第二節 我は船長
「フォルシ! どこ!」
船長室から上層甲板に出てすぐ、あたしは航海長フォルシ・キペーランを呼びつけた。
「ここに、船長」
あ、すぐそこにいた。気づかなかった。
「明日の昼までにルヴィシー丘陵へ行く」
「はい、え、いえ、さすがに、無茶、です――」
そんなことはわかってる。よっぽど高いところの強風を捉えても厳しい。しかも、敵は確実に待ち伏せてる。穏やかな道程は期待できない。
「うるさい、なんとかして」
「では、すぐに、飛びま、せんと」
「わかった、飛ぶ」
「はい、船長」
相変わらずの不気味で不健康な返事を残して、足音もなく船尾楼甲板に上がっていくフォルシ。船幽霊か。
「聞いてたでしょ?」
「もちろんでさぁ!」
明朗快活。さっきっから掌帆長ベリスカージ・ヘルセルガリスの笑顔がむかつく。あたしをけしかけて死地に向かうのがそんなに嬉しいわけね、お前は。
「じゃあ、早く準備する」
「あい、船長!」
展帆なりなんなり水夫への指示はベリスカージに任せとけばいい。
「おーし! 野郎共ォ! 飛ぶ準備だァ!」
船一番のちび――帆桁のフリーゴルがするすると檣を登り帆桁で展帆作業を始める。
船一番ののっぽ――甲板のマルブが上層甲板を右往左往。いつまで経っても使えないヤツめ。
「このトンマのうすらとんかち共がァ! もたもたしてっと大海神の餌にしちまうぞッ!」
どいつもこいつも、あたしの最悪の選択に従って冥府へと赴くってわかってるくせに、なんなのこの活気は。いつもの海賊稼業、上陸して真っ先に向かった酒場、そんな日々とおなじお祭り騒ぎ。
押しつけられた責務を自ら背負ったプラニエ・ファヌー。
船長の気まぐれな博奕に望んで付き合う海賊連中。
あたしは、どっちも、認めない。
おかげで、あたしがこんな馬鹿なことしなきゃいけないんだから自己嫌悪も甚だしい。どいつもこいつもまったくもって――まぁいい。
もういい。
さて、あたしはあたしの馬鹿をしよう。
船尾楼甲板から舷側通路を通って、船首楼甲板へ。いつもなら船酔いでふらつく道だけど今日は違う。
今回の航海、あたしは酔っ払う余裕すらなかった。お姫様の選択にブチギレてたから。八つ当たりに忙しくてそれどころじゃなかった。
あたしはきっと、プラニエ・ファヌーとはわかりあえない。
「それでも大博奕うとうって一番の馬鹿は――」
あたしだ。
「はぁ……」
これから、あたしはこの船に魔法を掛ける。
三月のウサギ号の船首像は「海と空の夫婦像」だ。海の神と空の神との婚姻を祝福する、二柱の神が抱き合ってる彫像。南方洋全域を探しても百と存在しない魔法の船首像。
これが三月のウサギ号を空飛ぶ帆船たらしめている。
どたどたと仕事をする船員連中の気配を背中に感じながら、あたしは船首楼甲板に立つ。
掲げるは、左手。
結婚もしてないのに薬指にはめた魔法の指輪――船長の証。
今は亡き父から受け継いだ、数少ない遺産。
それを船首像に、海に、空に掲げ、言の葉を囁く。
我は船長
ここに祝福せん
大海に詠う波と共に
大空を舞う風と共に
甲板から陽を仰ぎ
舵輪に定めを託し
汝らの婚姻を祝福せん
太古、決して交わることのないと言われた海の神と空の神が恋に落ちた。西方洋の先にあるという世界の果てでは水平線が溶けていて、二柱の神はそこで結婚したという。
馬鹿馬鹿しい。
そんなことあるわけがない。海と空は決して交わることがない。
だから、魔法――魔の法。すなわち、理の法――理法の対義。絶対にありえず、絶対に間違っていることを可能にするズル。言うなれば、世界の自棄。
帆がいっぱいに広がるのを確認して、後半の節を唱える。
海を統べし汝
空を統べし汝
我が船こそ汝らの赤子
御手を差し出し
我らを誘い給え
無窮なる航路へ
遥かなるかな空と海
遥かなるかな空と海
結句を二度紡ぐと、船首像の魔法が発動した。
帆布が風を捉え、竜骨が浮力を得るというデタラメ。三月のウサギ号は、あたしは、海原を離れ、空へと飛び出した。
海と空は決して交わるはずがないのに。




