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鷲爪伝  作者: 堀井俊貴
第四章 吹き荒れる腥風
31/62

暗闘(二)

 生ぬるい風が吹いている。

 その風を頬に受けながら、元綱は濡れ縁近くの柱に背を預け、庭に落ちる雨の風情を眺めていた。

 膝元には膳があり、酒器と簡単な肴が乗っている。思い出したように手酌で酒を汲んだ元綱は、とろりと濁った液体をのどに流し込んだ。

 この若者はほとんど日課のようにして酒を飲む。近侍の若者たちと共にわいわいるのも好んだが、妻の部屋で静かに飲むことも多かった。

 元綱の傍らで、ゆきが鶴寿かくじゅ丸に乳を含ませている。ちょうど授乳が終わったようで、


「お腹がいっぱいになると、すぐにおねむ」


 愛児の背中を軽く叩いてゲップを出してやりながら、優しい笑みを浮かべた。

 ゆきは鶴寿丸を蚊帳の中に寝かせにゆき、元綱は会話の相手を失った。

 隅に置かれた屏風びょうぶの横に、童女が行儀よく控えている。


さちも眠いか?」


 元綱が優しく訊ねると、幸は大きく首を振った。


「まだ眠うはありませぬ」


「ならば『仏』を唄うてくれぬか」


 嬉しそうに頷いた幸は、板間の部屋の中央あたりに立ち、扇子を開いてそれをヒラヒラと舞わせつつ、唄い始めた。


  仏は常にいませども うつつならぬぞあはれなる

  人の音せぬ暁に ほのかに夢に見え給ふ


 この歌は『平家物語』にある。平清盛の愛妾・仏御前が唄ったという今様で、歌謡に疎い元綱でさえ知っている数少ない歌のひとつである。


  仏は常に在せども 現ならぬぞあはれなる

  人の音せぬ暁に ほのかに夢に見え給ふ


 神仏は常に人のすぐ傍にいてくださるのに、それは見ることも触れることもできない。けれど、たとえば物音ひとつせぬ明け方に、うつつの夢の中でなら、ほのかにそのお姿を垣間見せてくださることもある。

 幸はまだまだ幼く、情感に込めるべき人生経験も足りず、その道の上手であるゆきに比べれば歌の技巧ははるかにつたなかったが、その声音は透き通って若々しく、春の野辺に響くうぐいすのような風情がある。

 戻ってきたゆきが元綱の隣に座り、酒器を取り上げて酌をしてくれた。その盃を二つ干す間に、幸は同じ歌を五度唄った。

 愛弟子まなでしに優しい目を向けて微笑していたゆきが、続けて唄った。


  仏は様々にいませども まことは一仏なりとかや

  薬師やくし弥陀みだも釈迦弥勒みろくも さながら大日だいにちとこそ聞け


  弥陀の御顔みかおは秋の月 靑蓮しょうれんまなこは夏の池

  四十の歯ぐきは冬の雪 三十二相春の花


  仏も昔は人なりき 我等われらついには仏なり

  三身仏性せる身と 知らざりけるこそあはれなり


 幸がゆきの節を真似てそれに倣う。

 さらにゆきが歌を変え、幸がそれに続いた。


  わが子は十余に成りぬらん こうなぎしてこそありくなれ

  田子の浦にしおふむと 如何いか海人あまびとつどふらん

  まさしとて ひみ問はずみなぶるらん

  いとをしや


 悲しくも切ない母心を歌った今様だ。

 歩き巫女の娘は、歩き巫女になるのが宿命さだめである。十余になった我が子は、あちこちを巡り歩いているだろう。田子の浦あたりの海辺を歩けば、漁師や水夫かこといった海の荒くれ男たちが寄り集まって来て、占いが当たるの当たらないのと言っては難癖を付け、嬲りものにされるのだ。あぁ、なんと可哀そうに――。

