笛師銀兵衛
尼子氏が支配する出雲は、神国である。
平安時代中期に編纂された『延喜式神名帳』によれば、朝廷から「官社」とされた神社は全国・六十余州で二千八百六十一社を数えるが、出雲一国だけで大社・二座二社、小社・百八十五社もの記載がなされているという。
それらの社のなかでもっとも長い歴史と高い格式を誇るのは、言うまでもなく出雲大社(杵築大社)である。ヤマト王権の時代、いわゆる『国譲り』の交換条件として建立されたと伝えられるこの雄大な社は、神無月には日本中から天神地祇が集まり、様々な事柄を話し合う「神議り」が行われるとの伝承があり、そのため出雲では十月を特に「神在月」と呼び、神を迎える祭りと神を送り出す祭りが執り行われたりする。
出雲は神々とは切っても切れない土地柄であり、したがってこの国を治める代々の守護は、寺社行政にはとりわけ頭を痛めねばならなかった。当時の寺社は、それぞれが領地とそれを守る兵力を持ち、守護不入の特権さえ持ったいわば独立国なのである。なかでも神代の昔から出雲の王であった出雲大社の神領家(国造家)の権威と影響力は絶大で、これと敵対したのでは、出雲に暮らす者たちを治めてゆくことなどできるはずもない。
出雲の現支配者である尼子経久は、月山富田城を奪い、自立を果たすや、いち早く娘を国造家(千家と北島家の二家)にそれぞれ嫁がせ、これを味方に抱き込んだ。その後も社殿を造営したり社領を寄進したり課役を免除したりして、出雲の大神の機嫌を取り続けている。
経久は、出雲大社と日御碕神社をとりわけ崇敬し、寺院では出雲第一の古刹にして出雲大社の別当寺でもある鰐淵寺の興隆に力を入れた。尼子氏は経久一代で急速な発展と伸長を遂げた出来星大名であるだけに、これに反感を持つ旧勢力は少なくなかった。反抗する勢力をいちいち攻め潰していたのでは手間が掛かり過ぎるし、人心に恨みを残すことにもなるから、これをなるべく味方に取り込んでゆくという方針を取るしかなく、ことに神国である出雲では、強大な寺社勢力とは妥協していかざるを得なかったのであろう。
一般に山陰地方は国人領主たちの気性が荒々しく、独立心に富んでいる。しかも出雲は神領・寺領が多く、国人たちはそれらを横領することによって力を蓄えているから、寺社との折衝は利害が複雑に絡み合い、ややこしく繁多な政治調整が不可欠であった。この面倒な仕事を、寺社奉行として実際に統括していたのが、亀井 能登守 秀綱である。
亀井氏の系図というのは、実はよく解らない。宇多源氏・佐々木氏の支流であるとされ、あるいは紀州の鈴木氏から出たという説もあるが、近江・佐々木氏の被官(家来)であったことはどうやら間違いがない。いつの頃か佐々木氏の出雲守護代である尼子氏と婚姻関係を結び、出雲に移って尼子氏の一門衆に名を連ねるようになった。
この時代を生きた者として、文献上では永綱、安綱、秀綱、利綱などの名が知られている。利綱は秀綱の弟であるようだが、秀綱と安綱の関係が曖昧で、『戦国人名事典』などでは安綱を秀綱の父としている。しかし、『竹生島奉加帳』という一次資料などから推察する限り、安綱は秀綱の子とする方が無理がなさそうである。この物語では、秀綱を永綱の子とし、秀綱の嫡子を安綱として話を進めたい。
秀綱の父である永綱は、尼子経久の月山富田城奪回戦にも協力し、以来、三十年にわたって主君・経久をよく輔け、ことに民政、寺社行政などの分野で活躍し、尼子家の老臣筆頭とまで目された。
この時代、永綱は五十代半ばであったろう。五年ほど前に隠居し、亀井家の家督と尼子家の老臣の座を息子の秀綱に譲っていた。
秀綱は、まだ二十代半ばと若い。武人としての実績は多くはないが、大内義興が上洛の軍を発した時、主君の尼子経久に従って京へ従軍したとする記録が残っているから、十代の頃から経久に近侍していたのであろう。行政官としては実に怜悧な頭脳を持っており、経久の若き懐刀というべき存在であった。
