第三十五話:さあ、ゲームをしようよ
・・・彼に知らせなければ。
危機的な焦燥に駆られて懐から使い慣れた黒い手帳を、穏やかな彼に似合わぬほど乱暴に取り出した。ぱらぱらと白い部分をめくるために、忙しなく指を動かすが焦ってうまくいかない。ふう、と小さく深呼吸をしてから、落ち着いてそれをめくることにすると何のことはなく癖の違う二種類の文字達がページごとに並んでいた。それらは不安で一杯な私の文字と、全てを享受した哀しい彼の文字。出来るだけ見ないようにしながら、ゆっくりとめくっていく。
彼―――そう、バルがいれば何か変わるかもしれない。と淡い期待を胸にやっと現れた真っ白なページに、ペンを走らせた。
シエルに、リア様を取られた。確かにこの手で抱き上げたのに・・・。情けないことにあの時の自分は、自分と同等の彼女の重みに耐え切れず一歩を踏み出すことさえ出来ないでいた。
十の齢のまま髪の毛さえ伸びないこの身体。どれだけ鍛えても筋力は付かないし、どれだけ食べても太りさえしない。
大人になれない、自分が恨めしい。
チェシャに言われた“力弱いねぇ”という一言は、思ったよりも深く心の傷を抉っていた。
「・・・貴方が羨ましいと思うのは、傲慢でしょうか」
本来、この身体はバルのものだ。魂の呪いの所為だとはいえども、無理矢理彼の身体に押し入っているのは自分。異質なのは、自分なのだ。
それでも、羨ましいと・・・妬ましいと感じるのは、きっと自分の心が酷く醜いからだ。
書き出しは、いつも同じ。
『もう一人の自分へ』
しかし、今は・・・その先へ続く言葉が見つからない。
もう十五年も続けていること。事務的にはならないが書くべきこととそうでないことのポイントくらいは抑えている。少し考えて筆が止まったことはあれど・・・今のように迷ったりはしなかったのに。
「私は、どうすればいいんでしょうか・・・?」
もう一人の自分に、問いかけることができないでいた。もう一人の自分で、どこまでいっても味方であるはずのバルに。
ゴミ箱に一文しか書かれていない真っ白のページを残して、少年は部屋を飛び出て行った。
◇
意識が、バルにあるときは深い闇の中に沈んでいるような感覚になる。そのときに感じるのは、僅かな恐怖。生まれた時と同様に、この闇に囚われて消えてしまうかもしれない。だけど、きっとそれが自然なのだ。
“私”という存在が生まれた瞬間は、もう覚えていない。あるいは感じていなかったのかもしれない。【ハンプティ・ダンプティ】の呪いでこうなったのだ、という自覚はあるものも受け入れたことは一度もなかった。
私はバル=ダンプティの分身。彼が名づけた私の名は彼から借りた、偽者の記号。
苛立ちを込めて、無謀にも襲い掛かってきた【シャドウ】の数体をグローブをはめた拳で殴り飛ばした。私の氣をこめた重い拳はいとも簡単にそれらを拡散させ、後にはどす黒い彼らの体液が残るのみとなった。
破壊衝動はそれで収まったが、苛立ちはなお消えなかった。・・・これとは、一生をかけて付き合っていくことになるだろう。
「や、しょーねんっ」
やけに明るい声が耳元で囁かれ、ぼうっと呆けていた自分は大げさなほどに身体を跳ねさせられた。気配に全く気が付かなかった・・・また小さく歯噛みした。
「シエル、さん?」
気晴らしもかねて従者席に移動した私が、そこに誰もいなかった事実に苦笑をしたのは数分前。彼も同じ目的だろうか。
「そーだよ。ちゃあんと“俺”だから、だいじょーぶ」
狭い従者席に無理矢理身体を滑り込ませて彼は朗らかに笑った。“俺”というアクセント、つまり今はチェシャではない。