 自らも歩き巫女であったその女は、それに似た経験を幾度もしたに違いない。我が身の来し方を顧み、我が子の行く末を想い、この今様を唄ったのだろう。

 繰り返し唄う幸の声が震え、眼にうっすらと涙が浮かんだ。

 幸の母も歩き巫女だったのだろうか。あるいは孤児か、人買いに売られた童女だったのか。幸の母は我が子を想って泣いているだろうか。ゆきの母も、ゆきを想って泣いただろうか――。

 ゆきが曲調をガラリと変えた。


  遊びをせんとや生れけむ たわぶれせんとや生れけん

  遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそゆるがるれ


 ゆきの節に続いて、幸が手足を舞わせながら唄う。


  遊びをせんとや生れけむ 虚れせんとや生れけん

  遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ


 歌の文句をそのまま読めば、無邪気に遊ぶ子供の純真な愛らしさに感動したという意味だが、遊びとは遊女あそびめを指し、戯れとは性交のことを指す。男のなぐさみ物になるために生まれた。ただ性を奉仕するだけの存在としてこの世に生を受けた。そんな女でも、穢れなき子供の遊ぶ声を聞けば、我が身の罪深さに心がおののく――。そういう遊女の哀しみが裏に込められている。


  遊女あそびの好むもの 雑芸 つづみ 小端舟こはしぶね

  大傘翳し 艫取女ともとりめ 男の愛祇る百大夫ひゃくだゆう


  ひ恋ひて

  邂逅たまさかに逢ひて寝たるの夢は 如何いかが見る

  さし さし きしと たくとこそみれ


  女の盛りなるは 十四五六歳廿にじゅう三四とか

  三十四五にし成りぬれば 紅葉もみじ下葉したばに異ならず


 幸の舞いを眺めながら、元綱は次々と盃を干した。

 ゆきは幸の師として、こうして歌を通じて巫女の生き様を伝えてきたのであろう。


「あと十年もすれば、ゆきも紅葉の下葉です。邂逅たまさかに逢ひて寝たる四朗さまからは相手にして頂けなくなって――、愛が欲しいと百大夫さまに泣きつくことになるのですよ」


 と、ゆきは大真面目な顔と声を作って幸に言った。


「でも、その頃には幸が女の盛りですね。四朗さまにたんと可愛がって頂きなさい。四朗さまのお子を身籠れば、側室おそばにして頂けます」


「おいおい・・・・」


 元綱は苦笑したが、童女は顔をほころばせて無邪気に頷いた。ゆきと同じ立場になり、ずっと一緒にいられるということが嬉しかったのだろう。

 ちなみに百大夫というのは遊女の間で信仰されている恋愛の神様で、地蔵尊のようなものと思えばいい。それに祈れば男の愛を繋ぎとめられるという俗信があった。

 飲み始めてから小半刻も経ったろうか。気づけば陽も暮れ落ちて、すでに庭は闇色に塗り込められていた。部屋から漏れるわずかな火明りが、雨に濡れた植え込みや敷石や庭木などの輪郭を幽かに浮かび上がらせている。永正十七年(1520)は六月の次にもう一度六月があり、今は二度目のうるう六月――梅雨の真っ最中であった。


「雨のお陰で昼間よりずいぶんマシだが――、今宵は蒸すな」


 ゆきが扇子を広げ、夫に風を送り始めた。

 しとみに落ちる雨粒が静かな音を立てる。

 相合あいおうを濡らすその雨は、二里ばかり北の横田にはまだ落ちていなかった。



 横田は闇夜であった。

 天は厚い雲に覆われ、月も星もない。

 腐葉土と木の匂いが濃密な空気は重く、不快なほどに蒸し暑い。時おり湿り気を帯びた風が吹き抜け、辺りの雑木の枝を静かに揺らした。

 ――そろそろ降り出しそうだな。

 と、蓮次れんじは思った。

 雨音はあらゆる気配を隠してくれる。計画決行の日にこの空模様になったのは、蓮次たちにとっては僥倖と言えるほどに好都合であった。

 周囲は山林の急斜面である。暗くていちいち見分けはつかないが、太い木々の影が無数に視界を覆っている。蓮次は割りあい夜目が利く方であったが、その眼をもってしても、数間先は闇に溶けて判然としなかった。