亀井氏は出雲郡の須佐に領地を持ち、高櫓城に本拠を据え、隠居の永綱がこれを守っている。息子の秀綱は月山富田城の城内に屋敷を構え、普段はそこで暮らしていた。
尼子氏の主城である富田城は、中海を北に眺める月山を要塞化した巨城で、中国地方でも屈指の堅城として知られる。城主である尼子経久は、普段は山腹に切られた山中御殿という広大な曲輪の殿舎に住んでいる。山中御殿の背後の「七曲り」と呼ばれる急峻な登山道を登りつめると、月山の最高峰に作られた「詰めの城」へと到ることができる。詰めの城は籠城のための施設で、三の丸、二の丸と連郭式に曲輪が切られ、頂上部に本丸が置かれていた。
その日、亀井秀綱は、政庁というべき山中御殿の御用部屋でいつものように政務をし、夜になって大東平という曲輪にある自邸に帰った。
着替えを済ませ、酒を酌みつつ夜食をとり、さらに書院で訴状などをあらためているうちに、亥の刻(午後十時)を過ぎた。
時報の鐘を遠くに聞いて、秀綱は仕事を切り上げた。この青年は時間に妙に律儀で、平時は四季ごとに決まった時刻に眠り、決まった時刻に起き、決まった時刻に登城する。
秀綱が書院を出ると、手燭を持った侍女が暗い廊下をさらさらと渡って寝所の次室の前まで先導した。女を帰し、次室に詰めている宿直の家来に一声掛け、寝所の襖を開けた時、秀綱は、あっ、と息を呑んだ。
そこに、見知らぬ男の背中があったのである。ボサボサの蓬髪を無造作に束ね、黒い装束をまとった中年男が、ふてぶてしくも夜具の上で胡坐をかいていた。
それを見た宿直の若侍が仰天し、刀を取って殺到しようするのを、秀綱は無言のまま手で制した。
「おぬしは誰じゃ?」
と静かに声を掛けたのだから、秀綱にも胆力がある。が、その声には少なからぬ恥辱と怒りとが含まれていた。武家の屋敷というのは城のようなもので、屋敷の最奥にある秀綱の寝所にまで曲者の潜入を許したということは、城攻めで言えば本丸を乗っ取られたに等しい。
秀綱は脚を前後に開いて心持ち腰を落とし、左手に下げていた刀の鯉口を切った。相手の出方によっては、一刀で斬り捨てるつもりである。
「あぁ、能登殿か」
四十年配のその男は、鷹揚に身体の向きを変え、秀綱に向かって軽く頭を下げた。
異相である。
額が広く、煮しめたように肌の色が黒い。刷毛で描いたような太い眉の下にはぎょろりとした大きな目があり、鷲鼻の小鼻が左右に張っている。やや受け口で、しっかりした顎にいかにも強そうな髭がびっしりと生えていた。どこか狛犬に似ている。
「銀兵衛と申す鉢屋者でござる。笛師を生業としており申す」
「笛師?」
秀綱は怪訝な顔をした。
「その笛師が、なぜわしの寝所におる」
「須佐のお父上の元へ参ったところ、自分はすでに隠居したゆえ、息子のところへ行けと申された。それで、こう参上つかまつった次第でござるよ」
「父上が・・・・?」
「鉢屋の笛師銀兵衛と言えば、お聞き憶えはござらんかな。わしの親父殿は、出雲のお屋形がこの城を取るときに、鉢屋衆七十余名を率いて大働きに働いたものでござるが――古き話ゆえ、お若い方々はすでにご存じないか」
「あぁ――」
その話なら聞いたことがある。
尼子経久が月山富田城を奪還した時、鉢屋衆の棟梁である鉢屋弥之三郎に助力を仰いだのだが、弥之三郎の命を受け、実際に鉢屋衆を率いて働いた頭目が、銀兵衛という名の男であったという。
富田城では毎年元旦に「万歳」という祝賀行事があり、鉢屋衆は城内に招かれ、千秋万歳を舞いと囃子で賑やかに祝うのが恒例になっていた。経久はこのことを利用し、鉢屋衆七十余名に鎖帷子を付けさせ、武器を隠し持たせ、元旦の夜明け前に城内に潜入させたのである。城衆は恒例の祝賀ということもあって、何の警戒もせずに鉢屋の者たちを城内に入れた。彼らは不意に叛徒となって警備の士を襲い、城内の各所に放火し、城門を開いて待機していた経久ら五十数人を城に導き入れ、富田城陥落に決定的な役割を果たしたのである。
