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鷲爪伝  作者: 堀井俊貴
第二章 西の桶狭間
10/62

有田中井手の合戦(ニ)

 白む空と薄藍色の稜線の端境はざかいで、寸刻ごとに茜の色が強くなってゆく。

 模糊もことしていた世界の輪郭が、徐々に明瞭になり始める。

 やや強い風が猿掛さるかけ山の木々を揺らし、空気は間断なくざわめき続けている。山裾から吹き上がって来るその風は凍るように冷たく、吐く息は白くたなびいた。

 やがて東の山の稜線に一条の光が差し、墨色の濃淡で描かれていた世界に無限の色彩を与えた。天に浮かぶ雲が、地に鎮まる山々が、猿掛山の麓をかすめて流れる多治比たじい川が、命を吹き込まれたように輝き始める。稜線に生まれた燃えるような光は、無限の生命力を誇示するかのようにみるみるそのまばゆさを増し、見詰めるうちに直視できぬほどの光輝に変わった。

 多治比たじい元就もとなりは目を細め、その偉大な自然の営みに向けて合掌した。

 ――万物は、日輪によって生かされている。

 草木も獣ももちろん人も、その「生」は日輪の恵みによって支えられている。生きとし生けるもの総てにあまねく与えられるそれは、まるで神仏の慈悲のようではないか。

 ――有り難い。

 心からそう思った。


「南無阿弥陀仏――」


 元就は念仏を声に出して十度唱えた。

 日輪の恵み――神仏の慈悲に感謝し、ご来光に向かって手を合わせて念仏を唱えるのが、この信心深い男の日課なのである。

 敬虔な祈りを終え、元就が振り向くと、


「おぉ寒い。今朝はまた一段と冷えまするなぁ」


 三歩後ろでやはり手を合わせて念仏を唱えていた女が、その手を擦り合わせながら言った。

 育ての母――すぎである。元就の父・弘元ひろもとの側室だったひとで、父が病死し、十歳で孤児となった元就を女手ひとつで育ててくれた。家中の者からは「お杉の方」などと呼ばれている。


「一昨日あたりから急に寒さが増したように思えます。この調子なら、そろそろ初雪が落ちるかもしれませんな」


「雪が落ちるようになれば、武田のお屋形も兵をお引きになりましょうか」


 元就はその問いには応えず、


「お風邪を召してもいけません。味噌汁で身体を温めるとしましょう」


 城頭から身を離し、本丸屋敷の濡れ縁で履物を脱いだ。

 元就の母は元就が五つの時にやはり病で死んだ。お杉はもともと母の侍女であったが、母の死後、父の事実上の継室になった。すでに三十路も半ばのはずだが、顔の作りが若く、子を産んでないためか肌にも張りがあり、どう見ても二十代の美貌を保っている。


「今日も吉田へ行かれますのか?」


 暗い廊下を渡りながらお杉が訊ねた。


「朝餉を済ませたら、行きます。行かねばなりませんからな」


 このところ、吉田の郡山城では連日のように軍議が行われている。有田城を囲んだ武田軍に対し、毛利家はどうすべきか、という事を延々と話し合っているのだ。

 昨年、兄の興元おきもとが病で死に、三歳の遺児・幸松丸がその跡を継いだ。興元の実弟であり、幸松丸の叔父に当たる元就は、幼主の後見役という大任を担わされており、おかげでこの猿掛城を留守にすることが多い。


「殿さまのお留守に、また武田の兵が多治比に寄せて来るような事はありませぬか」


 お杉はやや不安そうだ。

 武田方の熊谷元直の軍勢が多治比に攻め入るという一大事が、一昨日に起こったばかりなのである。

 熊谷軍は二十軒ばかりの百姓家を焼き、ほしいままに略奪を行った。軍議のために郡山城に居た元就は、その報告を聞き、多治比へ飛んで帰ったのだが、敵を邀撃ようげきすることが叶わなかった。領民を守るという領主の責務を果たすことができず、切歯扼腕せっしやくわんするしかなかったのである。

