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鷲爪伝  作者: 堀井俊貴
第四章 吹き荒れる腥風
28/62

嵐の前の静けさ(一)

 梅の季節も終わり、山野のあちこちで桜がほころび始めた。

 よく晴れたある朝のことである。郡山の満願寺の鐘が「明け六ツ」を告げてから半刻ほど後であったから、時刻で言えば午前七時ごろであろう。

 相合の元綱の屋敷の裏門に、ふたつの人影が立った。

 両者とも異装である。草臥くたびれた白小袖の上に色褪せた柿色の篠懸すずかけを重ね、括袴くくりばかまを穿き、総髪の頭上に六角形の頭巾ときんを戴き、首には結袈裟ゆいげさを掛け、手甲、脚絆きゃはんで手足を固めている。右手には錫杖しゃくじょう、腰に小太刀を差し、螺緒かいのおをぶら下げ、背には大きなおいを背負っている。山伏とか修験者しゅげんじゃとか呼ばれる風体だ。

 一人は四十年配で、中背にして痩身そうしん。女なら思わず見惚れてしまうような、妖しいほど整った顔立ちをしている。その背後に立つもう一人は二十歳にも満たぬ若者で、やや長身で骨太な身体つきである。


「頼み申す」


 年配の男が声をあげた。錆びの利いた実に良い声である。


「頼み申す」


 何度目かの男のおとないに、門扉が薄く開かれ、老僕の市兵衛いちべえが顔を覗かせた。

 市兵衛は、まず男たちの装束を眺めていぶかしみ、次いで男の美貌に気づき、真昼に幽霊でも見たような顔をした。


「はて、見慣れぬ行者ぎょうじゃ殿じゃ。当家になんの御用でござろうか」


「こちらは毛利家の御曹司――四朗 元綱殿のお屋敷であるな」


「左様にござるが――」


「羽田重蔵と申される仁がこちらにおられるはずじゃ。取り次いで頂けぬかな。野僧は愛宕あたご大権現を奉ずる修験の行者にて、司箭しせんと名乗りおる者」


 司箭院 興仙こうせん――。宍戸家俊である。

 話を聞いた重蔵は仰天した。すぐさま長屋に詰めていた三人の若者に声を掛け、一人を元綱の部屋へと走らせて事態を伝え、残る二人に半弓を持たせ、裏門へと駆けた。

 門の脇に、二人の修験者が立っている。


「お二人は長屋の陰より見張っておってくだされ。万一、わしに不測のことがあれば、あれらには決して近づかず、矢で仕留められよ」


 重蔵は厳しく念を押した。近侍の仲間が二人、かの宍戸家俊によって不具にされてからまだ一月と経っていない。彼らの眼には怒気と殺気がみなぎっていた。

 重蔵はゆっくりと裏門へ近づき、二人から四間ほどの距離を置いて足を止めた。


「おぉ、羽田殿、一別以来でござるな」


 宍戸家俊が軽く会釈し、背後の若者がそれに倣った。

 重蔵は、相手の気配を油断なく探りながら、どのような動きにも即応できるよう四肢の力を抜いた。やや歩幅を広げ、心持ち重心を低くする。


「先日は面頬めんぼおにてお顔を拝見できませなんだが、そのお声は忘れもせぬ。宍戸又四郎殿とお見受け致す」


「いかにも。じゃが、その名は呼んでくださるな。今は司箭しせんと名乗りおる修験の行者に過ぎぬ」


「――して、わざわざのご来駕らいが、本日はどのような御用の向きにござろうや。当家の主人あるじの首でも獲りに参られたか」


「そう構えられることはない。ここは芝居(戦場)ではあるまいよ。このわしにしても、無闇矢鱈やたらに他人の命を奪う者ではない」


 家俊は片頬に笑みを浮かべた。


「実は我ら、これより再び安芸を離れる。まず厳島に参って厳島大明神に衆生しゅじょう済度さいどと旅の無事を祈念し、その後は四国と九州に渡り、修験の山を巡り歩いて修行を重ねるつもりじゃ。次に安芸に戻って参るまでには長い月日が開こうゆえ、そなたに一度会うておこうと思うてな」


