桃太郎異譚 喪太と模郎の鬼退治
昔々あるところに、身分違いの恋の末に都を離れ駆け落ちした一組の恋人達……も昔の話、もうすっかり熟年夫婦となったお爺さんとお婆さんがおりました。
お爺さんは武家の三男、腕はそこそこ立つものの性格が不器用で、到底出世の見込めない役立たずでした。
しかしあるときラブコメ的な偶然で出会ったお転婆姫君こと今のお婆さんと恋に落ち、全てを捨てて二人で手と手を取って夜の都をひた走り、追っ手を全て斬り捨て愛の逃避行へ。
もちろん姫を護る精鋭たちは並大抵の相手ではありませんので、残念三男坊程度の実力ではどうしようもなかったのですが……そこで活躍したのが姫君でした。
幼い頃より武芸百般を極めに極めたお転婆姫君の実力は都でも無敵、しかも護るべき姫君に手を出せないのを良い事に斬る!突く!投げる!
それはもう可哀想なくらい容赦無く殺戮の限りを繰り広げ、後に「鬼姫狂乱の夜」と歴史に刻まれる忌まわしい一夜となったのです。
都では鬼となった姫君に近付いてはならぬと御触れすら出たことも知らず、二人は野を越え山を越え誰も知らぬ秘境へと辿り着きました。
そこは凶暴な獣が跋扈し、それすらも荒れ狂う川の主が一飲みにする人外魔境……そんな環境で生き抜くのはおよそ人類では無理な話です。
しかしそこでもお転婆姫は無敵でした。山の獣たちは美味しい肉と暖かい毛皮と化し、川の主は呆気なく姫の前に平伏しました。
それを戦々恐々と眺めながら三男坊は野生の芋や木の実を集め、姫が蹴倒した丸太で苦労して小屋を建てるなど奮闘します。
……そうやって二人で生活基盤を作り上げていくうちに、数十年の時が流れました。
今ではすっかり衰えたお爺さんは、もう山へ芝刈りに行く気力もなく、辛うじて家の中で細々と家事をこなす毎日。
対するお婆さんは驚く程に元気で、毎日鍛錬に余念がありません。
さて、そんなお婆さんは今日も山で芝刈りを軽くこなした後、下僕となった川の主に洗濯をさせようと川辺へとやって来ました。
しかし、今日の川の主はなんだか様子が変です。不思議に思ったお婆さんはどうしたのかと問い掛けました。
「ハイ、ソレガ昨夜……上流カラ奇妙ナ果実が流レテ来タノデゴザイマス。ナノデ主人様ニ献上シヨウカト」
「献上? 馬鹿なこと言ってんじゃないよ! この川はあたしのモンだ。つまり川を流れる物は全てあたしの物。てめぇは黙って差し出せば良いってのが分からんのかい? この愚図が!!」
「モッ、申シ訳アリマセン主人様! 」
「いいから奇妙な果実とやらを出しな! ……ん? なんだいそのでかいのは。でもうまそうだ、とりあえず持ち帰って爺さんに毒味させようか」
お婆さんはその奇妙な果実……大きな大きな桃をヒョイと片手で持ち上げて家に帰ります。もちろん洗濯の命令も忘れません。
そうして持ち帰った桃を見て、お爺さんはそれはもう驚きました。お爺さんは常識人なのです。
そして一通り桃を検分したお爺さんは、こんな桃は見たことも聞いたこともないし、そもそも食べられるかどうか分からない。まさかまた毒味役をワシがするのか? とお婆さんに問い掛けました。その声には既に諦めが滲み出ています。
結局お婆さんに怒鳴られて全てを諦め切ったお爺さんは、とりあえず桃を切ろうと石包丁を突き立て……ましたが、衰えたお爺さんの力と貧相な石包丁では大きな桃は全然切れません。
「ったく! 役に立たないじじいだね、あたしがやるからどきな!」
そう言ってお婆さんが家の奥から持って来たのは、まるで斬馬刀のような大きく禍々しい刃を持つ薙刀『龍断』。
