31番目の妃③
フェリアの朝は早い。陽も出ぬうちから体を動かすのが日課だ。邸から出て、大きく伸びをする。
「さて、やりますか」
そう言うと、邸の横にある井戸から水を汲み上げた。バシャンバシャンと顔を洗い、エプロンポケットから取り出した布で顔を拭く。朝陽がゆっくりと上ってきて、辺りを照らしていく。その瞬間が好きなフェリアはいつも早起きして、眺めているのだ。
「今日もお願いします」
朝陽に向かって手を合わせて祈る。これもフェリアの日課である。それが終わると、邸に戻っていった。
***
フェリアが朝の日課をしていた頃、時を同じくして王も日課に勤しんでいた。
ダナン国の王マクロンは、上半身をさらして木刀を素振りしている。こちらも陽が上る前に起き出しての日課である。空気を斬る音と自身の吐き出す息しか聴こえぬこの時間を、マクロンは大事にしてきた。
しかし、二ヶ月前よりマクロンの睡眠は障害が伴い、寝起きのスッキリした覚醒はなくなった。気だるく起き、自身を叱責し木刀を握る。その睡眠障害もやっと終わりを告げるための態勢が整った。
『後三ヶ月だ。後三ヶ月の辛抱だ』
そう一心に祈りながら木刀を振っている。
1~31番の妃ら候補が揃わねば、このダナン国でのお妃選びは開始されない。召し上げた中からお妃を選ぶのは王たるマクロンではあるが、勝手に選べるわけではない。三段階もの通過儀礼があるのだ。
まず、三ヶ月の交流。三ヶ月後にマクロンと妃候補の意向を合わせて残る妃候補を選ぶ。次に妃候補への九ヶ月間の教育。最後に、マクロンの意向を最大限聞き入れた王妃、側室らが決められる。妃候補らではあるが、皆、王城にいる間はお妃様と呼ばれている。
マクロンはそのお妃選びの第一段階より前ですでに躓いていた。妃候補が31人集まらない。集まらなければ妃選びは開始されない。されないが、すでに王城に入った妃候補を知らぬふりはできず、結局相手をせねばならない。相手といっても、いわゆる男と女の関係ではない。他国からダナンに姫を出したという事実だけのために、まだ十にも満たぬ姫が来ていたり、気位ばかり高い姫の相手やら……自国の貴族の娘は特に大変である。皆、目の色かえてマクロンと接する。王妃の席を取り合うために。そんな者三十人の相手をすでに二ヶ月ほどしてきたのだ。睡眠障害が出てしまうのも頷ける。
『やっとだ。やっと後三ヶ月だ!』
苦行の二ヶ月で精神的にも肉体的にもマクロンは限界に近づいていた。
『なぜ、我がままごとなどせねばならんのだ!』
木刀が空気を斬る。十もいかぬ姫の相手のことである。
『なぜ、笑みもせぬ女と美味しくもないお茶など飲まねばならんのだ!』
木刀が空気を斬る。気位ばかり高い姫の相手のことである。
『なぜ、香水臭い女とダンスせねばならんのだ!』
いっそう、木刀は空気を斬った。浮かび上がった妖艶な妃候補らを叩き切っていた。マクロンのこめかみには青筋がたっている。
「王様」
木刀が止まる。マクロンに声をかけたのは、フェリアを先導した騎士である。
「おはようございます。今日も素晴らしい鍛練ですね」
「世辞はいい。用件を言え」
「本日からお妃様選びが開始されます。今日は15日ですので、15番目のお妃様との交流から始まりとなります」
「……そうか」
マクロンはうんざりしていた。あれほど、鍛練によって後三ヶ月だと自身を鼓舞していても、今日がやっと開始で、まだ三ヶ月もあるという事実にため息が出る。そのマクロンの横顔に陽があたった。
マクロンは上った陽に向かっていつものように心の中で祈った。
『今日もお願いします』
日課を終えたマクロンは、さっさと嫌な事を終えようと15番目の妃の所に向かった。
***
マクロンにとって地獄の三ヶ月がはじまった。フェリアにとってはどうであろう? マクロンを送った騎士は、ご用聞きのためにフェリア邸に向かう。騎士は、なぜか愉快な気持ちになる。他の妃とは毛並みの違うフェリアを快く思っていた。あの王マクロンが、フェリアと会ったらどうなるのかと想像し、笑みがもれる。しかし、マクロンがフェリアに会うのはまだ先である。
なぜなら、31日は向こう二ヶ月無いのだから。
次話5/29(月)更新予定です。
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