つまり銀兵衛は尼子家にとって大功ある者であり、経久は鉢屋弥之三郎と共に真っ先にこの銀兵衛に士分を与え、召抱えようとしたのだが、銀兵衛はかたくなにそれを拒み、元の笛師に戻ったのだという。すでに三十年も昔――秀綱にとっては生まれる前の話であり、銀兵衛という男がその後どうしているのかまったく知りもしなかったし、気に掛けたこともなかった。
「おぬしは、あの銀兵衛の子、というわけか」
「いかにも」
銀兵衛は面白くもなさそうに頷いた。
「おぬしと我が父と、どのような繋がりがある」
「わしの親父殿は、卑賤の身ながら、能登殿のお父上から昵懇にして頂いておったと聞いてござる。親父殿はそれを恩に感じ、ゆえにご当家に関わりある話を耳にすれば、それが良きにつけ悪しきにつけ、お父上に密かに報せておった。わしは、まぁ、飛脚のようなものでござるよ。親父殿に命ぜられたゆえ、京より駆けて来た」
「京?」
「親父殿は、京の四条河原で笛を吹いて暮らしてござる」
ここまで聞いて、秀綱にもようやく事情が見えてきた。どうやら父は、旧知の銀兵衛を通じて京に集まる天下の風聞を集めていたものらしい。その使いがもたらした情報を、自分に届ける方が良いと判断したのであろう。
それはそれで良いとしても――。
「そういうことならば、なぜわしの家来に来意を告げ、案内を乞わぬ。いや、そもそもどうやってご城内に忍び入ったのか」
「わしは鉢屋者でござるゆえな。案内を乞うたところで武家の屋敷は玄関さえくぐれず、座敷にも上がれず、下人同様、庭に座らねばならぬハメになる。それも業腹ゆえ、こうつかまつった。城入りは、まぁ、道楽のようなものでござるよ。鉢屋者がいかに城入りに巧みであるかは、尼子の侍ならばようご存じであろう」
秀綱は男を睨みつけた。
「無礼ではないか」
「寝所は、女と戯れ、虚仮になり果てるための場所じゃ。礼なぞにこだわるは無粋でござろうよ。まぁ、そのように怖い顔をせず、まず座られたらどうか」
人を食った男だが、どうやら自分に対して害意はないらしい。警戒を解く気にはなれぬものの、それでも秀綱はやや安堵し、男の前に右膝を立てて座った。いつでも男を抜き打てるよう、己の左側に刀を置いている。
「それで、京から持ってきた話とは何じゃ」
男は口元だけにニタリと笑った。
「大内義興のことでござるよ」
「大内――」
「義興め、この年の内にも国へ帰りますぞ」
「なに?」
秀綱の両の目が鈍く光った。
西の大大名・大内氏は、尼子氏にとって当面の最大の敵である。大内義興が将軍候補である足利義稙を奉じて上洛し、十年近くも京に居座っていてくれたからこそ、尼子氏は中国地方で大いに勢力を伸ばすことができた。
その大内義興が、ついに京を捨てて領国に戻って来るというのか――。
京の情報は、鉢屋衆を通じて巨細となく常に仕入れていたつもりの秀綱ではあったが、そこまでの確報はまだ掴んでいなかった。
「確かか。どこから漏れた話だ?」
「泉州堺の商人の筋でござる。義興め、京を離れるにあたり、唐土との勘合貿易を独占しようと策しておるようでござってな。唐船の往来が絶えれば、堺の富は枯れまするによって、商人どもは戦々恐々――」
「・・・・・・」
堺は日本でもっとも富裕な都市であり、大内氏と敵対している細川氏との繋がりが深い。そこの商人から出た話というなら、信憑性は高い。
秀綱は思わず考え込んだ。
