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鷲爪伝  作者: 堀井俊貴
第二章 西の桶狭間
11/62

有田中井手の合戦(三)

 有田城の丘陵に、陽が落ちてゆく。

 茜色に染まった空を眩しげに眺めた重蔵は、

 ――この様子なら、明日も雨にはならんな。

 と安堵の息をついた。

 熊谷元直の軍勢に加わって中井手の防塁に篭り、早くも半月以上が過ぎた。赤と黄に彩られた山の木々は過半が枯れ落ち、晩秋だった風景は初冬の雰囲気に変わりつつある。安芸の北部は山岳地帯だけに冬が早く、例年十月の末には降雪があるという。今日はすでに十月二十日(新暦の十一月十三日)であり、昼間は兎も角、朝夕はめっきり冷え込むようになっている。野天で寝起きせねばならぬ重蔵にすれば、雨に濡れるのだけは勘弁してもらいたい。

 重蔵は、土塁の傍で仲間と共に見張りに立っていた。

 ふと背後の空に目をやると、

 ――おや?

 陣地の後方で上がっている炊煙の数が、普段よりかなり多いことに気が付いた。

 夕餉の支度と共に、腰兵糧の準備でもしているのではないか。だとすれば、今宵か明日にでも出陣するということではないのか――

 ――熊谷の殿さまは、いよいよ焦れたか。

 いつまで待っても動かぬ吉川・毛利両氏に、業を煮やしたという事はあり得るだろう。

 戦陣における重蔵の勘は、悪くない。その夜はあえて武装を解かず、寝藁ねわら代わりの枯れ葉に身を埋めて身体を休めた。

 案の定、夜半に出陣の命が下った。


「我らはこれより多治比たじいへ夜行し、猿掛さるかけ城を攻める」


 家来を集めて孫二郎がそう宣した。奇襲作戦が敵に漏れぬよう、直前までその事を秘していたらしい。

 猿掛城は毛利領の北西のかなめであるそうで、これを抜けば毛利氏の本拠である吉田の郡山城へ道が通ずるのだという。西から毛利氏を攻めるには是が非でも落としておかねばならない城であろう。

 熊谷勢の三百に、武田軍の山中、一条、板垣らの軍勢から三百を加え、総勢六百の兵がこの奇襲のために編成された。


「諜者の報告では、城を守る兵は二百にも満たぬというぞ。おまけに守将の多治比元就は合戦いくさをしたこともない孺子こぞうよ。一息に攻め落とせよう」


 奇襲は、本当に敵の不意を突くことができれば、五倍、十倍の大軍でも打ち破ることができる。猿掛城に二百以下しか守兵がいないという諜報が正確であれば、敵に気付かれず夜明け前に押し寄せることさえできれば、苦もなく陥落させられるであろう。

 奇襲を成功させるには、敵の物見や諜者に自陣の異変を悟らせてはならない。中井手に二百の兵を残すのもそのためである。さらにその移動を敵に気取られてはならない。この場合、何より移動経路が重要になる。

 中井手から多治比に行くには、可愛えの川に沿ってほぼ真東に二里半ほど進めばいい。が、この経路は前回多治比に討ち入った時に使った道であり、当然毛利方も厳重に監視しているであろう。孫次郎の話では、中井手からいったん北東へ進み、山中を大回りに迂回し、南下して多治比と吉田の間に出る道があるそうで、熊谷元直はその経路を選択したのだという。

 六百の熊谷軍は、闇の中を粛々と出陣し、壬生みぶの八幡神社の脇を通って迂路に入り、山中を北東に進んだ。現在の中国自動車道に沿って美土里みどり町に向かったと思えばいい。小津古山の山麓を回るように道を南に取り、県道六号線を南下すれば多治比であり、猿掛城の東に出られる。

 ただ、この経路の難しいところは、移動距離が四里を遥かに越える長さになってしまうことと、美土里が高橋氏の領地であることである。横田盆地を北から睨む大狩山に高橋氏の安芸における本拠である松尾城がある。熊谷軍が高橋氏の目を掻い潜るには、美土里の集落(当時は横田村と呼ばれていた)に入る手前で東の山に分け入り、小津古山の南を横断する形で一里ばかり山中を突っ切り、美土里と多治比を繋ぐ道――県道六号線――に出るしかない。

