んだ以上、その幼い遺児が毛利家を相続することになるであろう。

 高ぶっていた俺の心は急速に醒め、現実に引き戻された。


「・・・・兄上が身罷られた事を全軍に伝えよ」


「若――それは・・・・」


「どうせ隠したところで知れるのだ。毛利の旗に集うすべての者に、この哀しみを共にさせよ。亡き殿のご恩にむくいる道は、そのご遺児である幸松丸さまのために、明日の合戦いくさ奮迅ふんじんの働きをすることであると――皆にそう申し伝えよ」


 鬱々と、血が嫌なたぎり方をしている。

 ――宍戸は運が悪い。

 長兄が死んだことに宍戸氏は何のとがもないが、毛利の軍兵たちは、やり場のない怒りと哀しみを明日の合戦にありったけぶつけるだろう。長兄を慕い、その馬前で死にたいと願っていた武士たちは、それこそ死さえ厭わず戦うに違いない。思うさま暴れなければ、この肚の哀と怒と弔の気を吐き尽くすことはできぬ。


「明日は兄上の弔い合戦と心得よ!」


 決戦を誓い、俺は諸将を散会させた。

 毛利軍は可愛川の土手を土累に見立て、河原側に降りて野陣を敷いている。敵の夜襲に備え、全軍の三分の一が不寝番となって土手に並び、北方の敵陣の篝火を睨んでいる。もちろん交代で休息を取らせるが、敵が指呼の間に居る以上、休みといっても鎧は脱げない。

 河原には幔幕で仕切っただけの本陣があり、俺はその中で矢楯を敷いて横になった。

 眠れぬまま時間だけが過ぎた。

 やがて、夜が明ける。

 徐々に空が白んでゆき、東の山陰から日が昇る。ご来光をこれほど虚しい気持ちで迎えたことはかつてなかった。

 朝飯を終え、毛利軍は再び土手を背に三段に布陣した。

 その軍兵たちを前に、俺は叫んだ。


「皆も知っての通り、殿は昨日さくじつ、城にてご逝去なされた! この危急存亡のとき、まことの臣の取るべき道とは、亡き殿が遺された幸松丸さまを守り立て、ご立派にご成人あるまでおたすけすることである!」