 猟師道か獣道か――道とも呼べぬほどの小道を、両手足を使って探るようにして進む。その前を、蓮次と同じ黒装束に身を包んだ数人の男たちが、野生動物のような軽捷けいしょうさですいすいと山肌を登ってゆく。蓮次はそれについてゆくのが精一杯であった。

 大狩山の南麓に並ぶ尾根をひとつ越え、谷をひとつ下った。

 目指す松尾城は、山肌をさらに登り、尾根伝いに南に下ったところにある。時おり木々の切れ間から、遠い稜線上にちらほらと火が見えた。

 雑木を伝うようにしてさらに急斜面を登る。汗が滝のように流れ、息があがった。

 尾根に出たところで、黒装束の男たちが足を止めた。

 やや遅れた蓮次が彼らに追いつくと、


「我らの脚について来なさるとは、たいしたものじゃ」


 頭格の男――土山つちやま蟇目ひきめと名乗った――が、感心したように蓮次を褒めた。


「必死だったよ。あんたたちゃ凄ぇな」


 皮肉でなくそう返した。蓮次も足腰には相当の自信を持っていたが、上には上があったらしい。男たちには息を乱したような様子もなかった。

 一行の到着を待っていたかのように、ぽつぽつと小雨が落ち始めた。

 足元の遥か先に、松尾城の篝火が燃えている。


「お前さまはこのあたりまででよろしかろう。ここより先は足手まといでござるゆえな」


「あぁ、俺も血生臭いのは御免だ。ここから見物せてもらうとするよ」


「仕留めても仕損じても、事が終われば我らはそれぞれ散り、ここには戻って来ませぬぞ。明日の夜、三国山の荒れ寺にて落ち合いましょう」


「承知した。仕事はしっかり頼むぜ」


「ご念には及ばぬ」


 蓮次が雑木の根方に腰を下ろすと、男たちは無言のまま森の闇に消えた。

 ――あれが化生けしょうってヤツか・・・・。

 蓮次の胸にあるのは、掛け値ない感嘆と畏敬の念であった。



 この年の春のことである。

 蓮次は出雲に呼び返され、月山富田城の鉢屋なりという曲輪の組屋敷まで上がるよう命じられた。蓮次のような下っ端の諜者には異例なことである。

 行商人の姿で城にのぼった蓮次は、下士に案内されて屋敷の庭に通された。

 白洲に座って待っていると、現れたのは見知った組頭でさえなく、なんと鉢屋衆の棟梁である鉢屋弥之三郎であった。これも極めて異例なことで、戦陣で諜報の報告をする以外では、蓮次は弥之三郎とは直接口を利いたこともない。

 濡れ縁に座った弥之三郎は蓮次を見下ろし、前置きもなく、


「高橋久光を仕物しものに掛ける」


 と言った。

 暗殺、あるいは謀殺する、という意味である。


「お前は高橋の領地に明るかろう。手と知恵を貸せ」


 蓮次は慌てた。


「やつがれは夜盗の真似はできますが、刃物三昧ざんまいは不得手でございまして――」


 弥之三郎は下等動物でも見下すような目をし、冷笑した。


「何も仕手を務めよと申しておるわけではないわ。討ち手は別に用意した」


「は。それは――」


「世に名高い甲賀の忍び武者どもよ」


 蓮次のような裏の世界に生きる人間で、甲賀忍者の名を知らぬ者はない。

 ――あの『まがりの陣』の甲賀者か・・・・。

 声に出さずに呟いた。

 鈎の陣とは、三十年ほど前、時の将軍・足利義尚よしひさが、南近江の六角高頼たかよりを攻めたときの事件である。八千の幕府軍の陣容を見た六角高頼は防戦を諦め、近江南端の甲賀郡へと退却し、幕府軍はそれを追って甲賀郡へ侵入、まがりという地に陣を敷いた。