 隠密行動であるため、灯火はわずかしか使えない。二十日の月は雲に隠れ、山中は己の鼻先も見えぬほどの闇である。この辺りの地理に詳しい壬生みぶ氏の兵が道案内を務めてくれたが、足で道を探るようにして進むことに変わりはなく、ことに小津古山の山中を横切るのは困難を極めた。


「急げ。夜が明けてしまうぞ」


 熊谷元直はろくに休息を挟まず、行軍を急がせた。

 しかし、目指す猿掛山を見る前に、東の空が白んで来た。

 ――失敗だな。

 重蔵は嘆息するような気分でそう思った。夜が明けてしまっては奇襲にならない。移動にこれほど時間が掛かるとは思わなかったのであろう。夜半まで待たず、日が落ちてすぐに行動を始めるべきであった。

 が、熊谷軍の移動は毛利氏にも高橋氏にも察知されていない。毛利領の北方は高橋領であり、毛利方もまさか敵が北から来るとは思いもしなかった。つまり、熊谷元直は隠密行動にも敵の裏を掻く事にも成功したわけで、計画にやや周密さを欠いたものの、実行力に不足はなかったと言える。


「無様な事になってしもうたわ」


 苦笑した熊谷元直は、猿掛城を奇襲するという当初の戦略を変更し、多治比から半里ほど北の山中で足を止め、全軍に腰兵糧を使わせた。兵を休ませつつ腹ごしらえと戦闘準備をさせ、満を持して多治比に攻め込んだのである。

 両側が山という谷状の道を半里ほど進むと、やがて視界が開け、左右に冬枯れた田園が広がる。山に囲まれた狭い盆地で、ちらほらと農家がある。奥行きは四町ほどの広さしかなく、その先は山である。南東に向けて多治比川が流れ、その土手に沿って街道が通っており、吉田へと続いている。

 目指す猿掛城は、右手――ほんのニ、三町先の山塊に築かれているらしい。


「火を掛けよ」


 熊谷元直は、加勢にもらった三百の将兵にそのことを命じた。略奪は雑兵にとって格好の副収入である。兵たちは勇躍し、猿掛城の多治比元就に見せ付けるように近隣の百姓家を手当たり次第に焼いた。熊谷軍の出現をあえて知らせ、多治比勢を城から引きずり出そうというのであろう。野戦でこれを叩き、その崩れに付け入って城を攻め落とす肚に違いない。

 ――これは時間との勝負だな。

 孫次郎の馬の傍を歩きながら、重蔵は思った。

 熊谷軍が焼いた百姓家の煙は、敵の出現を毛利方に伝える狼煙のろしになる。毛利氏の本拠である吉田は南東にわずか一里ほどというから、この黒煙が見えぬわけがない。

 毛利氏の動員力は千を遥かに越える。これに対して熊谷軍は武田本軍からは切れた孤軍で、その人数はわずか六百に過ぎない。藪をつついて蛇を出すと言うが、危急を知った毛利本家の兵が大挙してやって来れば、熊谷軍は背後に敵を受け、総崩れになるであろう。

 無論、その程度の事は熊谷元直も承知している。

 元直は、吉田から来る兵を見張るために、真っ先に南東へ物見を走らせた。猿掛城を落とすことができればそれが最上だが、奇襲が失敗した時点でそのことには拘っていない。援軍の来着までに城を落とせぬと見れば、無理せずそのまま西へ退却するつもりである。毛利氏に対する挑発という意味ではそれで十分であろう。

 元直は城から少し距離を取り、四、五町ばかり離れた街道と冬枯れた田に軍を展開し、三百の熊谷家の兵を前後ニ陣に配した。

 ――多治比の孺子こぞうは、どうするか。

 というのが、元直の興味である。

 多治比元就という男は、これまでほとんど名も聞いたことがない。文弱で戦の仕方を知らぬという噂の通りなら、寡兵の多治比勢は守戦に徹して城から出戦しないかもしれない。動かぬようならこちらから攻めるしかない。

 西の山麓を凝視して待つうち、

 果然――

 城で陣貝かいが鳴り、太鼓の轟きと共に多治比勢が打って出た。街道と田の畦を使ってこちらに駆けて来る。その数、わずか三、四十騎ばかりである。雑兵を入れても二百に満たぬであろう。