 俺の声に、おとこたちは気合で応えた。


泉下せんかの殿に御心安らかにお休み頂くためにも、毛利の武威にいささかの衰えもないことを、この合戦で天上と天下に示すぞ!」


「おおおおっ!」


 軍兵たちの哀悼を込めた闘志が、天に向けて漲っているのが見えるようであった。

 ――俺が開戦の一矢を放ってやる。


「誰ぞ、鏑矢かぶらやを――」<*注釈1>


 俺の声に武将たちが驚いた。


「四郎殿、なりませぬぞ。そのような――大将のなさる事ではござらん」


 志道広良が慌てて止めたが、


「若ほど遠矢が利く者はそうはおらん。心配には及ぶまい」


 太郎左が太鼓判を押したので、広良は苦々しく口を閉じた。

 差し出された一筋の矢をえびらに差し、俺は全軍をそこに待たせ、ただ一騎で北へと駆けた。

 毛利も宍戸もお互いの軍の動きは見えている。毛利軍が布陣を終える頃には敵方も魚鱗ぎょりんに陣を組み終えており、ゆっくりと行軍を始めていた。

 点のようだった宍戸軍の先陣の武者が、次第にはっきり見えるようになる。

 その距離が三町(約三ニ七メートル)ばかりまで縮まったところで馬を止め、俺は馬上から叫んだ。


「我は江家ごうけ末孫ばっそん、毛利 冶部少輔じぶのしょう 興元が舎弟、相合あいおうの元綱なり! 宍戸雅楽頭うたのかみ殿に物申す!」


 俺の声は大きい。敵の後陣まで届いたであろう。

 宍戸軍は足を止め、静まり返った。


「たれぞ大将に取り次ぐ者はおらんか! 宍戸の家に武士の礼はないか!」


 馬を輪乗りしながら眺めると、待つほどもなく敵軍の前列が割れ、眼にも鮮やかな萌黄威しの大鎧をまとった巨漢の騎馬武者が前に出た。半月の前立てが朝日に輝いている。


「音に聞く毛利の今義経殿か! 初めて見参つかまつる! 我は宍戸元源が舎弟、深瀬ふかせ隆兼たかかね!」


 俺に負けぬ大声である。四十年配のその男は、勇将・宍戸元源の実弟で、その兄に優るとも劣らぬ武勇の持ち主と聞いている。


「おぉ、深瀬殿か! されば大将の雅楽頭殿に伝えていただきたい! 我が兄・毛利興元は、昨日、俄かにこの世を去られた!」


 男がいぶかしげに俺を睨んだ。言葉の虚実が付きかねたのであろう。


「八幡大菩薩もご照覧あれ! 我らは本日の合戦、主人の亡魂に捧げる弔い合戦と致す所存! 兄亡きのちも、我ら毛利の槍先はいささかも鈍らぬと知るがよい!」


 俺は背の鏑矢を取り、それを弓につがえて十分に引き絞り、天に向かってひょうと射た。

 鏑が音を立てて風を切る。矢は山なりに飛んで宍戸軍の前軍を飛び越え、その後方に落ちた。

 遠矢で三町の距離を飛ばせる者はざらにはいない。俺の弓勢ゆんぜいを見た深瀬隆兼は、


「お見事!」


 と大声で応え、馬首を返して軍列の中へと消えた。

 宍戸軍からその矢が射返されれば、それが戦場における礼の往復となり、開戦の合図になる。

 俺が毛利軍の中に駆け戻り、しばらく待つと、宍戸軍から一騎の武者が駆けて来た。

 先ほどの深瀬隆兼である。


「毛利家の方々に物申す!」


 声が届くところまで近づき、馬を巧みに輪乗りしつつ叫びを上げた。


「冶部殿は年来の敵ながら、若くして身罷られたはまことに愁傷! 同じ武門に生きる者として、主人を喪われた方々の心中、お察し申す! 我が兄・宍戸元源は、葬儀法要の邪魔立てを致すほど無粋ではござらぬゆえ、これより陣を払う! 方々もく帰られて、冶部殿の菩提を弔われるが宜しかろう!」


 毛利の軍兵たちがどよめいた。

 俺さえ虚を突かれた。

 深瀬隆兼は鏑矢を射返すことをせず、馬首を巡らせて去った。

 宍戸軍がゆっくりと退いてゆく。


「敵ながら、礼節を弁えた見事な振る舞いでござるな」


 感心する太郎左の声に、俺は苦笑した。

 ――太郎左は人が好い。

 兵法に、鋭鋒を避く、ということがある。宍戸元源は、悲憤に猛る毛利軍とここで戦うのは損と見て、恩を売る形で決戦を先送りにしたのではないか。長兄亡き後、その遺児である幸松丸の元に毛利家がひとつに纏まるという保証はなく、たとえば内紛が起こって家が弱体化したり分裂したりする事だってないとは限らないのである。しばらく様子を見るにしかず、と判断しただけではないのか――

 ――どうも相手が一枚上手だな。

 禍福は紙の表裏のようなもので、それはちょっとした風向きの如何いかんで容易にすり替わる。長兄の死という「禍」をもって軍兵たちの闘志を奮い立たせ、毛利軍勝利への梃子てこにし、新たな主君となるべき幸松丸の「福」へと転じようとした俺の思惑は、またもや宍戸元源によっていなされた形である。


「宍戸の申し条、果たして信じてよいものか・・・・」


 志道広良が武将たちと話し込んでいる。

 宍戸元源が名聞みょうもんを歯牙にも掛けぬ男なら、引き上げた軍勢を解散させず、毛利軍の引き上げを見届けた上で、間髪入れずに吉田に攻め込んで来ることだってあり得ぬ話ではない。なんと言っても宍戸氏の五龍城から吉田の郡山城まではわずか一里半しか離れていないのである。帰って葬儀などしていては、付け込まれぬとも限らないというのがその懸念であるらしい。