在京十年、大内義興は莫大な軍費を投じて幕府を援けてきた。しかし、京では細川氏とその与党が粘り強く抗戦を続けていたし、将軍・足利義稙が幕府の実権を握って専横を振るう大内義興を憎んで仲たがいするようなこともあって、義興の天下取りはさしたる成果もあげることができないでいた。この間、中国地方では、大内氏に従っていたはずの尼子氏、武田氏などが次々と叛き、大内氏の支配体制が大いに揺らぎ始めている。このまま京に居座り続け、敵対勢力の伸長を座視していれば、いずれ自分の領国までが蚕食されるであろう。実際、大内氏の分国である石見や安芸、備後などの政情は近年は非常に不安定で、豪族たちの中には大内氏の傘下を脱し、勃興する尼子氏に乗り換える者まで出てきている。京で権力遊びにうつつを抜かしている場合ではなくなったのである。
しかし、大内義興にすれば、このまま手ぶらで京を去ったのでは何のために上洛したのか解らない。せめて勘合貿易の権利を細川氏から奪い去り、それがもたらす巨大な利益を独占しようと、管領代の権力を使って横車を押しているのであろう。
「転んでもタダでは起きぬというわけか。どこまでも欲の深い男よ・・・・」
「じゃが、その欲深のお陰で、尼子は肥りなさった。義興が京なぞに上らず、地道に中国筋で国の切り取りを続けておれば、今頃は出雲のお屋形も、義興の沓を舐めておったやもしれぬ」
無礼な物言いをするな――と秀綱は怒鳴りたかったが、寝所に礼を持ちこむなと釘を刺されたのを思い出して、不快さをぐっとこらえた。
「話はそれだけか」
「もうひとつ」
男は指を一本立てた。
「能登殿のお父上より、能登殿の仕事を援けてやってくれと頼まれ申した」
「なに?」
「いや、本心を言えば気の進まぬ話でござったが、我が親父殿のこともあり、お父上の頼みを無下に断ることもできかねた。それで、ご子息を見てみてから返事を決めると申し置いて来たのだが――さて、どうしたものでござるかな」
その物言いの不遜さに、秀綱は顔を歪めた。鉢屋者は賤民である。賤民とは犬猫にも等しい人間以下の存在であり、そもそも歴とした武士を相手に対等の口を利くことなど許されるものではない。
――鉢屋の分際で、何様のつもりか・・・・!
という憤りが、秀綱にはある。
亀井家は出雲守護代の名門・尼子氏の一門衆にして重臣筆頭の家柄であり、秀綱は若いとはいえその当主である。生まれついての貴人と言ってよく、人間に揉まれて苦労をしたというような経験もない。自然、誇り高く育ち、恥辱に耐えられるような性質を持っていなかった。
「わしを愚弄するか・・・・!」
「愚弄などはせぬ」
「銀兵衛とやら、お前の父には確かにご当家に対し大功がある。が、だからと言うて、わしがお前に恩を着せられる憶えはないぞ」
「恩を着せた憶えなぞ、わしにもない。気が進まぬと申しただけじゃ」
「お前なぞに援けてもらわずとも、鉢屋の者には事欠かぬわ」
月山富田城には鉢屋平と名付けられた曲輪がある。鉢屋衆で士分を与えられた者たちが郎党を引き連れてそこに住んでおり、諜報、謀略などといった裏の仕事を担っているのである。
「あぁ、確かにおり申すな。わずかばかりのお扶持に随喜し、忍び武者の在り方も鉢屋の誇りも忘れ、侍の真似事をして遊んでおる惚け者どもが」
「・・・・・!」
「物の役に立つとも思われぬが、まぁ、能登殿がそう言われるなら、それはそれでよい。わしもその方が気が楽じゃ」
「どういうことだ」
「鉢屋にも色々あるということでござるよ。我が親父殿なぞは、尼子が興ろうが滅ぼうが、鉢屋とは関わりがないと申して、仕官の話を蹴って鉢屋であることを貫いた。それが賢しい生き方であるかどうかはともかく、親父殿は人間で笛を吹いて暮らすことに足りておる。出雲のお屋形も、そういう親父殿の生き方を諒となされた。お屋形は人として器量が巨きく、親父殿もその点は大いに心服しておったが――お若い能登殿は、お屋形に遠く及ばぬな」
「おのれ――」
秀綱は激怒し、立ち上がるや刀の柄に手を掛けた。
「おぉ、怒ったか」
銀兵衛は満面で笑い、胡坐の姿勢からひょいと背後に飛んで立った。意外に小柄で、背は五尺そこそこしかない。