 ――あのような想いは、二度としたくはない。

 しかし、それでも当主の後見役たる自分が軍議に欠けるわけにはいかない。


「防備については、私が不在の時にも動けるように家来たちによく言い聞かせておきました。物見も配ってありますし、ご安心くだされ」


 それよりも、すでに十度近くも行っている軍議が一向にまとまらぬということが、元就を憂鬱にさせている。

 ――本家が腰を上げてくれねば、とても武田とは戦えぬ。

 元就の多治比勢は、雑兵まで含めてもせいぜい百五十ばかりである。五千とも六千ともいう武田の大軍に立ち向かうには、毛利・吉川・高橋の軍勢をこぞる以外になく、まずは毛利本家を決戦論に導かねばどうにもならないのだが、本家の老臣たちは口々に自重論を唱え、武田軍が毛利領に攻め込んで来るまでは静観すべし、と言って譲らない。

 山県郡は吉川領であり、武田軍が囲んでいる有田城は吉川氏の城であり、毛利が攻められているというわけではない。雪の時期になれば戦はできぬから、有田城さえ落とせば武田元繁も満足して兵を引くという可能性は決して低くはなく、老臣たちの言にも十分に理はあるだろう。

 その事は認めながらも、元就は出戦を主張し続けている。


「ここで打って出ねば、毛利は腰が抜けたと世間は思うであろう。ひとたび信用を失えば、兄上が築き上げた毛利の武威はすたれ、国人一揆の盟約さえ有名無実になりかねぬ。今は、勝敗を天に預け、戦うべきときではないのか。武田の大軍を相手に、勝てぬまでも互角以上に戦えば、兄上亡き後の毛利の武威とその軒昂けんこうたる意気を、天下に知らしめることができよう」


 本家の老臣たちは、そんな元就の決戦論を、若さゆえの血気と見てほとんど相手にしていない。元就は初陣さえ済ませていない男であり、合戦いくさの何が解るか、と侮られてもいる。

 が、決戦を唱える元就自身は、血気に逸るどころかそもそも戦なぞしたくはない。

 初陣で、圧倒的な武田の大軍を相手に絶望的な戦いを挑まねばならぬと考えるだけで気が重い。代われるものなら誰かに代わってもらいたいとさえ思う。何と言っても元就は書物と伝聞でしか合戦を知らぬ男であり、実際に戦場に出たことすらないのである。思い詰めるあまり近頃はすっかり食が細くなり、夜中に何度も目を醒ましてしまうほどの重圧を感じている。

 ――父上も兄上も、この気重きおもを紛らわすために、あれほど酒を飲んでいたのであろうか。

 そんな元就が、それでも打って出て戦わねばならぬと思い定めているのは、突然の兄の死から始まった毛利家の苦難が、天が己に与えた試練であるように感じているからである。

 ――それが天与のものならば、禍福を問わず全霊でけねばならぬ。

 天の与うるに取らざれば、かえってそのとがを受く、と言うではないか。もし甘受することから逃げれば、必ず天から見放され、地の愛顧を失い、人からはさげすまれることになろう。

 が、こういう抽象論で重臣たちを説得することはできない。負ける戦はせぬものと兵書にもあり、合戦は勝敗がすべてなのである。勝てるという見込みがなければ戦は仕掛けてはならず、見込みということで言えば千五百の兵力がやっとという毛利が五千とも六千とも言う武田軍に勝てるわけがない。それが常識というものであり、老臣たちも当然そう考えている。

 執権の志道しじ広良、長老の福原広俊などが自重派の急先鋒である。


「我らが動かねば、有田城を落としたところで武田は兵を引きましょう。たとえ武田が吉田を侵そうとしても、雪が落ちれば兵を引かざるを得ますまい。しかし、もし有田で決戦するとなれば、敵は我らの三倍以上の大軍、お味方の苦戦は火を見るより明らかでござる。勝ち目がないとまでは申しませぬが、それも天運次第。運が武田に傾けば、我らは滅亡の憂き目に遭わぬとも限りませぬ。わざわざそこまでの危険を冒す必要がござろうか。ここはご自重あってしかるべきと存ずる」