 ――臆病ではないようだが、頭は悪いらしい。

 元直は薄くわらった。

 ――あんな小勢でどうするつもりか。

 城から出てくれれば、こちらの思う壺なのである。


「どれ、手並みを見てやろう」


 前陣に配した兵が矢をつがえ、一町ばかりまで多治比勢を引きつけるや、合図と共に一斉に矢を放った。

 が、多治比勢に矢戦に応じる気配はない。三十数人が矢を受け、そのうち十人ばかりが倒れたが、それを物ともせず、勢いをそのままに熊谷軍に突っ込んで来た。

 序盤はまず矢戦というのが常識であり、熊谷軍はやや意表を衝かれた。三矢まで放てた者は稀で、二矢を射た頃には多治比勢に肉薄され、早くも接戦となった。

 熊谷元直は後陣の中央で観戦を気取っている。


「おう、健気健気。若い者は威勢がよいわ」


 敵勢の中央付近で馬を操っている若い将が、多治比元就であろう。

 多治比の兵は将の気迫が乗り移ったように奮戦しているが、熊谷の兵は安芸随一と謳われるほどの頸兵けいへいである。勢いに押されてやや下がったものの、もちろん容易には崩れない。多治比勢の鋭気を柔軟に受け止め、次第に押し返し始めた。

 ――当然だ。

 という余裕が元直にはある。

 熊谷軍は前陣だけで多治比勢と変わらぬ人数がある。率いる先鋒大将は熊谷家屈指の侍大将である水落 源允げんのじょう 直綱であり、初陣の若造などに負けるわけがない。


「者ども、油断すな!」


 孫次郎は手勢を率いて前陣の右翼を受け持っていた。孫次郎の家来たちは、徹夜の行軍の疲れも見せず溌剌と働いた。

 当然、重蔵も孫次郎の馬の傍で戦っている。孫次郎に殺到しようとした雑兵を二人ばかり斬り、一人を刺し殺した。が、手柄に興味はない。たまたま傍に剣術を教えた若者が居たので、首級はくれてやった。

 戦場における重蔵の視界は狭くない。

 ――あれが敵の大将か。

 一町ばかり左手の方で、敵の若い大将が馬上で声を嗄らして何か叫んでいる。戦場の喧騒に掻き消されてよく聞こえないが、必死に味方を鼓舞しているらしい。その鎧にはすでに何筋かの矢が突き刺さっていた。

 ――敵の背後に後詰めがある。

 という事にも気が付いた。戦場の後方に五十人ばかりの一隊が控えている。

 多治比勢は三隊で構成されているらしい。大将らしき若武者が一隊を率い、もう一隊がそれと競って働き、ニ本の槍のように熊谷軍をえぐっている。後方の遊軍は退路を守りつつ不測の事態に備えているのだろう。

 ――初陣にしては、堂に入った采配だ。

 重蔵は感心したが、敵将を褒めるようなゆとりがあるのは、要するに熊谷軍が圧倒的な優位に立っているからである。

 どう見ても、兵の質、量ともに熊谷勢が優っている。多治比勢は二度、三度と引いては突撃を繰り返したが、熊谷勢はそのたびに敵を楽々と押し返した。

 多治比勢が出戦して熊谷勢と戦い始めたのを知って、放火や略奪に駆け回っていた味方の三百人が戦場に集まり始めている。もうしばらくすれば、小勢の敵を包囲する形勢になるであろう。

 ――勝ったな。

 どれほど多治比勢が頑張っても、これでは熊谷方は負けようがない。

 半刻ほども戦っただろうか。


「退け! 城まで退け――!」


 という敵将の叫びがかすかに聞こえた。

 包囲されることを怖れたのであろう。

 多治比勢の前衛がにわかに崩れた。


「追え!」


 叫んだ熊谷元直は、攻め太鼓を乱打させ、後陣の兵をも解き放った。

 多治比勢の先陣の退却を、後方の遊軍が矢で援護した。熊谷軍の兵たちは、飛矢を受けながらも敵を追って猟犬のように駆ける。

 ――城に繰り込むつもりだな。

 孫次郎の馬脇を全力で走りながら重蔵は思った。

 城攻めにそういう法がある。敵の退却を追い討つ形で、城門が開いた城の中に飛び込むのである。後続が雪崩れ込むまで城門を確保できれば、城の外郭を一気に落とせる。

 孫次郎の隊は、枯れ田を一直線に走った。

 城山まであと一町というあたりまで迫った時、畦を蹴って飛んだ重蔵は、着地した拍子にずぶりと足を取られ、無様に転倒した。

 ――な!?