 六角高頼は、甲賀郡の地侍たちを使ってゲリラ戦を展開した。甲賀者たちは幕府軍を山中に誘い込み、地の利を生かしてさまざまな奇襲をかけ、夜ごと幕府方大名の陣地を次々と焼いた。幕府軍の陣屋では火事が続発し、朝が来るたびに雑兵の死体があちこちで発見された。さらに総大将である足利義尚の陣所が夜襲を受け、義尚自身は逃げ延びたものの、本陣が焼かれ、側近衆も逃げ惑うという大失態を演じた。わずか四百人ばかりの甲賀衆が、八千の幕府軍をさんざんに悩ませたのである。

 将軍・足利義尚はさらに二度にわたって南近江を攻めたが、六角高頼はそのたびに甲賀郡へのがれた。甲賀攻めは足掛け三年にも及んだが、幕府軍は甲賀衆のゲリラ戦術に手を焼き、戦果らしい戦果を挙げることができなかった。しかも悪いことに、総大将である足利義尚が陣中で病没してしまったため、幕府方の武士たちは動揺し、「公方さまは甲賀衆に毒殺されたのだ」とする雑説がまことしやかに囁かれるようになった。

 甲賀衆は夜の闇に乗じて魔物のように跳梁ちょうりょうする。神出鬼没のゲリラ戦術とその火術は諸国の武士たちを驚かせ、「甲賀者は魔法を用いる」とまで評された。このことによって甲賀武者――いわゆる甲賀忍者の噂は、天下に響き渡ったのである。

 以来、諸国の大名や大商人の間では、甲賀者を密かに雇い入れ、情報収集や裏の仕事に用いるという例が少なくなかった。蓮次の表の顔は堺の売薬商人であり、そういった噂は色々と漏れ聞いていた。

 ところで、出雲の尼子氏と南近江の六角氏とは――地理的には遠く離れているが――実は何かと縁が深い。

 そもそも六角氏は近江源氏と呼ばれた宇多源氏・佐々木氏の分かれで、出雲守護の京極氏とは同族であった。京極氏の本拠は北近江であり、南近江の六角氏とは近江の覇権をめぐって長く敵対していた。尼子氏はもともとその京極氏の家来で、出雲の守護代を務めていたのだが、尼子経久は出雲を横領して独立を果たした。京極氏からは当然仇敵視されていたが、敵の敵は味方という論理で、六角氏とは関係が悪くない。ちなみに大内義興が足利義稙を擁して上洛した時、六角氏は細川澄元に助力してこれと敵対した。尼子経久が大内氏から離反したのも、直接的には六角高頼からの要請を受けたからなのである。

 尼子経久が上洛した時、亀井秀綱は主君の近侍として京へ従軍しており、謀議のために接触して来た六角氏の重臣と知り合う機会を得た。秀綱はその旧知の筋を使って、高名な甲賀衆を十人、銭で雇い入れたのだが――。

 そういう細かい経緯いきさつは、むろん蓮次が知るはずもなく、弥之三郎にしてもいちいち説明する気はない。

 弥之三郎の家来が、革袋を三つ載せた三方を持ってやって来、それを蓮次の前に置いた。


「支度金じゃ。甲賀衆にも分けてやれ」


 手に取るとずしりと重い。中身はおそらく銀の粒であろう。


「お前はなかなか才覚があるやに聞いておる。方法手段はお前の勝手に任せるが、期限は半年としておこう。事が巧く運んだ暁には――、銭でも領地でも望みのものをくれてやる」


 領地をくれるということは、武士にしてやるということである。蓮次はそのことにさして興奮も覚えなかったが、こういう裏の仕事自体は不思議と嫌いではない。いや、嫌いどころか、喜びにも似たくらい情熱がふつふつと湧いて来るのを自覚した。


