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遥かなるかな空と海 第一部  作者: 嘉野 令
第八章 遥かなるかな空と海
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第一節 あっしにゃ難しいこたぁわかりやせんが

「入ってくんな」

 あたしはノックに対してそう答えたはず。

「だいぶ荒れとりますな、お嬢」

 それなのにこの男――ベリスカージは構わず船長室に入って来やがった。くそが。

「うるさい、黙れ」

「航海長あたりなら黙るんでしょうがね」

 あ、そ。黙らないわけね。

 お姫様と別れてすぐ、あたしは三月のウサギ号を出港させた。もう一昼夜、クトリヨンからひたすら南下してる。

 負け戦の確定したエルヌコンスはこれ以上の金蔓にはならないから。それどころか、暴走した官憲がうちの船を接収とかしかねない。

 味方のいない海賊にとって、危険から逃げるのは当然。

 なんなら、南方洋のド真ん中で一ヶ月くらい釣りでもしてればいい。エルヌコンスはすぐに滅亡するだろうけど、あたしたちを恨む西方同盟は聖地まで進軍しなきゃいけないうえに大した海軍力もない。

 逃げてさえしまえば、怖いものなんてない。

「で、なんか用?」

 黙らないって言ったくせにベリスカージは黙ってた。めんどくさいから先を促す。

集会室(ワードルーム)にこんな密航者が隠れていやして」

 ベリスカージが差し出したのは、如何にも海賊でございって荒くれ男にはあまりに似合わないモノ。

「なにそれ」

「見てのとおりでさぁ」

 机の上にはウサギのぬいぐるみ。ひとりで座ることもできず、くてっと倒れ伏した。

「ま、お姫様の忘れ物か、置き土産ってとこでしょうな」

 あの馬鹿。

「迷惑」

 それで何かを託したつもり?

 何かを振り払ったつもり?

 はっきり言って迷惑でしかない。くそが。

「よろしいので?」

「なにが?」

「進路はこのままでよろしいので?」

 あたしは命令の変更なんて示唆してない。南でいい。それしかない。

「なんで?」

「荒れとりますから」

「荒天の兆しなんてないでしょ」

「いえ、お嬢が」

 確かに、船長室はもうぐっちゃぐちゃ。力任せにモノを投げつけたのなんていつ以来? 覚えてるけど、思い出したくない。

 それは、父が死んだときだから。

「悪い?」

「悪かぁないですが、海賊船のカシラとしちゃあオカシイと思いやしてね」

 なにそれ? って、口にするまでもなく、ベリスカージはつらつらと続けた。

「海賊ってもんは元来自分勝手なもんでしてな。思い通りにいかない、怒り心頭だなんてときゃあ、モノに当たらず、手近な船に当たるもんでさぁ」

 海賊のそういう野蛮なところが嫌いなの。

「……何が言いたいのか知らないけど、今は逃げの一手。それ以外、あたしたちに何かできると思ってんの?」

 あんた、あたしに何をさせたいわけ?

「あっしにゃ難しいこたぁわかりやせんが――」

 うそつき。

 この男が現状を理解してないはずがない。唯一無二の選択だってわかってるはず。

「船長――失礼、先代の船長は」

 わざと言い直すとか喧嘩売ってんの?

「海賊船の船長の仕事を博奕にたとえていなすった」

「はぁ?」

 家族より海を選んだ海賊――アウグゼ・ヒューゲリェンは簒奪者じゃ飽きたらず博徒でもあろうとしてたわけ?

「正しいとか正しくないとかじゃねぇ、ここぞってときに博奕をうてる度量だけありゃあいんだ――なんてのが口癖でさぁ」

 だから、なんだって言うの。

「お嬢は痛快だと思いやせんか?」

 あたしがこんなにも苦しい思いしてるのに、この男はなんで満面の笑顔なの? なにが楽しいの? 博奕なんて言って、賭け金は乗員すべての命だってわかって笑ってるわけ?

「……海賊稼業も博奕も正しいことじゃあございやせん」

「当たり前でしょ、馬鹿」

 何を今更。

「そりゃあ、お嬢は頭がよーっくキレなさる。帝都の学者センセイも舌を巻くほどの秀才でさぁ。今回の戦争もたった一隻でよくぞここまでって、学のねぇあっしでもわかりまさぁ」

 それだって薄氷を踏むような思いをして叩き出した結果じゃない。これ以上どんな冒険をしろって言うの?

「ただ、まぁ、もうちっとわがままでいいんじゃねぇか、って――」

 わがまま?

「そういう話でさぁ」

 そう、この顔だ。この笑顔だ。海の男特有の、父と同じ、少年みたいな、無邪気な、無垢な。海賊はそんな顔して命や財産を掠奪する。

 お姫様も、笑顔で船を下りた。

 あたしはそんなの認めない。

「あっしらは海賊、命の値段の安いどうしようもねぇ連中しかおりやせん」

「うるさい、黙れ」

「お嬢が船長になってだいぶいい思いさせてもらいやした」

「うるさい」

「言葉や態度が乱暴でも誰も死なねぇよう気を遣ってくださってるのは、どいつもこいつもしっかりわかってまさぁ」

「黙れ」

「だから、お嬢ひとり苦しい思いする必要なんてねぇって」

「うるさい――」

「あっしらに構うこたぁねぇ、やりたいようにおやりなせぇ」

「うるさいうるさいうるさい」

「一度っきりの人生、カシラと仰いだ船長の博奕に乗っかるのがあっしら海賊の一番の楽しみなんでさぁ」

「あたしは黙れって言ってんのッ!」

 ぬいぐるみと怒声を投げつけて、ベリスカージはやっと黙った。

「言いたいことはわかったから――黙れ」

「あい、お嬢」

 海賊もお姫様も、人が必死で考えたことを台無しにしたいわけ、ね。

「……それ、総意なの?」

「海賊の常識でさぁ」

 ホント、だから、海賊なんて大嫌い。

「あんたたち、どうしようもないクズだわ」

 今まで真剣にこいつら守ろうとしてきたのが馬鹿みたい。こうなりゃあたしだって好き勝手やらせてもらう。もっとわがままでいいんでしょ?

 どいつもこいつも命が惜しくないなんて。くそが。

「そんなに言うなら大博奕――」

 賭け金はあたしの命とこいつらの命と船一隻、あの純粋で愚直なお姫様と比べれば安いにも程がある。

 あたしは所詮、海賊なんだから。

「うってやろうじゃないの」

「あい、船長!」

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