 志道広良は早くに父を亡くした元就にとって父親代わりの存在であり、福原広俊に至っては母方の祖父である。この二人が強硬に反対する状況では、他の重臣は誰に遠慮する必要もなく、頑として出戦に頷かない。

 元就は普段は評定でめったに発言せぬ男だが、それでも今度の軍議ばかりは多弁になって懸命に説いた。


「有田が吉川のものであればこそ、毛利が動けば吉川は動かざるを得ぬ。毛利が武田に挑んだと知れば、高橋も義理でもいくらかの援兵は出してくれるであろう。有田城にも四百ほどの兵があると聞く。これらをすべて合わせれば三千ほどにはなろう。ましてこの三千は、一所懸命の地を侵され、故郷を守るために決死で働く三千である。対して武田の五千は、味方の大軍に驕り、毛利なぞ怖るるに足らずと油断し、しかも長い城攻めに疲れてもいよう。決して勝ち目のない合戦いくさとまでは言えまい」


 つまり、毛利が兵を出しさえすれば、結果的に毛利・吉川・高橋の同盟軍を有田に集めることになる。その上で武田軍と雌雄を決するべき、というのが元就の意見なのだが、これに積極的に賛同してくれる者は、弟の相合あいおう元綱を除けば一人もいない。

 年若く、合戦経験も持たない元就には、老臣たちの反対を強引にねじ伏せるだけの説得力も政治力もない。しかし、一方で元就は幼主・幸松丸の後見役という立場にあり、いわば毛利家で最高の意思決定権を握ってもいる。結果として元就と老臣たちの議論は常に平行線で歩み寄りを見せず、衆議がまとまる気配はない。

 ――老臣おとなどもは、高橋の隠居殿の意向に縛られている。

 朝餉の間、元就はその事を考え続けていた。

 高橋氏の隠居――大九朗 久光は、幼主・幸松丸の祖父に当たる人物で、娘婿である兄が死ぬや、幸松丸の後見役を自ら買って出て、以来、毛利家中に強い影響力を持つようになった。隠居という身軽さも手伝ってか、この男は孫の顔を見るためと称して月にニ、三回は必ず吉田にやって来て、そのたびに三、四日は郡山城に滞在してゆくから、合わせれば毎月十日ほども郡山城に居て、毛利家の軍議にも三度に一度は顔を出してくる。毛利家は久光に首根っこを掴まれたような格好になっているのだが、高橋氏は毛利の三倍以上の兵力を持つ大豪族であり、弱小の毛利とすれば常にその兵力を当てにせざるを得ないから、誰もが久光を怒らせる事を恐れ、腫れ物を扱うように接している。

 その久光が、


「有田を救うために吉川が兵を出すと言うなら解る。が、なぜ我らが率先して兵を動かさねばならぬ」


 などと言い、毛利の出兵を強く抑えつけている。吉川を援けるために高橋が兵を損ずるのは真っ平、ということらしい。

 元就の父・弘元の時代、その画策で毛利・吉川・高橋は婚姻による三国同盟を結んだ。さらに兄・興元の時に他の六家の豪族と共に国人一揆の盟約を交わし、進退を共にしようと誓ったのだが、もともと高橋と吉川は領地を奪い合っていた敵同士であり、仲は決して良くない。高橋と吉川の間でにかわのような役割を果たしていた兄が死んで以来、高橋久光は毛利の家政に強く介入し、逆に吉川氏は疎外しようとしている節がある。

