第三節 我が名はプラニエ・ファヌー!
私は剣を手に、敵と対峙した。
「……!」
思わず息を呑んだ。すぐには言葉が出ない。
周りは戦いの喧噪に覆われているのに、私と聖騎士の間だけは何もない。敵船へ続く渡り板みたいに。ただ一直線に。
太陽が昇るにつれ、上空の雨雲が陽光を遮る。今はもう朝日は陰り、肌寒い風が吹いている。それでも、私の体は……熱い。
いつまでも黙っているわけにはいかない。
私は誇り高き騎士なのだから。
「余は小娘などではないっ!」
もしここで倒れたら、この名を、私の名を、父や、兄や、主君や、領民や、リツカさんたちが耳にするのだから。
「我が名はプラニエ・ファヌー!」
南方洋の船上で、そうしたように。
「万神の加護厚き偉大なるエルヌコンス王の忠臣!」
踊る鯨亭で、そうしたように。
「クロンヌヴィル侯爵ジュリアル・ダルタン・ランサミュラン=ブリュシモールが娘にして騎士!」
自分自身で、そうあろうとしたように。
「我、プラニエ・ファヌー・ランサミュラン=ブリュシモール! 金の拍車の誇りにかけて、汝に正々堂々たる戦いを挑まん!」
切っ先を聖騎士へ向ける。
名乗れた。
言えた。
遠雷にも負けず、私の名は戦場に刻まれたはず。
「ほほう……」
聖騎士は一歩、前へ。
「このふた月で騎士に『成った』ようだな」
結果を出して褒められているのはわかるけど、それを素直に喜んでちゃいけない。何せ、相手は敵手だし、それに――
「敵将を前に名乗りもせんのが同盟の誇る聖騎士なのか?」
私はまだこの男の名を聞いていない。
「ふん……よかろう」
どこか嬉しそうに聖騎士は応じた。いや、その気持ち、今の私ならわかる。共感できる。名誉を重んじる騎士たる者、敵にもまた、誇り高くいて欲しい。
「遠からん者は音に聞けェ! 近くば寄って目にも見よォ!」
まるで砲声のような大音声。
「我こそはオージュサブリスがウィリスベルト鎮護の子爵! ゲオルト・サングナ・ヴァルフォンカーなるぞォ! 大神の教えを大陸万民にあまねく広めんがためェ、地母神眠る聖地サントゥアンを異教徒より奪還せんがためェ、西方より参った従順なる信徒にしてェ、剣を取りし騎士なりッ! 我らが巡礼を阻むのならば、神罰に代わり我が剣がお相手致そうぞッ!」
ガレオン船の片舷射撃のような、有無を言わせぬ力強さ。悔しいけれど、お手本を見せつけられた気がする。
こんな名乗りをされたら、足軽雑兵では挑みかかることもできない。実際、荒くれ揃いの血風の傭兵団も手出しできず、私たちの周りは闘技場のように開いている。そう、これから、大将同士の一騎打ちが始まる。
さらに一歩、聖騎士――ウィリスベルト子爵が前へ進む。間合いが詰まる。
「貴公はまだ若き娘なれど、騎士とあらば容赦はせん」
南の方から雷光に続いて雷鳴が届く。
「己が名、己が正義、己が宿命」
そう、名乗って終わりではない。それは戦う資格、前提。
「それを託すだけの力」
私はやっと、騎士として戦場に立った。
「余に振るって見せよッ!」
あとは、戦い。一騎打ち。
結果なんてわかってる。負けるとか死ぬとかそういうことじゃない。私は今、戦うと決めた。ただ、それだけのことなの。
「望むところよ! プラニエ・ファヌー参るッ!」
まるで、歴戦の戦士みたいに吠え、私は駆けだした。
堂々と名乗りをあげた一騎打ちである以上、先手は多少なりとも不利。それでも、私はウィリスベルト子爵目掛けて駆ける。
剣が重い。
待っていれば落ち着いて対処できるだろうに、聖騎士ウィリスベルト子爵もまた駆けだした。その心意気、さすが。
でも、おかげで剣を振るうタイミングがわからない。
必死で撃剣の授業を思い出そうとするも、城館の中庭すら思い出せない。あの綺麗な庭でルードロンたち父の家臣に習ったはずなのに。思い出すのは三月のウサギ号のことばっかり。
そうだ。船だ。
獲物もこちらも共に動いている。それでも、砲撃はいつも獲物の鼻先を捉えていた。あの感覚。掌砲長ガルダーンさんの「ハッシャア!」のタイミングを思い出して、私!
