第二十三話:大切な、大切な・・・
叫び声を上げながら椅子から床に倒れこむ。床に倒れるのを手を突いて阻止する。それだけの動作は一瞬だったのだが、僕の頭の中には何十年もの記憶が流れ込んできていた。
「ッ・・・はッ、ゴハッ!?」
荒い息を吐きながら頭を抑えていると、隣でキッドが倒れていた。普段は健康的な色をした顔が青白く染まっていて、今の僕と同じように頭を抑えて身悶えている。
「お二人を医務室へ!!早く!!」
クローバーはニッケルに救護班を呼ぶように指示していたようで、真っ白い白衣を着た青年がバタバタと走り寄ってきた。リーシュに起こされていた僕は息を吐き出しながら、担架に運ぼうとする彼を手で制した。
「もう、大丈夫だよ。それより、キッドを」
「俺も・・・もういい」
フラフラと起き上がりまだ青白い顔をニコリと無理矢理歪めて微笑む姿が痛々しい。全然大丈夫じゃないじゃないか。
リーシュが心配そうに僕らを支える。というか、怒られるのを待つ子供みたいにビクビクしている。その彼女にも大丈夫という意を込めて支える手を外した。エリシュベラは泣きそうな顔をして僕らから離れて跪いた。
ニッケルは何か思い当たることがあるのか、眉間に皺を寄せて思考に浸っている。
クローバーが口元に小さく弧を描いたまま跪く彼女に問いかけた。
「・・・エリシュベラ」
「はっ!!」
「彼らに何が起こったかわかりますか??」
その問に彼女はキッド並に青白い顔をして首を横に降った。
「では【役】は―――」
「僕の役は【三月兎】だ」
ぎょっとリーシュが身を強張らせた。彼女にも僕の【役】が分かっていたのだろう。小さくニッケルからため息が零れ、ローバは以外にも冷静に“ほう”と言って微笑んだ。
「リーシュの魔法は術者以外には【役】は分からないはずなのですが??」
「彼女の魔法とやらのおかげで・・・僕の記憶まで戻ってしまったようだね」
「興味深いことを仰いますね。それは貴方の記憶ですか??それとも【三月兎】のもの??」
「どちらも」
ニヤリと笑みを零すと彼もまた笑った。同属ということは目の前の少年にもわかっているらしい。キッドは本当にもう大丈夫のようで、コキコキと首を鳴らしてニヤニヤと笑っている。
ローバの視線が彼に向くと、“あー”と呟いて
「俺は【トゥーイドル・ダム】な。そろそろ【ディー】も覚醒すると思うぜ??」
「ほう。貴方もですか・・・」
「ふっ馬鹿キッドに少し知識がついたようだね」
「るせっ!!」
この空気についていけないのはどうやらリーシュだけらしい。
暫く僕らの顔を順番に見ていたが、ふっと後ろに卒倒し意識を失った。ニッケルが予想していたように彼女を抱きとめ、二人は退室した。
「結局ニッケルは一言も話さなかった・・・」
「なにそれ。ナレーションのモノマネかい??」
「・・・や。なんでもないのですわはァはははぅ!!」
わぁ、キッドが壊れたー。記憶が戻っても彼は彼のままだね。
「彼の役は【ジャック】です。騎士団長をしております。普段は無口ですが、稽古や実戦ではとてもよく活躍してくれていますね」
壊れていた彼が一瞬ピタッと止まった。そして、ニッケルの出て行った扉をじっと見詰めて、目を細めた。すこしだけ微笑む彼が儚い物に見える。
「なるほど、ね・・・」
「・・・どうかしたのかい??キッド」
「ああ、なんでもねー。話続けてくれ」
クローバーがくすくす笑った。“お掛け下さい”といって自らも椅子に座った。
僕らが椅子に腰掛けると、すっと真剣な瞳を向けられた。何があったのか分かっていないはずなのに、彼は既に全てを受け止めている。
「・・・貴方は悲しい人だね」
「よく言われます。が、私の話はどうでもいいのですよ」
「そう??じゃあ、僕らに何があったかのか だね」
キッドはもう何も話さないつもりでいるようだ。面倒くさがりめ。だが、彼を置いて話を進めるつもりだった僕には都合が良い。キッドは説明が下手なのは昔からだ。
「まず知ってて欲しいのは、僕はこの世界で生まれたが育ちは向こうの世界だということ。キッドはどうか知らないけど、僕はこの世界では既に死んでいることになっているだろうね」
「ええ。それは分かっております。住民票にあなた方の名前は存在していませんでしたからね」