ニールとノーラを繋ぐ手綱をキュッと握りなおして、何事もなかったかのように微笑み返した。
「どうかなさったんですか?ここは一人用ですが」
「なぁに言ってんの。“どうかなさった”のはガルでしょー。もうあと少しで日没だよ?」
指差すほうを見れば確かにそこには西に大きく傾いた太陽があり、もう後少しで交代だと急かしていた。普段は一人でひっそりと交代するのに、全然回りが見えていないではないか。
「ねぇ、キミさぁ」
「はい」
「自分じゃない自分に征服される瞬間、何を考えてる?」
唐突かつ意図のつかめない質問。ギクリと身を振るわせたのは彼に伝わってしまっただろうか。
「・・・別に何も」
そう固い声で答えることだけで一杯一杯で、彼の薄紫の半透明な瞳を直視できないでいた。クツクツと楽しそうに笑うシエルに、意思の端で“シエルはリア様のことを気に病んではいないのだろうか”と少し思った。笑うことが彼の精一杯の虚勢だと、気が付いていたのに。
「俺はねぇ、ああまた取られたって。まるでゲームみたいだって考えてるよ」
「ゲームですか?」
「そう。オセロゲームってやつ。黒と白とが挟み合って、くるくるくるくる反転しあう。俺とおれはそんな関係だと思ってるんだぁ」
彼がオセロだと言うのならば、自分だってそうなんだろう。とすっと胸に入ってきた言葉に軽く納得した。
「でもさぁアイツひどいんだよー。俺はさ取られても取り返せないのに、アイツは自由に駒を置いて自由に取れる。オセロなのにルール違反しまくってる!」
「それならば、私達はルールどおりでございますね。日没を合図にクルリと反転、相手の事情はわからないのですから」
ぶうっと彼に似つかわしくないほど子供っぽく唇を突き出した青年にクスリと自然な笑みを向ける。“あ、笑った”と途端に口元を引き上げるシエルに図られたのかと少し気分が悪くなった。
「まーまー、気晴らしだと思って此処に来たんでしょ」
「まあそうですが・・・」
「なら俺の冗談にも付き合ってよ。暇なんだよ」
暇、ねぇ。
リア様の一大事であるというのに。
少し表情を強張らせたのだが、シエルはわかっていながら気にも留めずに話し出した。
「昔さぁ、俺の友達がお茶会に酒を持ち込んで来たんだよ。しかもワインならまだしも、もっと下賤なもの!」
「なんとまあ、無粋ですね」
優雅にお茶を楽しむ席に、酒など無粋。女王と共によくお茶会に参加していた身としては苦い顔をするしかなかった。共感されて嬉しいのか、目を少し煌かせて詰め寄るシエル。
「でしょ!でも俺酒は飲んだ事ないからちょっと興味あったんだよねぇ。だからソイツにさ“酔っ払うってどんな感じ?”って聞いたんだよね」
「すると?」
「“あそこにある二つのグラスが四つに見える状態のことを酔うって言うんだ”と爆笑しながら言うからさ、指差すほうを見たらさ」
そのときのことを思い出しているのか、楽しそうに身をよじるシエル。ただでさえ狭いんだからそんなに動かれては此方が痛い。・・・あの、手踏んでます。
「グラス、一つしかないんだよねぇ」
「・・・・・・あー・・・」
「もう酔っ払ってやんのぉ」
一本の指を横に素早く振りながら笑う彼に、短く息を吐き出して笑ってやる。
「あれ。面白くない?」
ええ、全然。少しも面白くないです。一大事に冗談で笑えるほど、私は子供ではないのだから。
そう答えたいのに、口が勝手に笑みを象ってしまっていて。喉元がひく付いて、うまく声が出せない。
「ほら、そうやって笑ってなよ。今一番辛いのは、きっと誰を差し置いてもリアだ。子供なキミはたくさん笑ってリアを励ましてよ」
「子供、ですか」