 厳島神社へ行く道すがら、わざわざ立ち寄ってくれたらしい。


「書状を寄越されたは、わしに用があってのことであろう?」


 事情を諒解した重蔵は、自分が安芸にやって来た経緯を短く説明した。


「――義経流の蘊奥うんのうを極めたという司箭しせん院殿に、ぜひ一度お会いし、教えを乞いたいと存じ、はるばる京より流れて参りました」


 興深げな顔でその話を聞いていた家俊は、


「義経流の兵法か――」


 と詠嘆するように言った。


鬼一法眼きいちほうげんが義経に授けたと伝えられる兵術の妙理みょうり――。わしはそれを由利ゆり刑部ぎょうぶと申される方より学び、愛宕あたご山は太郎坊に伝わりたるいにしえの剣術によって兵法のことわりを悟った」


「愛宕山の太郎坊・・・・」


 重蔵は呻くように呟いた。

 愛宕山の太郎坊といえば、愛宕山に棲んでいたという大天狗の名である。愛宕山にはその名を冠する僧坊があり、修験の行者と兵法修行を志す人間たちが集い、修行のための行場ぎょうばのようになっていた。重蔵自身も短い期間ではあったがそこで修行をしているし、重蔵が「司箭院 興仙」の名を知ったのもまさにその場所であった。

 つまり、重蔵と宍戸家俊とは、同じ根の兵法を学んだということになる。

 ――かの男とわしの差とは、天が与えし器量の差ということか。

 古えより家に伝わる剣術を身につけ、研鑽も積み修羅場も潜り、同じ場所で修行までしているにも関わらず、宍戸家俊が到達した「兵法の理」に重蔵は到ることができなかった。


「それを義経流と呼ばれるのはそなたの勝手だが、薙刀、居合、小太刀、棒術、やわらの技に至るまで、悟り得た理を元にわしが独自に工夫したものじゃ。ゆえに司箭流と称しておる」


「司箭流――」


「そなたが求めるモノと、わしが編み出したるモノとは、別であろうよ」


「それでは、兵法の理とは――!?」


 すがるような重蔵の声に、家俊は即答する。


「言葉で表すなら、天地自然のことわりと申すよりない」


 しゃん――!

 右手の錫杖が地を叩き、先端で遊環ゆかんが乾いた金属音を立てた。


「たとえば天地は理あるがゆえに寒暑かんしょが巡り、日月は理を得て昼夜が巡る。一事一物一動一静の微に至るまで、理の有らざるものはない。心にその理をそなえ、技にその理を施す。技をもって心を治め、心をもって技を治める。内と外とがこもごもに治まれば、すべてが自然の理にしたがう」


 重蔵はその言葉を懸命に咀嚼そしゃくしている。


「察するところ、そなたは導き手を欲しておられるわけじゃな。羽田殿、わしの弟子になるか」


「・・・・以前は、確かにそのつもりでござった。さりながら、今わしは当家の元綱さまにお仕えする身。司箭院殿とは敵味方の間柄でござるし、この地を離れるわけにも参りませぬ」


