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鷲爪伝  作者: 堀井俊貴
第六章 鷲の羽を継ぐ…
44/62

海の男(一)

 安芸の有力豪族である小早川氏には、安芸南東の竹原を本拠とする竹原小早川と、芸備国境の沼田ぬたから三原あたりに勢力を張る沼田小早川の二家があるということは以前に触れた。

 その竹原のすぐ東隣に、高崎という名湊めいしんがある。

 近世以降は隣の竹原港が大規模に整備されたためにその役割を奪われ、干拓が進んだこともあってすっかり往時の面影を失ってしまったが、平安時代の以前から遣唐使船なども寄港する瀬戸内でも有数の湊であり、中世においては山陽沿岸航路の重要な中継寄港地として大いに栄えていた。ちなみにこの地を支配する高崎氏は、小早川氏からわかれた庶家であり、高崎湊は竹原小早川家の外港的役割も果たしていた。

 内浜川の下流に開かれた町はさほど広くない。河口の三角州は大きな干潟になっていて、その北東側はあしおぎが生い茂っていた。河口の南西側には半島状に海に突き出した丘陵があり、高崎氏の城が築かれている。この時代の港湾は浚渫しゅんせつができないから、川からの堆積土砂が海底を浅くしてしまうことが湊にとって大きな問題であったが、海流の関係からか南西側の丘陵付近では水深が深く保たれ、大型船の停泊にも適した入り江となっていた。

 河岸や河口の浜辺にはいくつもの桟橋が作られ、百を超えるはしけや漁船がもやわれている。やや鋭角におかに切れ込んだ入り江には、積載量が千石を超える大型船・四艘を筆頭に、大小の荷船が五十艘ほども錨を降ろしていた。早朝の寒風に旗や幟がはためき、どこか虚しげな海鳥たちの声が遠く響いている。この日は未明から小雨がしのつく悪天であったからか、荷揚げや積み込みをしている船はさほど多くない。

 湾内に浮かぶ荷船の群れのなかに、一艘の地味で小汚い老朽船があった。

 幅は二間半、長さは六間ほど。船首と船尾が反りあがった、ずんぐりした形の荷船である。帆柱は一本、甲板の中央に筵帆むしろほが折り重なり、左右の舷側にはそれぞれ五つの櫓穴が開いている。

「弁天丸」と名付けられたこの船は、十一反帆、百五十石積みの「人船」――つまり小型の客船である。讃岐さぬき(香川県)沖の塩飽しわく島から、山陽沿岸を陸伝いに寄港しつつ進み、周防の南東に浮かぶ屋代やしろ島まで、一人につき百文の運賃で運んでくれる。天候と風に恵まれれば二日から三日ほどの船旅で済むから、おかを歩くよりは遥かに利便性が良い。もっとも、海が荒れたり風向きが悪かったりすると、どこかの入り江で身動きが取れぬまま日数を費やすこともあるし、どれほど船が進めるか、どの湊に寄港するかも、つまりは天候次第である。そのあたりは実にアバウトで、たまたま寄港した湊では新たな乗客を拾うし、客がどこで船を降りてもらっても構わない。

 その弁天丸の甲板で、雨を浴びつつ曇天を仰いでいた船頭ふながしら源吉げんきちが、


「天気は悪いが、風は悪しゅうはない。今日はどうにか出られるか」


 と独りごちた。

 北東の天に横たわる烏帽子形えぼしがた山から風が吹き下ろしてくる。入り江を出て阿波島を過ぎれば東風こちに変わるであろう。この雨はやまぬだろうが、風は強くないから海はそれほど荒れない、というのが源吉の勘である。いずれにしてもその後の風次第ということになるが、進めるところまでは進んでおきたい。

 この高崎で、弁天丸はすでに丸二日も風待ちをしているのである。船が動かなければ無駄飯を食って過ごすしかないわけで、それだけ一航海あたりの利益が薄くなってしまう。

 甲板上では、すでに朝飯を終えた水夫たちが出航の準備に取りかかっている。

 源吉が浜の方に視線を向けると、桟橋から十人ほどの人を乗せたはしけが出て、こちらに漕ぎ寄せてきた。先ほどから船と陸とを往復している弁天丸の艀である。狭くて不衛生な船内で、波に揺られながら眠ることを嫌った乗客の一部は、わざわざ町の旅籠に宿を取っていた。「人船」が停泊していることを昨夜のうちに知り、その船便を利用する気になった新たな客もあるから、それらを一緒に運んでいるのである。

