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31番目の妃*35

 二人の優しい時間は長くは続かない。


「申し訳ありません、王様」


 その声の主はサブリナの父、公爵である。背後のサブリナや追い出された者らと共に悲痛な面持ちで立っていた。サブリナらは、二順目の芋煮を城門前でもらい受け、憔悴がにじみ出た様相で公爵の陰に隠れて立っている。本来、広場で並ばねばならぬ芋煮を得たのは、城門前に手伝いに集まった民らの優しさだ。


 マクロンはフェリアを抱き抱えながら立ち上がる。フェリアは横抱きにされている。


「フェリア、寝ていろ。我に任せろ」


 マクロンは優しくフェリアに微笑みかけ、その体をいっそう自身に包み込んだ。疲れきっていたフェリアはマクロンに身を委ね、瞳を閉じた。




***


 目を開けると見知らぬ天井に、フェリアは飛び起きて辺りを確認する。


「豪華な部屋……」


 何処であろう? との疑問を持つほどフェリアは純真無垢な『お馬鹿妃』ではない。この部屋の様相に判断できぬほど、拙い頭の持ち主ではないのだ。


「マクロン様?」


 この寝室の主であろうマクロンの名を呼ぶ。それに答えたのは、女性の声であった。


「お起きにならさりましたか?」


 少ししゃがれた声の主の方に、フェリアは顔を向けた。年配のその者は、桶を持って近づいてくる。


「お顔を洗ってくださいませ」


 フェリアは言われるがまま、顔を洗った。


「はじめまして。私は王様の乳母をしておりました者にございます。今は『婆や』と呼ばれ、ここ王様の寝室を担当しております」


 婆やは、独り言のようになぜここの担当であるかをつらつらと発する。


「まあ、寝室のお世話というものは、ある意味侍女らには魅力的ですからねえ。まあまあ、毎日とまではありませんが、女の色を使って王様に接する者もおりまして。王様はあの通り、女性には堅物でしょお? もう、城からお暇いただいたこの婆を、わざわざ呼びつけおって……ほほ失礼。まあまあ、そういうわけで、ここはもうおわかりのように、王様の寝室であります」


 フェリアはコクンと頷いた。十分にわかっていたことだ。特に驚くこともないし、おそれ多いと退室を願うこともしない。


「まあまあ、ええ、素晴らしいお妃様です。ええ、その肝の据わり方……さすが王様のお眼鏡にかなったお方でございますな」


 フェリアは、少し頭を傾げたが特に反論することもなく、ただふふと笑んだ。フェリアに謙遜などという言葉は存在しない。いや、するがここで『いえ、そんな私なんて……』などと言わぬのがフェリアであり、それこそ婆やがフェリアを一瞬で認めた肝の据わり方なのだろう。


「入るぞ」


 そこにマクロンが入ってきた。


「すでに入ってきてから言う言葉でないですね、王様」


「なんだと、全く口の減らない婆やだな」


 二人の会話にフェリアはまた笑った。それをマクロンが優しい笑みで見つめる。


「おや、まあ。小坊主がまあまあ、立派な男になったようですね。婆は一旦退散しましょうかね」


 マクロンは小さな声で『婆やにとっちゃ、我はいつまでも小坊主か』と悔しそうに言いながらも、その声色はどこまでも優しいものだった。


「フェリア、疲れはとれたか?」


 ベッド脇に座ったマクロンがフェリアに手を伸ばした。その手はフェリアの頬を包む。フェリアは、その手に頭の重さを預ける。マクロンはフッと笑って、そのままフェリアを引き寄せた。胸におさまったフェリアの頭に、唇を落とすのは昨日からはじまった癖のようなもの。


「妃の辞退が30となった」


 マクロンは愉しげに発する。


「ふふふ、マクロン様はモテませんのね」


 予想外なフェリアの返しに、マクロンは一瞬固まった。それから笑い出す。フェリアの体を離し、その額をコツンと自身の額とくっ付けた。


 フェリアは瞬きをして、あまりに近いマクロンの顔を見つめた。マクロンの深い漆黒の瞳と、フェリアの藍の瞳が互いの姿を映す。


「こんなに素敵な方なのに、皆さんお目が悪いのね」


「ああ、皆が目が悪くて助かったよ」


 瞳の距離が近づく。


「きっと皆さん知らないんだわ」


「何がだ?」


 フェリアはマクロンに挑んでいる。マクロンもフェリアに挑んでいる。瞳の藍を濃くしたような青みがかったフェリアの黒髪を、マクロンは撫でた。


「優しい温もりと優しい瞳、優しい声といたずらな心」


 フェリアは心と言うと同時にマクロンの胸に手をあてる。少しそれを押すのは、『まだよ。まだ吐息は受けませんわよ』との挑戦だ。


「君はいたずらな心だらけだ」


 マクロンは胸を押すフェリアの手首を掴む。優しく優しく、だが揺るがぬその手は先ほど少し離された体を再度引き寄せた。マクロンとて、負けられないのだ。簡単に吐息をくれぬフェリアになおも挑む。