 ――ゆくゆくは毛利をなし崩しに併呑へいどんし、吉川領を攻め取り、安芸と石見で大勢力を築く肚であろう。

 そんな事は子供でも忖度そんたくできる。

 当然、高橋久光の思惑を悟った吉川氏の方も高橋氏を警戒し、兄の代には堅固だった毛利・吉川の紐帯ちゅうたいにまで悪い影響が出始めている。

 ――毛利はすでに高橋の犬に成り下がったか。

 と思えば、吉川氏が毛利を信頼できるはずがないであろう。

 ――毛利・吉川・高橋の同盟を、兄の時代のように戻したい。

 と元就は考えているのだが、当主が三歳の嬰児、その後見役の一人が高橋久光では、毛利家はどうしても軽く見られてしまう。死んだ兄のような出来物できぶつが家中を束ね、「毛利と吉川が組めば高橋にも対抗できるぞ」と言えるほどの武威を示さなければ、三者の均衡きんこうを保つことはできぬであろう。

 幼主の後見役たる自分が、高橋久光から舐められているからこういう事態になっている、とも元就は思う。

 ――要は、私の器量の問題か。

 自分に兄ほどの器量があるかどうか――それは元就にも判らない。しかし、世間の人々に「興元は死んだが、元就がある限り毛利は侮れぬ」と思わせるよう実績を積み上げてゆくしかないであろう。そして、天下に向かって元就の器量を示すには、武田の大軍はこれ以上ない相手と言うべきである。

 ――これは、天与の機会なのだ。

 武田軍の侵攻という禍を、何とか福へと変えねばならない。禍福があざなえる縄のようなものなら、福は常に禍の種をはらんでいるのだろうし、禍は必ず福の萌芽ほうがを秘めているはずだ。禍をもって福へと転ずるのが人の知恵というものであろう。

 ――この合戦いくさは避けてはならぬ。

 理屈を越えたところで、元就はそう感じていると言っていい。




 朝餉を済ませた元就は、わずかな近侍のみを連れて猿掛城を発った。

 多治比川に沿って東に一里半ほど進めば吉田である。馬なら速足でも四半刻ほどあれば着く。

 郡山城は、吉田盆地を北から見下ろす郡山の南尾根に築かれている。

 大手口を守る衛兵に馬を預け、城山を登った元就は、まず奥に渡って幼主・幸松丸とその母に挨拶し、軍議の席についた。

 やがて、朝の二番太鼓が鳴る。それに前後して、三々五々、重臣たちが出仕し始める。


「多治比は遠いが、兄者はいつも誰よりも早いな」


 弟の元綱が生あくびをしながら広間に入って来た。


「人は日の出の前に起き、ご来光に手を合わせるのがい。お前は毎夜深酒が過ぎるから朝が弱いのじゃないか」


「朝っぱらから痛いところを突かれた」


 元綱は苦笑した。


「父上も兄上も、酒の害でお命を縮められた。ほどほどにしておけよ」


 弟は返事の代わりに片手を上げ、一門筆頭の席に座った。

 幼主の後見役である元就は、執権・志道しじ広良と共に上座の席についている。席次は臣下の序列を表すものだから厳格に定められており、福原父子、坂、桂、渡辺、井上党の五人、赤川、粟屋、国司、飯田、中村といった老臣たちもそれぞれの席についた。

 最後に広間に入って来たのが、高橋氏の隠居――大九朗 久光である。


「おぉ、皆の衆はすでにお揃いか。お待たせをしてしもうたか」


 大名家にとって最高機密と言うべき軍議の席に他家の人間を入れる事が愉快なはずはなく、弟の元綱をはじめ重臣の何人かは露骨に苦々しい顔をした。が、この五十男は気にした様子もなく、上座下手の隅近くにのそりと座った。


「執権殿よ、多治比に熊谷の兵が焼き働きに来たそうじゃな」


「左様。本日の評定もそのことでござる」


 志道広良が表情を変えずに答えた。


「我らが動かぬので、焦れた刑部少輔ぎょうぶのしょう(武田元繁)がちょっかいを掛けて来たというだけであろう。我らを挑発し、有田へおびき出そうという肚じゃ。そんなものは放っておけば済む話ではないのかな」


