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遥かなるかな空と海 第一部  作者: 嘉野 令
第六章 正義
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第四節 リツカさんの正義

 リツカさんと、この三月のウサギ号でどこか遠くへ逃げてしまえば、それはきっと素敵なことなんだと思う。

「ありがとう、リツカさん」

 そんな道を示してくれて、ランサミュラン=ブリュシモール家の令嬢ではない私を見せてくれて、嬉しかった。

「南方洋の女海賊リツカとプラニエ――それもいいかも知れませんね」

「……そうね」

 優しいなぁ、リツカさん。

 そんなこと、これっぽっちも思ってないのに。

「リツカさんの正義って、私の正義なんかより大変ですよね」

「うん?」

 船員と船を守るために船長を継承したように、今は私まで守ってくれようとしている。

 嘘つかれるのが嫌いと言ったリツカさんが、嘘をつき無理をしてまで私を引き留めようとしてくれている。

「でも……いえ、だから――」

 そう、だから、言わなくちゃ。

「私のことは守らないでいいんですよ」

 差し伸べられた手を握ることはできない。

「なに、言ってんの?」

「リツカさんこそ無理しないでください」

 そんなに悲しそうな顔しないで、リツカさん。決心が鈍っちゃう。

「だって、あなたにはあなたの守るべきものがあるじゃないですか」

 リツカさんにこんな無理をさせてしまったのは、私。私はリツカさんが守るべきものではないのに。

「それに、リツカさん……嘘が下手です」

「はぁ……」

 大きなため息。

 少しだけ見せてくれた優しい微笑みももうおしまい。どっかと椅子に座り、背もたれに寄りかかる。そこにはもう、いつものむすっとしたリツカさんがいる。

「いつから気づいてたわけ?」

「本当は優しいのにひねくれてるリツカさんが、態度まで優しくなったときからです」

 頬を赤くして、頭をかくリツカさん。

「なにそれ、間抜けもいいとこね……恥ずかしい」

「そんな、私のために……その、ごめんなさい」

 いや、違う。いつもなら隠す恥ずかしさを見せてくれたんだもの。

「いえ、ありがとうございました」

「はいはい」

 腕組み、足組み、呆れられた。そう、これがリツカさんと私の関係。

「行くのね?」

「はい、行きます」

「そう」

 短い会話。

「ま、せいぜい気張って名を挙げて、死んじゃいなさい」

 それでこそリツカさんだと思う。

「もぉ! 酷いですよ。もしかしたら、私が大活躍して勝つかも知れないんですから」

 望みの薄いことはわかってる。これは精一杯の冗談。

「そうね」

 でも、リツカさんは肯定して、すっくと立ち上がった。

「策も予測も絶対じゃない」

 優しさの欠片も感じられないいつも通りのつっけんどんな口振り。だから、これはリツカさんの本音に違いない。

「だからって、あたしたちは付き合わない。当局にとやかく言われる前に沖に出るから」

「はい、私たちはすぐに支度して船を下ります」

 潮の香りとも、船体が軋む音とも、水夫たちの歌声とも、これでお別れ。

 だけど、私はそれらを失うわけじゃない。たとえ、戦場で倒れようとも、私はその瞬間までこの船で過ごした日々を忘れたりしない。

 それになにより、リツカさんが私のことを忘れるはずがない。

「首飾り、大切にしますね」

 胸元の貝殻をぎゅっと握りしめる。

 リツカさんが船と船員を守ろうとしたように、貝殻の首飾りは私を守ろうとしてくれた証――リツカさんの正義なんだと思う。

 言い過ぎ、かな? でも、私はそれが嬉しい。

 おかげで、もう何も怖くない。

「銀貨二枚の安物で何をそんなに」

 正直、リツカさんと別れるのは寂しい。

「あたしはあんたを船に乗せるだけで金百万もらってんの」

「そういえば、そうでしたね」

「そう」

 こんな憎まれ口も私に力をくれる。力をもらったからには、活かさなきゃいけない。活かしたい。いや、それは私が決めることじゃない。

 風を帆に受けた船は必ず前へと進むのだから。

「あんたには充分儲けさせてもらったから――」

 それが、リツカさんの正義。

「とっとと下船して」

 私の正義よりも不器用で、大変で、優しい正義。

※表現を修正しました。

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