 警戒したくなる気分は解らぬでもないが、見当外れだと俺は思った。

 ここで吉田を攻めるのは、外敵によってわざわざ毛利家を纏まらせるようなもので、宍戸氏にとっては小利にしかならない。大利を狙うなら、この機に調略の手を伸ばし、むしろ毛利家の内部分裂を謀る方が賢い。

 ――あの男は小利にははしらぬ。

 俺の直感がそう告げている。

 初めて総大将という立場で戦を眺め、敵将・宍戸元源と戦ってみて、かの男と膝を突き合わせて語り合ったような感触が、俺にはあった。

 戦場で策を好む者が必ずしも奸悪なわけではない。策とは味方の死傷者をいかに少なくして勝利を収めるかという合理であり、家来を殺したくないという思いやりがない者には生まれぬ知恵であろう。狂奔の場である戦場で冷徹な計算を働かせられる度量と、勝ちを六分でとどめられるゆとりには、人物の重厚な奥行きさえ感じる。

 そういう男が、目先の小利にとらわれるとは思えない。


「敵が退いた以上、我らも退くほかあるまい。先の事は先の事として、今はすぐにも兄上の元に参じねばならぬ」


 強い口調で武将たちの議論を打ち切り、俺は兵馬を郡山城へと向かわせた。

 軍兵たちは、決死を誓った合戦をいなされ、すっかり覇気を失っていた。目前の危機はとりあえず去ったが、残されたのは主君の死という寒々しい現実だけなのである。凱旋の喜びなどは誰の顔にもなかった。

 重い足取りの軍兵たちと共に郡山城へ帰ると、次兄と留守の老臣たちが出迎えてくれた。


「戦は痛み分けだ。いや、四分六で負けかな。兄上が死んだと報せてやったら、宍戸は陣を払った。早う帰って兄上の弔いをせよというのが宍戸元源の申し条であった」


 次兄は一瞬だけ怪訝けげんな顔をしたが、すぐに気持ちを切り替えたらしい。


「いや、ご苦労だった」


 慇懃に俺に頭を下げ、継いで諸将を労った。

 次兄の案内で、俺たちは長兄の病間へとそのまま進んだ。

 群臣たちと対面させるためであろう、病間は襖が取り外され、次室と繋げられていた。長兄が眠る夜具の傍らには、幼い幸松丸を抱いた義姉がすでに泣く力も失せたというような虚ろな表情で座っている。その横に、義姉の父である高橋氏の隠居・久光殿が座っていたのには強い違和感を持ったが、横たわる長兄の姿を視野に入れてしまえば、そんな事を気にしてはいられなかった。

 部屋へ踏み込むと、普段は嗅がぬ香の匂いがした。

 長兄の身体には白い夜着よぎが掛けられ、顔は白布で覆われていた。

 鎧姿のまま、俺は長兄をすぐ前にして座った。

 指が震えた。

 白布を外して青白い長兄の顔を眺めると、もう涙が止まらなくなった。

 居並んだ武将たちも、ある者は声を上げ、ある者は声を殺し、ある者は床を叩き、ある者は洟を啜り、それぞれにいた。


「兄上は――何ぞ言い遺されたか?」


 俺の問いに、次兄は目を伏せて首を振った。


「親父が死んだと聞かされた時もこれほどはこたえなかった。俺は兄上が好きだった・・・・」


「私も同じ気持ちだ。いや、毛利の者なら武士も領民も――皆が兄上を好いていた」


 次兄は眼に涙を溜め、しみじみと言った。



 葬儀はその翌日に行われた。

 天野あまの氏、平賀ひらが氏、小早川こばやかわ氏、阿曽沼あそぬま氏といった安芸国人一揆の豪族たちから続々と弔問の使者が来た。吉川氏からは元経もとつね殿と国経くにつね殿が自らやって来て、長兄の死を悼んでくれた。大内氏にも急使を送ったが、本拠である周防すおうの山口まで達するにはまだ数日掛かるであろう。