 泥の中に足が膝まで埋まってしまっている。

 城の付近の田だけが、深い泥田になっていたのだ。


「罠だ! 下がれ!」


 孫次郎が叫んだ。馬上から泥田に投げ出されてしまったために、顔も鎧も泥まみれである。

 左右を見回せば、騎馬の武者も徒歩かちの雑兵も、数十人が足を取られ、あるいは転倒し、周章狼狽している。多治比勢が退却に使った一筋の狭い道の周囲は、すべて泥田であるらしい。

 当然のように、無数の矢が雨のように降って来た。城門付近に布陣し直した多治比勢が、身動きの取れなくなった熊谷軍の兵に一斉に矢を放ち始めたのである。

 無理に泥田を突っ切ろうとした者は、城山に辿り着く前に次々と矢を受け、運の悪い者はそのまま絶命した。進むにしろ退くにしろ、まともに動けないのだからどうしようもない。

 重蔵の左右の泥にも矢が何本も突き立った。重蔵はほうほうのていでなんとか泥から足を抜き、一歩、二歩と進んで畦に這い上がり、ようやく行動の自由を得た。

 孫次郎とその家来の武者たちは、泥田で立ち往生してしまった馬を何とか救おうと骨を折っていたが、馬は的が大きいから格好の標的になる。飛矢が集中し、十頭いた馬のうち五頭が射殺された。足を折るなどして使い物にならなくなった馬もあり、結局残ったのはわずか三頭である。

 ――これが狙いだったのか・・・・。

 考えるまでもなく、泥田は通れない。しかし、城へと続く道は騎馬が二頭並ぶほどの幅しかなく、あとは田の畦を進むほかないが、こちらは人が一人通るのがやっとである。軍勢が展開できない以上、兵の数の差は問題にならないであろう。足場がしっかりとした高地から援護の矢を射ることができる分だけ多治比勢が有利である。

 状況を理解した熊谷軍の将たちは、兵を退き下げ、泥田を挟んで矢戦を始めた。しかし、あらかじめ並べてあった矢楯の隙間から矢を射る多治比勢に対し、熊谷軍の兵には身を隠す場所がない。当然、命中精度は多治比勢が圧倒的に高くなる。

 ――やられたな。

 敵の作戦勝ちと言わねばならぬであろう。

 熊谷方とすれば、矢楯で兵を守りつつ、わら束などを泥田に入れ、その上に戸板のような物を敷いて、攻め込むための道を作るしかない。それ自体は珍しいことでも難しいことでもなく、こういう場合の常套手段なのだが、今日の合戦はそもそも時間との勝負である。ぐずぐずしていれば、吉田の毛利本家から兵が駆けつけるであろう。

 つまり、急襲で一気に城を抜けぬという時点で、熊谷方に勝ちはない。


「多治比の孺子こぞうめ、合戦いくさの仕方を知っておったかよ」


 遠矢を射ながら孫次郎が憎々しげに吐き捨てた。その鎧にはすでに三筋の矢が突き立っている。

 矢を射る手を止め、重蔵は敵陣を遠望した。

 たまたまそういう角度に重蔵が居たのであろう、敵勢の中央あたり――矢楯の隙間に将らしい人影が見えた。赤、白、紫の糸で縅した腹巻きをつけ、三鍬形みつくわがたの前立てが陽光を反射してキラキラと輝いている。


「多治比 少輔次郎 元就と言ったか・・・・」


 重蔵はあらためて矢をつがえ、弓を引き絞ってゆっくりと敵将に狙いを定めた。自分を精兵(弓の名手)とは思わぬが、矢が届かぬ距離ではなく、十本射ればニ、三本はてる自信がある。


「動くなよ・・・・」


 ひょう――と、風を切る音が鳴った。

 顔を狙った矢は、狙いをわずかに逸れて兜のしころに中たり、余所よそへ弾け飛んだ。

 狙撃に驚いた左右の近侍が慌てて主人を庇い、その身を矢楯の陰に隠す。


「ちっ」

 