「半年も頂ければ、手はずは万端調えてみせまする。が――、首尾の方は、その甲賀の者どもの技量うで次第で。仕物はやつがれの分を超えますによって・・・・」


「人にはそれぞれ領分がある。お前はお前のらちを守って仕事に励めばよい。それより――」


 弥之三郎はどろりと濁った三白眼で蓮次をめつけた。


「この仕事、決して尼子の名を出してはならぬ。そこでお前は出羽いずはの遺臣の縁者ということにせよ」


「出羽の・・・・」


 その一言で、蓮次は弥之三郎が書いた筋書きをほぼ察した。

 高橋氏は勢力を急拡大した豪族であるだけに、これに滅ぼされた小豪族の遺臣からは強い恨みを買っていた。なかでも本拠である阿須那あすなの隣郷――出羽という地に根を張る出羽氏は、高橋氏によって百五十年ほど昔に一度は滅ぼされ、その領地のほとんどを奪われていた。一族で生き残った者たちが旧領の返還を求め、幕府や石見守護の大内氏などに泣きついたため、高橋氏はやむなくその調停を受け、奪った七百貫の領地から二百五十貫だけを返還し、出羽氏を再興してやったのだが、以来、出羽氏は高橋氏に従属しつつも決して心服せず、失地回復を悲願にし続けている。その出羽氏にゆかりのある者なら、高橋久光の暗殺を企てたとしても何の不思議もない。

 この謀略に関して、亀井秀綱も弥之三郎も一切表には出ない。甲賀衆を雇ったのは出羽の遺臣ということになっているらしい。手飼いの家来を使わず、蓮次のような河原者を用いるのは、万一のときに尼子氏との繋がりを露見させぬためであろう。

 要するに蓮次の役割は、甲賀衆の監視とその後方支援であり、さらに暗殺の主犯を出羽氏に押しかぶせるところにあった。


「お前は、出羽の遺臣・荒川何某なにがしの縁者――三右衛門さんえもんと名乗れ。お前を裏で指嗾しそうしおるのは、毛利ということにしておこう。高橋と毛利を離間できればそれはそれで儲けものだ」


 と弥之三郎は続けた。

 そういう噂を後で流せ、ということであろう。どうせやるなら、それを利用して高橋氏と毛利氏の間が険悪になるよう仕向ける方が、無駄がない。

 ――手の込んだ悪巧みをしやがる。

 蓮次は顔に出さずに冷笑した。

 甲賀衆と落ち合うための場所を決めねばならぬという。蓮次は、出雲と石見と備後の国境にそびえる三国山の中腹にある朽ちた寺を指定した。蓮次がたまにねぐらに使う場所で、ほとんど人が寄りつかない。

 十日後、そこで待つよう命じられた。


「良い報せを聞きたいものだ。巧くはかれよ」


 弥之三郎は切り上げ口調で言い捨て、濡れ縁を歩き去った。

 ――なんだか面倒な仕事を押し付けられちまったなぁ。

 心中で愚痴りつつも、蓮次は半ば面白がっていた。天下に名を轟かせた甲賀者と仕事を共にできるというのも稀有なことで、好奇心が勝ってしまっている。

 城下に戻った蓮次は二日で旅の支度を調え、出雲から出雲往還を歩いて赤名あかなに入り、魚切うおきりの渓谷を経て江の川筋に出、そのまま江の川をさかのぼって口羽くちば村に到った。

 口羽村から半里ほど南に浄福寺という大きな寺があり、その東にそびえるのが三国山である。

 蓮次は口羽村の旅籠で二日ほど身体を休め、約束の日の朝から三国山を登り、八つ(午後三時)頃に中腹にあるうち捨てられた寺に着いた。

 人が棲まなくなって数十年は経っているであろう。山門の屋根は崩れ落ち、境内には雑草が茂り、荒れ放題に荒れている。建物も半ば以上が朽ちているが、狭い本堂の屋根は瓦で葺かれており、これだけは朽ちてない。お陰で雨風をしのぐことができる。