「お屋形は古今にも稀な傑物じゃ。それに劣ると申したとて、能登殿を貶したことにはなるまい」
「鉢屋風情が、不埒な口を――」
「そう、そこじゃ。鉢屋というだけで人として遇せず、畜生のように見下しておる。その分だけ、能登殿はお屋形に及ばぬと申すのよ」
言うなり、銀兵衛は足指で掴んだ夜具を空中に蹴上げた。
秀綱の視界が夜具で覆われた瞬間、寝所の隅で灯っていた灯明がふたつ共に消え、闇が来た。
「・・・・・!」
秀綱は抜き打ちに夜具ごと男を薙いだ。
が、手ごたえはない。
「今宵はこれで去る」
声が頭上から降ってきた。
「しかし能登殿よ、わしがその気なら、お手前の首と胴は、今宵のうちに離れておったぞ。恩に着よとは言わぬが、人の値打ちを身分で計るような者に、鉢屋者は心服せぬということは、憶えておかれたがよい」
宿直の若侍が次室にあった灯明を掴んで寝所に駆け入り、主人を庇うように前へ出た。闇は払われたが、男の姿はすでにどこにもなかった。幻術にでも遭ったような気分である。
「狐狸め・・・・!」
やや呆然とした秀綱は、苦々しげに呟いた。
すぐさま家中総出で家探しが始められ、天井裏から床下までが調べ尽くされた。積もった埃の跡や破られた蜘蛛の巣の様子などから、いったん寝所の天井裏に遁れて別の部屋に降り、畳をめくって床下から逃げたのではないか、ということは解ったものの、銀兵衛の姿は当然ながら影さえなく、その行方は杳として知れなかった。
翌朝、秀綱は、登城するなり、主君・尼子経久に拝謁を願い出、許された。
「ほう、銀兵衛が、な――」
経久は眠そうな目を若者から外し、開け放たれた明り障子から庭の景色を眺めた。三十年前――月山富田城を奪回した往時を思い出してでもいるのか、懐かしげな微笑が口元に浮いている。
「その者、先代・銀兵衛の子であるよしにて、我が父の使いと称して我が屋敷に参りました」
さすがに寝所の中まで侵入を許したなぞとは言えない。が、大内義興の帰国の風聞に関しては報告しておかねばならない。
「大内義興がいよいよ京を捨てるか――」
経久はさしたる感想も漏らさなかった。すでに義興が在京して十年である。遅かれ早かれ帰国するであろうことは解っており、覚悟もできていたのであろう。
「あくまで風聞に過ぎませぬゆえ、さっそくに京に人を遣り、実相を確かめまする」
当然だ、と言わんばかりに、経久は静かに頷いた。
「それはそれとして、能登よ――」
「は」
「安芸の国人一揆の者どもは、どうなっておる」
「は・・・・」
秀綱は苦虫を噛み潰したように顔を歪ませた。
「色々と申し送ってはおりまするが、高橋の隠居が頑として靡きませず――」
高橋氏の隠居・大九朗 久光は、石見、安芸、備後で勢力拡大を図っており、特に備後の三吉氏などとは連年にわたって合戦を繰り返している。三吉氏は尼子傘下の豪族であり、利害がぶつかるのである。高橋久光は、尼子に属す気は欠片もないらしい。
「鷲影城の高橋盛光を調略してはおりますが、いかんせん高橋家中では隠居の威光が強いようで――」
「ふむ。大九朗は家中をよう束ねておるか。石見と安芸で、高橋ほど大きな豪族はない。厄介なことよな」
「毛利の家中にはご当家に心を傾ける者もあるやに聞いております。しかしながら、毛利の幸松丸は高橋の隠居の孫ゆえ、毛利は高橋の言いなりのようにござりまする。これもなかなか動かしがたく――」
経久は視線を遠くに遊ばせながら、何事か考えている風情であったが、しばらくして不意に口を開いた。
「『鬼吉川』に孫娘があったであろう。いくつであったかな」
その問いの意外さに、秀綱は瞬間戸惑った。
「・・・・たしか、十八になるのではなかったかと――」