 舷側にはすでに縄梯子が降ろされている。蓑笠をつけた客たちが、それを使って順序よく船に昇ってきた。銭勘定を任せている水夫頭かこがしらの男が、甲板に辿りついた新顔の客から銭を受け取っている様子を、源吉は品定めをするような眼で眺めた。


「おっ――」


 最後に昇ってきた浪人風の身なりをした大男が、こちらを向いて笠をあげ、人懐っこい笑みを見せた。

 顔が真っ黒に日焼けしているから、歯の白さが際立っている。眉が濃く、眼鼻立ちがくっきりした実に精悍な顔立ちである。いかにも頑丈そうな顎には堅そうな無精髭がびっしりと生えている。六尺を超える長身で、蓑を着ていても胸の厚さと肩の肉の盛り上がりがわかるほどの偉丈夫いじょうぶである。年は三十過ぎであろう。


「源吉、久しぶりじゃな」


 潮錆しおさびた渋い声である。


「こりゃ――、新九郎さんじゃねぇですかい」


 慌てて大男に駆け寄った源吉は、


「馬鹿、このお人からは銭は取らんでいい」


 と水夫頭を押しのけた。


「いやいや、お久しゅうございますな。まさか新九郎さんが人船なぞにお乗りになるとは思いもしませんので、驚きましたわ。高崎では何かご商売で?」


「あぁ、ちょっと仕事を頼まれてな――」


 その言葉を遮るように、艀から大声がのぼってきた。


「お頭ぁ、お客はこれで最後じゃぞー!」


 新九郎と呼ばれた大男は、話は後で、というように手で合図した。出航直前の船乗りがどれほど忙しいかはよくわかっている。

 船頭の顔に戻った源吉は、新九郎に小さく頭を下げると、


「よぉし、艀を引きあげたら船を出すぞー! いかりをあげよ! 漕ぎ手は櫓の座につけーい!」


 と大声で怒鳴り、船尾の方へ足早に歩き出した。

 片櫓で器用に船首を回した弁天丸は、そのまま櫓走で入り江を出て、筵帆むしろぼをあげた。

 ゆるい北東風きたこちを受けて帆は小さく膨らんだ。船尾の左右両舷では、えんじ色の旗が音を立ててはためいている。 ○に「上」の字を白く染め抜いた「村上海賊衆」の旗である。この辺りの海域を安全に航行するための通行証と言っていい。

 乗客だけで数十人が乗り込み、しかも備後のともに寄港したときに商売用の大豆まで積み込んだものだから、上下二層の胴の間はまさにすし詰め状態である。雨に濡れるのを承知で甲板に立っている乗客も少なくない。それでも客たちが不平を言わないのは、源吉の設定した運賃が、他の「人船」に比べて比較的安いからであろう。

 左右の櫓の座についた十人の水夫かこが、太鼓の音と水夫頭の掛け声に合わせ、声をあげつつゆったりと櫓をこいでいる。小雨がしの降る悪天だが、風がさほど強くはないので、波は荒くない。

 船尾にある舵の座で、新九郎が舵取りの男と談笑しているところに、源吉が顔を見せた。


「新九郎さん、先ほどはどうもご無礼を――」


 源吉は丁重に頭を下げた。

 この青年を怒らせてしまうと、塩飽しわくの船頭である源吉は、商売が何かとやりにくくなる。新九郎は、三島さんとう村上氏のひとつ――因島いんのしま村上氏に強い繋がりを持った男なのである。



 三島村上氏というのは、瀬戸内海において最大にして最強の海賊衆である。瀬戸内に浮かぶ能島のしま、因島、来島くるしまをそれぞれ本拠とし、東は讃岐沖の塩飽諸島あたりから、西は周防の屋代やしろ島あたりまで、瀬戸内海の中央海域をほぼ支配下に置き、水運を牛耳っていた。