 蓮次はその本堂に入り、荷物を置き、足拵えを解いて、ゴロリと横になった。

 客が現れるまで寝るつもりである。

 どれくらい眠ったであろう。戸が開く気配に蓮次が目を覚ました時、本堂の中はよほど暗くなっていた。もう夕刻かもしれない。

 逆光で真っ暗になった人影が、戸口から中を覗いていた。


「これは――、先客がおられましたか」


 どこか蛙に似た顔の男が、愛想良く笑った。年は四十を幾つか越えているであろう。背は低く、痩せている。蓮次と同じ旅商人の格好をし、蓑をかぶっていた。蓮次が寝ている間に、雨が降り出したらしい。


「いやいや、よう降りますな。一夜の雨宿りをと思ってお邪魔を致した次第でござりますが、同宿させて頂いてようございまするかな」


「あぁ、構わねぇよ」


 蓮次は何気ない口調で返しながら、横目で油断なく男を観察した。

 部屋の端に、破れていくつも穴が空いた屏風びょうぶがある。男は蓑を取り、背の荷物を降ろし、濡れた衣服を脱いで水気を絞り、屏風にそれを掛けた。

 ――おや?

 褌ひとつになった男の身体はどちらかと言えば貧相で、武技で鍛えたような筋肉の盛り上がりはなく、戦場傷のあともない。

 ――この男が甲賀の忍び武者か?

 当然そうだと思い込んでいた蓮次は、やや戸惑った。

 男は荷袋の中から乾いた布を取りだし、それで身体を拭った。


「お見受けしますところ、お前さまもご同業でございますな。売り物は――薬種でございましょうか」


「ご明察だ。よく解りなさったね」


「餅は餅屋と申しますからな。判るのでございますよ。他にも判ることは色々とありますな」


「ほう、たとえば?」


「お前さまは堺の薬種問屋、小西屋の弥兵衛さま――、とは仮の姿で、その実、出雲のお屋形さまの諜者を務めておいでじゃ。今は出羽家の遺臣・荒川三右衛門などと仰々しいお名を名乗っておられるが、元は――、素性もない河原乞食といったところでござろう」


 思わず蓮次の顔色が変わった。じろり、と男をめつける。


「こりゃ驚いた。何から何までお見通しかい」


「ご同業でございますからな」


 男は人懐こい笑顔を浮かべた。


「なるほどご同業か――」


 それにつられたように蓮次も笑った。


「どうやって調べた?」


「なに、種を明かしてしまえば造作もないことでござるよ」


 男は荷物の中から小袖を引きずり出し、それを身につけながら語った。

 これはまったくの偶然であったのだが、連れて来た甲賀の仲間の中に、蓮次と同じように堺の小西屋に潜り込んで働いている者がいたのだという。諜者の勘働きで、その者は蓮次が尼子氏の諜者かもしれぬと予断を持っていたのだが、この荒れ寺にやって来た蓮次の姿を見て驚き、その情報を洗いざらい男に報告した。あとは簡単な推論と鎌掛けである。


じゃの道は蛇ってヤツだなぁ」


 実際、蓮次と同じような目的を持って薬の行商に身をやつしている者は少なくない。彼らの中の暗黙の了解としてお互いを深く詮索することはないが、蓮次もそれらしい人間を何人か思い浮かべることができた。


「その者、小西屋では善兵衛ぜんべえと名乗っております。存じよりでございましょう」


 知っていた。小西屋では蓮次よりも古株で、蓮次がまだ駆け出しの頃、行商の仕方をアドバイスしてもらったことさえある。主に西国筋で商売をしていたと記憶しているが、あれが甲賀者だったとはまったく気付かなかった。