この世界で死んだはずの人間が生きていると言うのに、彼は全く動じない。その姿に侘しさを覚えながらも言葉を続ける。
「僕は黒の国の【三月兎】。その役を与えられた三年後に僕は母親に殺されかけた」
「ぶふぅっ」
「汚い。」
紅茶を吹きだしたキッドに一瞥をくれてやる。彼は僕の視線を完全に無視して目をパチクリさせている。どういうことかわからない、という目に思わずクスクスと笑ってしまった。僕は何でも表情に出てしまう彼のことは嫌いではないのだ。
ローバはキッドの反応には驚いたようだが、僕の言葉には驚いていない。そのことが分かるのは【三月兎】の能力の所為だろう。
「ローバも知っているだろう??【三月兎】の能力」
「・・・ええ。感情を色として自由に読み取ることが出来る」
「その所為で初代は色情魔として色々な方面で活躍していたみたいだね」
女性の感情の波は激しいと言われているが、そんなことは【三月兎】にとっては大して障害ではない。それに根っからの女好きが加われば、どうなるかはよく分かるだろう。
ローバはまたクスクスと笑い出した。彼は楽しくも無いのに、よく笑う。
「話を戻そう。僕は母親に殺されかけた。それは恐らくこの能力を恐れてのこと」
「何故分かるのですか??」
「推測だけど、それ以外考えにくいからね。僕はまだだったけど、強い魔力だけは持っていた。無意識に魔力を放出して彼女を気絶させた。その後、僕は当時の【黒の王】に異世界へ送られた。勿論、異端児として。異世界に渡った僕はレドナー夫妻の子供として育ってきたってわけだね」
「・・・壮絶な過去だな」
眉間に皺を寄せたキッドが小さく呟いた言葉に乾いた笑いを返した。
「はは、そうだね。だけど、僕は先程までそんな過去は忘れていた。というか、【黒の王】に記憶を塗り替えられていたみたいだね。僕の本当の両親は誰だか分からないけれど、僕には育ての親も大切なリアもいる。それだけで十分幸せだからね」
大切なリア、ね。そう、彼女は僕にとってすごく大切な子。
僕は軋んだ胸を隠すようにヘラヘラと笑ってみせた。小さな舌打ちの音が聞こえた。その音を発した彼が鋭い眼光を燈した瞳で睨みつけてきた。ボソボソと小さな声で何かを呟く。
しかしその声は突然開かれた扉の音にかき消されてしまった。
「会談中、失礼致します!!緊急でございます」
「どうかしたのですか??」
妙にヒラヒラした服を翻しながらローバに走り寄る初老の男は、彼の目の前に跪いた。
「ハート女王からの使いが参りました。【アリス】のことについてだそうで・・・」
「アリス!!?」
隣から素っ頓狂な声が上がる。その声の主を見ることなく男は話を続けるが、ローバはクスクスと笑った。
とりあえず、エルボーだけ食らわせておいた。
「ラビさん、キッドさん。用事が入りましたので失礼します。ギルキー、彼らに部屋を」
「はっ承りました」
ローバは軽く頭を下げてから歩き出して、開けっ放しだった扉を出た瞬間に消えた。・・・見事な魔法だ。
「あー・・・肩凝った!!」
そういって屈託なく笑って伸びをするキッドに小さく笑みを零した。
変わらない彼の行動が嬉しいのは、少なからず思い出した過去が衝撃的だったからだろうな。
その後、僕達はメイドに連れられて個室に通された。
「本日はこのまま城に泊まっていってください、とクローバー様が仰っておられました。どうぞお寛ぎ下さいませ。何かあればそこのベルで私どもをお呼び下さい」
「ああ、ありがとう。それと今から少し寝るから、後でご飯運んできてくれないかな??」
「承りました。お起きになられればベルでお呼び下さいませ」
一礼をして彼女は退室した。誰もいなくなった空間に、そっとため息を零す。
今日は疲れた。色々なことがありすぎたのだ。
窓の外に目をやると、夕日が紅く燃えていた。その赤にどこか懐かしさを感じながら、そっと笑った。
目を閉じてリアの顔を思い浮かべる。幼い頃から一緒にいた・・・大事な大事な―――。
その先を思い浮かべて思わず自嘲の笑みを零した。
彼はそのままベッドに倒れこんで意識を闇に投げだした。
深い眠りに落ちたラビを包み込んでいた朱色の光が途切れた。
暗闇の中、誰かの笑う声が響いた