「――離れたくば、離れても構わぬぞ」


 背後から声が掛かった。

 重蔵が振り向くと、母屋の方から元綱が歩いてくる。


「四朗さま・・・・!」


「主従と申しても、俺はお前にろく扶持ふちも与えておるわけではない。お前にはお前の生きる道があろう」


「これはこれは――。毛利の今義経殿でござるな」


 重蔵の隣に立った元綱へ向けて、男が目礼した。


「司箭と申す修験の行者でござる。お初にお目に掛かる」


「先の合戦いくさでは我が郎党が世話になった。貴殿に斬られた二人は、命こそ取り留めたが、二度と芝居には立てぬ」


「ほう、あの者ら、死ななんだか。それはよしなきことをした」


 家俊の苦笑は、年齢による己の力の衰えを自嘲したのかもしれない。


「――で、仇討ちでもなさる気か」


「合戦は私怨でするものではない。貴殿がたとえ親の仇であっても、芝居でのことを持ちだしはせぬよ」


「さすがは毛利家の御曹司、若いながらもわきまえておられる、と言いたいところだが――。それにしては、殺気が表に出過ぎてござるな」


「宍戸又四郎殿に遺恨はない。――が、それとは別に、司箭しせん院 興仙という修験者がどれほどつかうかには興味がある」


 修験者の鋭い眼に危険な色が灯り、その周囲の雰囲気が変わった。


「教えを乞いたいと申されるのか。それとも仕合いをご所望か。仕合うとなれば、こちらも手加減は致さぬが――」


「四朗さま、なりませぬぞ」


 重蔵が厳しく言った。

 馬上槍をとって戦うならともかく、平装でこの男と一対一で斬り合うとなれば、いかに元綱でもまず勝ち目はない。宍戸家俊がその気になれば、この屋敷にいる人間を皆殺しにすることさえ容易たやすいであろう。

 重蔵は元綱を庇うように前に出た。


「重蔵、邪魔をするな」


「四朗さまにお仕えする者として、主人に先に死なれるわけには参らぬ。どうしても司箭院殿と仕合われると申されるなら、わしが死んだ後にして頂く」


 歩幅を広げ、身体を前傾し、居合の構えを取る。

 自分の言葉を聞いてもなお、元綱の殺気に揺らぎはない。重蔵は、眼前の化け物に本気で斬って懸かる覚悟を決め、大刀の鯉口を切った。


「無益なことじゃ。羽田殿、命を大事にされよ」


「無益は承知・・・・」


 勝てぬことは、重蔵自身が誰よりも解っていた。

 兵法を極めた者の間合いは、一種の結界と言っていい。そこに殺意を持って踏み込めば、その瞬間に地獄の門が開く。

 重蔵は、泰然と佇立する家俊を凝視し、心気を高めた。身を沈め、じりじりと足の指で「死」への間合いを詰めながら、呼吸を計る。

 次第にその息が細くなり、やがて重蔵は勝ち負けも生死も忘れた。

 誰も口を利かず、空間が凝固したように動かない。

 緊張感が極限まで高まろうとしたその刹那――。


「――!」


 けたたましい赤子の泣き声がした。

 我に返った重蔵が反射的にその方に視線を向けると、うまやの脇に赤子を抱いた女が立っていた。ゆきである。夫を心配して様子を見に来たのであろう。血の気を失い切った顔で呆然とこちらを眺めている。その胸で、鶴寿丸かくじゅまるがひきつけを起こしたように泣きわめいていた。