「ご説はごもっともでござるが――領地を焼かれ、領民を殺された多治比殿にすれば、放っておけで済ませられる話ではありますまい」


 広良は語尾を濁した。

 この男自身は自重論なのだが、他家の人間に「放っておけ」と言われれば、素直にその言葉に従うという気にもなれなかったのであろう。


「多治比殿は、まだ有田へ兵を出せと申されておるのか」


 久光の瞳にわずかに浮かぶ侮蔑の色を元就は見逃さなかった。


「多治比殿はまだまだお若い。血気に逸るのも無理はないが、それを諌めるのが老臣の役目というものでござろう」


 ことさら元就を子供扱いし、評定を老臣たちに主導させようとするのが、この初老の男の常である。


「兄者は合戦いくさたしなむような男ではなく、またいたずらに血気に逸るような浮薄ふはくな性情でもないが――ご隠居殿はそういう事をご存じないようですな」


 弟の元綱が強い口調で言った。

 元綱は、久光の毛利家への介入を強くいとい、その嫌悪感を隠そうとしない。弟はどちらかと言えば直情傾向な男で、そのまっすぐな性格を好ましいと元就は思っているのだが、好悪を露骨に出し過ぎるのは求めて敵を作ることにもなる。

 案の定、久光は、いけ好かぬ孺子こぞうめ――という顔をした。


「あぁ、多治比殿は未だ初陣さえ済ませておられぬのであったな。合戦いくさを嗜まれるはずがない。合戦遊びがしたいのは、むしろ相合殿の方か」


 棘を隠さぬ物言いである。

 元綱も負けてはいない。


「我らは遊びで合戦をするようなことなぞ考えられぬが――隠居殿のその口ぶりでは、高橋ではなされるらしい。我らの如き小家こやけと違い、子牛の毛ほども家来があると、遊びで討ち死にする者が出ても懐も心も痛まぬものと見える。羨ましい限りですな」


 弟は喧嘩となれば引かぬ男だから、たしなめねばどこまで食って掛かるか判らない。


「四郎、言葉が過ぎるぞ」


 元就が間に入ると、元綱は苦笑して矛を収めた。


「いずれにしても――」


 久光が苦い顔で話題を戻した。


「吉川の有田なぞ放っておけばよろしい。刑部少輔ぎょうぶのしょうとて、雪が落ちても滞陣を続けるほど愚かではなかろうゆえ、武田の兵が吉田に攻め入るような事はまずあるまいよ。万一、武田がこの郡山城を囲むような事があれば、その時はわしが高橋の兵を率いて後詰めし、敵を後巻き(逆包囲)にするまでのこと。案ずるには及ばぬ」


 久光の高言は毛利家の誰にとっても愉快なものではないが、戦略として正しいという事は元就にも解る。毛利が兵をこぞって郡山城に篭城すれば、武田がいかに大軍でも十日や二十日では絶対に抜けない。久光は孫の家を見捨てはしないから、高橋氏の援軍は翌日にも必ずやって来て、武田軍の背後に布陣するであろう。さらに吉川軍が多治比あたりまで出張って退路を断てば、武田軍は進退に窮する。

 その程度の事は、攻める武田元繁の方も当然解っているに違いない。

 武田元繁がそれほどの危険を冒してまで毛利攻めに拘るつもりなら、有田城に長々と時間を掛けるようなことをせず、力攻して手早く城を落とし、勢いをつけて東進して来たと考えるのが自然である。それをせず、半月近くも有田に留まっているのは、要するに毛利・吉川の出戦を待っていると見るべきであろう。

