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遥かなるかな空と海 第一部  作者: 嘉野 令
第九章 私は剣を手に、敵と対峙した。
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第四節 援軍

「お……御見事」

 それが子爵の、私の敵の、最期の言葉。

 血を吐きながらそれだけ呟くと、ウィリスベルト子爵ゲオルト・サングナ・ヴァルフォンカーは私に剣を突き立てることなく――

 倒れた。

 私に覆い被さるように。

 体が重い。

 それが勝利の重みなのか、奪った命の重さなのかはわからない。それに、私たちの戦いはまだ続いている。

 大きな体を押しのけ、立ち上がる。この戦果を天下に示さないと、一騎打ちの意味がない。

「て、敵将討ち取ったりィ!」

 落とした剣を拾い上げ、曇天に掲げる。

「我らの大将プラニエ様が敵将ウィリスベルト子爵を討ち取ったぞォ!」

 リックがそれに続き、クロンヌヴィル侯爵家の旗印を一層高く掲げた。周囲の味方から鬨の声があがり、気勢を得ているのが目に見えてわかる。

 そこからは総崩れだった。

 二千もいた敵兵はそろそろと丘を下って行った。

 気の早い傭兵たちから勝ち鬨さえあがったけれど、勝利には程遠い。こちらは数十人もの死傷者を出しているのだから。

 総勢五千の敵を撃退したわけではない。

「プラニエ様、敵勢に動きが」

 改めて丘の頂上に戻ると、ルードロンが言った。

「連中、大将を欠いてももう一戦やるつもりのようですな。さすがは同盟の聖騎士団といったところ、か」

「そのようね」

 私たちはお互いに泥だらけ血だらけだった。幸い、彼も大きな怪我をしていないみたい。彼を染めているのは返り血だ。

「今度は四千の歩兵、その後方には三百の騎兵、と」

「副将が優秀なのか、もとよりそのつもりだったのか。何れにせよ、武勲に事欠かない素敵な戦場ね」

 その後の運命はわかっていたけど、自然と微笑むことができた。

「おっと、武勲は何も騎士様だけのもんじゃねぇぜ!」

 ブロージ殿たち血風の傭兵団も意気軒昂の様子。

 時刻はそろそろ昼五刻。黒雲が低く垂れ込めてるから陽は見えないけれど、日暮れまでここで粘れば私たちの勝ち。目の前の敵勢が王の本隊を追撃することはできないだろう。

 たとえ、最後の一兵になろうとも。

 今ならそれができそうな気がする。きっと私たちひとりひとりにとって酷いことになるだろうけど、私たちにはそれができる。

 リツカさんの作戦はやっぱり間違っていなかった。この局面、誰かが捨て駒にならなくちゃいけなかった。

 あと数時間、なんとか踏ん張らなくっちゃ。

「弓兵、前へ!」

 敵が再び丘を登り始めたのを見て、私は大声で命じた。

 私、しっかりできてるよね?


「まだまだぁぁぁぁぁぁぁ!」

 ルードロン・レスト・ミエードガールが吠える。彼はもう三十人以上を打ち倒しているはず。我が軍の誰もが疲労の限界なんかとっくに乗り越えている。そうでなければ倒れてしまうのはこちらだから。

 かく言う私も、さらに五人の歩兵と切り結び、二人を討ち取った。自分が剣を握っているのかさえもうよくわからない。

 それでも戦いは終わらない。

 圧倒的多数の敵勢に対し、私たちは弱気になることすら許されない。持ち崩した瞬間を狙って、敵は後方の騎兵を投入するつもりなのだから。騎兵に対し集団で対処できなければ、ルヴィシーの丘という地の利も活かせない。