 三家の村上氏は同族ではあるが、一枚岩というわけではなく、それぞれ独自に家を運営し、それぞれに外交を展開している。三家の嫡流的存在である能島村上氏は独立志向が強く、備後に近い因島村上氏は小早川氏との繋がりが濃い。伊予(愛媛県)に接する来島村上氏は伝統的に伊予守護である河野氏の被官(家来)である。三家の間で海域の縄張り争いや小競り合いをすることも少なくなかったが、外敵に対しては一致協力して事に当たるという伝統があり、たとえ室町将軍でも、幕府管領・細川氏でも、西国の覇者である大内義興であっても、村上海賊衆を無視しては瀬戸内海を往来できないというほどの実力を有していた。おかの上のいかなる権力も、瀬戸内の海を支配することはできなかったのである。

 その三島村上氏のひとつ――因島村上氏の先代棟梁である村上吉直が、新九郎の父であった。

 新九郎は、村上吉直がまだ若かった頃、厳島の湊の遊女屋で馴染みになった女を孕ませて出来た子で、吉直にとって最初の男子に当たるのだが、因島村上家のなかでは、嫡子どころか庶子とさえ認めらない、言うなれば厄介者であった。吉直には正妻が生んだ尚吉なおよしという立派な嫡子がおり、この村上尚吉が現在は因島村上氏を束ねている。しかし、新九郎が村上吉直の長子であり、当主・村上尚吉の腹違いの兄であることは紛れもなく、村上海賊衆に属する船乗りの間では、このことは公然の秘密となっていた。

 十二歳のときに母が病で死に、因島の城に引き取られることになった新九郎は、このときようやく当主の庶子として正式に認知されたのだが、家中では最初から異分子であった。正妻腹から生まれた弟の正嫡は定まっており、相続争いのゴタゴタを嫌った重臣たちから新九郎は腫れ物のように扱われた。青年になっても自分の持ち船さえなく、家ではこれといって定められた役目も与えられなかった。

 が、新九郎はもともと権勢欲が薄く、弟から家督を奪い取ろうとするようなアクの強さはない。少年の頃から船に乗り、水夫かこの仕事と海の知識を一通り身につけると、商船警備の警護船に乗ったり、船戦さがあれば武者働きに加わり、島では手に入らない物資の買い付け仕事などがあればそれを引き受けたりして、その日その日を気ままに過ごしていた。

 雄偉な体躯から「豪放磊落らいらく」というイメージを人に与えてしまう新九郎だが、その性格には細かいところをおろそかにしない繊細さと緻密さがあり、約束は必ず守るというような律儀さをも持っていて、因島村上氏麾下きかの海賊衆ばかりか、商売相手の商人たちからも信頼された。二十代も半ばになると、瀬戸内の各湊に多くの友人知己ができ、商家にも顔が利くようになった。

 やがて新九郎の父が隠居し、因島村上家は腹違いの弟が継いだ。それで弟との関係が気まずくなったというわけではないが、目の上のたん瘤が身近にいれば弟も気を使うだろうとおもんばかった新九郎は、この二、三年はほとんど因島には帰らず、商人に雇われて水運業の手伝いをしたり、村上海賊衆との交渉の口利きをしてやったりすることで口銭(仲介手数料)を稼ぎ、故郷の厳島や廿日市はつかいちを拠点にして自由気ままに暮らしている。現代で喩えるなら、海運に関するフリーランスのアドバイザーといえばそれに近いであろう。

 ついでながら、新九郎の弟である村上尚吉の通称は「新蔵人しんくろうど」である。この「新蔵人」は因島村上氏にとって嫡子が相続すべき特別な受領名ずりょうめいなのだが、先代当主の村上吉直が、遊女に生ませた子に「新九郎」という名を与えたのは、嫡子にできない長男を憎からず思っていることの隠微な表現であったろう。そういう事情を知っている者たちは、新九郎を決しておろそかにはしないのである。

