十二月二十五日
「クリスマス」。聖人様の誕生日を祝うこの祭りは日本でその認識を大きく歪められた。
なぜ行われるのか、その起源を知らないという者は少ないが、この祭りを心待ちにしている者の大半は敬虔なキリシタンの方ではなく、性欲を心の奥底から溜めに溜めた薄汚い男と、騒ぎたいだけの女と、両親という名のサンタクロースからプレゼントを貰う子供だ。
そうでなければ、カップル狩りを画策する者、俺達の様な存在であろう。
***
カップル狩り計画。クリスマスを迎えれば二十歳となる我が悪友、望月の提案した計画だ。
床に脂が染み付き、靴が可笑しな音を奏でるラーメン店でその計画の全容は話された。
「奴らは自分達以外の幸せなんざ毛ほどにも思ってない。これは許されざる悪徳だ。ならば狩るしかないだろう。我が親友よ」
「確かに恋路を他人に恥ずかしげもなく見せつける頭のふわふわとした連中は死に腐るべきだが、どうやって狩るつもりだ? 暴力か?」
「いやいや、それでは犯罪ではないか。拳に頼らないのさ、それこそガンジーのように! 言葉で立ち向かうのだ!」
「言葉?」
「そう、道行くカップル共の桃色の世界を真っ黒に染め上げるような暴言をかましてやるのだ!」
あまりに阿呆らしい計画の実態に俺は呆れた。
こんな事を言うために俺のバイト先であるラーメン店に乗り込んでお冷やだけで俺がバイトを終える間の五時間も粘ったのか。
お冷やを置く際、ついでに冷たい視線を送ってやったがどうも効果は無かったらしい。
「そんな阿呆な事をするために田舎から上がってきたのか? 妹さんも泣いてるぞ」
「渚は関係ないだろ」
望月は田舎からこの街にやってきた。所謂お上りさんだ。
田舎に残してきた妹の事が余程心配らしく、講義の際にも学生の本分を忘れて妹の写真を眺めている。
「とにかくだ。十二月二十五日午後五時にここに集合だ」
「俺は嫌だ。こんな事に構ってられるか」
「どうせ何も予定は入っていないんだろ? お前は絶対にここに来る事になると思うがね」
「絶対にあり得ない」
俺はため息と共にその場を立ち去った。
「店員さーん! もやしラーメンもやし抜きで!」
***
時は十二月二十五日午後四時半。
俺は望月の宣言通りにラーメン屋に座っていた。
「店長、もやしラーメンもやし抜きで」
「あいよ」
ここに俺が来たのは決してクリスマスに騒ぐ者達への嫉妬からではない。
その行き過ぎた騒ぎように釘を刺す。ただそれだけのためだ。
初めは、こんな間抜けな行為をしたところで何が変わる物か、と思い、望月を説得しようと店に向かっていた。
しかし、行く先々では笑顔のカップル共が手を組み腕を組み、お互いを暖めあっていた。
俺は見せつけられているような気分になり、そして、目の前で接吻が行われたその時、ついに爆発した。
必ず、この色ボケ共を粛清せねばならないと決意した。
第一なぜ色恋沙汰に現を抜かすのか。隣に立つ異性の顔色伺いに時間を使うのならば、もっと有益な事に使えばいい。絶対にその方が良い。
道端でわざわざ他人の幸せを見せつけられる義務は無いのだから。
これは公共の福祉から見ても、ミクロ的観点や量子力学的観点から見ても明らかだ。
俺はそのどれもを良く知らないが。
とにかく、嫉妬ではなく義憤が俺を突き動かした。
「ほい、もやしラーメンもやし抜き」
「ありがとうございます」
目の前に湯気立ち上るラーメンが置かれる。
この店のラーメンはまさしく絶品であり、特に裏メニューであるこの「もやしラーメンもやし抜き」は一度食べれば生涯その脳裏に刻まれるとも言われている。その噂を広めたのは俺だ。
割り箸を綺麗に真っ二つにし、さあいただこうかと構えた時、スマートフォンが揺れだした。
画面にはここに来るはずの望月の名前と電話のマークが現れていた。
俺は割り箸を置いて通話を開始した。
「どうした?」
「すまん、今日は行けなくなった」
「何! わざわざ来てやったんだぞ!」
「ほら、やっぱり来てるじゃないか。俺の言った通り」
「……今はそんな事関係ない! なんで来れんのだ!」
「妹が田舎から俺の家にわざわざ来たんだ。カップル狩りなんてくだらん事に時間は使えない」
「なっ、てめぇ!」
「じゃあなお一人様!」
「この! ……切りやがった」
何という事だ。
計画の首謀者である望月が否定してしまってはこの「カップル狩り計画」は哀れにも親に捨てられてしまった子のようではないか。
こうなれば、俺がこの計画を成し遂げてこの七色のイルミネーション灯る街を塗り替えでやるしかない。それこそ、真っ暗闇に。
「店長! ビール!」
俺は麦酒に勝利と栄光を誓った。
***
千鳥足でラーメン屋を飛び出した俺はそのまま狩りの対象が大勢アホ面並べている駅前に向かった。
七色に光るイルミネーションで彩られたモミの木はとても綺麗で、そして憎たらしい。あんまりにも憎らしいのでラーメンを一杯引っかけてやった。
すっきりした俺は未だ酔いの残る頭で恋人を見つけては口汚く罵った。
「貴様らは他者の幸福を奪ってよくそんなに笑えるものだ!」「貴様らのような人間が救われてなぜ俺に幸せが訪れない!」「頼むから幸せを見せないでくれ!」
こんな風に様々な罵詈雑言を言い放ち街を闊歩する俺の目の前に、一人の青年が躍り出た。その顔は赤く、酒に酔っていると推察された。
