第二節 捨て駒の登場
クロンヌヴィル侯女プラニエ・ファヌー・ランサミュラン=ブリュシモール率いる小さな騎士団は空を飛ぶが如く大地を駆けた。
港町クトリヨンから、プロヴァール川を越え、バンサローヌ川を越え、ルヴィシー丘陵へ一直線に、昼夜を問わず、飲まず食わずの強行軍。クトリヨンの銀行に預けていた鎧兜さえも受け取っていない。身ひとつエモノひとつ。
それは、貴族たる騎士の軍勢とは思えぬ姿であった。
もちろん、これは時間が差し迫っていたことによる。王と王国を守るためには一刻の猶予もなかったからだ。また、どうせ捨て駒になるのなら、準備に時間のかかる甲冑などいらないという思い切りの良さもあった。
それに、全身鎧の騎士という権威の象徴を、もはや彼女は必要としていなかった。己が体と旗と意思さえあれば、彼女はもう騎士たり得る自信があったのだ。
斯くして、プラニエ・ファヌーはルヴィシー丘陵に辿り着いた。歴史に言うところの「地牛節二十七日の勅命」から三日後のことである。
東には、マッサブレユ城塞に逃げ込まんとするエルヌコンス王の本隊およそ六万。
西には、決死の覚悟でそれを追撃せんとする西方同盟の精鋭――聖騎士団およそ五千。
そして、その中央に割って入ったプラニエ・ファヌーの軍勢はたったの十騎。
リツカ・ヒューゲリェンでなくても、彼女らの運命を予言することなど容易い。ごく単純な算術であろう。
開闢暦二九九七年双児節二日青曜日薄暮、ダスティス川の東ルヴィシー丘陵にクロンヌヴィル侯爵ランサミュラン=ブリュシモール家の旗印が翻った。
エルヌコンス敗戦が確実視される中、突如として「誇り高き捨て駒」が歴史に登場した瞬間である。
巡礼戦争前半における最大の激戦――世に言うルヴィシー丘陵攻防戦が迫っていた。