 宍戸氏からは当然使者は来なかったが、宍戸元源は長兄の四十九日の追善供養が済むまでは兵を動かさなかった。意外に律儀な男なのかもしれない。

 長兄には、

「秀岳院殿常松禅定門」

 という号が呈された。享年は二十五歳である。

 葬儀の後、今後の毛利家の仕置きについて重臣たちで評定が持たれた。言うまでもなく、毛利家の次期当主を決めるためである。

 その席に、高橋久光殿が「幸松丸の祖父」という資格で同席した。俺を含め、おそらく毛利の重臣すべてが不快に思ったはずだが、高橋氏は毛利より遥かに大きな実力を持つ大豪族で、今後もそのよしみを失うわけにはいかなかったから、強く拒絶することはできかねた。

 群臣の気分ということで言えば、最初から長兄の遺児・幸松丸に家督を相続させるのが当然であるという空気であったのだが、この評定の場で、宿老の坂広秀が俺を当主に推す論陣を張り、誰よりも俺自身を当惑させた。


「この乱世に、二歳の嬰児を当主に立てて家が保てるのか、ということでござる。亡き殿には成人した立派なご兄弟があり、このお二人から当主を選ぶが穏当でござろう。しかして少輔次郎しょうじろう殿はすでに多治比に分家し、毛利本家を出てござる。対して四郎殿はご本家の御曹司でござる。そのご器量、武勇の優れたる事は亡き殿ご自身もお認めであり、この場におる皆もよう存じておろう」


「馬鹿な――!」


 執権の志道広良はじめ、家臣団の長老格である福原広俊、その子である福原貞俊ら、親族一門の多くはこぞってこれに反対した。言うまでもなく、「幸松丸の祖父」である高橋久光殿も声高に不満を述べた。


「お二人のご器量にはもとより不足はない。じゃが、御家の相続にもっとも大切たるは筋目でござる。筋目が立たぬば家が乱れる」


 というのがその論旨である。

 ちなみに親父の正室は長老・福原広俊の娘で、広俊から見れば長兄と次兄は孫であり、幸松丸は曾孫に当たる。が、妾の子である俺とは血の繋がりがない。自分の孫の次兄ならともかく、身分の低い妾の子である俺を当主にするなぞということは、認められる話ではなかったろう。

 井上元兼、井上就在なりあり、井上元盛、井上元景ら井上党の宿老たちは、もともと幸松丸擁立で異存はなさそうであったのだが、坂広秀が俺を推した事に対抗してか、あるいは高橋久光殿が家政へ介入することを嫌ったからか、急に次兄を推すと言い始めた。井上元盛の死んだ祖父(同名・元盛)が次兄の後見役を務めていたという縁があり、井上一族には次兄と繋がりが深い者が多いからだろう。

 井上党は家中でもっとも勢力の強い族党だから、評定はにわかに紛糾した。


「こう申しては何だが、少輔次郎殿は未だ初陣さえ踏んでおられぬ。それに比べて四郎殿の戦場のお働きは、義経にさえ喩えられるほどのものじゃ。乱世に生きる侍であれば、優れた大将こそ頼もしいと思うのが当然ではないか」


 坂広秀は引き下がらなかった。


「かつて悦叟院えそういんさま(亡父・弘元)は、四郎殿に何やら言う家宝の書物をお譲りになったと聞いた。代々毛利の当主が相伝して来た家宝をわざわざ四郎殿に譲られたのは、ご長男の殿に不測の事があった時、四郎殿に毛利家を継がせるという悦叟院さまのご遺志であったと考えることもできよう。もし悦叟院さまがご隠居のまま多治比でご存命であったとすれば、家督を四郎殿にと申されたとは思わぬか」


 『闘戦経』の事がここで問題になるとは思わなかったが、どんな横車にもそれなりの理屈は付けられるものだと――俺は変に感心した。

 坂氏というのは毛利家の一門で、数代前に毛利本家から分かれた庶家である。代々毛利家の執権を務めた名誉の家柄で、この坂一族から桂広澄の桂氏、志道広良の志道氏などがさらに分家して族党を作っている。坂広秀はこの名門・坂氏の当主でありながら執権には就いてないから、察するに親父はあまり厚遇しなかったらしい。親父が死んだ後、広秀は幼かった俺の後見役を自ら買って出て、何くれと俺に肩入れする素振りを見せてくれているのだが、正直言って俺はこの脂ぎった男があまり好きではない。