「あなたのような人を待ち望んでいました!」
「というと君も俺と同じ志を持つ仲間か! さあ共にカップルを切って切って切りまくるぞ!」
「はい!」
こうして、どんどんと俺には仲間が出来ていった。
青髭の生えた男。じゃがいもを擬人化したような男。若くして不毛の大地を得た男。サンタの服を着た男。とにかく世界から愛を貰えぬ男達が一堂に会し、恋路を行く者達に食って掛かった。
「今は夜の七時だ! ガキは家に帰ってろ!」
「見せつけてんじゃねーよ死ね!」
「クリスマスぐらい幸せを見せつけるな!」
「お願いだから俺に現実を見せないでくれぇぇ!」
「なんで儂がお前らに幸せ届けなきゃならんのだ!」
それを聞いたカップル達は嫌な顔をして立ち去るだけなのが殆どであったが、中には「俺も仲間に入れてください! こんな女要りません! 俺と同じ苦しみを味わっている他の人を助けたいです!」と言って仲間に加わる者も現れた。
膨れ上がった負のエネルギーの塊は未だに行軍を続ける。不毛な戦いを求めて。
そして、この集団を作り上げた俺はある人物に電話をかけた。
「はい?」
「今すぐ駅前に来い」
そして、のこのこ駅前にやって来た望月に俺達は襲いかかった。
「こいつはクリスマスに家で女と一緒に過ごしていた! この俺との約束を無視してだ! 剥いてクリスマスツリーに吊るしてやれ!」
こうして緑のモミの木は七色に加えて肌色の飾りを付けられてより鮮やかに、俺は鬱憤を晴らす事が出来て穏やかな気分になった。
「てめえこの野郎! 絶対に許さないからな!」
イルミネーションに巻かれる望月はそんな事を吠えてきたが、ブリーフを履かせてやった俺の優しさに感謝してほしいものだ。
この寒空の下で凍死しないように中にはカイロをたんまりと入れてやったんだし。
俺達が行軍が続ける中、目の前にまたも一人、躍り出る者があった。女だ。端正な顔を紅くして、またも酔っぱらっているらしい。黒い髪を振り乱しながら彼女は叫んだ。
「どうか、私をも仲間に入れてはくれませんか!」
「よし来い! 我々は来る者は拒まない!」
かくして、真っ赤な顔した男達に、紅一点が加わった。
彼女は優秀な兵士であった。
その独自の勘で、ホテルに入ろうとするカップルやどちらかの家への宿泊プランを練るカップルやフランス料理店に潜むカップルを見つけては我々に報告した。
彼女というカップルレーダーを手に入れた我々は無敵であった。
隠れカップル共を見つけ次第罵倒し、隠れてなくても罵倒していった。
もはや、この街のどこにもカップルは居ない。
我々は敗北者であるが、勝ったのだ。
勝利に沸く敗北者達が騒ぎ始める。
「こうなれば隣町へ向かおう!」
「呟きアプリで仲間を募るぞ!」
「俺の友人を連れてきた!」
いつの間にか爪弾き者達が増えに増えていた。
次なる計画を練る為にいい歳した男達が夜の公園を占拠していた。
夜風は冷たく、俺の思考も段々と冷静になっていく。酔いは醒めていき、火照っていた体は寒さで縮こまり始めた。
そして、自分のしでかした事の大きさに気づき、青ざめた。
俺は隣にいる彼女を見た。彼女も、俺と同じく酔いが醒めて紅かった顔を随分と白くしていた。
俺と彼女は顔を見合わせて、共に過熱していく群れから逃走した。
駅前に二人で戻れば七色のイルミネーションに彩られたモミの木が出迎えてくれた。先ほどぶち撒けられたラーメンは掃除されていた。
そして、七色の光に照らされながら、真っ白な雪が降り始めた。
「雪が降るのか、どうりで寒いと」
「ええ、本当に寒いですね」
ほう、と白い息を手に吐く彼女はとても美しく、俺の中である感情が芽生えた。
「どうでしょう。ラーメンを食べに行きませんか」
「いいですね。どこにしましょう」
「いい店を知っていますよ。そのラーメンの味は生涯脳に刻まれるんです。特にもやしラーメンもやし抜きは」
「なに一人だけ安っぽい恋愛小説みたいな事やってんだ!」
上から望月の声がした。そういえばクリスマスツリーに吊るしていたな。と思い出す。
降る雪のように真っ白なブリーフ一丁の姿で歯をかたかたと鳴らしながら望月は鬼の形相を浮かべていた。
「てめえ人の幸せ無茶苦茶にしといて、自分だけ幸せになるつもりかよ!」
「うるせえ! 今良い所だから邪魔すんな!」
俺と望月の声がしんとした街に響いた。
「居たぞ! この裏切り者め!」
背後から大勢の怒声と足音が聞こえてくる。
「まずい! あいつら追いかけて来やがった! 早く逃げてください!」
俺は彼女の背中を押して素早く逃がし、そして自分も逃げ出そうとしたが、努力は実らず捕まった。
「こいつもツリーに吊るせ! ひん剥くんだ!」
***
こうしてクリスマスの夜は更けていく。
不毛な行軍は未だ続いてるのだろうか。
彼女はもやしラーメンもやし抜きを食べてくれたのだろうか。
様々な疑問が寒空の下で浮かんでいき、雪と共に消えていく。
しかし、モミの木でイルミネーションに照らされる俺にはそれを確認する事は出来ない。
「寒いな」
「本当に寒いな……」
雪はそんな俺達に関係なく深々と降り続ける。
「股間だけが熱いな」
「俺は入れてもらってない! 不公平だ!」
白雪が望月の股間に落ちてふわりと消えた。