 塩飽しわく諸島に根を張る塩飽海賊衆は、因島村上氏とはゆるい同盟関係にある。「人船」の船頭として塩飽・屋代島間を往来している源吉は、因島村上氏の縄張りで商売をしているわけで、新九郎のことは十代の頃から知っていた。新九郎が警護船に乗って海域警護をしているときや、自身が因島付近の湊に停泊した際に、幾度も口を利いたことがある。近年はあまり顔を見かけなかったが、新九郎がどのようにして暮らしているかについても噂には聞いていた。


「それで――、高崎にはどういう御用で?」


 話の接ぎ穂を探して源吉が尋ねると、新九郎は気さくに応えた。


「厳島の商人あきんど衆が、新たな船を造りたいというのでな。その差配の一切を頼まれた」


「あぁ、そういうことでしたか」


「造り始めてそろそろ三月になる。作事の進み具合を見に来たというわけだ」


 源吉は即座に納得した。

 高崎の湊の特色は、なんといっても大型船さえ建造できる立派な造船所を持っていることであろう。

 この時代、積載量が千石を超えるような大型船も出現し始めているのだが、瀬戸内を日常的に往来する商船は、百石積み、二百石積みといった小型船がまだまだ主流で、村上海賊衆が軍船いくさぶねの主力としている「小早こはや」も小型船の範疇に入る。村上海賊衆が支配する伯方はかた島や鵜島うしまなどにも造船所はあるのだが、そこの船大工たちが造るのは当然ながら小型の船ばかりで、数百石を積めるような中型船はほとんど手がけていないし、船材となる大型の木材を入手するのも離島ではなかなか難しい。つまるところ、中型以上の船を造るなら陸の造船所に頼むのが良く、瀬戸内でもっとも充実した造船所を持っている湊のひとつが、高崎なのである。


「その船は、やっぱり商い船で?」


 源吉の問いに新九郎は笑顔でうなずいた。


「七百石積み、四十挺櫓の大船だ」


「へー、そいつは豪儀だ」


「来年の春、大内のお屋形が遣明船けんみんせんを出すという話がある。聞いているか?」


「ええ、噂だけですが。備前の長船おさふねあたりでは、大内さまから刀の注文が何千本も入って刀鍛冶が大忙しらしいですわ。玉鋼たまはがねの値が釣り上がって大変なんだとか」


「はは。廿日市の鍛冶町でも悲鳴をあげておるよ。日本の刀なら、たとえなまくらでも大陸あちらでは大いに喜ばれるからな」


「本式の遣明船が出るのは、ずいぶん久しぶりじゃねぇですかい」


「前の遣明船で明国に渡ったとき、わしは二十かそこらだったから――、十二年ぶりということになるかな」


 大内義興が最後に遣明船を出したのは永正八年(1511)である。倭寇や南海の海賊からこの宝船を守るために、義興の依頼で村上海賊衆は数隻の警護船を出している。新九郎は足軽水夫かことしてそれに乗り込み、外海そとうみを渡ったのである。

 ちなみに因島村上氏は「熊野丸」という六百石積みの貿易船を所持していて、明国や朝鮮の闇商人を相手に独自のルートで私貿易を行っている。また、琉球りゅうきゅう(沖縄)で中継貿易を行うこともある。新九郎はこの熊野丸を守る警護船にも何度か乗り込んでおり、合計すると明国に三回、朝鮮に二回、琉球にも数回渡った経験があった。


「じゃぁ、新九郎さんのお骨折りは、その遣明船に便乗した話で?」


「そういうことだ。厳島の商人たちが、銭を出し合って自前の船を仕立てておる。堺衆や博多衆ばかりに儲けさせるのは癪なんだろう」


「そいつぁ羨ましい。こっちは百文、二百文の銭で人を運んでるってのに、遣明船はたった一回往って帰って来るだけで、何千貫、何万貫って利が出るんでしょ? こっちもあやかりてぇもんだ」


