第四節 リツカさんの正義
リツカさんと、この三月のウサギ号でどこか遠くへ逃げてしまえば、それはきっと素敵なことなんだと思う。
「ありがとう、リツカさん」
そんな道を示してくれて、ランサミュラン=ブリュシモール家の令嬢ではない私を見せてくれて、嬉しかった。
「南方洋の女海賊リツカとプラニエ――それもいいかも知れませんね」
「……そうね」
優しいなぁ、リツカさん。
そんなこと、これっぽっちも思ってないのに。
「リツカさんの正義って、私の正義なんかより大変ですよね」
「うん?」
船員と船を守るために船長を継承したように、今は私まで守ってくれようとしている。
嘘つかれるのが嫌いと言ったリツカさんが、嘘をつき無理をしてまで私を引き留めようとしてくれている。
「でも……いえ、だから――」
そう、だから、言わなくちゃ。
「私のことは守らないでいいんですよ」
差し伸べられた手を握ることはできない。
「なに、言ってんの?」
「リツカさんこそ無理しないでください」
そんなに悲しそうな顔しないで、リツカさん。決心が鈍っちゃう。
「だって、あなたにはあなたの守るべきものがあるじゃないですか」
リツカさんにこんな無理をさせてしまったのは、私。私はリツカさんが守るべきものではないのに。
「それに、リツカさん……嘘が下手です」
「はぁ……」
大きなため息。
少しだけ見せてくれた優しい微笑みももうおしまい。どっかと椅子に座り、背もたれに寄りかかる。そこにはもう、いつものむすっとしたリツカさんがいる。
「いつから気づいてたわけ?」
「本当は優しいのにひねくれてるリツカさんが、態度まで優しくなったときからです」
頬を赤くして、頭をかくリツカさん。
「なにそれ、間抜けもいいとこね……恥ずかしい」
「そんな、私のために……その、ごめんなさい」
いや、違う。いつもなら隠す恥ずかしさを見せてくれたんだもの。
「いえ、ありがとうございました」
「はいはい」
腕組み、足組み、呆れられた。そう、これがリツカさんと私の関係。
「行くのね?」
「はい、行きます」
「そう」
短い会話。
「ま、せいぜい気張って名を挙げて、死んじゃいなさい」
それでこそリツカさんだと思う。
「もぉ! 酷いですよ。もしかしたら、私が大活躍して勝つかも知れないんですから」
望みの薄いことはわかってる。これは精一杯の冗談。
「そうね」
でも、リツカさんは肯定して、すっくと立ち上がった。
「策も予測も絶対じゃない」
優しさの欠片も感じられないいつも通りのつっけんどんな口振り。だから、これはリツカさんの本音に違いない。
「だからって、あたしたちは付き合わない。当局にとやかく言われる前に沖に出るから」
「はい、私たちはすぐに支度して船を下ります」
潮の香りとも、船体が軋む音とも、水夫たちの歌声とも、これでお別れ。
だけど、私はそれらを失うわけじゃない。たとえ、戦場で倒れようとも、私はその瞬間までこの船で過ごした日々を忘れたりしない。
それになにより、リツカさんが私のことを忘れるはずがない。
「首飾り、大切にしますね」
胸元の貝殻をぎゅっと握りしめる。
リツカさんが船と船員を守ろうとしたように、貝殻の首飾りは私を守ろうとしてくれた証――リツカさんの正義なんだと思う。
言い過ぎ、かな? でも、私はそれが嬉しい。
おかげで、もう何も怖くない。
「銀貨二枚の安物で何をそんなに」
正直、リツカさんと別れるのは寂しい。
「あたしはあんたを船に乗せるだけで金百万もらってんの」
「そういえば、そうでしたね」
「そう」
こんな憎まれ口も私に力をくれる。力をもらったからには、活かさなきゃいけない。活かしたい。いや、それは私が決めることじゃない。
風を帆に受けた船は必ず前へと進むのだから。
「あんたには充分儲けさせてもらったから――」
それが、リツカさんの正義。
「とっとと下船して」
私の正義よりも不器用で、大変で、優しい正義。
※表現を修正しました。




