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遥かなるかな空と海 第一部  作者: 嘉野 令
第一章 三月のウサギ号
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第三節 航海

 クトリヨンを出港した私たちをカモメが追ってくる。あのあとこっそりルードロンに教えてもらったのだけど、カモメとウミネコは親戚らしい。

 船のことだけじゃない。この海には知らないことがいっぱいだ。

「野郎共! 総帆展帆(そうはんてんぱん)だ、総帆展帆!」

 大波よりも船を揺らす。そんな風に思えるほどの大声が響き渡る。

「もたもたしてっと海に叩き落とすぞ!」

 隻眼の大男が怒声を上げると、水夫たちは一斉に駆けだした。

「ああ、マルブ! お前はいい! 甲板(デッキ)でも磨いてろ!」

 私には無秩序に見える彼らの行動だけど、たいしたもので、あっという間に帆は大きく開かれていく。

 青い空に白い帆布。洗濯したてのシーツを広げたような爽快感。

 きれいだな、って思う。

「凄いですよね、あれ」

 帆を見上げていたら、いつの間にか隣にリックがいた。彼もまた見上げている。

「あの高さにするすると登って行くんですから」

 私は帆に見とれていたけど、リックは水夫たちの働きっぷりを見ていたらしい。

「そうね。近くで見ると、あんなにも高いなんて」

「なあに! ナントカと煙じゃねぇが、船乗りは高い所が平気じゃねぇとつとまらねぇのさ!」

 そう教えてくれたのは、例の隻眼の南方人だった。

「おっと、挨拶がまだだったな。俺はこの船の掌帆長――言ってみりゃ水夫共の親玉みてぇな仕事してるベリスカージ・ヘルセルガリスってもんだ」

 掌帆長ベリスカージは陽光を背に、にかっと笑って見せた。

 日に焼けた肌は健康的で、癖の強い赤毛が実に南方人らしい。それに、右目を覆う眼帯がお伽噺に聞く海賊像にぴったり。きっと、百戦錬磨のつわものなのだろう。

「余はクロンヌヴィル侯の娘、プラニエ・ファヌー。家臣共々よろしく頼む」

 名乗りながらも、頭を下げるべきか少し悩んだ。悩んだ末にやめておいた。彼らの船に厄介になるとはいえ、一応相手は平民。威厳を保たなければならない。

「三月のウサギ号へようこそ、お姫様」

 私の逡巡なんかお構いなく、ベリスカージは不器用なウインクを返した。傍らのリックがいい顔していないのは見ずともわかる。

「僕は騎士リック・ラビネーゲ・ルバーベルだ!」

「あいよ。よろしくな、坊主」

 巨木のような腕がリックの背中をばんばんと叩く。むせて文句のひとつも言えなくなるリック。二十歳にもなって子供扱いだなんて彼は怒り心頭だろう。

 一方、ベリスカージはからからと笑いながら船首の方へと行ってしまった。

 だけど、何て言うか、リックには悪いけど――

「こういうの、いいな」

 細波の奏でる潮騒が、すごく心地良い。


 出会いと別れだけ

 繰り返される旅路

 振り返ることもなく

 道なき道をゆく


 その夜のこと。

 船体が軋む音の向こう側――甲板から水夫たちの歌声が聞こえてくる。

 この歌は私も知っている。旅の吟遊詩人や行商人が歌っていたものだ。船乗りたちもまた旅から旅の人生なんだ、って今になって気づく。

 狭い船内なのに、私には希少な個室が宛がわれた。もちろん、この部屋もまた狭いのだが、気を遣わせてしまったようだ。ハンモックを覚悟してはいたけど、正直言えば少しほっとしている。

 小さな寝台、小さな腰掛け、小さなテーブル。これからしばらくは、ここが私の部屋。

「プラニエ様、よろしゅうございますか?」

 ノックと共に呼びかけるのは侍従のソワーヴ。

「ええ、いいわ」

 爺や相手なら騎士を気取る必要もない。

「失礼致します」

 扉を開いたソワーヴの腕には、わざわざ家に置いてきたものが抱えられていた。

「なっ! ちょっ! それ!」

 上手く言葉にならない。

「おやすみになられるのに必要かと思いまして」

 それは、大きめの、ウサギさんの、ぬいぐるみ。

「だ、誰にも見られなかったでしょうね?」

 声が震える震える。

「もちろんにございます、プラニエ様」

「も、もぉ!」

 爺やの腕からウサギさん――ポムポムさんを奪い取った。

 ぬぅ! わかってる! わかってるってば!

 私だってこれが子供っぽい恥ずかしいことだってわかってるもん!

 だから、置いてきたのに。でも、いや、うん。この子が一緒じゃないと眠れないの、爺やにはバレてたのね。

「それにしても、プラニエ様」

「な、なに?」

 嗚呼、恥ずかしい恥ずかしい。

「船酔いは大丈夫なご様子で」

「え、ええ」

 突然何の話だろう?

「いえ、他の者は皆が皆、今もげえげえと船に酔っ払っておりまして」

 あ! ああ、そっか!

「みんな、大丈夫なの?」

「ルードロン殿は冥府に出陣する方がマシだと喚きながらふらふらしております」

 強気な彼がそんな調子とは、よっぽどなのだろう。

「ですので、か弱いプラニエ様が平気とはいささか意外に思いまして」

 騎士としてか弱いと言われてしまうのは恥ずかしいことだけど、いまさら爺やに強がってもしょうがない。ポムポムさんのことの方が恥ずかしいし。

「そうね、私も意外だけど、言われるまで船酔いなんて言葉すら忘れてたの」

 馬車にも酔う私が船に酔わないなんて。

「それは結構にございます」

 もしかしたら、私と船の相性はいいのかも知れない。

「爺やは? 酔ってるようには見えないけど」

「何を仰いますやら。ご存じの通り、彼らとは踏んでる修羅場の数が違います故」

 ときどき見せるソワーヴの茶目っ気。

「さすがね」

「それではおやすみなさいませ、プラニエ様」

「あなたも。おやすみ、爺や」

 ソワーヴが部屋を出るのを待って、ポムポムさんをぎゅっと抱き締める。船上で過ごす初めての夜。これでぐっすり眠れそうだ。

 船体が軋む音の向こう側――甲板から水夫たちの歌声が聞こえてくる。


 あの高い雲を追い

 太陽に手を伸ばし

 抱き締めることもなく

 さよなら 愛し君

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