それを構えたお婆さんは、ヤァッ!! と気迫の込められた一閃で見事大きな桃を両断したのです。
……そう、両断したのです。
賢明な読者なら気付いていることでしょう。その桃の中には後に桃太郎と名付けられ活躍をする不思議な赤子が入っていたのです。
しかしお婆さんはそんなことは想像もせず、一撃で桃を真っ二つに。
……結果、桃と一緒に赤子も真っ二つ。ゴロリと転がり出る右半身と左半身の赤子。
それを見たお爺さんは悲鳴を上げて腰を抜かし、お婆さんは少しだけ眉を顰めました。
しかし不思議な桃と赤子は、やはり普通ではありませんでした。
斬られた赤子の身体はどろりとアメーバのように溶け、それぞれ隣に転がっていた半分の桃を包み込み取り込んだのです。
桃と融合した半分の赤子×2は、しばらくグネグネと蠢いてから眩しい光を放ちました。
あまりの眩しさに顔を覆うお爺さんと、今度は眉ひとつ動かさず成り行きを見守るお婆さん。
……どれだけの間輝いていたのか、ようやく光が消えて……そこには同じ顔をした二人の赤子がいたのです。
「なっ……なっ……なっ……!?」
「ヘェ、こりゃ驚いた」
「あ、赤子の死体が……赤子に……」
「んなの見りゃ分かるっての! しかし可愛いねぇ、よし爺さん! この子らはあたしらの子供として育てようじゃないか! きっと良い子に育つよ」
「赤……赤子……えっ、え??」
「ちょうどあたしもこの身で極めた武術を継がせる相手が欲しかったとこさ。この子らなら申し分なさそうだね」
「溶け……桃……化け物……子供……子供?」
「だぁッ!! 煩いよじじい! 今すぐ正気に戻らないと……」
「……ハッ!!」
ようやく正気に戻ったお爺さんは、改めて話を聞いて全てを諦め受け入れることにしました。これも年の功です。
そこでふと、お爺さんは子供には名前を付けなければと気付き、提案します。
それに対しお婆さんは言いました。
「あ? 桃から生まれたんだからどっちも桃太郎でいいっての」
「いやいや婆さんや、赤子は二人おるぞ? いくら同じ顔でも、両方桃太郎ではさすがに可哀想じゃ」
「あ゛ー……んじゃモモタロウを分解してモタとモロウで。はい決まり!」
「また安直な……じゃあ喪太と模郎と名付けるとしようか」
こうして二人の赤子は喪太と模郎と名付けられ、お爺さんとお婆さんに育てられることとなったのです。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
喪太と模郎は有り得ない程の速度ですくすくと育ち、僅か数年で立派な二人の若者になりました。
二人は同じ顔、同じ声で、考え方や仕草のひとつに至るまでまるで同じ。常に息もぴったりです。
そんな二人は、ある時お爺さんとお婆さんに宣言しました。
「「おっ母ぁ! おっ父ぉ! 俺たち、外の世界に行くことにしたよ」」
お婆さんは、最初から分かっていたかのように二人を見つめます。お爺さんはもうボケていて耳も遠く、全く反応しませんでした。
お婆さんは少し間を空けて、二人に問いました。
「ほぅ、それで外で何がしたいんだい?」
「世界を見たい!」
「ついでに善行を積む!」
「おっ父ぉは善行をして罪滅ぼしをしたいって呟いてた」
「おっ父ぉはもう駄目だから、代わりに俺たちがやる」
「「だから外の世界で善行を探す!!」」
お婆さんはちらっとお爺さんを見て、それから溜息をついて言いました。
「三日待ちな、お前達に餞別がある」
「「分かった」」
それからお婆さんは肩にあの巨大な薙刀を担いで、何処かへと出掛けてしまいました。
……そして三日後。
