表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/48

プラニエの序章

 私は剣を手に、敵と対峙した。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」

 息が苦しい。肩と肺が跳ねるのを抑えられない。このままじゃ、見栄も張れない。

 初陣に臨んで、たぶん数刻ほど。馬も槍も兜も早々に失ってしまった。それも、討ち合ってなくしたわけじゃない。荒ぶる愛馬を宥められずに、ただ落馬してしまった。

 私は誇り高き騎士なのに。

 それに引き替え目の前の男は、敵ながらあっぱれな堂々たる騎士だった。白銀の甲冑に、真っ赤な聖印を染め抜いた白亜のマント――西方同盟の誇る聖騎士というやつだ。彼も徒歩だが、私みたいに落馬というわけではないだろう。乱戦に備えて下馬し、その剣で以て、私の味方を切り続けているに違いない。

 周囲の喧噪に負けることなく、男の声ははっきりと聞こえた。

「なぜ、戦場に小娘がおるか」

 酷い。そんなの酷すぎる。

 私は騎士として戦場に立っているのに。女だとか、まだ十七だとか関係ない。本陣の父と、病床の兄の名代として小娘扱いされるわけにはいかない。騎士としての沽券に関わる。

 言い返してやらねば。

「わ、私は小娘などでは――」

 声が掠れる。

 それに、「私」だなんて。ここはびしっと「余」って言わなきゃいけないのに。でも、まずは名乗らなきゃ。

 私は騎士なんだから。

「我が名は……な、名は、プラニエ・ファヌー・ランサミュラン=ブリュシモール」

 声が震える。

 家臣とはぐれ、初めてひとりで対峙した敵に、騎士として立派に名乗った――なんて、とても言えない。私の、誇り高き武門の名は、戦塵に消えた。

 私は騎士なのに。

「聞こえん。聞こえんな」

 聖騎士は首を左右に振った。

「回廊地方最古の王国エルヌコンスならば、さぞや勇猛な武人と戦えると思うておったが……碌に名乗れもせん小娘が、金の拍車の騎士とは片腹痛い」

 それは聖騎士の、心の底からの、嘆きだった。敵に失望されてしまった。彼からすれば、私は騎士どころか敵ですらない。

 悔しい。でも、何も言い返せない。

 貴公! 口は達者なようだが、騎士ならば剣で語らうべきであろう!

 って、言ってやりたいのに。声が出ない。

 そもそも、そんな自信なんてない。剣術だけじゃない。槍も馬も苦手なんだから。

 武門の名家に生まれていながら、情けないことに兄妹そろって武術が不得手だった。兄上は体が弱いから仕方ない。だから、私がなんとかすればいい。そう思って今日までがんばってきたつもりなのに。

 クロンヌヴィル侯の娘、プラニエ・ファヌーは女だてらに強くなくちゃいけないのに。それなのに、剣を振るうどころか、まともに名乗ることもできないだなんて。

 遠くから西方同盟の喇叭(ラッパ)が聞こえる。勇ましく軽快な音色に続いて、無数の蹄鉄が大地を揺らす。敵軍はこの戦いに決着をつけるつもりだ。

 私たちにとどめを刺すべく迫る、数百からなる騎馬隊。

「終わりだな」

 聖騎士の言う通りだ。この戦、負ける。

 見る間に同盟軍は整然と後退していく。歩兵を退き、騎兵のための道を開くのだろう。

 一方、味方は混乱している。長槍兵の布陣も間に合わないどころか、みんな散り散りに逃げ出す始末。私が貴族として号令できれば違うのかも知れないけれど。

 聖騎士はおもむろに剣を納めた。私がもう戦えないのをわかっているのだ。大股で具足を鳴らし、すれ違う。

「小娘など斬るに値せんわ」

 騎馬隊の轟音なんかよりも、ずっとずっと重い侮蔑の言葉。その言葉に、その現実に、私は立ちすくんでしまった。

 武勲を挙げようだなんておこがましいとは思っていた。でも、せめて、名に恥じぬ勇敢な振る舞いをしようと誓って出陣した。

 遠ざかる聖騎士の背中。迫る数百騎の敵軍。

 自分でも意外なことに、騎馬隊と共にやってくる死の恐怖なんか、どこかに行ってしまっていた。泣き叫ぶ余裕をもなくしてしまったのかも知れない。

 ただただ、悔しかった。

 ただひたすらに、情けなかった。

 低く垂れ込めた暗雲からは今にも雨が降り出しそうだった。

「プラニエ様!」

 どこかから呼び声がする。

「プラニエ様ぁ!」

 駆け寄ってきたのは満身創痍の青年騎士――家臣のリック・ラビネーゲ・ルバーベルだった。ルバーベル家はランサミュラン=ブリュシモール家に代々仕える騎士の家門であり、彼とは旧知の間柄だ。