 また二人は同じ距離になる。その距離を保ったまま、マクロンは顔を横にずらした。瞳は離れるが、唇が近づく。マクロンのグレイの前髪がフェリアの頬をかすめる。


「王様! もう広間に皆が集まっております! そろそろフェリア様を起こして、お二人でお越しください! 皆、待たされ過ぎてイライラしてます」


 扉の向こうからビンズの大声が聞こえてきた。


「マクロン様、ふふふ、どうやら私たち、ビンズに負けたようですね」


「あのやろう!」


 フェリアはクスクスと笑い、マクロンはギロリと扉を睨みつける。もう少しでフェリアの吐息を食めると思っていたマクロンにとって、ビンズは疫病神だ。スタスタと扉まで歩くと、乱暴に扉を開けた。そして、いきなりげんこつをビンズの頭に落とす。


「イッテッ! 何ですか、突然?!」


 不機嫌なマクロンと笑い続けるフェリア、ビンズは二人を交互に見ると、何がなんだがわからないといった感じで、肩を落とした。


「フェリア、我の横に立ってくれるか?」


 マクロンはフェリアに手を伸ばした。フェリアは、マクロンの手を迷わず取る。死斑病との戦いはまだ続いているのだ。


「……もしや、先に民に芋煮を配ったことを問題にしているなんてこと、ありませんよね?」


 ビンズが弱い笑いをフェリアに見せた。マクロンは小さく『馬鹿どもが』と発している。


 フェリアとマクロンは次なる戦いへと足を踏み出した。




***


 広間には貴族らが集まっている。皆、口々に『予防の薬はまだか?!』とイラついたように言っている。フェリアの危惧した通りの展開だ。


「皆、死斑病が発生した時にさっさと退城し、自邸にて閉じ籠っていた役立たずな貴族らだ。予防の芋煮が王城から民に配られたと知って、こぞって集まったようだな。貴族である自分らには薬が配られるはずだと思っている能天気な奴らだ」


 マクロンはフェリアに耳打ちした。広間に入る次の間から、フェリアらは苛立った貴族らを眺めていた。


「さあ行くぞ」


 フェリアはマクロンの腕を取った。マクロンは広間へと進む。後ろにはもちろんビンズである。


 王マクロンの姿が広間に移る。フェリアは堂々とマクロンの横に寄り添っている。ざわついていた広間は、スーッと静かになった。玉座にマクロンが座する。その横の空席にフェリアは座った。それには、広間の者らも静かにはできず『なぜ、王妃の席に座っている?』との視線とざわめきがフェリアに向けられた。


「お前たちは、何用で登城している?」


 貴族らのフェリアに対する不躾な視線を全てスルーして、マクロンはそう発した。その問いにさらなるざわめきが広間を覆う。いっこうに答えぬ貴族らに痺れをきらしたマクロンは、すっくと立ち上がりフェリアの手を取って広間から去ろうと歩みだす。


「お、お待ちを王様……」


 この場で一番位の高い伯爵がマクロンを呼び止めた。


「何用だ? 我らは、死斑病の対応で寸の時間も惜しいのだ。さっさと申せ」


「あ、ですから、死斑病の薬を……」


 伯爵は最後まで言わず、王マクロンをうかがっている。マクロンはこの上なくイラッとしたが、顔には出さず伯爵の言葉を待つ。伯爵にとっては王マクロンの言葉を待っているのだが、マクロンは言葉を発しない。


「あ、あの?」


「中途半端な問いに我が答えると思うな。忙しい! ここで好きなだけたむろっていよ!」


 マクロンが一喝すると、貴族らは竦み上がった。しかし、ここまで言われたならば、言わずにはいられない。


「王様、どうか我らに予防薬をお与えくださいませ」


 伯爵がやっと欲を口にした。


「そんなものは存在しない。予防の芋煮を欲するならば、広場で並べ。順番に今日も配る予定だ」


 広間の貴族らは驚愕の顔で王を見ている。


「わ、私たち貴族に並べと言うのでしょうか?」


 マクロンはその言いように、思わず伯爵を睨みつけた。しかし、貴族らは口々に並ぶなどできないと言う。連れてきている令嬢らは、そんなみっともないことはできないと駄々をこねている。広間はその雰囲気をマクロンに圧としてかけた。


「マクロン様、素晴らしい貴族の方々ですわね」


 フェリアの軽やかな声が突如広間に流れた。

次話明日更新予定です。

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