 ――武運もある、か・・・・。

 すでに敵将は見えない。重蔵は諦めて弓を下ろした。

 あの若い武将は、熊谷軍が攻め寄せて来ることを想定して、あらかじめ備えていたのであろう。それにしても、小勢であえて城を出て戦い、敗走して熊谷軍を泥田に誘い込むあたり、初陣とはとても思えぬ老獪ろうかいさがある。

 熊谷軍はニ百人近くが矢傷を受け、三十頭以上の馬を失っている。戦前には予想もしなかった大損害であろう。

 ――やるではないか。

 と、重蔵は敬意を込めて思った。

 先鋒大将の水落直綱が、精強な兵を率いて細道を攻め込んでいる。兵の個々の武勇は熊谷の兵が圧倒しているが、毛利方の援護の矢に手を焼いてなかなか前に進めない。武門の意地で戦い続けているのであろう。すでに無理攻めでどうこうなるような状況でない事は水落も解っているはずだ。

 後方からこの戦況を眺めていた熊谷元直は、


「もうよい。引き上げるぞ。退き鐘を鳴らせ」


 と不機嫌そうに命じた。

 毛利本家の兵が出陣し、多治比に向かっているという報告が入ったのである。

 熊谷軍は猿掛山から少し離れて兵をまとめ、城の前を素通りして西に向けて退却した。

 余力がなかったのか、多治比勢は城から動かず、追撃を掛けては来なかった。

 結果だけを見れば、痛み分けということになるであろう。多治比の兵を五十人以上討ち取ったが、熊谷軍の死者も七十人に上った。熊谷方の死傷者は、刀槍の怪我ではなく、そのほとんどが矢傷である。

 孫次郎の家来も四人が矢で死に、十数人が矢傷を負った。



「ふぅ――」


 西へ去る熊谷軍を見送りながら、元就は深いため息をついた。

 ――どうにか生き長らえた。

 その実感が強い。

 多治比勢はおよそ三割が討たれ、手負いも多く、戦えるのはすでに九十人に満たない。あと半日攻められ続けたら、支えきれなかったかもしれない。

 元就はへたり込みたいほど疲れていたが、それを表情に出さず、


「勝ち鬨をあげよ」


 と左右に命じた。

 兵たちが叫ぶ鬨の声が山野にこだました。

 怪我人の手当てや死んだ者の埋葬など、事後処理を命じた元就は、継母のお杉に戦勝を報告するために城山を登った。お杉は出丸の物見櫓から合戦の様子を見ていたに違いないが、無事な姿を見せて安心させてやりたかった。

 坂を登るたび、膝がガクガクと揺れた。人心地ついて怖ろしさがぶり返したのかもしれない。

 ――私は勇者ではないな。

 とつくづく思った。

 本丸の殿舎の玄関では、お杉と家付きの女房たちが三つ指をついて出迎えてくれた。


「生きて帰りました」


 元就が言うと、


悦叟院えそういんさま(父・弘元)と秀岳院しゅうがくいんさま(兄・興元)がお護りくだされたのです。勝ち戦、おめでとうござりました」


 涙ぐんだお杉は深く頭を下げた。

 仮に篭城戦になっていたとすれば、男だけではなく女も戦いに加わることになったであろう。飯を作ったり、負傷者の手当てをしたり、矢櫃を運んだり――稀に矢石しせきを放ったり薙刀を振るって戦うような剛の者もいるが――女性の活躍の場はいくらでもある。戦国を生きる女たちはそのことを自覚しているから、合戦の推移を固唾を飲むように見守っていた。敵を撃退したことを知った女たちは狂喜し、元就の智勇を黄色い声で誉めそやした。

 ほどなく、毛利本家の将兵が続々と多治比にやって来た。

 真っ先に猿掛城の城山を登ったのは、元就の弟の相合あいおう元綱である。本家の雑兵の参集を待つことさえなく、手回りの近侍だけを率いて駆けつけてくれたらしい。

 元就の顔を見るなり、


「勇んで出て来たが、間に合わなかった。美味しいところを貰うつもりであったのだがな」


 元綱は冗談めかして笑った。


「よう駆けつけてくれた」


 元就は弟の手を取り、慇懃いんぎんに謝した。

 熊谷軍が兵を退いたのは、毛利本家の兵が出陣したと知ったからに違いなく、その「毛利本家の兵」とは、さしあたって真っ先に馬を出した元綱の一隊であったろう。そのはやさに救われたと言えぬでもない。


