第一節 ルヴィシー丘陵攻防戦
開闢暦二九九七年初夏に起こったルヴィシー丘陵攻防戦を後の歴史はどう評価したか。
ひとつに、遅滞戦闘としての評価がある。
エルヌコンス王セルイス五世は「地牛節二十七日の勅命」により王都コンセーヴを放棄。それそのものも評価の分かれるところだが、ともあれ、西方同盟巡礼軍は逃げ腰のエルヌコンス本隊へ追撃隊を差し向けた。
翻って決戦を挑めば、王都に進駐した巡礼軍本隊の出陣を招き、数で圧倒されてしまう。その一方で、マッサブレユ城塞に逃げ込むには時間が足りない。
そのため、当時エルヌコンス軍が生き延びるには遅滞戦闘しか選択肢はなかったとされる。すなわち、追撃隊を小勢でもって足止めし、本隊の撤退を支援するというもの。
だが、古今、軍隊には士気というものがある。極論、これを「やる気」と呼んでもいい。もちろん、初戦のヴァンサン平野で負け、先の勅令で都を捨てたエルヌコンス軍の士気など無きに等しい。騎士の国といえども、兵卒の過半は雑兵であり、誇り高き騎士たちでさえ「同盟に寝返らないだけマシ」という有様だった。
にもかかわらず、遅滞戦闘――捨て駒を引き受けた騎士がいた。クロンヌヴィル侯女プラニエ・ファヌーである。
ランサミュラン=ブリュシモール家の旗印が翻るや否や、血気盛んな血風の傭兵団が戦列に加わり、まがりなりにもルヴィシーの丘の上に布陣してしまった。
西方同盟にとって後に「泥沼」と称される巡礼戦争苦戦の第一歩となったのだ。
もうひとつに、ロマンチシズムとしての評価がある。
開闢暦三千年を前にして、大陸は近世へと歴史を進めようとしていた頃である。
三角帆を備えた船舶による南方洋貿易の拡大は産業、技術、文化を大きく発展させた。その反面、西方同盟や回廊諸国のような旧時代・封建主義的な風潮は弱まっていた。
騎士による典雅な軍隊は廃れ、絶対王権のもとの常備軍が生まれる前夜である。銃砲も着実に普及していた。さらに視野を広げれば、生産力が向上し、富の蓄積の結果としての革命さえも感じさせる。そういった時代である。
西方統一戦争や巡礼戦争を、中世としての「最後の戦争」と呼ぶ娯楽作家も多い。さすがに、まともな史家にそのような乱暴者はいないものの、騎士が名乗りをあげ一騎打ちを行うような戦争はこれが最後と言ってもよいだろう。
このルヴィシー丘陵攻防戦という激戦において、先述の侯女プラニエ・ファヌーはその両方をやってのけたのだ。女性であり、若年であり、またそのような時代が終わろうというご時世に、である。
何れにせよ、この物語もルヴィシー丘陵攻防戦を迎える。
主人公のひとり、プラニエ・ファヌーは他ならぬルヴィシーの丘の上で――
もうひとりの主人公、リツカは風雨と攻撃に晒された船上で――
時に開闢暦二九九七年双児節三日紫曜日早朝。
所はダスティス川の東――ルヴィシー丘陵。
厚い黒雲が空を覆い、今にも雨が降り出しそうな日和であった。
※地図を添付しました。