「銭を出す者はまだ募っておるぞ。百貫出せば、千貫になって返ってくるかもしれん。一口乗る気があれば、口を利いてやるが――」


「その代わり、船が時化しけにでも遭えば、その百貫は泡と消えちまうわけでしょう」


「まぁそうだ。大内のお屋形にとっても、それに乗っかる商人どもにしても、るかるかの大博打だな」


「新九郎さんが、その新しい船の船大将になって、寧波ニンポーへお渡りになるんで?」


「あぁ、たぶんそういうことになるだろう」


「か~、そりゃすげぇや。仕事がでけぇじゃないですかい」


「源吉、出す銭がないなら、船乗りとしてわしを手伝わんか。もちろん、お前の手下たちもまとめて雇う。お前なら水夫頭かこがしらにしてやるが」


 そう問われて、源吉は一瞬返事をためらった。

 この時代、外洋航海はそれこそ命懸けなのである。

 ――わしがあと十五年若ければ。

 と、思わぬでもない。この新九郎という男に接していると、その人格から吹いて来る、明るく闊達かったつな風のようなものに、男ながらかれる自分がある。この男を船大将と仰ぎ、新造した大船で外海に乗り出すのはさぞ愉快であろう。海の男の本懐と言ってもいい。そういう稚気にも似た冒険心がまだ自分のなかに残っていたことに、源吉は我ながら驚き、慌てて己を戒めた。


「太鼓を打つのは嫌いじゃないですがね。外海そとうみ渡って明国まで往くには、ちょいと年を取り過ぎましたわ。第一、半年もウチに帰れなきゃかかあが干上がっちまう。ここらの海で小さく儲けてるのが、分相応ですわ」


 その言葉に、舵取りの男が笑いながら同意を示した。

 弁天丸は波を切って快調に西進した。

 山陽沿岸は瀬戸内海でももっとも混み合う航路と言ってよく、三隻、四隻で船団を組んだ商船がひっきりなしに航行している。老朽船で積荷も重い弁天丸は船足が遅く、追い越してゆく船が少なくない。

 二刻ほど帆走して下浦刈しもかまがり島を左手に見るところまで進んだとき、島影から五艘の小早が躍り出て、太鼓と櫓声を響かせながら急速に近づいてきた。海域を通航する船を見張っていたものであろう。

 源吉はその船の群れを遠く睨んだ。


「ありゃ、多賀谷たがやの船ですな。ちょいと話してきやす」


「ふむ。わしも行こう」


 新九郎が言うと、


「あ、そうしてくださりゃ、こっちは百人力だ」


 源吉の顔がパっと明るくなった。


「船を止めるぞー! 帆を降ろせー!」


 大声で怒鳴りつつ、源吉は舳先へ向けて足早に歩いた。

 多賀谷氏はくれ港の南東に浮かぶ上蒲刈かみかまがり島と下浦刈島に本拠を置く海賊衆である。大内氏の傘下であり、村上海賊衆とはゆるい同盟関係にある。

 弁天丸は船足を止め、舷側から縄梯子を降ろした。

 小早の一艘が素早く弁天丸に漕ぎ寄せ、足軽のような格好の男が縄梯子を使って甲板に昇ってきた。

 源吉の背後に立つ新九郎を見て、男は驚いたような顔をした。


「ありゃ、新九郎さんじゃないですかい。珍しい。上乗うわのりですかい?」


「いや、今日はただの乗客だ」


 新九郎は人懐っこい笑みを見せた。


「へぇ、そりゃなおさら珍しい」


「わしには自前の持ち船がないのでな。不便なことだが、致し方ない」


 上乗りというのは、商船などに乗り込んで、海賊との交渉や海域の水先案内などをする仕事のことである。

 瀬戸内海にはほとんど海域ごとにそこを縄張りとする海賊衆がおり、安全に通航するためには彼らと平和的に交渉ができなければならない。たとえ「村上海賊衆の旗」を掲げていたとしても、略奪に遭って皆殺しにされれば「死人に口なし」ということにもなりかねないのである。もっとも安全で確実な航海の方法は、村上海賊衆の警護船を出してもらうことだが、それには莫大な銭が掛かる。安価に済ますには、村上海賊衆から人を一人雇い入れて船に乗せておくのが良い。