 その意味でも、久光や重臣たちの観測はおそらく間違ってはいない。

 しかし――


「此度の有田の事は、我ら国人一揆の面々と武田の軍が初めてまともにぶつかる合戦いくさでござる。安芸だけでなく、天下の人々がこの合戦の行方を見ている」


 元就は言った。

 英主と評判を取った先代・興元をうしない、幼主を戴いた毛利家の武威は、衰えることはあってもがることはないと世間は見ているに違いない。幼主の後見役として毛利家の舵を取る元就は未だ初陣さえ済ませておらず、武将としての評価は定まっていない。つまり、今度の武田軍の侵攻は、毛利家の武威の真価が問われていると言ってよく、同時に元就の武将としての器量が試されているのである。


「我ら国人一揆の者が居竦いすくんで誰も戦わぬとなれば、毛利・吉川は腰抜け、武田は強し――と世間は見る。刑部少輔ぎょうぶのしょうに合力する豪族はさらに増え、その勢いは増すばかりということになりましょう。しかし、雪が落ちる前に武田軍に一撃を加えておけば、たとえ刑部少輔が降雪のために兵を引いたのだとしても、国人一揆の軍が武田軍を撃退した、という風に世間は考えます」


 武田軍は、有田城を落とせば当然勢いづく。来春の雪溶けを待って猛烈に仕掛けて来るであろう。その時は有田城という拠点を失っている分だけ今より不利であり、しかもその先は長い。ここで有田の落城を静観しているのは、せいぜい決戦を一時先送りにするという程度の意味しかなく、先の展望はまったくひらけない。武田との戦いはまだまだ続くのだから、ここでその勢いをくじいておくことが必要なのではないか。

 元就がそう説くと、久光はすぐさま反論した。


「多治比殿、有田で我らが大敗すれば、それはやはり武田の勢いを増すということになるではないか。そもそも、有田に出て勝てるという見込みがどこにある。負ける合戦はせぬものじゃ」


「勝てぬまでも、手強い戦いを演じることはできましょう。たとえ痛み分けに終わったとしても、十分に意味があると申しております」


 有田城救援のために兵を出すことは、吉川氏に貸しを作ることにもなり、興元亡き毛利の武威を世間に示すことにもなり、国人一揆の紐帯の強さを世に知らしめ、更なる結束を高めることにもなるはずだ。

 元就がそう畳み掛けると、久光は冷笑した。


「国人一揆なぞと申しても、平賀も小早川も援けてはくれんではないか。多治比殿が高橋の兵を当てにされておるなら、申しておく。そんな分の悪い博打ばくちのような合戦に、兵を貸すような気はわしにはないぞ」


 その台詞に、居並ぶ重臣たちまでが慌てた。


「多治比殿は負け戦がどういうものかを知らぬゆえ、いかにも勇ましい事を申されるが、武田は六千、毛利・吉川は合わせてもせいぜい二千数百というところか――それで勝てると思うておるなら、ご存分にやってみなさるとよい」


 元就は唇を噛み、怒気を隠すように視線を逸らした。

 戦場経験がないことは、元就にとって最大の弱点と言っていい。元就が何を言っても、「机上の空論」、「戦を知らぬ者の戯言たわごと」と決め付けられてしまえば、反論のしようがないのである。


「まぁ、たとえ有田でさんざんに敗れても、毛利はわしの可愛い孫の家じゃ。この郡山城はわしが守ってやろうほどに、安堵なされよ」


 見かねたのか、座で最年長の福原広俊が助け舟を出した。


「まぁまぁ、大九朗殿、そのようにきつう申されては多治比殿もお辛いであろう」


 長老・福原広俊は元就の祖父・豊元と義兄弟の契りを結び、豊元・弘元・興元・幸松丸と四代に渡って毛利家を支える重臣中の重臣である。福原氏は毛利家の庶家で家臣筆頭の位置にあり、当然、老臣たちにも大きな影響力を持っている。


「我らは幸松丸さまの御ため、より善き道を選ぼうとこうして顔を突き合わせ、評定を致しておりまする。高橋との誼みを、ゆめ疎かに思うておるものではない。その事はお含みくだされよ」