 殺気に満ちた異界はすでに霧消し、固体化したようだった空気が再び動き出した。その場にいた全員の、張り詰めていた気持ちの糸がゆるんだ。


「――重蔵、やめよ。俺が悪かった」


 重蔵の肩に元綱の手が乗った。


「司箭院殿、非礼を詫びよう」


「いや、それには及ばぬよ」


 家俊の表情からも険呑さが消えている。


「羽田殿、今の貴殿の気組みはなかなか良かったぞ」


 しゃん――と錫杖が鳴った。


「芸は極めることができるが、心は極めるところがない。技は心にしたがうものじゃ。技を磨くことの究極は、心を磨くことと心得られよ」


 後年、宍戸家俊は自らの流派を「貫心かんしん流」と称する。「心を貫く流儀」――いかにこの人物が心の研鑽を重要視していたかが窺えるであろう。


「・・・・ご教示、心の深き処に刻みおきます」


「お互い生きておれば、またどこかで逢うこともあろう。精進なさることじゃ」


 二人の修験者は、元綱に目礼し、静かに門を出て行った。

 元綱がひとつ大きく息を吐いた。


「追わなくてよいのか。師とするに足るおとこにやっと出会えたのだろう」


「いえ、よいのです」


 重蔵は首を振り、微笑した。


「わしにはわしの生きる道があるのですから」


 新緑の香りを乗せた春の風が、重蔵の顔を撫でてゆく。

 青く澄んだ空に、鶴寿丸の泣き声だけが響いていた。



 さて――。

 それからしばらく経ったある日、志道しじ広良が郡山城に主立つ重臣たちを招集した。


「集まってもらったは他でもない。実は井原いばらの弾正殿(元造もとなり)が、ご当家からご嫡男の嫁を迎えたいと申しておられてな」


 井原の荘は吉田から三里ほど南方で、坂氏が領知する向原と志道氏の領地である志道村に挟まれた地域である。戸数で言えば二百軒ばかりの山間の小さな集落で、現在は井原市いばらいちの名で呼ばれている。その井原の荘を領する井原氏は、藤原氏をその祖とし、二百五十年にわたって代々井原の地頭職を務めた名門であった。

 現在の当主を井原元造もとなりといい、その子を元師もとかずという(み方には異説あり)。すでに毛利に臣従している国司くにし氏とは遠祖が兄弟である。

 この井原氏は、実は毛利とは昔から仲が悪い。

 少々昔話をすることになるが――。

 安芸・毛利氏の初代・時親ときちかが安芸に入部して以来、毛利氏は吉田から南に向けて勢力を伸ばしており、時親の孫・親衡ちかひらの代になって向原まで侵出し、日下津ひげつ城(坂城)を築いた。そこに居を据えたのが親衡の次男・匡時くにときで、彼が土地の名である「坂」を姓とし、その初代となった。坂氏が向原に本拠を据えたのは百年ほど昔ということになるが、その頃から隣郷の井原氏とは小競り合いを繰り返しているのである。井原氏は五千石にも満たない小豪族だが、小戦が巧く、兵は精強で、坂氏が侵攻するたびにそれを跳ね返していた。坂氏にとって井原氏は、百年来の小うるさい敵であったと言っていい。

 ところで、その井原の荘のすぐ西にあるのが志道村である。三十年ほど前にそこに城を築いたのは坂元良もとよしという男で、志道広良の父であった。もともと元良は坂氏本家に生まれた四男で、本家から分家して志道城に居を据え、その地名を姓としたのである。坂氏にすれば、分家を西に配することによって井原氏を東西から圧迫しようというような意図もあったのであろう。

 この志道元良は割りあい穏健な人物で、井原氏を敵視する坂氏本家とは政治的に一線を画していた。坂氏と井原氏の長年のいがみ合いに終止符を打つためにも、井原氏を毛利に臣従させようと考え、その働きかけをするようになった。

 その頃の毛利氏は、先先代の弘元が若くして隠居し、幼少の興元が家を継いだばかりで、家中にまとまりがなく、大規模な外征を起こすほどのエネルギーもなかったから、井原氏にとってさほどの脅威ではなかった。しかし、長じた興元は家中をよくまとめ、大内義興からも愛され、やがて安芸国人一揆(豪族連合)の盟主と目されるほどの存在感を持つようになった。井原氏の南方には国人一揆の盟友である平賀氏が大きく勢力を張っており、毛利氏と平賀氏に挟まれている井原氏にすれば、毛利とあからさまに敵対することははばからざるを得なくなり、やがて井原氏の家中にも、志道元良の話を容れ、毛利と同盟を結ぼうと考えるような動きが出始めた。つまり、毛利から嫁を迎え、同盟者としてその傘下に入ろうとしたわけである。

 この話は水面下でまとまりかけていたのだが、肝心の興元が突然に病死したことによって、話がそのまま棚上げされる形になってしまった。興元亡き後の毛利がどうなるか――。それを見極めぬことには、井原氏の側も動きが取れなかったわけである。

 しかし、その後の毛利は家中が分裂したり内紛を起こしたりすることもなく、強大な武田氏の侵攻さえ跳ね返して見せた。さらに昨年には吉川氏から姫を迎えて同盟の絆を深くし、相変わらず国人一揆の中核として存在感を発揮し続けている。