子供扱い。十の齢のままの体。成長しない自分。コンプレックスで、これから先改善策のない問題。
またしても貴方は、私の傷を抉るのですか。
笑みを象った顔をすっと業務用に換えた、刹那。
「まだキミは十五でしょ?ガル=ハンプティ君」
今度は驚きで硬直した。いつの間にこんなに表情豊かになってしまったのだろう。
―――シエルは、今・・・私自身を認めてくれた。
十の年齢のバル=ダンプティの分身、呪いの産物ではなく。私を一人の人間と、認めてくれたのだ。
「あ、もう交代だね。また明日ねぇ、ガル」
彼は従者席から腰を上げてヒラリと軽い身のこなしでニールの背に乗った。突然自分に余計な負担がかかったのにも関わらずニールは依然として歩を止めなかった。
そうだ、また明日。あなたと話そう。もっとたくさん話を聞こう。私が偽者であることには変わりないけれど、もっと前向きに生きられる気がしてきた。
胸ポケットからあの手帳を取り出して、さっとペンを走らせた。
『もう一人の自分へ』
ゲームをしよう。
オセロを部屋に置いておこうよ。
二人で一人と考えることは、もう止めにするね。
たまには敵同士になって、戦ってみようよ。
きっと、楽しいよ。
そう書いて、パタンとそれを閉じて、彼を見た。シエルは気を使ってくれているのか、前を向いたまま。
潤んだ瞳で今まさに沈んでいく太陽を見詰めながら、ガルは小さく“また、明日”と呟いた。その声が彼に伝わったかどうかは、定かではないが。
それでもいいと、少し思った。
日が沈んで闇が自分を深く飲み込んでも、もうガルは恐怖を感じていなかった。
どうもどうもー五十嵐イツキですぅ
今回のゲストは、ガル君と同じ【ハンプティ・ダンプティ】である―――バル=ダンプティさん!
バル「紹介に預かった【ハンプティ・ダンプティ】バル=ダンプティだ。お初にお目にかかる人も、そうでない人もよろしく頼もう」
・・・固ッ(汗
あーあー・・・えー、本編では一日しか経ってないはずなのに随分と活躍が減ってしまったような気がする彼ですが、私の大好きなキャラクターの一人ですぅ!
バル「それはありがたい。俺とガルは半日しか出れぬのでな、そう言ってくれると随分と救われる」
バルが好きだと言ってくれた人も多くいらっしゃいましたぁ!メッセージありがとう御座いました!
バル「本当に感謝いたす。ああ、俺もそうだがガルもよくしてくれると尚嬉しい。リア嬢も・・・・・・リア嬢・・・」
・・・ん。なしたの?
バル「・・・そうだ、こんなことをしている場合ではないな。様子がおかしい、俺が向かわないと―――」
ハイハイハイハイ!!!本編ネタ禁止ですぅ!!!
や、流石に心理世界まで来てダソペやるのは、悪いとは思ってるんだよぉ!?
バル「そうか、では。お引取り願いたいのだが・・・」
うん、ヤダ(はーと
だってホントにバル活躍してくんないんだもんー。絡みにいかないとシリアスにしか使えないというか、コメディではその固いキャラは組み込みにくいというかぁ―――(ごにょごにょ
バル「なにやら知らんが・・・俺はもういく、交代だ」
(バル作者を置いてさっさと出て行く)
―――わかってるよ、私の文章力が足りてないからこうなるんだよね。知ってるよ、知ってるよぉ・・・・・・・・あれっいないぃ?
グスン。いいもん、勝手に一人で次回予告しちゃうもん!
次回!ガキンチョ キッドくん、私はキミが大好きだよぉ!是非このダソペでラビ被害者の会を開いてじっくりと話し合おうではないか―――
(ラビの鼻で笑う声)
(カチッ)
・・・あれ、なんで銃が目の前にあるのかなぁ?
・・・あれ、ラビ・・・君、いや様・・・や、やめてくださいぃぃっぃぃぃ!!!