第一節 捨て駒が下船
素早い影の正体なんて、今はもう見上げないでもわかってる。まばゆい青空を舞う、自由なカモメに違いないのだもの。
船を下りると決めた以上――捨て駒になると決めた以上、もたもたしてはいられない。間に合わなかったら行かないのと一緒。
名残惜しいけど、急がなくっちゃ。
「爺、支度は?」
「すでに整えております、プラニエ様」
ソワーヴかルードロンから私の決断を伝えられていた騎士たちも、リツカさんの大声を漏れ聞いていた海賊たちも、すでに準備を終えていた。
上層甲板にみんな揃っている。船乗りは、海賊は、どういう別れの挨拶をするのだろう。三月のウサギ号でいろんなことを学び、覚えたけど、それはまだ知らない。
「お世話になりました!」
舷縁の傍らで、リックがベリスカージさんに頭を下げている。
「こっちこそ楽しかったぜ! お姫様を守ってやんな、坊主」
「はい!」
すっかり素直になっちゃって。乗船したときなんてすごく反発していたのに。
リックだけじゃない。ルードロンも爺やも、それに私も、彼ら海賊をもう仲間だと思っている。ここで別れることになっても、彼らの無事な航海を祈りたい。
「掌帆長殿、おさらばです」
「おう! 達者でな、お姫様」
出会いと別れだけ
繰り返される旅路
振り返ることもなく
道なき道をゆく
詠み人知らずのあの歌を思い出す。彼ら海賊はこうしてたくさんの出会いと別れを繰り返しているのだろう。私もまた、海賊のひとりとしてここで別れることになる。
彼らの仲間として恥じない別れをしよう。そうしよう。
「三月のウサギ号がご一党に感謝申し上げる!」
私たちは海賊として、騎士として船を下りる。最後までしっかりと振る舞わなきゃ。
「主君と祖国の危機に際し、これより本船より出陣致す!」
名残惜しいけど後悔はしていない。
「我らの戦場と汝らの航海に栄光あれッ!」
だって、私たちは、この誇り高い海の荒くれ者の仲間なのだから。
「ウサギの海賊旗に恥じぬ戦いを我らここに誓わん!」
抜刀し、剣を空に掲げる。
「海と空と船に!」
あの日、踊る鯨亭で交わした乾杯を真似る。騎士の儀礼ではないけれど、私の言いたいことはみんなに伝わると思った。
「海と空と船に!」
ベリスカージさんが真っ先に応えてくれた。
「海と空と船に!」
ルードロンもリックも抜刀して誓った。
「海と空と船に!」
フリーゴルさんやマルブさんといった水夫のみんなの声がフォルシさんの囁きを掻き消しちゃうなんてわかっていたこと。
「ウミトソラトフネニィ!」
ガルダーンさんの甲高い訛さえ心地良い。
「プラニエちゃん行かないでぇぼげふぉ!」
「海と空と船に!」
「海と空と船に!」
「海と空と船に!」
「海と空と船に!」
涙目で駆け寄るラッキさんはベリスカージさんの拳を顔面に受け、狙いすましたように他のみんなが唱和した。みんな、わかってる。
そこに別れを惜しむ涙など存在しない。誰も彼も笑顔だった。
「なぁに、今生の別れって決まったわけじゃねぇし!」
いつだってベリスカージさんは豪快だ。
「その昔にゃあ、決して交わることがねぇって言われてた海の神と空の神が結ばれたんだからよ。またどっかで会うこともあんだろうよ! なッ!」
そう、だから、三月のウサギ号は魔法で空を飛べる。
不可能も、絶対も、あり得ない。
「……お姫様」
「せん――リツカさん」
今まで船長室に籠もっていたリツカさんが木箱を抱えてやってきた。
彼女は私たちなんかよりも、ずっとずっと賢い。不可能なんかない。絶対なんてあり得ない。そんな脳天気な楽観主義を否定できるだけの未来が見えているのだろう。
この甲板で無表情なのは彼女ひとりだけ。でも、今の私にはわかる。それは悲しみを湛えている。失礼かな、って思うけど、わかっちゃうんだもん。
「これ、持ってきなさい」
「えっ?」
東方風のずっしりと重たい木箱をぐいと押しつけられた。
「あんたの剣なんかどうせ役に立たないんだから、持っときなさい」
相変わらず酷い言われようだけど、今更リツカさんに見栄張ったってしょうがない。その通りだものね。
箱を開くとそこには一丁の短銃、リツカさんが愛用していた武器。
「これって……」
「誇り高き騎士様が使うかどうかは知らないけど――ま、好きにすれば」
首飾りといい鉄砲といい、私はリツカさんにもらってばっかり。ちょっと申し訳ない気もするけど、正直、うれしい。
「ありがとう、ございます」
「金百万の釣り銭みたいなもんだから」
「うふふっ、そうですよね」
もう、照れ屋さんめ。
「リツカさん、ありがとうございました!」
「ふんっ」
にやにやする仲間たちに見守られて、私たちは三月のウサギ号から下船した。
あの高い雲を追い
太陽に手を伸ばし
抱き締めることもなく
さよなら 愛し君
さようなら、リツカさん。