 ――小理屈の多い男だ・・・・。

 いつもうんざりさせられるのである。

 広秀は四十代後半の働き盛りで、政戦の経験に不足はないが、家中での信望はあまり高くない。さほどのうつわでもないくせに、気位だけは妙に高いところが人に疎まれる所以ゆえんであろう。しかし、そういう欠点に本人はあまり自覚的ではないようで、坂氏当主の自分がないがしろにされ、分家の志道広良が執権を務めていることに強い不満を持っているような気配がある。この評定で熱弁を振るったのも、俺を当主に据えることで権力を交代させ、俺の後見という権威をもって執権の座を奪おうとでも考えたのかもしれない。

 宿老の一人でもある太郎左は、武辺者肌の男だから理屈こきの坂広秀とは仲が決して良くはないのだが、この時ばかりは広秀に消極的に賛成するような態度であった。傅人めのと(養育係)として、俺が当主にと推されたことが単純に嬉しかったのであろう。

 太郎左に限らず、戦場往来の男たちの間で俺の人気は高い。族党を背負う宿老たちはともかく、軽輩の武士の中には俺を武神か何かのように持ち上げ、心酔するような困り者さえいるくらいで、広秀が吐く屁のような理屈に賛同する者も皆無ではなかった。

 俺を主君にと推してくれる者たちの気持ちは嬉しくないわけでもないが、

 ――小さな家の中で小さな権力なぞ争って何になる・・・・。

 というのが俺の本音でもある。

 議論はぐだぐだと一向に纏まらなかった。

 俺はそれを醒めた目で見守っていたが、ついには我慢ができなくなり、


「兄上にお子があるのに、これ以上何を議論する必要があるか!」


 と怒鳴った。

 いい加減にしろ、という気分である。

 俺自身、長兄の遺児を脇にのけて当主の座に就くことなぞ考えられない。長兄に男子の子がある以上、これを立てるのが理の当然なのである。そう強く言ってやると、評定ではめったに発言しない次兄が、


「四郎の申す通りじゃ。家督を継ぐは幸松丸さま以外には考えられぬ。兄上亡き後の毛利家を力を合わせて支えてゆかねばならぬ我らが、兄上のご遺骨も冷めぬうちからいがみ合ってなんとする」


 と真っ先に俺に同意した。

 俺と次兄が揃って幸松丸の相続を推したから、坂広秀もついに口を噤み、毛利家の家督問題はそれで決着した。長兄の遺児を毛利家の当主に据え、これを皆で盛り立てることが正式に決まったのである。

 もちろん、二歳の嬰児に家政が執れるはずがないから、次兄と高橋久光殿が幼い当主を後見するという体制が取られることになった。

 次兄は毛利家を出て一家を立てており、自らの城を持ち、独自の兵力もある。長兄のもっとも近い血縁でもあり、当然の人選だと俺も思った。

 が、問題は高橋久光という初老の男である。

 久光殿は娘婿である長兄の人物を買っていたから、長兄が健在であったこれまではそれなりに毛利に好意的であったし、同盟者として助力もしてくれたし、遠慮も見せてくれていたが、今後は幸松丸を擁して毛利家の内政に露骨に介入しようとする意図が透けて視える。己の孫の家だから久光殿も悪くは扱わぬであろうという希望的な観測は成り立つが、ゆくゆくは毛利を高橋の傘下にしようというような下心がないとも言えぬであろう。その点は宿老たちも不安を感じていたに違いないが、強大な高橋氏を敵に回すわけにもいかないし、今後も高橋氏の助力が必要であることも事実であったから、結局はこの横車を黙認せざるを得なかった。


「兄上があってこその毛利家だったのだ・・・・」


 言葉に出さずに呟いて、俺は深く嘆息した。

 この嘆きは、多くの家臣たちの実感でもあったろう。



<*注釈1>

「鏑矢」とは、矢の先に鏑(蕪の根のような形の木製具)をつけた矢。(やじり)は先端が二股に割れた雁股(かりまた)を使うことが多く、飛ばすと風を切って音を発するところから「鳴り矢」とも言う。破魔の力が宿る矢と信じられており、合戦における開戦の一矢や、流鏑馬などの儀式や神事に用いられた。



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