 その様子を注視していた井原元造もとなりは、

 ――これならまずまず大丈夫であろう。

 と判断し、毛利から息子の嫁を迎えることを条件に、その傘下に入る決断をした。


「井原のご嫡男、小四朗殿(元師もとかず)と申されるのだが、歳は二十四と聞いてござる」


 広間に集まった重臣たちを前に、志道広良はそう続けた。父が長年掛かってまとめた縁談話を、ついに評定の議題に乗せたわけである。


相合あいおうの竹姫さまをと、わしは考えておるのだが――。この事について、皆みなの意見を聞かせてもらいたい」


「・・・・・・」


 唐突に妹の名が出たので、元綱は仰天した。まったく思いもかけぬところから奇襲でも食らったような気分である。大きく息を吐いて腕を組み、そのまま黙り込んだ。

 毛利家の姫といえば、先代・興元にも娘が一人あり、幸松丸の姉に当たるのだが、この姫はまだ七歳で、嫁に出すにはさすがに早過ぎた。婿になる井原元師もとかずは二十四であるという。年齢的にこれに見合う娘となれば、先先代・弘元ひろもとの末娘である竹姫をおいて他にない。


「井原が縁戚となれば、百年続いた諍いも終わるであろう。ご当家にとっても色々と益があろうかと存ずるのだが――」


 その広良の言葉を遮るように、


「これは執権殿とも思えぬことを申されるものよ」


 と大声をあげたのは、坂広秀である。


「井原のような小家こやけ、攻め滅ぼせば済む話ではないか。何もこちらから人質を出してまで縁を結ぶ必要があろうか」


 坂一族がどれほど井原氏を憎んできたか忘れたか、と言わんばかりの口吻こうふんである。坂氏本家の当主である広秀にすればそれも当然で、井原氏とは父祖の代から小競り合いを続ける犬猿の仲であり、井原の兵によって命を奪われた家来も多くいる。その井原氏を毛利家臣の列に加えてしまえば、これまでの復仇ふっきゅうができなくなるばかりか、井原の荘を奪って領地を拡大するという坂氏の悲願さえ頓挫してしまうのである。

 まして竹姫を出すなどは、広秀にとっては論外であった。

 先先代の弘元が病死して以来、広秀は元綱の後見役を自ら買って出て、寡婦となり後ろ盾を失った相合の方の相談をも親身に聞いてやり、たとえば米塩の援助をしたり、屋敷が破損すればその修築をしてやるなど、何くれとなく世話を焼いてきた。元綱の妹である竹姫は、いわば広秀の庇護のもとで育ったと言ってよく、広秀にすれば己の「手駒」という意識が強いのである。


「竹姫さまには、もっと大いなる家へ嫁いで頂いてこそ、ご当家の益となろう。井原のごとき小家こやけるには釣り合わぬわ」


 竹姫は毛利本家でただ一人の適齢の姫であり、しかも養女ではなく弘元の実の娘で、元就、元綱の妹であるばかりか、当主・幸松丸の叔母である。当然、その婿は元就、元綱の義弟となり、「毛利家当主の叔父」という立場を手に入れることになる。これに見合う婚家といえば、毛利と同格かそれ以上の実力を持つ豪族でなければならぬであろう。実力が伴わぬとすれば、せめて尊貴な家格の家こそが相応しい。

 ――国人一揆の盟友か、あるいは大内氏の重臣という手もある。

 広秀は密かにそう考え、その線でまさに嫁ぎ先を探しているところであった。

 広秀が調ととのえた縁談で竹姫が強大な豪族に嫁げば、当然、その豪族とのその後の外交でも広秀が大きな役割を担うことになるであろう。それは広秀自身の毛利家中における権勢を増すことになり、発言力もそれだけ強くなる。つまり竹姫は、広秀にとって掌中のたまのような存在であった。それを仇敵の井原氏などに嫁がせ、挙句に政敵と言うべき志道広良の手柄のダシにされるとあっては、とうてい承服できる話ではなかった。