 だから、まず、気持ちで負けてはいけない。

 幸いにも小雨が降ってきた。悪天候は小勢に有利。天は私たちに味方している。

 でも、このままなら、私たちは全滅だ。

 正直言えば、悔しい。

 捨て駒なのだからそれが正しい運命だとしても。

「リック!」

 そのとき、珍しく古兵ソワーヴが叫んだ。彼の孫の名を。

「え?」

 リック・ラビネーゲ・ルバーベルはいつも後ろにいたから、私は彼を見ていなかった。振り返ると、敵兵の手槍に肩を突かれたリック。

「リック!」

 私も爺やと同じように叫んじゃった。

 他家領から離れたクロンヌヴィル侯の城館には家臣くらいしか出入りしない。だから、昔から私の友人と言えば同年代の騎士たちだった。リックもそのひとり。

 幼馴染みの体がみるみる朱に染まる。

 爺やは槍を構えた敵兵を背後からばっさり斬り捨て、そのままリックに駆け寄った。

「じい、ちゃん……」

 弱々しい声を絞り出しながら、ルヴィシーの丘に倒れるリック。

「馬鹿者ッ!」

 私がかけるべき言葉を見つけられずいるのに、ソワーヴ・モーヌ・ルバーベルは手負いの孫を一喝した。

「お主は主家の旗手であろう! プラニエ様より先に倒れるとはなんたる無様ッ!」

 優しい言葉なんてなかった。

 でも、いま優しさなんて向けたらリックに対して失礼なんだって気づいた。彼も私も命を賭けて戦いに臨んだのだから。

 それに、リックは倒れた今も戦っている。痛みという敵に負けていない。

「爺や、構わぬ」

 私も戦い続けなきゃ。

「貴公らルバーベル家はそこで休んでおれ」

「プラニエ様……?」

 リックが倒れ、地に落ちた旗印を拾い上げる。もはや、私たちがここで戦っているのは気力の問題。旗を掲げ続けないと。

 三月のウサギ号が、あのかわいい海賊旗を掲げるように。

「ウィリスベルト子爵を討ち取りしクロンヌヴィル侯女プラニエ・ファヌーはここに在るぞッ! 誰ぞ、この首を獲らんとする猛者はおらぬかァ!」

 まだまだ子爵みたいに格好良くはいかないけれど、周囲の敵と味方に響き渡ったはず。私もリックと同じように、倒れる瞬間までこの旗を掲げていよう。

「西方同盟の聖騎士は腰抜け揃いなのかッ!」

 言ってやった。

 騎士が、歩兵が、私を睨む。

 ヴァイゼーブルヌ神聖同盟とやらの信仰心が如何ほどのものかよくわからないけれど、彼らもまた名誉を重んじる誇り高き騎士なのはよくわかった。

 手に手に武器を持った敵が幾十人も私を囲む。

 私は旗を手に、敵と対峙した。

 これが最期になるだろうと確信した。

 ぽつり。

 突然、頬を伝う雫。

 今までの小雨とは違う。

 涙ではない。

 返り血でもない。

 少し、潮の香りがする。

 見上げると、黒雲の中に巨大な龍でもいるみたいな大きな影。

 私はそれを知っている。

 あの日、ヴァンサン平野で見たときから、私はそれに夢中だった。

 敵も味方も、倒れたリックも、それに気づいていない。だけど、その影はゆっくりと雲の中を動いている。悠然と、そして、力強く。

 風雨と共に、それは雲間から現れた。

「……三月の、ウサギ号」

 口にしたその名の、なんて頼もしいこと。

 三本の(マスト)に浅い吃水。

 商船と比べると小ぶりな船首楼と船尾楼。

 砲列は上層甲板(メン・デッキ)下層砲列甲板(ローワー・ガンデッキ)の上下二列。

 左舷合計十九門の一八(ポンド)長砲はすでに牙を剥いている。

 美しい白い帆は焦げたり裂かれたりしている。

 リツカさんが予想した通り、道中は待ち伏せされていたのだろう。

 それでもあのウサギの海賊旗を高らかに掲げている。

 降伏か死を選べと迫る、問答無用の旗――海賊旗。

 船尾楼甲板(プープ・デッキ)には、大きな外套を羽織ったリツカさんの姿。もちろん、この距離では彼女の声は聞こえない。

 だけど、何と言ったかはわかる。あの気怠そうな声で「撃って」って言ったに違いない。だって、すぐあとに、

「ハッシャア!」

 ガルダーンさんの奇妙な叫びが聞こえたんだもの。

 続いた轟音が心地良かった。

 ヴァンサン平野で、南方洋の空と海で轟き、私の身も心も揺さぶった砲声。

 十九門の長砲が一斉に火を噴いた。

 戦場の空を舞う船は、謂わば動き回る砲兵陣地だ。敵の後衛があっという間に壊滅する。

 思わぬ援軍に味方から歓声があがる気配すらない。だから、今なら声が届くと思った。第二射の装填までまだ時間あるし。

 ぽんぽんという小銃(マスケット)の銃声になら勝てる。

「リツカさんっ!」

 旗を掲げ、首飾りを握りしめ、私は船尾楼甲板に呼びかけた。

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