「『鬼吉川』は、以前、孫娘を毛利の三男坊に嫁がせたいというようなことを手紙で言うてきたが、あの縁談話は、毛利興元が死んでより宙に浮いておったはずじゃ。興元亡き後、幼き遺児の後見となって毛利の舵を握っておるは、多治比の元就であろう。吉川の娘、どうせ毛利に嫁るなら、いっそ元就に娶せる方が、吉川にとってもよいのではないか?」
経久の妻は、『鬼吉川』――吉川経基の娘であり、尼子氏と吉川氏は強い同盟関係にある。その吉川氏は毛利氏とも婚姻を通じて同盟関係にあり、安芸国人一揆の盟友でもあるが、毛利氏は尼子氏とは直接の繋がりが薄い。
幼主・幸松丸の後見役である元就に、吉川氏の娘を娶せれば、経久は元就の叔母婿――つまり義理の叔父ということになり、親類としての繋がりは遥かに強くなる。当主である幸松丸は高橋久光が握っているらしいが、元就を中心に親・尼子の派閥ができ、それを吉川氏が応援するような形になれば、高橋久光にも対抗できるであろう。そのまま毛利氏を尼子側に引き寄せられればそれが最上だが、毛利家中を大内と尼子の二派に分裂させれば、少なくとも毛利氏の力を削ぐことにはなる。
また、安芸国人一揆の衆は、大内氏の与党として共同歩調を誓っているが、その中核たる吉川と毛利が公然と尼子寄りになれば、他の豪族たちも同調して尼子に靡く可能性がないとは言えない。そこまでいかずとも、国人一揆を尼子派と大内派に分裂させることはできるかもしれない。
明敏な秀綱は、主君の意図を即座に悟った。そして、その政略の抜け目なさに密かに舌を巻いた。
――この殿には、わしはやはり遠く及ばぬ。
忌々しいが、銀兵衛の言葉の正しさは、秀綱も内心で認めているのだった。
「能登よ、『鬼吉川』へ手紙をしたためるゆえ、大朝へ遣いせよ」
毛利氏は大内氏に臣従しているから、大内義興が帰国した後では、吉川氏との縁談にどんな横槍が入らぬとも限らない。大内氏の支配力が再び強くなる前に、この縁談を早急にまとめてしまうべきであろう。
「『鬼吉川』は傑物よ。あの老人が生きてあるうちに、一度会うておくのも、お前にとって無駄にはなるまい」
「承りました」
秀綱は平伏し、その日のうちに富田城を発った。
羽田重蔵が、相合の元綱の居館に腰を落ち着けてから、早くも半年ほどが過ぎた。
元綱は、帰ってきた重蔵を下人(奴婢)として扱わなかった。上北面の末裔たる重蔵の血の尊貴さを憚った、というわけではない。兵法者としての重蔵の技量――同じ一個の男としてのその頸さ――に、相応の敬意を払う気になった、というのが、元綱の心境に一番近い表現であろう。
実力本位の乱世のことである。元綱やその近侍たちを相手に己の剣術の技を披露した重蔵が、彼らの師のようになるのにさして時間は掛からなかった。
低い土居に囲まれた相合の屋敷は、母屋の裏手に厩があり、その隣に家僕が住むための長屋が建っている。重蔵はその隅に部屋をもらい、そこで寝泊まりしていた。
一日、寝藁に埋まって浅く眠っていた重蔵は、深夜、庭の裏木戸が軋む音で不意に目を覚ました。
人の気配が、徐々に遠ざかってゆく。この屋敷から出て行ったものであろう。
それが誰であるか、行き先はどこであるか、重蔵には見当がついている。
――また清神社の巫女のところであろう。
両刀を腰にぶち込み、重蔵は長屋を飛び出した。月明かりを頼りに、左右に田畑が広がる細い街道を足早に歩く。相合から郡山の麓の清神社まで、徒歩でも四半刻とは掛からない。
鳥居を抜け、鬱蒼とした杉木立の中に腰を降ろした重蔵は、肌寒さに耐えながら夜が明けるのを待った。すでに花の季節だが、明け方の冷え込みは相当なものである。
一刻ばかり待ったであろうか。東の空が白み始めた頃、立ち込めた朝靄の中から砂利を踏む足音が聞こえた。淡い人影の輪郭がみるみる明瞭になる。
「また朝帰りでござるか・・・・」
立ち上がった重蔵は、若者の前に立った。
「重蔵か――」
悪戯を見つかった童子のように、元綱が苦笑している。