「上乗りはおらぬが、帆別銭ほべちせん(通行税)はちゃんと払うておる。船尾の旗をよう見てくれ」


 源吉が言うと、男はうなずいた。


「わかった。まぁ、新九郎さんが乗られた船じゃと知れば、我らも手荒なことはせんわい」


 男は船尾に回って通行証代わりの「○に上」の旗を見、そこに記された日付などを確認すると、新九郎に会釈してさっさと船を降りていった。

 航行を再開した弁天丸は、ほどなく「音戸おんどの瀬戸」に差しかかった。

 音戸の瀬戸は、広島湾への入り口を扼すように立ちはだかる倉橋島と、半島状に海に突き出た三津峯山の間にある、幅がわずか一町ほどのごく狭い海峡である。瀬戸内の海運を重視した平清盛が開削したという伝説のある海の道で、幅が極端に狭く、湾曲しているために見通しが悪く、しかも川のように潮流が速い。おまけにこの「海の川」は、潮の干満によって流れる方向が真逆になるという厄介さがある。干潮の二時間後あたりから南流し始める潮流は、徐々に流れを強め、いったん弱まり、再び強さのピークを迎え、満潮を迎えた頃から水勢を弱め、やがて流れを止める。満潮の二時間後あたりから逆流して北流となり、二度のピークを経て流れを止め、再び南流するということを、およそ十二時間ごとに繰り返すのである。

 六百方里といわれる瀬戸内海には大小併せて三千を超える島々が浮かんでおり、この瀬戸のような海の難所がそれこそ到るところにある。そこを通る船は、通過する方向と潮流の向き、さらに風向きが合わない場合、潮待ち、風待ちをすることにもなる。

 幸いこの日、弁天丸は北流のタイミングで瀬戸に入ることができた。風はゆるい南東風みなみごちで、帆走と櫓走を併用できる。雨天であることを除けば、最高に近いコンディションである。

 振り返って考えてみれば、今日は朝からここまで、実に理想的に船を進められたと言えるであろう。


「今日は風にも潮にも恵まれました。これなら日暮れまでに厳島へ着けましょう」


 と源吉は上機嫌で言った。


「これも新九郎さんがこの船に乗ってくだすったお陰ですわ」


 新九郎が乗った船は、不思議と海難に遭わない、という俗信が、因島村上氏の海賊衆の間にある。新九郎が警護船に乗って同行した海外貿易では一度も大きな時化しけに遭わず、商売も常に大成功した。また、因島海賊衆は新九郎が参加した船戦さでは負けたことがなく、新九郎は常に最前線で武者働きをしていたにも関わらず、彼が乗った船は拿捕だほされたり沈められたりしたことが一度もなかった。海で生きる男たちは、船にかかわる吉凶には敏感だから、いつしかそういう信仰が出来たのであろう。その噂を聞き知っている源吉は、


「ありがたや」


 と大真面目な顔で新九郎に手を合わせた。

 弁天丸は快適な速さで音戸の瀬戸を抜け、江田島を巡るようにして広島湾に入り、船首を西に向けた。

 新九郎が目指す廿日市はつかいちは、もう目と鼻の先である。厳島の弥山みせんが次第に大きくなってきた。遠浅の浜辺が続く沿岸線には、塩焼きの煙が幾筋ものぼっている。

 広島湾に入ると風がほとんどなくなったので、弁天丸は帆を降ろし、櫓走に切り替えた。しばらく走ると、海辺に小さな半島のように突き出た桜尾城の城山がはっきりと見えてきた。

 その奥の浜辺が廿日市の湊であり、沖には多くの船が停泊し、はしけが浜辺との間を行き来している。この辺りの浜は遠浅であり、船をおかへ近づけすぎると潮が満ちるまで動けなくなる。

 廿日市の沖で船を止めた頃、空が少しずつ暗くなり始めていた。

 弁天丸からはしけが降ろされた。縄梯子を使って客たちがそれに降りてゆく。乗客はほとんどが厳島か周防の屋代島が目的地であるらしく、廿日市で降りるという者はわずかしかいなかった。


「世話になったな」


 新九郎が胴巻きを引っ張り出すと、源吉は恐縮した。


「そんな、新九郎さんからお代は戴けませんや」


「いいんだ。いまのわしは仕事で動いておる。銭はすべて雇い主持ちでな。わしの懐が痛むわけではない。取っておいてくれ」


 押しつけるように銀の粒を握らせた新九郎は、身軽に艀に乗り込んだ。


「今日は厳島泊まりだろう。村上海賊衆の屯所に寄ったら、わしも近いうちにそちらに顔を見せるつもりじゃと、連中に言うておいてくれ。それと、新しい船が出来上がったら、塩飽しわく水夫かこ集めにゆくかもしれん。新九郎が人手を集めておると、仲間に吹聴しておいてくれ」


