Part 1-2 All I need is to kill
Terraced House St. Marks Pl. E8th St. 2nd Ave. NYC NY,U.S. 15:00 Jan 5th 2018
2018年1月5日 午後3:00 合衆国 ニューヨーク州 ニューヨーク市 マンハッタン 2番街 東8丁目 セントラル・プレース テラスハウス・ストリート
運転手に金を放り出すように渡し急いで女はイエローキャブから降りた。歩道に片足をつくなり強ばらせた目を泳がせ通りの左右を見回した。歩道を歩く歩行者や路駐している車のどれもが組織が差し向けてきた者らのものに思えた。
危機感が嵩じ何もかもが殺し屋に見えた。
金が欲しかった。組織が管理する何もかもをドンのデスクにあるPCからダウンロードして持ち出した。ドンを脅せばどうなるか分かっていた。その皆が無惨な死に様を晒してきた。だが彼女はその死人らの誰もが中途半端だったと知っていた。ドンが抜き差しならぬ汚職警官や議員らとのやり取りを突きつけられたら、あれは考えを変えると思った。
だがどうだ!
今ならばなかった事にしてやると、その場しのぎの提案を示し盗んだデータを返すように恫喝された。とっさにその場にいた部下の足を拳銃で撃ち抜き、屋敷を出るまで人質を取り混乱に紛れ逃げてきた。
必ず追ってくる。どこまでも、どこへでも、いつまでも。
子ども達を連れて逃げないと!
今はそれしかなかった。
女は必死の形相でテラスハウスの一つであるアパートの階段を駆け上がり、三階の自分の部屋に上り詰めると乱暴に呼び鈴を鳴らした。イライラして待っているとチェーンの掛かったドアがわずかに開き下から見上げられた。
「ママ!」
ドアを開いたのは息子のエステバンだった。
「開けなさい、エステバン!」
一度ドアが閉じるとチェーンを外すぎこちない音がしてドアが開いた。女は出迎えた六歳の息子を素通りしながら早口にまくし立てた。
「出かけるわよ! 何も持たなくていいから、ジャンパーだけ着なさい! 急いで! エミリー! どこにいるの!?」
女はリビングに入り部屋を急いでうろつき見回した。必要なものが何かと目に付くすべてが大切なものに思えた。だが手荷物が増えればそれだけ逃げ足は遅くなる。その時、子ども部屋から娘が顔を出した。
「なに、ママ? いつ帰ったの?」
「出かける用意をしなさい! さっさと!」
「え~、嫌だよ。私、留守番してる」
「つべこべ言わずに上着を着なさい!」
エミリーは頭振り子ども部屋の扉を閉じた。女は眉間に皺を刻みその足を寝室に向けた時だった。窓の外から乱暴に閉じられる車のドアの音が連なった。
女は眼を泳がせ足早に窓の際に移動すると端から道路を見下ろした。知っている大型セダンが三台アパート前の歩道際に止まっていた。降り立っている男らの幾つかの顔にも見覚えがあった。長年組織から賄賂をもらっている悪徳刑事らだった。刑事らは手に手に銃を持っていた。
ドンが何を命じたか手に取る様に理解できた。もう何年もドンの女をやってきたのだ。
恐らく刑事らは有無もいわさず射殺して、部屋に数袋の麻薬を仕込み、死体となった自分の手には盗品の拳銃を握らせるだろう。合法的に殺すことはいくらでもできるのだ。殺してから奴らはこの部屋を家捜しして組織から盗んだデータを見つけドンに特別報酬をせしめに行く。
「ママ、ご用意したよ」
突然かけられた声に女はドキリとして振り向いた。顔を合わすと息子のエステバンが微笑んだ。女は悲しい面持ちになると膝を曲げ息子の両頬に指を当てて話し掛けた。
「エステバン、あなたは男の子でしょう。もしもママと会えなくなっても強く生きなきゃダメよ。エミリーを、お姉ちゃんを守ってあげて」
「いやだよ、ママと会えないなんて」
息子の寄せられた眉根を見て女は嗚咽がこみ上げてきた。この子だけは助けないと。そう思い女はポケットからメモリー・スティックを取り出し息子に手渡した。
「いいこと、エステバン。これをあなたが正しいと思う大人の人に渡して悪い連中を捕まえてもらいなさい。あなたが本当に正しいと思う人に渡すのよ。いいわね」
言い終わった刹那、呼び鈴が鳴らされ直後乱暴に数回ドアが叩かれた。
「エステバン、愛してるわ。さあ、お姉ちゃんとベッドの下に隠れて、誰にも見つからないように逃げ出しなさい」
そう告げて女は息子の頬にキスをした。
息子は一度頷くと寝室へ駆け出した。その後ろ姿がドアに消えた寸秒、いきなり正面玄関のドアが数回の爆轟と共に木片を撒き散らし、直後乱暴にドアが開かれベネリ・ショットガンを手にした私服の男が入り込んだ。その後にも数人の拳銃を手にした男らが入ってくるなり、キッチンやバスルーム、寝室へと銃口を向けながら足早に散って行った。最後に入って来たクリーム色の上着を着て茶の混じる金髪をオールバックにした男が女を睨みすえ一度微笑むと口を開いた。