「戻ったよ!」
「「お帰りおっ母ぁ」」
「ほれ、二人の刀だ。お前達なら使えるだろう?」
その言葉と共に放り投げたのは、動物の牙のような二振の小太刀。
握ってみると、荒々しい気配を感じられるそれに二人は驚きました。
「双刀『洪牙』とでも呼ぶと良いさ。あの川の主の牙を研いで作った。アレも龍の端くれだからまぁまぁ役に立つはず」
「「ありがとうおっ母ぁ!!」」
二人は喜んでそれを腰に差し、外の世界に向けて旅立ちました。
なお、川の主は………………。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
旅に出た喪太と模郎は山を越え野を越え、やがて都へと辿り着きました。
初めて目にするお爺さんとお婆さん以外の人間、しかもこれ程に賑わう様に二人は大興奮。
心の赴くままフラフラと都を見物しているうちに、やがて一軒の茶屋から漂う良い香りに誘われていました。
店のおかみさんが威勢良く声を掛けます。
「いらっしゃい! 名物のきびだんご、食うかい?」
「「いただきます!」」」
「気持ち悪いくらい声が揃って……あんた達双子なのかい。見た所旅人のようだけど、どこから来たんだい?」
「「もぐもぐ……あの山の向こう!」」
「はぁ!? いやいや、フカシはいけないよお二人さん。あの山の向こうには恐ろしい鬼が住んでるってのは子供でも知ってるよ」
「「鬼?」」
不思議そうな顔をする二人に向けて、おかみさんはおどろおどろしい声を作って語ります。
「ああ、その昔都の兵千人を殺し血を啜ったとんでもない鬼姫さ。おまけに帝の至宝『龍断』まで奪って行ったって噂だ。だからこの辺の人間はあの山にすら近付かないんだよ」
「「……龍断……鬼姫……」」
「ん? どうしたんだい呆けた顔して? にしても呆けた顔さえ同じなんだねぇ」
「「おかみさん、その話詳しく!!」」
「な、なんだい急に!?」
それから喪太と模郎は都中を駆け回って鬼姫の話を聞いて回りました。
そして、確信に至ります。
二人は悩み、苦しみ、決断し……最後に訪れたのは、帝の居るお城。
お城の門の前に仁王立ちした二人は声を合わせ大声で名乗りを上げました。
それは都全体に響く程の、とんでもない大声で。
「俺は喪太!」
「俺は模郎!」
「「二人合わせて桃太郎!!」」
「「俺たちはかの鬼姫の息子にして、それを討たんとする者なり!! 故に帝に御目通り願う!」」
それに驚き飛び出して来たのはお城の兵達。
何しろ鬼姫の息子を名乗る者が城に来て、帝に会わせろと言うのですから尋常ではありません。
あっと言う間に喪太と模郎は取り囲まれましたが、二人は涼しい顔。
その様子にますます焦る兵達はじりじりと間合いを詰め……一斉に飛びかかろうとした、その瞬間でした。
「控えぃ!! 帝の御成りである!!」
その声に一瞬で跪く兵達。喪太と模郎もそれにならいます。
城門がゆっくりと開かれ、現れたのは年老いてなお覇気に満ちた、紛れも無い帝の姿。
喪太と模郎は、その帝の瞳に宿る強い輝き……お婆さんと同じ輝きを見て、確信と決意を深めます。
一方で帝も二人の姿を、その背に宿る懐かしい気迫を目にすると、厳かに告げました。
「その者等、名を桃太郎と言ったか。話を問う必要があるため謁見を許す。こちらへ参れ」
城の中へ導かれた喪太と模郎は帝に、自分達が鬼姫であるお婆さんに育てられたこと、そしてその恩はあれど正義のために鬼姫を討つ覚悟を決めたことを告げました。
全てを聞いた帝はその覚悟に感銘を受け、全てを二人に託すことを決めます。