「この半月ばかり、三日と開けずにこちらにお通いですな」
「ほう、よう知っておるな」
「出歩くなとは申しませぬ。色恋の邪魔をするような野暮も致しますまい。ですが、舘を出る時は、せめて供の者をお連れくだされ。わしに声をお掛けくださるだけでもよい」
元綱が、面倒な――という顔をした。
重蔵は声を励ました。
「今は乱世でござる。ご当家の敵はもはや宍戸や武田ばかりではなく、安芸にも備後にも石見にも、厚い戦雲が掛かり始めている。誰かが放った刺客が、どこに潜んでおるとも限らんのですぞ」
「なに、お前がこうして俺を見張っておるさ」
「四朗さま・・・・!」
まともに取り合おうとしない元綱に、重蔵は厳しい視線を向けた。
「あの巫女にそれほどご執心であれば、いっそ館に住まわせては如何か。四朗さまにご正室はなく、側室を置いたとて不都合はござるまい。それとも、夜這いの趣向がお気に召されたか」
「つまらぬ厭味を言うな」
元綱は不快そうに吐き捨て、重蔵の横をすり抜けて歩き出した。重蔵は無言でそれを追う。
――失言だった。
重蔵は密かに後悔した。
元綱が、連日、女の元に通うようになったのには、それなりの理由がある。元綱の気持ちが、まったく解らぬ重蔵でもないのである。
元綱には、二年ほど前から縁談の話があった。吉川氏の妙齢の姫を元綱の妻にしようという話で、吉川氏の長老である『鬼吉川』――吉川経基翁から出た縁談であったという。それは婚約というより口約束のようなものであったらしいが、吉川氏が正式にその申し入れをする直前に、毛利家の当主であった先代・興元が病死してしまったために、話が棚上げの形になった。
吉川経基翁は、元綱の人柄を気に入って婿にと望んだらしいのだが、それも、元綱の兄である興元が健在であればこそであった。興元が死に、その遺児である幸松丸が毛利家を継ぎ、次男の元就がその後見役となった。大名同士の婚姻が政略である以上、吉川氏にすれば、部屋住みでなんの権力もない元綱より、毛利家中で実権を握り得る立場の元就に娘を縁づけたいと考えるようになるのは自然の流れであろう。
元就が初陣さえ済ませていなかったこともあり、吉川氏の側も最初は元就の人物・器量を計ることができず、婚姻そのものに慎重な態度だったようである。しかし、昨年の「有田の合戦」で、元就は武田元繁を討ち取り、一躍その武名を揚げた。このことを受け、吉川氏も肚を決めたのであろう。この春、正式に打診があり、吉川氏の姫と元就との婚約が調った。急な話だが、早くも再来月には祝言が執り行われるという。
口約束であったとはいえ、縁談を一方的に破談にすることになったわけで、半月ほど前、吉川氏の使者が相合の屋敷にやって来て、額を床にこすりつけて元綱に詫びた。元綱の近侍たちはこのあたりの前後の事情をよく知っており、彼らから話を聞いて、重蔵はようやく事態のややこしさを理解した。
――要するに、妻になるべき女を、兄に盗られたようなものか・・・・。
無論、当の元就には何の罪もなく、吉川氏の側にも罪らしい罪はない。あえて言えば、先代・興元の早すぎる死が招いた不都合であろう。
この件に関して、元綱は批判がましいことは一切口にせず、愚痴を聞いたこともないが、ちょうどその頃から、夜になると屋敷を抜け出すことが頻繁になった。
――気持ちの持ってゆき場がないのであろう。
別の女に溺れていれば、とりあえずその不快さを忘れていられる。そうして時が経つうちに、気持ちの整理もできてゆく。つまるところ、時間が解決してくれるであろうと重蔵は思っているのだが、それにしても、夜毎、供も連れずに人気のない場所に通い続けるというのは、危険に過ぎる。敵の目がどこに光っているかもしれず、元綱を亡きものにしようとする者がいたとすれば、これほどの好機はないのである。
元綱の家来を自任する重蔵は、この主人の奔放な夜歩きには困り果てていた。