 そんな広秀の胸中を、志道広良はあらかた察している。冷静かつ的確に反論した。


「確かに井原は小家でござる。さりながら、鍋谷なべたに城を武力で落とすとなれば、数百人の血が流れるは必定。まして井原は二百五十年もの長きにわたりかの地を治めてきた族でござる。臣下になろうとせっかく申してくれておるものを、味方に付けることをせず、逆にこれを攻め滅ぼしたのでは、人の道にもとるばかりでなく、かの地に住まう領民の間にご当家に対する骨髄こつずいの恨みが残るでござろう。地の者がなついてくれぬ土地は、たとえ手に入れても難治なんち。必ず一揆の温床となり、ご当家の敵に通ずるようなやからも出て参ろう」


 広良はひとつ唇を湿らし、たっぷりと間を取った。


「ここは、武にることなく、百年の敵を味方に変えることこそ上策――。わしはそう勘考つかまつる」


 それは先代・興元の外交方針にも通じており、充分な理がある。坂広秀もそのことは認めざるを得ず、怒りで赤くなった顔を歪めた。


「百歩譲って井原をご当家に加えるにせよ、竹姫さまの婚家としてどうかという点は残る。執権殿がどうしても井原と婚姻を結びたいとお考えなら、福原殿の娘御でも出して頂けばどうか。井原ごときの嫁としては、それでも過分に過ぎよう」


 過去、毛利家では乱立した庶家が大いに力を持ち、本家を圧倒して家中が分裂しかけた時期があったのだが、庶家・福原氏の初代である福原広世ひろよは一貫して毛利本家を援けて尽力し、本家による総領支配と現在の毛利家の繁栄に多大な貢献を成した。以来、福原氏は一門衆のなかでも別格の扱いを受けており、その家格は家中の首座と定められている。その福原氏の娘なら、井原氏程度の小豪族の嫁に出すには釣り合いとして充分過ぎるであろう。

 しかし、志道広良は、


「いまだ五歳の幸松丸さまの養女にせよと申されるのか」


 と呆れ顔で言った。

 この点も、幼少の当主を戴く毛利家の不利であった。妻を持ち子を成せる年齢の者が当主であれば、その養女を作ることも書類一枚で済むのだが、当主が五歳の幼童では「毛利家の姫」を新たに作れるはずもない。


「いずれにしても、この縁談はなし、わしはきっぱりと反対でござる。竹姫さまには、それに相応しい婚家を、このわしが探して進ぜる」


長門ながと(坂広秀)はああ申しておるが――」


 多治比元就が苦笑しながら両者の間に割って入った。


「四朗、お前はどう考える?」


 相合の家の総領は元綱であり、当然ながら竹姫の法的な保護者も元綱である。話を振られ、元綱は少し首を傾げた。


「女の幸せが、婚家の大小や尊卑で決まるとは俺は思わぬ。井原の小四朗殿といえば、安芸でも聞こえた弓の達者だ。武勇において不足はないが――」


 その返答にやや迷いがある。


「小四朗殿がどういう人柄の仁であるか、俺は知らん。お竹は大事にしてもらえようか?」


「小四朗殿は武勇に優れるばかりでなく、若いながら律儀の人と評判でござる。その人柄は涼しく、思いやりの深い仁と見受け申した。相合殿の妹御を、ゆめ疎かには致しますまい」


 すかさず応えた志道広良を、坂広秀が横目で睨んだ。


「いや、四朗殿、婚家の大小は女の幸せにも大いに関わりがござるぞ。この乱世、小家こやけは明日滅んでもなんの不思議もござらぬ。嫁ぎ先を間違えば、女は家の滅びに殉ぜねばならぬようになる。竹姫さまを殺さぬためにも、婚家はよくよくお考えになって選ばれるべきじゃ。それを、よりにもよって井原なぞと――」