「承知しやした。では、また――」


 源吉は笑顔で手をあげた。

 村上海賊衆の縄張りにある主要な湊には必ず駐屯所があり、常に数隻の警護船が海に浮いている。その海域を通る船を監視し、帆別銭ほべちせん(通行税)を徴収するためである。帆別銭を払わずに海域を突っ切ろうとする無謀な船に対しては、拿捕だほして詫び銭を支払わせることになるが、あくまで交渉に応じない場合は、船戦さである。船頭を殺し、水夫を海に放り込み、あるいは捕えて奴隷とし、船を積荷ごと強奪する。

 それが、海賊の海賊たる所以ゆえんであろう。



 雨はよほど小降りになっていた。

 廿日市の町に入った新九郎は、目抜き通りを抜けて一軒の商家の前に立った。

 軒の上には「紀ノ屋」と大書したはい(看板)が掲げられている。

 人と荷で混雑する店先を覗くと、新九郎を見つけた番頭が笑顔で寄ってきた。


「あぁ、新九郎さま、いまお帰りですか。どうぞどうぞ、遠慮なくお上がりください」


 手を取るように店内に導き入れ、下女に新九郎の世話を命じた。

 笠を取り、蓑を脱いだ新九郎は、式台に腰かけて下女に足をぬぐってもらった。


嘉兵衛かへえ殿はこちらにおられるかな。こちらか厳島の屋敷みせの方かで迷ったのだが、どうやら当たったか」


「大当たりです。主人あるじは新九郎さまのお帰りを、今日か明日かと首を長くしてお待ちでございましたよ」


 紀ノ屋はむろん屋号で、主人の名を嘉兵衛という。

 客間で濡れた衣服を着替えた新九郎は、すぐに奥の部屋へと通された。

 障子を開けると、この屋敷の主人が座って待っていた。


「あぁ、新九郎殿、ご苦労さまでございました。船の方の進み具合はいかがでしたかな」


「順調、と申しあげておきます」


 新九郎はその正面に腰をおろした。


外見そとみにはもう出来あがっておるようなもので、いまは内部なかに手を入れ始めておりました。早ければ年内、遅くとも年明けの正月うちには、進水ということになりましょう」


「それはよかった。それなら春までに積荷も集めて積み込めますな。いや、まさしく吉報でした。ありがたいことです」


 嘉兵衛は相好を崩した。


「船の方はどうやら目処がつきましたが、これを操る人を集めるのが大変ですぞ」


「数はどれほど必要ですか」


「炊夫、雑用、櫓こぎなどをする水夫かこがまずは四十人。海賊から船を守るには、武者働きもできる手練れが必要じゃ。これは少なくとも十人は欲しい。何より、外海そとうみを渡るにもっとも大事なのは、舵取りと按針あんじん(航海士)じゃ。これには外海を知る熟練の者が要ります」


「遣明船について往けば良い、というわけには参りませぬか・・・・」


「海の上では何が起こるやわかりませぬからな。いざというとき、自力で外海を渡り切ることができる力量がある者たちがおらねば、とても命は預けられません」


「わかりました。そちらの方はやはり新九郎殿にお任せしましょう。銭の方はご心配なさらずに、良き人を集めてくだされ」


 大真面目な顔になった嘉兵衛は、まっすぐに新九郎を見つめた。


「これは、株仲間の主立つ者たちとも相談した上での話ですが――。新しい船の船大将は、やはり新九郎殿に務めて頂きたい。お引き受けくださいますか」


 新九郎は居住まいを正した。


「新九郎殿が乗った船は時化しけに遭わぬという噂、我ら商人の耳にまで届いておりましてな。船の大将は新九郎殿の他には任せられぬ、いや新九郎殿でなくては困ると、みな口を揃えて言うのですよ。このような大きな商売は、我らにとっても命が懸かっております。この船が海に沈めば、身代さえ傾きかねません。神仏にもすがりたいというのが正直なところでしてな」