「それにしても、多治比の一手であの民部少輔みんぶのしょうに勝つとは、大したものだ」


 百五十そこそこの多治比勢が、六百もの熊谷の兵を野戦で撃退できたとは元綱には思えない。当然、兄が何かしら策を弄したのだろうと踏んでいたが、猿掛山の山麓まで来てみて、その謎はすぐに解けた。数十本の矢を浴び、針鼠のようになった武者や馬のむくろが、泥田のあちこちに無数に転がっていたからである。

 城の周囲は枯れ田に水が引かれて泥田になっており、それまでなかった「縄手なわて」が作られていた。縄手というのはまっすぐな細道を言い、軍勢を展開できないから少人数で多数を相手に戦うことができる。敵を泥田へと誘導し、矢戦で撃退したのであろう。

 しかし、敵将・熊谷元直は百戦錬磨の武将であり、その率いる軍兵たちが練達の頸兵であることを思えば、この単純な計略に引っかかったという事実が重要であった。よほど巧妙に敵を誘い込んだと見るべきで、初陣の兄がそれをやってのけた事に元綱は感心したのである。


「近々寄せて来るというお前のご宣託のお陰だよ」


 そう応えた元就には、不思議なほど喜びや興奮がない。


「いったいどんな魔法を使ったのだ?」


 元就は自分の口で自分の功を誇るほど厚顔ではないので、近侍に合戦のあらましを語らせた。

 近侍は興奮冷めやらぬといった顔である。


「つまり、殿はわざと敗走して見せ、敵を泥田に誘い込んだのです。身動きのできぬ敵にさんざんに矢を射掛けると、熊谷の兵はたまらず引き退き、すごすごと逃げ帰って行きました」


 ――兄者自らがおとりになったのか。

 熊谷軍の将兵は、初陣の元就が野戦に応じたのを見て、敵の大将の首を取り、一気に猿掛城を抜く好機であると、逸りに逸ったのに違いない。熊谷軍の粗忽さをわらうより、敵をそういう心理にさせた兄を褒めるべきであろう。

 ――やるものだ。

 兄を見る目に武人に対する敬意が篭った。


「敵が引いたのは本家の兵の来着を怖れたからだ。別に我らが勝ったというわけではない。こちらも筒先一杯だった。たまたま運が良かっただけだ」


 元就が切り上げ口調で言った。


「武将はその運が大事なのだ。兄者には武運があるということさ」


 兄の初陣の勝利を、元綱はそういう言葉で寿ことほいだ。

 元綱から四半刻ほど遅れて、福原、桂、坂、志道しじ、井上、赤川、渡辺ら、老臣たちが続々と城山を登って来た。やがて城には約三百騎――総勢千五百ほどの兵が集まった。

 初陣の元就が、わずか百五六十の兵で四倍の熊谷軍を撃退したという事実は、家中の誰にとっても意外な事件であり、重臣たちをも驚かせた。武断派の井上党の老臣たちなどは、元就に向ける目を明らかに変えている。

 しかし、執権の志道広良だけは渋い顔で、勝敗よりも元就の出戦とその戦いぶりを難詰した。


「さても危うい戦をなさったものじゃ。出戦なぞせず、本家の兵が来るまで城にて防ぐが穏当でござったろう。まして、聞くところによれば、多治比殿自らが先頭に立って戦われたという。大将のなされようではない。流れ矢で命を落とすこともあるのですぞ。たまたま勝ったから良かったようなものの――」


「後方におっても、流れ矢に当たる時は当たる。芝居しばい(戦場)での生死はいずれ紙一重よ。多治比殿の天運次第であろう」


 井上一族の総領である井上元兼が豪放に言ってのけた。


「それよりも、佯敗ようはい(敗れた振り)をして敵を泥田に誘い入れたと聞きましたぞ。初陣にして見事な戦ぶりではござらぬか」


 武将たちの中ではそういう声が圧倒的に高い。毛利家中における元就の武勇の評価は、この合戦で一時にがったと言っていい。

 元就は、あらためて本家の老臣たちを広間に集め、


「皆々、早々に駆けつけてくれたこと、礼を申す」


 とまず慇懃に頭を下げた。


「今日の合戦は、私にとって不本意なものだった。敵が多治比に近付きつつあることを知り得ず、利を失い、不意打ちを許してしもうたは私の失態であり、まことに無念に思う」


 初陣で見事な采配を見せた元就が、さほど喜んでもいない様子なので、諸将は一様に不審な顔をした。

 元就はさらに口を開いた。


「思うに、敵は、昨夜来の徹夜の行軍と今日の戦いに疲れ、今宵は泥のように眠ることになろう。この機に敵の不意を衝き、中井手の熊谷勢を朝駆けにて突き崩し、その勢いをもって武田と雌雄を決しようと思う」