 志道広良はその視線を平然と跳ね返した。


長門ながと殿は婚家が大なるが良しと申される。それはその通りであろうが、たとえばご当家と肩を並べるほどの家に嫁いだとなれば、風向きの如何によっては、婚家がご当家と敵味方に分かれるようなことも起こり得る。それが乱世でござる」


 そこで広良は元綱に顔を向けた。


「女子にとって、婚家と実家が争うほど辛いことはない。竹姫さまの婚家を攻めねばならぬとなれば、相合殿もお辛いであろう」


「ふむ・・・・」


「井原のような小家であればこそ、ご当家の姫を迎えられれば、先方は大いに感激される。ご当家のために尽くそうという気にもなる。この縁談がまとまり、ご当家が小四朗殿を相応に遇すれば、井原がご当家の敵に回るようなことは金輪際ござるまいよ」


 両者の言に、それぞれ理がある。

 二人の発言が止むと、重臣たちも思い思いの考えを述べた始めた。志道広良の意見に賛成する者、坂広秀に賛同して反対する者――おおむね半々といったところだが、賛成派の方がやや多かったかもしれない。

 元綱は考え込まざるを得ない。


「いずれ即答はできぬ。お竹の気持ちも聞いてみねばならぬしな。しばらく考える時間をくれ」


「もっともだ」


 元就が頷いた。


「ただ、そう長くも待てぬ。お竹を出さず、別の娘を出すとなれば、先方も面白くないであろうからな。色々と根回しも必要になる」


「わかっている」


 志道広良の老獪さは、その数日後、志道城に元綱と井原元師もとかずをそれぞれ招き、懇親のための酒宴を設けたことであろう。

 将を射んとすれば、ますその馬を、というわけである。竹姫の兄である元綱が「ぜひともこの婚儀を進めたい」と後押しすれば、家中の者たちの反対があったとしても押し切れるであろう。広良は交渉の過程で井原氏の鍋谷城には何度か足を運んでおり、婿になる井原元師とも会ったことがある。その涼しげな人柄を知っていたから、いっそ元綱と引き合わせた方が話が早いと思ったのである。

 狙い通りというべきか――。

 井原元師を見た元綱は、

 ――いいおとこだ。

 と一目で好印象を持った。

 元師はまことに気象のよい武人で、挙止や言動に軽々しさがなく、その温顔にも表裏がないと見えた。

 元師の方も、今義経の異名を取る元綱の噂は聞いており、その武勇に敬意を持っていた。お互い歳も近く、武辺者肌でもあり、たちまち意気投合したのである。

 酒宴は深夜まで続き、二人は快く酔った。


「毛利家の姫は、四朗殿の妹御であると聞いた。我が妻にもらえようか」


 と元師が言ったとき、


「小四朗殿であれば、俺に異存はない。こちらからもお願いしたい」


 元綱は丁重に頭を下げた。

 翌日、日暮れ頃に屋敷に戻った元綱は、中庭に面する部屋――亡き父の居室の濡れ縁に腰掛け、そこへお竹を呼んだ。

 もともと相合の屋敷というのは、元綱の父である弘元が側室との遊楽のために建てた休息所のような場所で、広さはないものの中庭などはなかなか瀟洒しょうしゃな作りになっている。天然の湧泉ゆうせんがあり、洲浜にはかしわの古木が枝を広げ、景石けいせきが置かれている。母屋の周囲には矢竹が植えられており、生垣は太い竹で組まれている。

 やがて廊下をわたってお竹がやって来、元綱の背後に座った。


「兄上さま、何か御用?」


 この妹は、姉のお松ほどではないにせよ、充分美人の範疇はんちゅうに入るであろう。身体つきは薄く、手足は細く、肌は血筋が透けて見えるほどに白い。艶やかな黒髪は母譲りである。全体にまだあどけなさが抜けておらず、面貌かおの雰囲気も固まってはいないが、末は良い女になるだろうと元綱は思っている。


