31番目の妃⑩
「本日は31日にございます」
早朝、訪れた女官長の言葉である。
お妃様選びも二ヶ月半が経ち、やっとフェリア邸に王マクロンのお越しの日となったのだ。
「はあ」
フェリアは素っ気ない。
女官長は顔こそ動かさないものの、邸の様子を瞳が探っていた。侍女も居ず、食事も届けなかったこの邸の怪しさの答えを瞳に焼き付けている。侮蔑の眼差しで緑豊かな畑になった庭園を見つめ、フッと鼻で笑う。
「華のないことですこと」
庭園を言っている風に見せかけて、フェリアに華がないと言っているのだ。フェリアもフッと鼻で笑う。
「実のなる華がもう少しで咲きますわ。愛でるだけの華より、実の力を持つ華が私は好きですの」
実の力、実力が私にはありますのよとフェリアは応戦している。女官長の目の色が変わる。
「では、華が咲くまで……実を成すまで、愛でる御方の来訪はなくても良いでしょうに」
王の来訪は必要ないだろうと女官長はニヤリと笑む。フェリアもニヤリと笑みを返した。
「元よりそのつもりだと二ヶ月半も前にお伝えしましたが、お忘れに?」
確かにフェリアは二ヶ月半前に、女官長に言い放っていた。『ここに来たくて来たわけではありませんし』と。女官長の仕返しも、王のお越しもフェリアにとって、どうでもいいことなのだ。女官長は、いっさいへこたれないフェリアに地団駄を踏む思いである。体を強ばらせ瞬きせず、フェリアを凝視している。
「王様のお越しを邪魔した方がいいわよ。だって、私はこう言えばいいのですもの。『侍女も居ず、食事も届かない、衣服もなく邸は埃まみれ、楽しい三ヶ月の王城生活でしたわ』とね」
女官は大きく目を見開いた。自身の行った仕打ちが自分に返ってきたのだ。そんなことが王に知られてしまえば、女官長の立場はなくなるだろう。懲罰ものである。しかし、フェリアに屈することをよしとしない女官長は、ギリリと歯噛みしフェリアに対峙した。
「これだから、田舎者は……女の宮の美徳も知らぬとは嘆かわしい。女の宮での処遇を口にするは恥ずべきこと。ご自身の誇りもないのですか」
後宮のことは後宮内でおさめるが美徳と言っている。それでも、フェリアはうふふと笑う。
「ええ、田舎娘ですから、このような立ちまわりしかできませんの。あら、ごめん遊ばせ。そろそろパンが焼き上がりますわ。失礼」
フェリアは女官長の反撃も意に介さず、日常に戻っていった。女官長は怒れるこぶしをそのままに、ふんっとこれまたきびすを返す。その足は王を引き止めるべく、真っ直ぐに進んでいった。
***
マクロンは女官長に捕まっている。さっさと31番目の妃の邸に行きたいのに、それを阻むように女官長は邸の管理についての諸問題をマクロンに訴えていた。やがて、王の元に仕事の催促の文官がやって来る。女官長の思惑どおり、マクロンとフェリアの最初で最後であろう朝の一時の交流は見送られた。
しかし、これが女官長の後悔となる。心を寄せ合う努力をしているマクロンは、31番目の妃邸へ……夕刻向かうことになったのだ。
やっと、フェリアとマクロンが出会う。
***
チクチク、チクチク……フェリアは今お針子だ。訪れる騎士らの服を手直ししている。
「はい、できたわよ。右の肘をよく使うのね。共布で補強してわからないように糸でも頑丈に縫っておいたから」
ゾッドは目を丸めた。手直しの最後はゾッドの服であった。ゾッドはよく右肘を使い敵を倒す。だから、どうしても服の右肘部分がすぐの袖布が弱くなってしまうのだ。しかし、フェリアに渡した服にはそのようなヘタレはなかったはずである。単に騎士服の飾り刺繍がほつれていたので、わからないようにしてもらうため、御願いしたものだ。
「なぜ……?」
「え? 普通に毎日接していればわかるわよ」
事も無げに告げたフェリアは、鼻唄を歌いながら次の作業に取りかかった。自身の服の裁縫である。ここ二ヶ月半で、フェリアは服やら下着やらを五着ほど作っている。カロディアから持参した服と合わせて八着ほどになった。二日目の夕刻にビンズが届けた荷物を覚えているだろうか。フェリアは王都で流行の生地を頼んでいたのだ。ビンズは不思議に思いながらも配達をした。その後、発覚された女官長の仕打ちによってフェリアが服を作ろうとしていることを知ったビンズは、ドレスを準備すると言ったのだが、フェリアは断った。フェリアにとって服作りは趣味である。ご令嬢がハンカチに刺繍する感覚と一緒であった。
ゾッドは、ティーテーブルに生地を広げ楽しそうに裁縫に勤しむフェリアを見つめる。他の騎士も一緒である。
「王様のお越しがないのに、何とも……」
ぽつりと呟いた騎士は、眉が下がり肩が落ちている。朝の一時の交流は、女官長の妨害によって流れた。三ヶ月に一度しかない唯一の交流が流れた妃の様には見えないフェリアに、騎士らは乾いた笑いを出すしかない。
「ああ、でもさ。フェリア様が良いなら良いんじゃねえか。俺ら本当にいいお妃様に着いたよな」
「そう……だな。うん、そうだよな。最後までフェリア様と楽しく過ごそう。こんな風に飯を共にして、服も繕ってくれて、一緒に畑仕事するようなお妃様だもんな」
ゾッドらは笑いあう。手に剣でなく鍬を持っている自分たちを互いに笑いあった。
そんな昼間であった。
夕刻はやってくる。王のお越しの日だということを、フェリアも騎士らも失念していた。もう来ないだろうと思っていたのだ……
***
ビンズは急ぎ足でフェリア邸に向かっている。王の来訪の先触れを告げるために。侍女もいないフェリア邸にそれを告げる者はいない。今朝は女官長が行ったようだが、その女官長の妨害でフェリア邸へマクロンは行けなかったらしい。女官長との女の戦いとやらは、ゾッドからは聞いている。三ヶ月前のマクロンであるなら、縁がなかったと邸には行かない判断を下したはずだ。しかし、マクロンは努力している。生涯の伴侶を選ぶために。王城に色んな理由で召し上げられた妃らに向き合うために。
「フェリア様、急ぎお着替えください」
ビンズは夕食を作っているフェリアに駆け寄る。窯の前だ。フェリアは煤けていた。
「ふへ?」
「王様がお越しになります。急ぎ……湯殿とお着替えを」
フェリアは思いっきり眉を寄せた。
「嫌よ」
そう答え、作業を続けている。
「フェリア様」
「このままでいいわ。これが私だもの」
ビンズはフェリアを嗜めようとしたが、フェリアはそれを許さない。ふんわり焼けたパンを窯から取り出したフェリアは、煤けた顔で最高の笑顔をビンズに向けた。
「綺麗なお姫様や、ご令嬢様は見飽きているでしょ。飾るのは、髪につけたリボンだけ。ドレスも着ず貧乏くじのお妃様の方が王様には楽しくってよ」
ビンズも担当騎士らは固まった。やはり、規格外のお妃様だと。加えて思う。やっぱり、侍女が必要であったのだと。自分たちでは、このお妃様を強引に着替えさせられないのだからと。
次話明日6/10(土)更新予定です。