 静かな語り口であったが、そのことがかえって元就の決意の深さを感じさせた。


「いやいや、お待ちくだされ。とてもとても――我ら一手で決戦なぞは思いもよらず」


 と反対したのは志道広良である。


「我らは千五百、対する武田は六千でござる。これとまともに懸合かけあいの合戦をなされては、お味方の苦戦は必至でござる。中井手の熊谷を攻めるというのは兎も角、武田の本軍と戦うと申されるなら、吉川、高橋に援軍を求め、力を合わせて一戦に及ぶべきと存ずる」


「『小国の大国と事に従ふや、利あらばすなわち大国そのさいわいを受く』という事を知らぬか」


 元就はぴしゃりと言った。

 『史記』にある言葉で、「小国が大国と共に事を行えば、成功した時の利益は大国が受ける」という意味である。逆に失敗した時の害は小国だけが蒙ることになるわけで、小国は大国と事を共にしてはらないと、唐土もろこしの賢人は教えている。


「高橋が大なる事は申すに及ばず、吉川も我らより大身。また『鬼吉川』と怖れられるその武勇は安芸随一とも評される。対して、この元就は若輩にして小身、武名も未だ聞こえておらぬ。他家の力をたのんで戦えば、たとえ我らが粉骨砕身して勝利を得たとしても、それは吉川、高橋の手柄となり、毛利はただ彼らに従って戦っただけであると世間は思い、諸人に噂されるであろう。そうなっては無念である。他家の力は恃まぬ」


 広良は慌てた。


「いやいや、申される事はいかにも道理でござるが、わずか千五百ばかりの兵ではご勝利はおぼつきませぬ。勝ってこその合戦いくさでござるぞ。吉川、高橋の兵を加えねば――」


「合戦は人数でするものではあるまい」


 声を上げたのは元綱である。


「将に戦意がない時、兵は必ずすぐに崩れる。そんな兵ならむしろおらぬ方がよい。そもそも高橋を当てにしようというのは間違っている。軍が出払った郡山城を守ってくれると思えば、それだけでも十分ではないか」


 高橋久光を毛嫌いしていることを差し引いても、元綱の言葉は道理である。


「吉川にも援軍なぞ頼む必要はない。ただ『毛利は中井手に朝駆けを掛ける』とだけ報せてやればよい」


 武田軍が攻めている有田城はそもそも吉川氏の城なのである。中井手の武田軍に毛利が奇襲を掛けるということを知れば、吉川氏は「毛利に遅れては恥」とばかりに兵を出すに決まっている。わざわざ下手に出て援軍をお願いする必要がどこにある、と元綱は言ったわけである。

 諸将はなるほどと頷いた。


「でもござろうが・・・・」


 広良はまだ踏ん切りがつかない。毛利家の執権職を預かるこの男にすれば、博打ばくちのような戦いを挑むよりも、毛利の安全を期した戦い方をしたい。退嬰的な思考だが、それは広良の責任感の表れでもあり、この男の立場からすれば当然でもあったろう。


「あくまで気が進まぬという者は、芝居に立つ必要はない。執権殿は郡山城の留守をなされよ」


 突き放すように元就が言った。

 この一言が、諸将の反対意見を封殺した。

 すでに戦闘が行われた猿掛城は濃厚に戦陣の雰囲気が残っており、鎧をつけた軍議と平服を着た評定とでは、おのずと諸将の気の入り方が違う。彼らは戦うために出陣して来たわけで、ここで合戦から外されるのは武門の恥である。


「多治比殿がそこまでのお覚悟であれば――」


 ということで、皆が出戦に同意し、元就を総大将に戴くことを決めた。

 それから夕刻まで戦略についての議論が重ねられ、その間、兵には休息が与えられた。

 元就は日暮れに食事を取って浅く仮眠し、深夜に全軍を出陣させた。



 明ければ、永正十四年(1517)十月二十二日である。

 中国地方の戦国史において、まさに運命の一日と言っていい。




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