 これは諜者としては負けたことになろう。蓮次はその事が愉快でなく、話題を変えた。


「十人雇ったと聞いてるが、あんたぁ頭目かい? 名はなんと呼べばいいのかね」


「忍びに名などは符蝶ふちょうに過ぎませぬが、甲賀者の間では土山ノ蟇目ひきめなどと呼ばれておりますな」


「あとの九人は?」


「見張りを除いた七人はこのお堂の周りに控えておりまする」


 見張りは山麓で山の登り口を押さえているという。気付かなかったが、蓮次がこの寺に登って来るところも監視されていたのであろう。


「何から何まで手回しの良いことだ」


「用心に越したことはございませんからな」


「違いねぇ」


「――では、そろそろ仕事の話をさせて頂きましょうか」


「その前に――、断っておくが、俺は出羽家の遺臣・荒川三右衛門ということにしてもらう。あんたたちの口からそれ以上のことが漏れることはねぇだろうな」


「愚かな念を入れられる。無用の心配でござるよ。甲賀の忍び武者は、仲間と仕事は死んでも裏切らぬ」


 依頼主が自分の素性を偽っていたことについて、蟇目には関心がないらしく、気分を害した風もなかった。与えられた仕事をこなし、その報酬をもらうことで甲賀衆の商売は成り立っているのである。仕事の背景をいちいち気にしていてはキリがないし、彼らにとってはどうでもいいのであろう。

 蟇目が床板をトントンと三度叩いた。

 床下から応答があり、しばらくすると、七人の男たちがばらばらと堂に入って来た。

 物売り姿の者もあり、樵のような格好の者もあれば農夫の姿の者もいる。御師おしや遊行僧に化けた者もあった。蓮次を見てニヤリと笑ったのは、例の善兵衛である。薬を詰めた木箱を背負っていた。


「高橋の隠居――久光を殺せというご依頼でござったな」


「あぁ」


「して、方法は?」


「それを考えなきゃならねぇ。もっとも成功しやすい手段を選びたい」


「成功しさえすれば、毒殺であろうが闇討ちであろうが手段は選ばぬということでござるな。城に忍び込んで寝首を掻ければ、それが一番簡単じゃが――」


 蟇目は腕を組んだ。


「高橋久光は阿須那あすなの藤掛城に住している。ここからいぬい(北西)の方角に二里ばかり行った山にある城だ。まずはその城の縄張りを探るところから始めよう」


「承った」


 その日から、甲賀衆と蓮次は、高橋久光の動向を探り、同時に久光が住む藤掛城に対する探索を始めた。

 まず、城内の見取り図を作ることである。城外から城の構えを眺め、城に出入りのある商人などから噂を集めたりして、忍者独特の知識、経験、勘を総動員して城の内部を想像して絵図を描いてゆく。無論、実際には解らぬ部分が多く、出来あがるのは空白だらけの図面だが、さらに実際に忍び込んで情報をそこに描き加えてゆくのである。

 一月ばかりでおよその見取り図が出来あがった。


「三右衛門殿よ、これは難しゅうござるわ」


 絵図を眺めながら蟇目が言った。

 藤掛城はさすがに高橋氏の本拠であり、警備が非常に厳しかった。城内に忍び込むことはできても、本丸まで近づくことは容易ではないという。実際、絵図の上でも、城の最奥にある本丸部分だけは櫓の位置以外は空白のままであった。


「たとえば火つけや夜襲の手引きをするというなら造作もないが――。城主の首を掻くとなれば本丸の最奥まで到らねばなりませぬでな」


 蟇目ひきめは渋い顔で続ける。


「城主がどこで憩んでおるかが解らんことには――、つまりは本丸の屋形の正確な絵図がないことには、まず成功はおぼつかぬ。失敗すればそれまでじゃ。一度騒ぎを起こせば、その後の警護はさらに厳しゅうなりますからの」


 高橋久光は藤掛城に篭りきっているわけではなく、月に何度かは毛利氏の郡山城に出向く。

 その移動中を襲うことも考えたが、移動するのは必ず昼間である。陽の当たる刻限では甲賀衆の異能を生かせなかったし、護衛の武士が五十人はついているため、甲賀衆がどれほど武技に長けていたところで、わずか十人では久光を討つことはまず不可能であった。久光は年相応に用心深い男で、移動に馬を使わず輿を使うから、毒矢で狙うこともできない。