「話がある」


「はい」


 笑顔で小首を傾げる。その仕草がいかにも小娘じみて見え、元綱はやや話しづらかったが、あえて真面目腐った顔を作って尋ねた。


「――そなた、男を知っておるか?」


 言われたお竹はどういう顔をしてよいかが判らず、頬を少し染めて視線を庭の植え込みに移した。


「わたくしはこの数年、このお屋敷のほかで寝泊まりしたことはございませぬ」


 自分の元に通う男があるとすれば、元綱の耳に入らぬはずがないではないか、ということである。


「この屋敷の長屋にも、若い男はいる。あの者どもとて木石ではあるまい。そなたと言い交わした者はないか」


「おりませぬ」


 近侍の若者たちがお竹に向ける眼差しに多分の憧れが込められていることを元綱は知っていた。お竹が気に入った若者があるようなら、夫婦めおとにしてやっても良いとさえ個人的には思っていたが、お竹は「毛利家の姫」であり、部屋住みの彼らでは身分的に釣り合わず、本家の老臣たちが許さぬであろうということも元綱は解っていた。だから、「妹に手を出せば許さぬぞ」と冗談交じりに釘を刺してもいたのだが、どうやら連中は律儀に言いつけを守っていたらしい。


「あの殿方輩とのがたばらは、兄上さまを怒らせるようなことはなさいませぬでしょう」


「俺を怖れて誰も忍ばなんだか」


「たれも」


 そうか――と呟いて、元綱は再び庭に身体を向けた。


「武門の姫に生まれるというのも、色々と不自由なものだな。女にとってそれが幸せであるか哀れであるかは、行く末を見てみぬことには判らぬが・・・・」


 お竹は勘が良い。兄が何を話そうとしているのか、すでに察しがついている。


「わたくしに縁談があるのですね?」


「あぁ」


 元綱は鷹揚に頷いた。


「お相手はどなたでありましょう」


井原いばらの小四朗殿という。井原元造もとなり殿のご嫡男だ。井原の荘は、吉田から南に三里ほどかな」


 それほど遠くはない、と続ける元綱の台詞を聞いて、お竹は小さく笑った。

 お竹はほとんど吉田から出たことさえなく、地理など説明されたところで判らない。毛利家中の武士に嫁ぐならともかく、他家へ嫁入りするとなれば、離縁でもされぬ限り相合へは帰って来られないわけで、遠かろうが近かろうが関係ないのである。


「わたくしも武門の女です。何処いずこであろうと、兄上さまがけと申された処へ嫁くだけですわ」


 元綱は頷いて笑みを見せた。


「小四朗殿はいい男ぶりだったぞ。あれほどの男なら、義弟にしても悪くない。お前のことも大事にしてくれるであろう」


「はい」


「婚儀はおそらく今年の暮れだ。調度なども揃えねばならんな。これから忙しくなる」


 元綱がそう肚を決めたことによって、この婚約が正式に決まった。

 家中の大半の者がそれを祝福したが、坂広秀の怒りは相当なものだったようで、病と称して一月ばかり出仕さえしなかったし、その後は志道広良とほとんど口を利かなくなった。

 この年は、慶事が続く。

 梅雨入りの頃に、多治比元就の正妻であるお久が、女子を出産したのである。

 こちらも母子ともに健康で、お久の産後の肥立ちも良かったのだが、生まれた子はやや早産だったためか子柄が小さく、その発育と健康が懸念された。しかし、元就もお久も初子ういごの誕生を心から喜び、お杉の方などと共にその幸福に浸った。

 珍しくしばらく戦もなく、安穏に季節が巡っている。毛利家の二人の貴公子に続けざまに子が生まれ、さらに姫君の輿入れも決まり、吉田に暮らす家臣も領民も、どこか平和な気分のなかで月日を過ごしていた。

 しかし、この閑日月かんじつげつは、後から振り返れば「嵐の前の静けさ」と呼ぶべき一時のなぎに過ぎなかった。





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