第四節 捨て駒が布陣
「リック! 旗を高く掲げよ!」
私は今、ルヴィシーの丘の上にいる。
「クロンヌヴィル侯の名代ここに在りと知らしめるのだ!」
「ははッ!」
夕刻、ダスティス川から丘を吹き上げる風は強く、リックの掲げる私たちの旗印は激しく舞っている。
日は沈みつつあり、空には大きな黒雲が浮かぶ。だけど、この丘の上ならば、東の友軍にも西の敵軍にも私たちがここに陣取ったことがわかるだろう。
東には、王旗翻る数万のエルヌコンス本隊。
西には、聖印翻る数千のオージュサブリス聖騎士団。
「先に布陣できたのは幸いでしたな、プラニエ様」
下馬したルードロンが川向こうの敵軍を見下ろしながら言う。
「この傾斜、通りすがるだけならまだしも、我らを蹴散らしながらというのはさすがに無理がある。高所を取った以上、弓兵の矢も恐るるに足りませぬ」
ベリスカージさんたちとお酒を酌み交わしていたときの明るいルードロンとは違う。騎士という戦士階級らしい鋭い力強さがあふれている。
「奴らの主力は騎兵のようですが、明日は徒歩にて攻めざるを得ないでしょう」
私もそう。騎士として振る舞わなければならない。エルヌコンス殿軍の大将として勇ましくあらねばならない。
最期の、瞬間まで。
「うむ……足止めには最適、か」
間に合ったのはリツカさんのおかげに他ならない。クトリヨンの船上にありながら、この状況を見通し、私たちにとれる最後の手段を示してくれた。だから、有利な布陣ができた。
もっとも、褒めてお礼を伝えてもリツカさんは喜ばないだろうけれど。
あのしかめっ面が、もう懐かしい。
「プラニエ様――」
爺や――ソワーヴが岩肌に傅いている。
「何用か」
いつも以上に主人として扱ってくれるのは、私に勇気をくれるためなのだと思う。こうして振る舞っている限り、私はまだまだがんばれるから。
「ご遺言をしたためられますか」
そっか。そう、だよね。
リツカさんの言う通り、私たちは捨て駒として、明日には死んでしまうものね。さすがソワーヴ、しっかりしてる。
だけど――
「必要ない」
「よろしいので?」
齢十七で倒れる私を気遣ってくれてるのはわかる。
「出征する際、兄との別れは済ませた」
そのとき、故郷との決別も。
「ヴァンサン平野に布陣する際、父との別れも済ませた」
武人としてその思いに偽りはなかった。
「それに」
ウサギのぬいぐるみ――ポムポムさんは三月のウサギ号に置いてきた。弱い私、頼る私、小娘とはお別れしてきた。
リツカさんなら意味をわかってくれると思う。
「いや、なんでもない」
「然様にございますか」
風が吹き荒ぶ。明日は雨かも知れない。泣かないと決めてはいるけれど、もしも、痛くて泣いてしまったら雨が隠してくれる。よかった。
「プラニエ様! 本隊より一騎、駆けてきます!」
リックの報告に、そろそろ月の昇る東を見遣る。
「見慣れぬ軍旗――誰ぞ、知っておるか?」
血を思わせる真紅の旗印。青い旗の多いエルヌコンスには珍しい。
「他家ではございませぬな。傭兵、でありましょうか?」
「傭兵?」
確かに、今や全軍の二割以上が傭兵だから不思議はないけれど、何の用だろう? なんて、実際に面と向かうまで彼を思い出せなかったのは、少し申し訳なかったかな。
彼が丘を登り切る頃にはすっかり日も暮れていた。
「血風の傭兵団がブロージ・ジャミンズ、推参ッ!」
先に名乗ってくれて助かった。正直言えば、あのときはお酒も入っていて名前まで覚えていなかったの。
「この局面で殿を引き受けるたぁ、さっすが狂ったウサギに乗っていただけあるな!」
そう、彼らは先月頭に、港町クトリヨンの踊る鯨亭にて「共闘」した隣席の傭兵団だ。三月のウサギ号の先代船長――リツカさんの父上やベリスカージさんと、団長の彼は旧知の仲という話だった。ベリスカージさんみたいな大男だから覚えている。
「久しいな、ブロージ殿」
名前も覚えてなかったのは内緒ね?
「大将はどんな豪傑かと思いきや、あんときのお姫様じゃねぇか!」
海賊の彼らと通じるような快活さ。三月のウサギ号にいたときのような心地よさを感じる。傍らのソワーヴも「控えろ、下郎!」なんて言わない。
「あんたら、王様と本隊逃がすためにここで踏ん張るんだろ?」
「然様、一番槍と殿という誉れを独り占めするつもりぞ」
胸を張って答える。私は誉れ高き騎士なのだから。
「気に入った! 俺らも混ぜてくれ!」
彼は何を言っているのだろう? どんなに強がったって私たちが「捨て駒」なことなんてわかりきっているのに。
「俺たちゃ傭兵だからよ! 厳しい戦ほど儲かるって寸法よ!」
海賊も傭兵も、私とは違う理屈で動いている。きっと、農民も商人も私の常識なんて通用しないのだろう。それに、おそらく、西方同盟も。
世界は、私とは違う無数の人々によって形作られている。
三月のウサギ号で過ごして私が学んだ大切な真実。山奥の城館で貴族の娘として暮らし続けても、ヴァンサン平野で討ち死にしていても気づかなかった、ごくごく当たり前のこと。
ありがとう、父上。
ありがとう、リツカさん。
悔いなく戦い、悔いなく倒れられる。あとは、ヴァンサン平野での失敗を繰り返さない、ただそれだけ。
「そこな傭兵、我が御大将の軍勢に参陣するには礼を尽くされい」
ソワーヴが堅苦しく言うのがなんか滑稽だった。軍勢なんて言ったって、私たちは下馬した十騎。大将といったって十七の小娘。
「おっと、これは失敬!」
それでも、ブロージさんははっとして畏まった。
「我ら血風の傭兵団、百三十七名! クロンヌヴィル侯女とのご縁に甘んじ、参陣の許しを賜りたい!」
誰も彼も私を騎士として大将として扱ってくれる。単なる小娘なのに。
思いつく例外はふたりだけ。リツカさんと、ヴァンサン平野で相対した聖騎士。悔しいけれど、ありがたくもあり、しょうがなくもある。
だから、しっかりしなくっちゃ。
「よろしい! 戦列に加わることを許す!」
およそ百五十にもなった私の軍勢は明日、数千の敵と戦うことになる。
「明日は決戦! 武勲は欲しいままぞ!」
王と祖国の捨て駒として――