「帝の名においてこの二人、桃太郎に鬼姫の討伐の任を命じ、その助けとして神器『疾風』『剛雷』『緋炎』を貸し与える!」
一日に千里を駆ける銀狼の毛皮から作られた具足『疾風』、大岩をも握り潰す怪力を持つ狒々の骨から削り出した籠手『剛雷』、不死鳥の羽を紡ぎ編み込んだ鎧『緋炎』。
いずれも帝の至宝であり、身に付けた者に絶大な力を与える……それは失われた『龍断』と同じ神器なのでした。
それを貸し与えられた喪太と模郎は、少し困ったように眉を寄せ、顔を見合わせます。
与えられた神器は三つ……しかし二人は心は一つでも身体は二つなのです。つまり余りが出る訳で。
喧嘩すらしたことなく全てを平等に分け合って生きて来た二人にとっては、これはちょっとした難問なのです。
しかしその時、差し出された神器に天から不思議な光が降り注ぎました。
すると神器も輝きを帯びたかと思うと、それらが二組ずつに分かれたのです。
これには帝も驚き、そして天に祈りました。
これはまさしく天が二人に味方してくれていることに違いないと。
元は三つだった神器を身に付けた喪太と模郎は、そのまま自分達の家を目指して駆け出しました。それはもう、恐ろしい程の速度で。
まさに疾風のように駆けた二人は、あっと言う間に野を越え山を越え、元の家に辿り着きます。
……それを迎えるのは、『龍断』を肩に担ぎ仁王立ちしたお婆さん。
溢れ出る闘気は陽炎となり、二人を押し潰さんとばかりの圧力として感じられました。
しかし喪太と模郎は負けじと気合いを入れ、声を張り上げました。
「「かつて都で暴れ千の命を奪った鬼よ! 我ら桃太郎が成敗致す! 覚悟!!」」
「……ふん、ガキがどこまであたしの奥義に迫れるか、たっぷり試してやるよ。さぁ来なっ!!」
始まった戦いは壮絶を極めました。
まるで一つの生き物のような動きで振るわれる『洪牙』に対し、全てを破壊せんと竜巻を起こす『龍断』。
喪太と模郎の二人がかりで、しかも三つの神器と『洪牙』の力を合わせても、まるで動じないお婆さん……否、それは一匹の鬼。
ぶつかるたびに火花が散り、大地が砕け、大気をも震わせます。
戦いは三日三晩に及び、ようやく静かになった時には山が半分程無くなっていました。
そして最後に立っていたのは、桃太郎の二人。
仰向けに倒れボロボロになったお婆さんは、力無く笑います。
「ハハッ、最初から分かってたよ。あたしはいずれこうなるってね。それに桃ってのは天界の果物だ。アレは神様があたしに罰を与えるために投げ落としたものだってのもね」
「「……おっ母ぁ……」」
「泣くんじゃないよ二人共。お前達に武術を教えたのもこのためだからね……本当に強くなった、自慢の息子だよ」
「「…………」」
「あたしは殺し過ぎた。自分の欲望のために。そして爺さんの……グハッ! ……ガ……ァ」
お婆さんの喉には、石包丁が突き刺さっていました。
その柄を握り締めるのは、涙を流すお爺さん。
「……姫、お許しを……」
そして、お爺さんも力尽き倒れ……折り重なった二人は、やがて冷たくなっていきました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
鬼姫が討ち取られたという報せに、都は大いに沸きました。
失われた『龍断』も戻り、いつの間にか元の数に戻っていた他の神器も返却されています。
都中で延々と宴が続きましたが、その主役……英雄となった桃太郎の二人の行方を知る者は、誰もいませんでした。
しかしその勇姿は人々の記憶に刻まれ、語り継がれ……今もこうして讃えられているのです。
めでたしめでたし