「あぁ、これはいかにもそうであった。売り言葉に買い言葉――つい年甲斐もなくきつい申し様をしてしまいましたな。多治比殿、ご気分を害されたなら謝ろう」


 すでに久光は余裕を取り戻している。


「毛利は我が孫の家ゆえ、危うい橋を渡って欲しゅうはない。わしの存念は、極めてみればそれだけの事でござるよ」


 ――口だけではどうにもならぬ。

 どれほど議論を繰り返したところで、老臣たちが元就の器量を認めていない現状では意見は通らない。そのことを痛感し、元就は発言する気をすっかり失った。

 元就が黙ってしまったからか、元綱も妙に静かになった。評定は昼まで続いたが、軍議は重臣たちの発言に終始し、敵が毛利領に攻め入って来るまでは静観するという方針があらためて確認された。



 その翌日の夜のことである。

 多治比の猿掛城に、元綱がニ人の近侍を連れてふらりとやって来た。


「喉が渇いたゆえ、兄者に酒をたかろうと思ってな」


 垢じみた頭巾を取りながら元綱は笑った。三人は薄汚れた布子を着て、まるで作男のような格好をしている。


「その格好なりは何のまじないだ」


 驚いた元就が尋ねると、元綱は事も無げに答えた。


「昨日今日と有田のあたりを見て回っていた。帰り道に寄ったのだ」


「見て回ったって・・・・」


「武田の陣容も遠目から眺めて来たが、なかなかさかんなものだったよ」


 元就は唖然とした。敵に見つかればなますにされていたであろう。

 そう言って叱ると、


「俺を討てる者があるものか」


 元綱は磊落らいらくに笑い、出された酒を美味そうに飲んだ。


「物見の報告にもあったから兄者も知っておるとは思うが、中井手に立派な陣城が出来ておったよ。又打川を堀のように前に配して、芝土居(土塁)に柵がしつらえられていた。はとを描いた旗が立っておったから、守っておるのは熊谷くまがい――可部かべ民部少輔みんぶのしょうだ」


 可部の高松山城主・熊谷 民部少輔 元直。


「武田第一の武将が、城攻めから外れておるのか・・・・」


 熊谷元直は武田軍でもっとも名高い武将である。熊谷直実なおざね以来の武勇を誇る熊谷氏の兵は、吉川氏の兵と並んで安芸随一の強さとされているのだが、その頸兵けいへいを攻城に使っておらぬというのは意外であった。


「多治比に焼き働きに来たのが熊谷勢だと聞いて、おかしいとは思っておったのだ。熊谷勢ならば城攻めの先陣を務めておっても不思議はないからな」


 言いながら元綱は手酌で次々と盃を重ねた。父や兄に似て酒豪なのである。

 対座する元就は、酒をたしなまない。飲んで飲めぬことはないのだが、父と兄が酒害で死んだと信じる元就は、それを口にする気がしない。


「俺は有田のあたりはあまり詳しくないのでな。一昨年の有田合戦には出たが――もう一度ちゃんと見ておきたかったのだ。あの辺の山野の様子や、有田の城と中井手の位置も頭に入った。厄介なところに陣城を置かれたもんだよ」


 元就はその有田合戦にさえ出ていない。物見が作った絵図を持っているからおよその位置関係は解っているつもりだが、有田周辺の山野を歩いたわけではなく、兵要地誌には暗い。


「それほど厄介か」


「あぁ、俺たちも、石見街道から来る吉川も、中井手の鼻先を通らんことには有田へ行けん。陣取る熊谷勢を潰さぬことにはどうにもならんわけさ。だが、熊谷勢と合戦を始めれば、武田本軍にその事は筒抜けになる。有田城と中井手とはわずかに半里ほどしか離れておらんからな。遠目が利く者なら、天気さえ良ければ直接見える」


