第十九話:招待状は紫の瞳と共に・後半
「ふふっ 面白いね、君は」
「答えて!!シエルはどうなったの」
「ねえ、君。なんでそんなに怒ってるの??コイツは三日ほど前に会った、よく分からない危険人物だよ。君にとってコイツはなに??」
そういってトンと自分の胸を突く彼。羽交い絞めにされているはずなのに、それをいともしないような態度。彼の背後でハンプティーが悔しそうに顔を歪めた。
そう、何故自分はこんなに怒っているのだろう。シエルは最近・・・本当に最近出会った人なのだ。それなのに、どうしてここまで怒っているのかわからない。でも、自分を制御することが出来ない。怒りに身を任せて普段は言わない暴言を口にしてしまう。
「・・・なんだっていいでしょ。シエルとの関係なんて、貴方には関係ないことだもの。それより、シエルはどうなったの??あなた、誰??」
「おれの質問には答えないクセに、自分は答えを求めるんだ。それってズルイと思わないの??」
腹の底から怒りが湧き上がる感覚。人に対してこんなに怒っているのは生まれて初めてだと思う。私は目を逸らさず、彼を睨み続けているのに、相手は飄々とした態度で笑う。
「答えなさい」
この態度がムカつく。
「ひどいなぁ、アリス。久しぶりの再会なのに」
「私は貴方なんて知らないわ」
「【君】じゃなくて【アリス】だよ。それくらいわかるでしょ??」
「わかってて言ってるのよ」
女王とハンプティーは全く口を挟まず成り行きを見守っている。私と彼は子供の口喧嘩のようにポンポンと言い合う。そこには異様としか言いようの無い空間が広がっていた。
時間感覚なんてもう殆ど無いけど、随分長いこと睨み合ってたような気がする。いや、正確には私だけが敵意まるだしの視線を送っていただけなのだが。
彼はクツクツと笑うと、突然身体を捩った。無抵抗と思われていた相手に不意をつかれハンプティーの拘束はいとも簡単に破られる。
シエルの見た目をした彼は、ぴょんと飛び上がって少年の上を通って、後ろを取った。その際軽く頭を蹴って行くのを忘れない。
「痛ッ―――」
「君、力ないねー。そんな拘束じゃ、女に逃げられるよ??」
耳元で呟いて“ふふっ”とまた笑うと、少年は余計なお世話だと言いたげにぶすっと視線を逸らした。他に害を与える気はないらしく、ゆっくりとした歩調で私の目の前までやってきた。
私は殺気に近い視線を送りながら呟く。
「・・・ねえ、質問に答えて」
何度目かになる言葉をぶつけると、彼は“強情だねー”と言って肩をすくめる。
「我侭なお姫様のリクエストにお答えしましょー。おれの名前はチェシャ。まあ言ってみれば初代【チェシャ猫】だね。よろしく、リア」
「私の名前を呼ばないで」
「じゃあなんて呼べばいいのさ。レドナーとでも呼ぼうか??」
「そもそも何故貴方が私の名前を知ってるの」
「んー。シエルと記憶を共有してるから?」
ああ、ダメだ。どうしてもイライラする。
更に睨みつけると“きゃーこわーい”高い声で言ってカラカラ笑う。この人に何をやっても無駄だと再確認した。彼は思い出したようにぽんと手を突いてからニッコリ笑った。
「ああ、こいつなら大丈夫。意識の底で眠ってるだけだから、おれが眠れば起きるよ」
思わず ほう、と息をついてしまった。
「おれは特別なんだよ。【チャシャ猫】の魂を持つものは、おれと記憶と身体を共有しなくちゃならないんだよ」
「チェシャ。それ以上おしゃべりすると自慢の尻尾の毛を刈るわよ」
女王が始めて口を挟む。チェシャはペロっと舌を出して“ごめんなさーい”と謝った。
「リア。気が立っているのは分かるけど、落ち着いて」
「・・・はい」
穏やかに微笑む女王を見てやっと冷静になれた。胸に手を置いて深呼吸をしてハートに出来るだけ優しい笑顔を向けた。
「珍しいわね、チェシャ。前は出てこなかったのに、何故今頃出てきたの??」
「うーん。アリスの気配がしたから、かな」
首を捻ったチェシャはその姿勢のまま此方を見やった。
「前のアリスは魂をカケラしか持ってなかった。だから出てこなかった。そんなガラクタ同然の物に興味ないもん。でも、リアはほぼ完全体の魂を持ってるみたいだから、会ってみたくてね」
「・・・そう」
そういって穏やかに笑って、女王は杖の先をチェシャに向けた。そうされると、彼は詰まらなさそうに視線を逸らして。
「もー・・・たまの外出くらいゆっくりさせてよね、ハート」
「だって貴方また違う国行っちゃうでしょ??シエルが“帰るのメンドクサイ”って言ってたもの」
