第十四話:長い一日の終り
「あ、カベル!!」
「んあ??ちょっリア!?痛ッ引っ張るなって!!」
あの役与式が行われてから一日たった。
まるで獲物を捕らえる猫のような速さで、私は薔薇に水を上げていたカベルを捕まえて走り出した。突然腕を掴まれ引っ張れた彼はあせったように声を出してされるがままに走り出す。
「ちょ、待てリアッマジで!!痛い痛い痛い!!!」
薔薇の庭を出た瞬間、悲鳴を上げて掴まれている腕を振り払って“どうしたんだよっ”と言うカベルの声に、やっと我に返った私は勢いよく頭を下げて謝った。
「ごめん!私・・・っあの!!エッ・・・あれ??えっと!!」
「あーハイハイ。とりあえず落ち着け??」
両肩を掴まれ強制的に頭を上げさせられる。カベルの顔を見ると困惑したような、嬉しそうな複雑な表情を浮かべていた。
「んで、どーしたんだよ。そんなに慌ててさぁ」
「えーと・・・あの、ちょっと聞きたいことがあって・・・」
最初の勢いは何処へ行ったのか。私は目線をあちらこちらに移しながら小さな声で答えた。
カベルはそんな私を豪快に笑い飛ばしてから
「じゃあ休憩がてら、茶でも飲みに行こうぜ!!」
と私の手首を握って歩き出した。
握られた手首が温かくて、私はやっと少し冷静さを取り戻すことが出来た。
◇
あの式の後、すぐに私はその場から外された。シエルは一緒についてきてくれようとしていたが女王の命で側近たちに取り押さえられ、キラは途中までは一緒に居てくれたが仕事があったようで
「リア!そこの門を曲がれば貴女の部屋ですので行って、休んでて下さい。俺は仕事が残ってますので・・・何かあればメイドを呼んでください。貴女が【アリス】だということは国民は分かっていますので、何かあっても絶対助けてくれるでしょうから。」
と言われ、鍵だけ渡して行ってしまった。聞きたいことが沢山あったのに一人誰もいない廊下に取り残されてしまった私。
なによぉ・・・連れてきたくせに取り残さないでよ・・・。
と呟く相手もいないので、ただ拗ねたように足早に部屋へ行きベッドにダイブ。そのまま眠ってしまえたら楽なのに、いろんなことがありすぎて頭が冴えてしまっていた。
「あー・・・もう、なんで・・・こんなとこに」
ポツリと独り言を零すが当たり前のように誰も答えてくれない。にも関わらずポツリポツリとつぶやかれていた言葉は洪水のようにあふれ出してくる。
「そもそも、異世界って??なんでこんなところに連れてこられなきゃいけないの・・・??今日はただキッドとラビ兄さんと一緒に森に来てただけなのに」
呟いているうちに涙も溢れてきて。零す言葉と共に目尻に溜まる雫もポトリと落とす。
「なんでよぉ・・・っなんでこんなところにッ―――」
「・・・大丈夫か??」
誰もいなかった部屋に低く甘い声がして振り向いた。そして目を見開く。今日は何もかもが突然すぎる日のようだけどまだまだ慣れない。
目の前には整った顔。カベルより暗い茶色の髪に金色のメッシュ。そして金の切れ長の瞳。頬にはハートの・・・タトゥー??
黒いスーツを少し着崩して、その胸にはやっぱり金色に光る【S】と書かれたバッチ。
突然現れた彼は“あっと・・・失礼。驚かしたか”と言って微笑んで、三歩ほど離れた。
「あな、たは??」
「ああ、またもや失礼。俺は【ハンプティー・ダンプティー】。すまないが、今は名前は教えられないんだ。好きなように呼んでくれ。今宵は新しい住人を一目見ようと思って馳せ存じた」
そういって胸元に片手をやりベッドに座る私の目の前に跪いたハンプティー・ダンプティーと名乗る彼。驚く私の手をもう片方の手でそっと取って“名を聞かせてくれ”と呟いて手の甲にキスされた。顔に集まる熱を振り払うように“や、めて下さいっ”と叫ぶと、また三歩ほど離れて跪かれた。
「・・・リア=レドナーです」
「リア嬢か。失礼した。俺は調子に乗っていたようだ・・・すまなかった」
本当にすまなさそうに謝る様子に悪い人じゃなさそうだと判断し、少しだけ警戒を解いた。その気持ちが伝わったのか、彼はゆるゆると微笑んだ。
「大丈夫か、リア嬢??泣いていただろう??」
「ッ―――」
「本当は黙って去ろうと思っていたのだが・・・。俺でよければ何でも聞く。混乱しているのだろう??今の内に吐き出しておいたほうが言いのではないか??」
優しくそう言われてビックリして止まっていた涙がまた溢れ出してくる。嗚咽をかみ殺そうと下唇を噛み締め耐えていると、身体に温かさを感じた。
「っ!!」
「すまない・・・だが、こうすれば誰にも聞こえない。大声で泣いてしまえ」
その言葉に、プツンと何かが切れた。大声で言葉にならない声を叫びながら泣き喚く。
此処に着てから一日が経とうとしていたが、とても一日とは思えないほど長く感じた。それほど、いろんなことがありすぎた。
黒い化け物、シャドウ。銀色の銃とキラ。ありえるはずのない異世界。常識が非常識へと変わる世界。色の変わる瞳。シエルの魔法。役与式。知らない世界に連れてこられて、【アリス】の役を付けられて。突然知らない悲劇に飛び入り参加させられて、巻き込まれたような錯覚。
不安で不安でたまらないはずなのに、何故か何もかもが自分のなかで受け入れられていく恐怖。
そして、もう二度と今までの生活には戻れないような気がして・・・哀しくて、怖くて、不安で・・・押しつぶされそうなのに、何故今まで普通で入られたんだろうか。
「リア嬢。聞いてくれ」
収まりかけた私の耳に届くバリトンの声。ぐっしょりと濡れてしまった彼の胸元から顔を上げると、目尻に溜まっていた涙をはじきながらそっと微笑んでくれた。
「忘れないで欲しい。確かに此処はお前の住んでいた世界とは違う。だけど、お前はアリスじゃない、リア=レドナーだ。お前は【アリス】の魂を持って生を受けた。だが、お前の意思はお前だけのものだ」
そういえば、この人は一度も私を【アリス】とは呼んではいなかった。
真剣そのものの金の瞳を見つめて私は一瞬だけ微笑んだ。
「そうだ。リア嬢。笑え。楽しかったら笑え。楽しくなかったら笑わなくていい。辛かったら泣け。思う存分気が晴れるまで泣け。そしてまた笑ってくれ」
「・・・はい」
「そして、もう1つ。愛したいやつだけ愛せ。この国で【アリス】として居る限り、人々は無条件の愛を強要しようとするだろう。それが無意識でも。だが、お前は―――」
「リア、でしょ??私は私・・・ありがと」
そういうと彼は静かに、そして優しく笑って頷いてくれた。
私はその顔を見るとふと気が遠くなってベッドに倒れこんだ。
「さあ、もう眠れ・・・リア嬢。今はゆっくり休んでくれ」
最後に聞こえた声。私はその声を聞きながら、目を閉じて意識を闇の中に手放した。