 武田本軍に奇襲を掛けることはまず不可能ということであろう。

 寡兵の毛利軍とすれば、武田の大軍と戦うには策を弄する以外になく、まず浮かぶのは夜討ち、朝駆けといった奇襲である。しかし、それが封じられたとなれば、正面決戦にならざるを得ない。


「俺が武田元繁なら、毛利・吉川が出て来たと知れば、有田城には抑えの軍兵のみを残し、全軍を中井手まで進ませて、熊谷勢と戦っておる毛利・吉川を叩く。まず間違いなく勝つだろう」


「我らに勝ち目はないか・・・・」


 やはり、決戦論に固執する自分は間違っているのか――

 元就は何とも言えぬ閉塞感に嘆息したが、


「そうと決まったものでもないさ」


 元綱は軽みのある笑みを浮かべた。


「いや、理屈の上では確かに勝ち目はない。が、実際の合戦いくさは理屈の上でやるものではない、という事だな。大手が駄目なら搦め手から攻めるという手もある。その日の天気ひとつで結果はまったく違ったものになる。それが合戦というものだろ?」


「そうかもしれんが・・・・」


 戦場を知らぬという負い目を持つ元就は、合戦を語ることに躊躇するところがあり、つい口が重くなる。


「地の者の話だと、有田のあたりは寒くなると、吉田のようによく朝霧が立つらしい。この数日で朝夕はめっきり冷えるようになったからな。今朝も薄くもやっていた。特に中井手は又打川と冠川から霧が立つ。遠目からはまるで見えぬようになる。中井手を攻めるには、夜討ちより朝駆けだな」


「中井手を攻めることになったのか?」


 この一日で本家は方針を変えたのか、と思い、元就は戸惑った。


「あん? 兄者は合戦いくさを仕掛けるつもりだったのではないのか?」


 元綱は怪訝な顔をした。


「評定では埒が明かぬゆえ、そう肚を決めたものと見えたのだがな」


「仕掛けるも何も――私の下にはせいぜい百五十の兵しかおらぬ。本家が共に動いてくれねばどうしようもないだろう」


 元就の投げやりな言葉に、元綱は少し呆れたようであった。


「兄者が自分で申しておった事ではないか。毛利が動けば吉川は動かざるを得ぬ、と。それと同じだ。老臣おとなどもがどれほど自重を唱えていようと、兄者が動いたと知れば本家も兵を出さざるを得ぬ。福原のじいが孫の兄者を捨て殺しになぞさせるわけがない。執権殿も同じだ」


 そう言われて元就はハッとした。他人の事は見えるのに、自分の事は気付きにくいものらしい。


「そうか・・・・」


 ――戦えぬことはないのか。

 元就は目をにぶく光らせ、おもむろに思案に沈んだ。

 慌てたのは元綱である。


「いやいや、ちょっと待ってくれ。そこで考え込まれても困る」


「ん?」


「俺は別に兄者を焚き付けに来たわけではないのだ。兄者はすでにその肚だと早合点をしておった。どうも先走りが過ぎたらしい」


 元綱は苦笑し、一息に盃を空けた。


「今宵はこれで帰る」


「もうおそい。この城に泊まってゆけばよい」


「そうはいかぬのだ。黙って出て来たからな。家の者が心配している。今宵のうちに戻っておかねば、明日には母者が大騒ぎをする」


 元綱は悪戯っぽく笑った。

 話が急に所帯じみたので、元就もつい笑ってしまった。


「これは俺の勘に過ぎぬが、熊谷勢は近々また来るぞ。民部少輔は城攻めに加われず、手柄を立てる場がない。待っても待っても毛利・吉川の兵が現れず、このまま冬になれば何をしに来たか判らんという話だからな。合戦いくさがしたくてうずうずしておろう」


「熊谷元直か・・・・」


 武田軍随一の猛将――


「来てから慌てぬように、肚をくくって備えておくことだ」


 美味い酒であったよ、と言い残し、元綱は吉田へ帰って行った。





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