杖の先に光が集まる。青白く発光するそれはゆっくりとチェシャの身体を包み込む。
「ん、わかってやってるんだよ。こいつ弄るの楽しい」
「自分の身体でしょ」
「今だけね」
瞳が染まるようにだんだんと薄くなっていく。彼はその瞳を此方に向けて、ニヤッと笑った。
「じゃあね、リア。ピンチの時は大声で呼んでね。駆けつけるから」
「わかった。絶対呼ばない」
即答で返すと“じゃあ勝手に出てくる”といって拗ねた。
「あと、こ・・・いつ、を・・・みすて、ないで・・・ね」
最後にそう言ってチェシャ―――いやシエルは倒れた。
◇
「・・・何だったんですか??」
その後、私はハートの部屋にいた。目の前に出された紅茶は既に冷め切ってしまっている。
女王様は一瞬肩をすくめると、私の紅茶を入れなおすようにハンプティーに命令した。今度はゴールデンディップスを置かれて、思わず苦笑いをしてしまった。
「シエルのことね。チェシャが言っていた通りよ」
「【チェシャ猫】の魂を持つものは、彼と記憶と体を共有しなければならない、ですか」
「ええ。可笑しな話よね」
口元に手をやって上品に笑みを零すハート。私が男なら、確実に惚れるような笑みにドギマギしながらも自分も精一杯上品に紅茶に口をつける。完全にミッディ・ティーブレイクの雰囲気に飲まれてしまいそうな自分にまた苦笑。
「それもそうですが・・・。話の中に気になることがありました」
「前のアリス、魂のカケラのことかしら??」
「・・・そうです」
彼女はカップを持って楽しそうに微笑んだ。嬉しそうなのに、どこか憂いのある表情にまたドギマギした。見た目は子供以外の何でもないのに、この人は大人すぎる。
一度目を閉じてから、決心したように目を開けてカップをソーサに置いた。それから真っ直ぐ私の瞳を捉えて言葉を紡ぎだした。
「彼女は三年前にこの世界に来た。彼女は最後まで名前を教えてくれなかった。“私はアリスではない”って言い張って、決して心を開いてくれなかった。・・・ああ、唯一帽子屋だけに心開いていたかしらね。彼女は突然この世から消えた。自ら命を絶ったの」
口を挟むことは出来なかった。一字一句がとても貴重なものに思えて、聞き逃さないようにするのに必死になった。話を促すように何度か頷くと、彼女は一瞬寂しそうに笑った。
「とても哀しかった。哀しかったのに、どこか安心したの。何故だか分からなかった。彼女の遺体を弔ったあと、チェシャが言った言葉がまだ忘れられない」
「スプリング様、それ以上は・・・」
「いいの。私は大丈夫よ、ハンプティー」
いつの間にか女王の傍らに居た少年は、聞きたくないと言うような顔をした。女王はそんな彼を見てクスリと笑うと、頬に手を滑らせた。
「聞きたくないのね。よく分かるわ。けれど、これは現実なのよ」
「・・・分かっております」
「いい子ね。ハンプティー」
頬にやった手を滑らせて降ろす。それだけの好意が妖艶に見えてならないのは私だけだろうか。
「チェシャはね“悲しむ必要はないよ。彼女はアリスではないのだから。彼女は間違えて魂のカケラを入れられてしまった。前の【門番】はそれを読み取ってしまっただけだから。今頃その魂は【アリス】の元に帰っているだろう。だから、安心していいんだよ”と。その言葉を聴いて何故かほっとしたの。最低なの、私達は」
間違えられた。だから安心していい。
そんな次元の話ではないのに、何を言っているのだあの男は。人が死んだことに悲しんではいけないのだろうか。やっぱりあの男は最低だ。
女王は薄っすらと目に涙を浮かべて微笑んでいる。
「彼女が私達に心を開かないのも頷けるわ。私達は勝手にアリスを押し付けて、盛り上がっていただけなの。貴女にも悪いと思っているわ。私達は同じ過ちを繰り返そうとしている」
「違ッ!!私は―――」
「違わないの。私達は魂に操られているの。本能的に貴女を求めて、歪んだ愛を押し付けてしまっているのよ」
涙をハンカチで拭って、辛そうに微笑むハート。
「無条件の愛なんて重いだけって、よく分かってるわ。だけど、止められないの」
そう呟いて、彼女は席を立った。名残惜しさに思わず“あっ”と声を出してしまう。女王はハンプティーに何かを言ってから、扉に向かって歩き出す。
少年は追いかけようとした私を手で制した。それだけの行動なのに、魔法に掛かったように動けなくなる。
扉から出て行く彼女は消えそうなくらい寂しく見えた。
ミッディ・ティーブレイク
午後のおやつ時のお茶会。親しい人と紅茶とクッキーなどのお菓子を置いて談笑したりする。