「いっそ通り道に火薬でも埋めておいて、吹き飛ばしますかな」


 蟇目は自分が言った冗談で笑ったが、さすがに蓮次は賛成しなかった。火薬は十四世紀には日本に伝わっていたらしく、火術を得意とする甲賀者はその製法と使用に長じているようであったが、これはさすがにやり方が特殊すぎる。「出羽氏の遺臣」に思いつくような芸当ではないであろう。


「藤掛城は無理でも、たとえば松尾城なら何とかならねぇか」


 久光は、阿須那から毛利の吉田へ出向く時、郡山城に滞在することもあるが、多くは横田の松尾城を宿にしていた。松尾城ならば藤掛城に比べれば警備は薄いし、城が手狭で曲輪の数が少なく、その分だけ城内を探し回る手間も省けるであろう。

 甲賀者たちはその線で松尾城を探り始めた。

 松尾城は、多治比の猿掛城から一里ほど北――高田郡の美土里町にあり、そのあたりは当時は横田村と呼ばれていた。城主は高橋重光しげみつという男で、高橋久光の次男であり、当主・興光の実父に当たる。

 城の見取り図は割りあい簡単に出来あがった。松尾城は大狩山の南尾根に築かれているから、大狩山の上部から見下ろせば城内を俯瞰ふかんできるのである。曲輪の配置や城内の建物の位置などはほぼ完全な形で図面が完成した。

 蟇目も、本丸までも忍び込むことが出来ると自信ありげに断言した。


「ただ問題は、久光の寝所がどこかという点でござる。本丸の屋形には重光がござろう。そこで寝ておるのか、あるいは二の丸あたりの居館に宿を取っておるか――」


 こればかりは調べようがなかった。たとえば久光が二の丸を定宿にしているとしても、決行の当日、何かの偶然で本丸の屋形で過ごしているというような可能性がないとは言えないのである。

 決行を逡巡しているうちに、困ったことが起こった。高橋氏が合戦支度を始め、久光は二千以上の兵を引き連れて出陣してしまったのである。

 高橋軍は、毛利氏、吉川氏、平賀氏、小早川氏らの兵と共に、備後中部の世羅郡へと攻め入った。早春に続いて今年早くも二度目の侵攻である。

 ――こりゃまずい。

 蓮次は大いに慌てた。二月、三月の長期滞陣にでもなれば、約束の期日を過ぎてしまう。

 蓮次たちは備後に潜入し、合戦の様子を遠巻きに探った。


「考えようによっては、城入りより事が容易であるやもしれませぬぞ」


 久光が戦陣にあることを逆に奇貨きかとし、この機に久光を闇討ちすることを蟇目が提案した。

 甲賀衆は闇夜に乗じて高橋軍の陣屋に忍び込んだ。が、高橋側の夜警は思いのほか厳しく、本陣の最奥まで辿りつく前に事が露見し、計画は失敗に終わった。その際、甲賀者が二人斬られて死にさえした。


「敵もどうやら忍びか兵法者を飼うておるようでござる。侮れぬ手練てだれが何人かおりましたわ」


 帰ってきた蟇目は悔しげに言った。

 蓮次にとっては幸いなことに、この合戦は一月も掛からずに終わった。出雲から尼子氏の援軍が再び現れて、備後の国衆と共に安芸の国人連合軍を追い払ったのである。合戦自体は小競り合い程度で、双方ともに大きく傷ついた様子はなかった。

 ――もうぐずぐずしてられねぇな。

 高橋氏が軍勢を三度みたび動かせば、計画は時間切れとなり、久光を暗殺する機会は永久に失われるであろう。


「久光が次に松尾城に入った夜に、決行しよう」


 蓮次は蟇目にそう告げた。

 決行は、永正十七年うるう六月の某日――。ある雨の夜と決まった。





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