「手間をとらせるな」
女は大人しく殺されるつもりはなかった。手にしているハンドバッグからベレッタ自動拳銃を引き抜こうとした。グリップを握りしめ引き抜こうとしたその時、いきなり胸に衝撃を受け女は自らの胸を見下ろした。スーツの左胸に黒い穴が開き周囲に急激に紅い命が染み広がり始めた。急激に身体から力が抜け落ちていくのが女には分かっていた。両膝が震えだし、身体を支えてられなくなり、床に膝を落とすと前に倒れた。
「警部、殺しちゃ、物がどこにあるか──」
ショットガンを手にした刑事に言われショーン・ブラッカム警部は開き直った。
「かまわん! 探せ! 一万だぞ! 見つけた奴には分け前を増やす!」
ショットガンを手にした刑事は肩をすくめると寝室へと足を向けた。
エステバンはベッドの下で息をこらえるようにじっと身を潜めていた。寝室に一人の見知らぬ人が入ってきてクローゼットを引っ掻き回して引きずり出した母親の衣類を床に投げ出されていく様を見ていた。そしたらいきなりリビングで銃声が響いた。エステバンはママが男らに銃を撃ったのだと思った。だとしたらクローゼットを荒らしているこの男ももうすぐ出て行くだろう。そう思っていた矢先に寝室にもう一人男が悪態をつき入ってきた。その男はベッドのシーツを床に投げ落としマットレスを引きずり落としひっくり返した。そうしてまた悪態をつくと床に膝をつきベッドの下を覗き込んだ。
「あっ、こんなところに! 出てきやがれ!」
目が合った瞬間、腕をつかまれエステバンは有無をいわさずに引きずり出された。エステバンはその自分をつかんでいる見知らぬ奴を両手で何度も叩いた。暴れ続けると男から平手打ちで頬を一発叩かれた。エステバンはその痛さに涙が溢れそうになり奥歯を噛みしめ堪えた。
その時、リビングからわめき散らすエミリーの声が聞こえ、また銃声が響いた。その意味もわからずにエステバンは男の手から逃れようと暴れ続けた。だが、大人の、しかも男の力に抗い様がなかった。簡単に片手であしらわれて右腕を捻り上げられ自由を奪われた。そうしてエステバンはその男に引きずられる様にリビングへ連れて行かれた。
見えてきたものが信じられなくてエステバンは憑りつかれた様に見つめていた。
うつ伏せに倒れた母親の脇に血溜まりが広がっていた。
顔を逸らすと子ども部屋の出入り口の前に姉のエミリーが崩れ落ちていた。
リビングにはエステバンの知らな奴がもう一人いてエステバンの腕を捻り上げている男が報告した。
「もう一人ガキがいたぞ」
リビングにいた男が振り向きエステバンを睨み下ろした。
「またガキかぁ? ブツは!?」
「ねえよ。だいたい、その女がどんなもん持ち逃げしたのか、殺しちゃあ聞けねえだろうが」
「うるせェ! ファミリーはデータと言ってるんだ。ディスクかUSBスティックの類だ! さっさと探しやがれ!」
怒鳴るなりいきなり男が拳銃を壁に向けて発砲した。その驚きや捻り上げられていた腕が放され自分を見つけた男が渋々寝室へ戻って行ったことなんてエステバンにはどうでもよかった。
目の前に倒れている人。
母親がうつ伏せに倒れ胸の下からカーペットに紅い染みが広がっている。
エステバンは信じられずに一度目をつむりゆっくりと瞼を開いた。そこにはまだ母が倒れており震えが足から這い上がってくるのを押し止めることが叶わぬと混乱した瞬間、いきなり左耳を引っ張られ痛みに我に帰った。
「おい、ガキ。お前、そこのアマに何か渡されなかったか?」
エステバンは耳をつかみ捻りあげる男の手の小指をつかむと手の甲へとねじ曲げた。男がうめき手を離した瞬間、エステバンはその手をつかむと小指の付け根に思いっきり噛みついた。
「このッ! くそガキ! 噛みつきやがった!」
男が大声を放ち呻くとエステバンを振り払うように投げ飛ばした。カーペットに叩きつけられエステバンは一瞬目の前が真っ白になった。それでも逃げなきゃ、と思いよろめきながら立ち上がりかけたその刹那、男が拳銃を発砲した。だが弾丸はよろめいたエステバンの腕を掠り、その痛いほどの熱さからエステバンは意識がはっきりすると玄関先へ駆け出した。
背後で噛みついた男が罵声を浴びせるのを尻目に、エステバンは壊れたドアを踏みつけ廊下に出ると階段へ走った。
「追え! ガキが逃げやがった!」
後ろからの数人の男の怒鳴り声や駆け出した音を耳にしながら、エステバンは階段にたどり着くと一気に駆け下った。
なんとか外に出られれば、逃げ隠れする場所は沢山ある。それに誰か大人に助けを求めることも出来る。エステバンは一心不乱に足を繰り出した。
逃げなきゃ! にげなきゃ!