「これまで外海で大きな時化に遭わなんだのは、まったくの偶然だとわしは思っておりますので、それを期待されても困るのですが――」


 新九郎は頭を掻きつつ、

 ――この狸め。

 と腹のなかで苦笑した。

 新九郎が強運の持ち主で、海難に遭わない、などと、あることないこと大げさに吹聴して回っているのは、この嘉兵衛自身なのである。貿易船の船大将に自分と昵懇の新九郎を据えることで、出資者仲間の間で発言力を強め、最大の利益をせしめようというのが、この老獪な商人の狙いであろう。

 が、新九郎はこの男が決して嫌いではない。

 嘉兵衛には物事に筋を通す厳格さがあり、商売相手としては堅実で、情にも篤いところがある。新九郎が厳島で暮らした餓鬼の頃から何かと世話を掛けており、海商として多くのことを学ばせてもらってもいて、いまの新九郎があるのはこの男のお陰とまで言っても大げさではないのである。


「まさに乗り掛かった船、というヤツですな。船大将の件については、わしとしても望むところです。ぜひやらせて頂きたい」


「おお、そう申してもらえると、こちらも大船に乗った気分になりましたわ」


 嘉兵衛は破顔した。


「新九郎殿の取り分ですが――。明国より持ち帰った積荷を捌いた後、出た利益の五分ということで、いかがでしょうか」


「よろしゅうござる」


 新九郎は大きくうなずいた。


「この仕事が無事に済めば、その報奨ほうしょうでわしも自前の船を持てる身になれそうです」


 笑顔を見せた新九郎に、嘉兵衛は苦笑を返した。


「我らとしては、いつまでも新九郎殿に船大将として働いて頂きたいのですがな」


「己の船を持つことは、海で生きる男の夢なのですよ」


 いつまでも雇われの身で、他人の船を動かしていてもつまらない。新九郎は、己の船を新たに造るための銭を少しずつ貯めているのだが、今度の対明貿易の大仕事が無事に済めば、おそらくそれが果たせる。どんな商品を持って帰ってこられるか、その時の唐物の相場がどうなっているかによって、利幅は大きく異なるが、七百石積みの船に満載した唐物の利益といえば、莫大な額である。獲らぬ狸のなんとやら、ではあるが、その五パーセントが新九郎の懐に入れば、あるいは千石積みの大船さえ仕立てられるかもしれない。


「此度の仕事は、わしも命懸けでやらせてもらいます」


 新九郎は渋い笑みを見せた。


「あぁ、話は変わりますが――」


 用向きを終えた嘉兵衛は、砕けた感じで言った。


「離れにおられるお客さまが、海の話や異国の話を色々と聞きたいと申しておられましてな。どうでしょう、新九郎殿さえよろしければ、その方々と夕餉をご一緒して頂くわけには参りませぬかな」


「客――。どなたです?」


「吉田――と申しても、新九郎殿にはおわかりになりませんか。安芸でも出雲に近い、北の山奥です。そこを治める毛利さまの若君のご一行が、厳島詣でのために、この屋敷に逗留なさっておられるのですよ」


「毛利・・・・。あぁ、どこかの合戦で武田の先代のお屋形を討ったという・・・・」


「その毛利さまです。大宮棚守たなもりの野坂房顕ほうけん殿もご一緒ですよ」


「房顕もおるのですか。久しく顔を見ておらんな」


「房顕殿は、少し前に野坂家の家督をお継ぎになりました。ご存知でしたかな」


「ほう、あの父君は引退なされたか――」


 厳島で暮らしていた少年時代、餓鬼大将だった新九郎は多くの子供を子分に従えていたのだが、四つ年下の房顕とはその頃からの付き合いだから、もうずいぶん長い。新九郎が因島に移って数年は会う機会もなかったが、厳島に戻って来られるようになってからは、共に酒を飲んだりすることもあった。ここしばらく無沙汰であっただけに、同じ屋根の下にいるというなら義理を欠くわけにはいかぬであろう。


「良い酒と美味い肴を調えてございます。ご迷惑でなければ、ぜひ」


 嘉兵衛に導かれ、新九郎は屋敷の離れに通された。



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