第二十話:アリスの覚悟
「アリス様、大丈夫でございますか??」
扉から出て行ったハートを見送ると、全身の力が抜け切ってしまった。へなへな、と床に崩れると少年が肩を掴んで支えてくれたが、意識が遠くなって・・・気がつけばベッドの上だった。気だるい頭を上げると、心配そうに顔を歪めたハンプティーがいた。
「ここはアリス様の部屋です。気分はどうですか??薬師を呼んでまいりましょうか??」
「・・・ハンプティー、さん??」
「はい??」
にこりと微笑むハンプティー。その顔は綺麗に整っていて、金色の瞳がまだ心配の色を残していた。瞳と同じ金の髪がサラリと流れる。
この人によく似ている青年を思い出す。
ハンプティー・・・。
【ハンプティー・ダンプティー】!?
いや、まさか。あの夜に会った人は完全に青年だったし、私より少し年下くらいのこの子と同一人物なわけがない。そう、そもそも【ハンプティー・ダンプティー】は役の名前だ。
ちょっと雰囲気が似てるからって・・・何を考えてるんだろ。
「あ、ばれちゃった??」
急に砕けた口調になって楽しそうに笑うハンプティー。思わず驚愕の表情を浮かべると、彼は可笑しそうに身を震わせた。
「クク・・・声、出してましたよ」
「え??あの、え・・・ハンプティーさん??」
ついに我慢できなくなったのか、声を上げて笑い出すハンプティー。混乱しきってる私は、状況に全くついていけない。
「ハハハ!!私、ガル=ハンプティーって言います・・・クク。気軽にガルって呼び捨ててください。役は【ハンプティー・ダンプティー】」
「え!!?」
「ククク、あのときの男と同一人物ですよ。リア嬢さん」
言葉が喉元まで昇って降りて、また昇る。簡単に言うと、言葉が出ない。口をパクパクさせるしかできない。とりあえず立ち上がろうとすると、彼は私の腰を持つと、私が何か言う前に“よっ”という掛け声と共に私を立ち上がらせた。
「・・・ありがとうございます」
「いえ。女王様の魔力は強力ですからねー。猫の魔法は女王様より弱いですから、慣れるのにもう暫く掛かるでしょうね」
ガルはニコリと笑うと“あちらにソファがございますので”と言って軽くエスコートする。それにしたがってゆっくり歩き出すと、その歩調に合わせて彼もゆっくり歩いてくれる。すぐ近くにあったソファに座ると ほう、と息を吐き出した。
「で・・・同一人物ってどういうことですか。あの人は成人でした。でも貴方は―――」
「子供。確かにそうでございます」
完璧な笑顔を崩さないままのガルは私の斜め前に立って穏やかに言葉を紡ぐ。
「私、呪われてるんです」
「へ??」
「呪いです。昼は子供、夜は大人。私の記憶が正しければ、十歳の誕生日に呪われましたね。猫のように記憶の共有はありませんので、大切なことはこの手帳に書いて常に持ち歩いています。昼の私は魔法は使えませんが武術の心得はあります。夜の私は魔法も武術も可能です」
こんなところですね。と漏らしてクスクスと笑うガル。
・・・女王がいるときと全然キャラが違う。もうちょっと寡黙な印象だったのに。
複雑な思いでいると、ふと窓の外を見た彼が“もうそろそろですね”と言った。
「もう少しって??」
「日が落ちます。彼の紹介は自分でしてもらいましょう」
そういう瞬間にも夕日が落ちていく。部屋の中に満ちていた、オレンジ色の暖かい光が少しずつ引いていく。最後にニコリと笑うと、すっと目を閉じるガル。
完全に日が落ちた。
髪の色がだんだん茶色く染まる。驚愕で固まっていると、その髪は一部を残して暗いブラウンに変化した。頬にハートのタトゥーが浮かび上がり、その顔が大人びていく。背も高くなり、成人らしくがっしりとした体系。唯一変わらなかった服も彼がパチンと指を鳴らすと、何時かの黒いスーツに変わった。その胸にはやはり金色のバッチ。
成長を早送りで見ているかのような、不思議な出来事に自分の目を疑った。
彼は閉じていた切れ長の目をそっと開けると、私に向かって気まずそうに微笑んだ。
「リア嬢・・・」
「・・・二日ぶり、ね。【ハンプティー・ダンプティー】さん」
「ああ。元気にしているか??リア嬢」
申し訳なさそうに私の名を呼ぶ彼に、気にしなくて良いという気持ちを込めて話しかける。その気持ちはしっかり彼に届いたようで、安心したように笑ってくれた。彼の言った言葉がまるで父親のようで一瞬クスリと笑うと、彼は照れたように頬をかいた。
「・・・少し混乱してるけど、大丈夫よ。それより、事情を聞かせてくれないかしら」
「もちろんだ。リア嬢」
彼は優しい目をして微笑んだ。
「まず自己紹介が遅れてすまない。俺の名前はバル=ダンプティー。役は知っての通り【ハンプティー・ダンプティー】。年は25だ。二重人格者だった初代ハンプティー・ダンプティーに影響を受け、10歳の時に呪いをかけられた」
バルは私と向かい合うように跪いた。右手は胸へ、左手は拳にして地面へ置き、顔を上げて話す。その姿勢辛くないのかしら。だけども凛とした表情のバルにその言葉をかけることは戸惑われた。
「じゃあ貴方が本当の【ハンプティー・ダンプティー】??」
「ああ、そうだ。俺が呪いを受け、ガルが生まれたのだ。この呪いは昼間の姿が10歳の頃から成長しない、というものだ。初めは呪いをかけられても大した問題は無かったが、年を重ねるごとに問題が発生するようになっていった」
そこまで言ってから、言葉を切ってニコリと微笑む。その笑顔は昼の彼と同じ物で、少しビックリした。
「そんな顔をするな、リア嬢。これはこの世界が生まれたときから、俺自身に授けられた試練の1つだ。リア嬢が背負う必要などないのだ」
窓ガラスに映る自分の顔をみると、張り裂けそうな痛い表情を浮かべていた。
バルは困ったような顔をして、立ち上がり、私の近くに寄って来た。大きな手で私の頬を撫でられると、温かいそれに思わず涙が出そうになった。この人の近くにいると無性に泣きたくなるのは、きっとこういう優しさのせいなんだろう。
「バル。私の役割ってなんなのかしら」
口から零れ落ちた言葉に、バルは一瞬身を強張らせた。私はバルの瞳を見つめて答えを待つ。
小さくため息をつくと、彼は鋭い眼光を燈した瞳を目を合わせた。
「・・・リア嬢。聞いてしまったらもう、戻れないのだぞ」
覚悟ならもうできた。
「戻る気なんて、もうないわ。私はこの世界を救いたいの」
頬を撫でていた手が滑り落ちる。私は決意を言葉にして紡ぎ続けた。
「愛したい人だけ愛せって言ったよね。私は愛した人たちのためにも、役割を果たしたいの。自分だけ何もできないなんてイヤ。愛されるだけなんて、哀しすぎるもの」
「・・・その役割が想像を絶する物だとしても、か??」
1つ静かに頷くと、彼は目を閉じた。
数分たった後、もう一度瞳を見せてからそっと微笑んだ。
「リア嬢は強いな」
もう一度跪いた彼は、唇を私の手の甲に押し当てる。
「【アリス】、お前に役割と“チカラ”を与えよう」
アリス
アリス
おいでよ
アリス
君のその言葉を
どれだけ待ち望んだことか
君を漆黒の宴に招待するよ
楽しい宴にしようね
アリス