だが、後ろから駆け下りてくる男らの足音が近づきつつあった。
そうして一階に下りエントランスを駆け抜け歩道に出て左を見て焦った。
ダメだ! 誰も大人がいない!
エステバンは右へ振り向き一人だけ大人を見つけた。
片腕で胸の前に大きな紙袋を抱いて歩いてくるのは大人の女の人だった。金髪の腰までの長髪をした綺麗なお姉さんだったが、見たこともない変なん服を着ている。黒い様な紺色の広がったスカートの前には外にいるのに真っ白なフリル付きのエプロンを掛け頭には白い飾り物が載っている。
まるでおとぎ話のお城か、館で働いているメイドさんの様な格好だと少年は思い、この人、変だとエステバンは感じた。でも頼りになるかなんて考える余裕もなかった。エステバンはその人の傍らを駆け抜け、後ろへと回り込んだ。その女の人は陽気に口笛を吹きながら駆けてくるエステバンを目で追い顔をわずかに回し自分の後ろに隠れるようにして回り込んだ子どもを見つめていた。だが歩く先にテラスハウスの一角のアパートから駆け出てきた男らに気がつきその女は顔を正面に向け戻した。
男らの一人がその女の人の後ろに隠れ顔をわずかに覗かせ様子を見ていたエステバンに気がついた。
「いやがったぞ!」
男らの一人が早足で女に近づき怒鳴った。
「どけ! アマぁ!」
エステバンはこの女の人じゃダメだと思った。ママのように殺されてしまい自分はまた男らに捕まってしまうんだ。
怒鳴りつけた男が片手を伸ばし女を横へ押し退けようとした。その女の人がよろけ横へ片足を踏み出した。エステバンはその時に女の人が急激に紙袋を持ってない手で袋から何かを引き抜くのを眼にした。男がエステバンへ手を延ばしかかった刹那、何かが割れる音がして歩道にガラスと赤黒い色の付いた液体が飛び散った。
直後、手を延ばしかかった男が地面にうつ伏せに倒れ込んだ。エステバンは何が起きたのかわからずに見上げると男らとの間に立つその女の人が紙袋を抱いてなかった右手に首から下の割れたボトルを握りしめていた。そうして女の人が放った声にエステバンは驚いた。
「おらァ! この俺にィ、触ったなァ!」
なんて巻き舌なんだとエステバンが耳を疑った直後、残った二人のうちの男の一人がスーツの内側に手を差し入れ拳銃を引き抜いた。
「手を挙げて大人しくしろ! 公務執行妨害で貴様を逮捕する!」
「あン? お前ら刑事かァ? 子供一人に殺気立ちやがってェ!」
そう押し殺した巻き舌で女の人が言うなり首を握りしめた割れたボトルを投げ捨て紙袋から新しい瓶を引き抜いた。
「お前らァ、知ってるかァ? シャトー・ラトゥールぅ。一本千四百($です)はする赤ワインだァ!」
女に開き直られて拳銃を向けている男はたじろいだ。だが、もう一人の男と顔を合わせ目配せすると顎を振り拳銃を出していない男に命じた。
「ガリクソン、お前あのメイドに手錠掛けろ」
がくがくと頷き仲間に援護されたそのガリクソンという男は腰のカフスケース(:手錠入れ)から手錠を取り出すと、女の方へ何も握ってない手を伸ばしゆっくりと近づいた。その直後、女が紙袋を上に放り上げ大きく片足を踏みだした。その踏みだした足に急激に後ろになっていた足を揃えると凄まじい速さで身体を横様に回転させ引きつけていたワイン・ボトルを握った手を伸ばした。
ガリクソンの顔の側面にボトルが命中し砕けると両足を浮き上がらせ男は横へと吹き飛んだ。その身体が地面に着く前に女が数歩前に進み出ながら落ちてきた紙袋からさらに新しい瓶を引き抜いた。その瓶を振りかぶり空の手を鞭の様にしならせ、拳銃を握った男の手の甲を横様に叩きつけると逸れた右腕の間合いに女は一気に駆け込み振り回したボトルの底角を男のこめかみに強打した。男は目を裏返らせ白目を剥いたままその場に膝を落とし前のめりに倒れた。
「くそっ! おまえらのせいで二千八百ダラーがパーだァ!」
女は腹立たしげに目の前に倒れた男を見下ろし唾を吐き掛けると拾った紙袋に割れてない最後の一本のワイン・ボトルを戻し身体を半身振り戻し横を向いた顔で目尻へ蒼い瞳を向け唖然と立ち尽くす子どもを睨みつけた。
「でェ⋯⋯どうすんだァ? お前が俺に絡んだからこうなっちまったんだぞォ!」
その下品な言い方にも関わらず、エステバンにはその女の人が悪い人には思えなかった。
☆付録解説☆
☆1【All I need is to kill】望むのは抹殺