二人が相合の屋敷に帰り着いた頃、東の空に陽が昇った。
元綱は、裏庭に回って井戸で水を汲み、それを頭からかぶった。二度、三度とその作業を続け、びしょ濡れになった小袖を脱ぎ捨てた。
褌一本の姿である。細身の身体だが、全身の筋肉が引き締まっている。
「重蔵、木太刀を――」
軒先に立てかけてあった木太刀を渡す。
元綱の望みを察し、重蔵も木太刀を取った。
「手を抜くなよ」
「は」
重蔵は、三間の距離を置いて主人と向かい合い、太刀を構えた。
仕掛けたのは元綱である。息を吐く音と共に、太刀が風を切った。
重蔵はその太刀をいなし、払い、あるいは受け流す。両者、気合いの声さえなく、木太刀の打ち合う音と鋭い吐息だけが応酬された。
元綱の斬撃は凄まじく鋭い。重蔵は素早く、そして細かく位置を換え、元綱の間合いをわずかにずらしつつ攻撃に転ずる隙を窺うが、若者の溢れんばかりの体力は、太刀を振り続けても少しも衰えない。
重蔵が見るところ、元綱の剣には天稟がある。それは高い身体能力と卓越した反射神経の賜物であり、また天性の勘の良さにも因るであろう。
元綱は、戦いのなかで相手の呼吸をずらし、自分の呼吸に巻き込むことが巧みで、駆け引きの感覚が抜群に鋭い。喧嘩上手と言い換えてもいい。普通、己の頸さを誇る者は術をおろそかにするものだが、この若者は術を体得するというところに喜びを見出す性質であるらしく、術理の研鑽にも余念がなかった。その理解の良さと呑み込みの速さは教えている重蔵が舌を巻くほどで、この半年の間に重蔵が持っている技のほとんどを身に付けてしまった。
ゆえに、重蔵の技が元綱に決まることはなく、その逆もあり得ない。両者が本当の意味での決着を望んでいないから、勝負をすると最近は常に長引いた。太刀行きは膂力に優れる元綱の方がわずかに速く、技では師である重蔵に一日の長がある。
やがて、疲れたのか――あるいは気が済んだのか――元綱の方が先に太刀を引いた。
「重蔵、また手加減したな」
「滅相もない。手加減なぞしていては、わしが怪我をします」
重蔵は全身汗だくである。
「わしが仮に一流をひらいておるとすれば、四朗さまはすでに免許の腕前でござるが――そのわしにしてからが、義経流兵法の蘊奥を極めたとは申せません」
「未だし道半ば――であろう。もうそれは何度も聞いたわ」
憑いていた悪いモノが落ちたように、元綱は清々しい顔をしている。
「例の――宍戸家俊か、まだ消息は知れぬか」
「は。どうも備前あたりで山篭りをしておるらしゅうござる。稀には甲立に戻って来ることもあるらしいのですが、なにしろ飛行自在の技を使うという怪人ですから、いつ現れるかも解らず、気付くとすでにおらぬようになっておるというようなことで――」
宍戸氏の甲立は、吉田からわずか一里半の隣郷である。吉田に腰を落ち着けて以来、重蔵は何度か宍戸元源に手紙を送り、宍戸家俊の消息を問い合わせてみたのだが、はっきりとした居所は未だに掴めていない。
「飛行自在なぁ・・・・」
元綱は苦笑した。
「天狗でもあるまいに、翼を持たぬ人が空を飛べる道理がなかろう」
「修験者、山伏といった連中は、みな驚くほどの健脚です。一晩に十五里(六十キロ)を歩く者も珍しくありません。街道を取らず、山越えで他国へと通ずる道もよう知っております。遠国にいるはずが突然に現れたり、かと思えば急にいなくなったり――神出鬼没し、人を驚かせるところから、そのような噂が立ったのでしょう」
「人の想いもよらぬ速さで動けば、空を飛んで来たようにしか思えぬ、ということか。なるほどな」
得心した、という風に元綱は笑い、重蔵を伴って母屋に向かった。
屋敷の中ではすでに人が立ち働く気配がし、炊煙も上がっている。朝餉の支度もじきにできるであろう。
――飯を食ったら、わしも水を浴びるとするか。
生あくびを噛み殺しながら、重蔵は思った。