「ハッ!」
発射って言いたかったわけじゃなくって、自然と息が漏れた。
丘の傾斜に足を取られないよう踏み留まり、右手側に剣を引き、思いっきり斬りつける。小手先で振るったって私の非力じゃ意味がない。全力でいかなくっちゃ。
横一文字に斬り伏せられれば格好いいのだけれど、もちろんそんなに簡単じゃない。
甲高い響き。利き手側でもないのに、子爵は剣の腹で私の一撃を受けた。力も速さも足りない!
だけど、足場が悪いからか、子爵はよろめいた。
これを機に一気に攻める――なんて、都合良くはいかない。この機は次の一手に活かす。獲物を前にリツカさんはいつも冷静だったんだから。
一歩退いて、右へ――回る!
敵に背を向ける危険はわかるけど、私には力も速さも足りない。ぐるっと回って、剣を振るって逆側――左から襲いかかる。非力を勢いで補う。
相手が前のめりになってる今なら胴を獲れるかもって思った。でも、こんなに力んだ攻撃を受けるほど相手も馬鹿じゃなかった。
ウィリスベルト子爵は踏み留まっていた。私が一歩退いた分、剣は横一文字に空を斬った。それを見逃さず、がら空きになった私の胴目掛けて子爵は突きの姿勢へ。
「プラニエ様ァ!」
遠くで――もしかしたら近くで、悲鳴のようなリックの呼び声。
普通なら大ピンチなのだけれど、力んだ一撃を外したくらいで私はバランスを崩したりはしない。
だって、海の上の船はもっと揺れていたもの。
流れに逆らわない。逆らうと足は取られるし、船に酔う。風に、波に、流されるまま、それでも進路は船長の望み通りに。
素通りした私の剣を勢いそのまま、上段に振り上げ、振り下ろす。これなら力も速さも十分なはず。打ち倒せるはず。
突きを諦めた子爵は剣を横向きにし、頭上で私の渾身の一撃を受け止めた。
やっぱり、強い!
それだけじゃない。互いの剣が十字にかち合い、手が止まった瞬間、私のお腹を蹴りつけた。さすが、本物の騎士。戦い慣れた戦士。
「――ッ!」
声にもならない悲鳴と共に、私は吹っ飛んだ。きっとリックはまた私を呼んでくれてると思うけど、それすらも聞こえない。
鎧兜は三月のウサギ号へ乗るとき置いてきた。そしてそのまま、ここルヴィシーに向かったから私たちは平服に武器と拍車を纏っているに過ぎない。
甲冑に守られてない私の体はそれこそ小娘のまま。白銀の具足で蹴られたらひとたまりもない。ひとたまりもなかった。呼吸ができない。口の中に血の味が広がる。仰向けに倒れ、剣も取りこぼす。
雲からぽつりぽつりと雨粒。
そして、人影。
雨雲を背に、私を見下ろすウィリスベルト子爵。弱い私を前にしても、あの日のような侮蔑はない。だって、私はちゃんと名乗れたんだから。私はちゃんと、彼の敵として戦い、彼の敵として倒されようとしている。
子爵は切っ先を倒れた私へと向けた。
死ぬ。
死ぬと思った。
死ぬと思ったら、胸が重くなった。
貝の殻の首飾り。
貝の殻の首飾りが胸を締め付ける。
まだ、諦めたくない!
私にはまだ、武器がある!
使い方は見よう見まねだけど、この距離なら外しようがない。
ベリスカージさんの真似をしてベルトに刺しておいた、リツカさんの短銃を抜く。火縄式じゃないから雨でも使える。装填はルードロンがしてくれた。東方帝国で作られたらしいしっかりとした一級品。
騎士としてズルイとも思ったけど、体が自然に動いていた。なにせ、目の前まで剣が迫っていたのだから。
私の方が速い!
狙いを定める余裕なんてない。白銀の胸甲目掛けて、撃鉄を起こし、引き金を引く。燧石が落ち、突き固めた火薬が爆ぜ、施条に沿って弾丸が飛び出す。
不思議と銃声は聞こえなかった。ただ、一瞬、銃火で目の前が真っ白になった。その一瞬が永遠に思えた。
再び首飾りの重さを感じたとき、ぽつりと雨粒が頬を叩いた。
ちがう。
それは、もっと粘っこく、もっと鉄臭い、血――返り血だった。