 歳の近い彼も初陣のはずだが、彼は誇り高く戦えたのだろうか。

「すぐにお退きください!」

 私の肩を揺すりながら、リックはそんなことを言う。

 同盟軍の騎馬隊が迫っていることくらい見ればわかる。でも、退却なんてできるわけないじゃない。なんたって、この戦は国王陛下直率。臣下が先に逃げるなんて許されない。

「で、でも、陛下が……」

 頭の中にはもっと勇ましい言葉が浮かぶのに、口に出せたのはそれだけだった。なんて情けないのだろう。

「陛下はすでに後退なされました! プラニエ様も早くッ!」

 まさかと思って後方を見遣ると、遥か遠くに翻る王旗。

「そ、そんな……」

 誇り高き騎士の国。回廊最古の王国。我が祖国エルヌコンス。騎士の頂点たる王が、我先にと逃げ出している。

「だって、ここで退いたら王都まで一直線、なのに……」

 だからこそ、領内に攻め入った西方同盟軍に対し、ここヴァンサン平野にて、王直率六万の全軍で挑んだ大戦(おおいくさ)

 それなのに、大した打撃を与えることもなく潰走している。このままでは、回廊諸国の援軍を待つこともなく王都コンセーヴは陥落してしまう。

 だけど、私には何もできない。

 やらなきゃいけないこと、やろうとしていることは明確なのに、わかりきっているのに、どうすることもできないなんて。

 なだらかな平野。

 逃げ惑う友軍。

 踏みつけられた軍旗。

 砲弾の跡。

 迫り来る敵軍。

 転がる死体。

 鈍色の空。

 どんなに悔しがっても、情けない自分に後悔しても、もう、何も覆らない。待っているのは、何もできないまま迎える敗北と死だけ。

 ぽつり。

 突然、頬を伝う雫。

 泣いちゃダメ。そんなの情けなさ過ぎる。泣かないって決めて、戦場に来たんだから。せめて、最期だけは気高く……いや、違う。

 これは涙じゃない。

 死が怖いというより、泣くほど悔しい気分だけど、これは違う。

 これは天から降ってきた――雨粒だ。見上げると、黒雲はさっきよりも色濃くなっている。

 ああ、そっか。あそこから、雨、降ってきたんだ。

 ん?

 あれ?

 雲が、黒すぎる?

 今にも雨が降りそうだから、それは当然なんだけど。まるで、雲の中に巨大な龍でもいるみたいに、大きな影がある。

「リック、あれ……」

 敵も味方も、私の手を引くリックも、それに気づいていない。だけど、その影はゆっくりと雲の中を動いている。悠然と、そして、力強く。

 湿気の強い風が吹いた。

 影を見ていなかったら、それは単なる雨の予兆だと思ったことだろう。でも、私はその姿をしっかりと目にしていた。

 雲間から現れたのは――

「……空飛ぶ、船」

 思わず呟いてしまった。

 三本(マスト)の帆船が雲間から現れたのだ。

 獅子鷲(グリフィン)飛龍(ワイヴァーン)と並ぶ大空の覇者にして、大王蛸(クラーケン)からも逃げおおせるという海の覇者。時折、遠くの空を行くのを見かける希少な存在。魔法の船首像で空を飛ぶ帆船。

「なんで、こんなところに……?」

 風が強く、帆がばたついている。なんとかというロープが呻り、船体が軋んでいる。

 掲げられた旗は黒地に白い髑髏――つまり、海賊旗。

「空飛ぶ海賊船? いや、私掠船、か?」

 リックもやっと気がついた。

「一体どこの船だ?」

 彼が驚くのも無理はない。私も何が何やらわからない。

 なぜなら、王も含めたエルヌコンスの諸侯は、空飛ぶ魔法の船なんて保有していない。仮に西方同盟の――クレンヘルゲル王国あたりの船だとしても、この局面で投入する必要なんてない。もはや、彼らの勝利は確実なのだから。

「それに、こんな内陸に、こんなにも低く……」

 そう、リックの言う通りだ。ヴァンサン平野は海からも湖からも離れている。陸地に落ちたら一巻の終わりという船でここまでやってくるなんて、船長はよっぽどの豪傑に違いない。

 空飛ぶ船――たぶん、ガレオンって種類だと思うけど自信はない――は、船体を傾けつつ、あれよあれよという間に高度を落としている。もう、船員ひとりひとりの姿まで見える。

 え? ウサギさん?

 色合いが海賊旗なものだから、すっかり髑髏だと思い込んでいたそれは、どことなく可愛げのあるウサギだった。骨の交差があるから海賊旗なんだろうけど。

 見とれている間に、左舷から二十門余りの砲口が迫り出した。

 その先には、西方同盟の騎馬隊。

「プラニエ様! 伏せてッ!」

 リックの警告にも気づかず私が立ち尽くしていると、大砲は一斉に火を噴いた。

「わっぷ!」

 爆風に巻き上げられた土煙で視界は真っ暗。口の中はじゃりじゃりで、耳もきんきんする。

 戦場の空を舞う船は、謂わば動き回る砲兵陣地だ。そのうえ、刀槍弓馬ではまともに反撃もできず、戦力は飛龍兵何十騎にも相当すると言われている。

 見るのは初めてだけど、それは噂でもなんでもなかった。現に、私たちにとどめを刺そうと突撃する数百騎の騎馬隊を一気に壊滅させたのだから。

「プラニエ様……敵が、逃げていきます」

 虎の子の騎馬隊を失い撤退する同盟軍。戦果に満足したのか、高度を上げる海賊船。思わぬ勝利に友軍からは鬨の声もあがらない。

 いきなり現れて、飛び道具で一掃するなんて、騎士道に反する戦い方だから素直には喜べない。ズルした気がしてしょうがない。

 だけど、私は、あの船のおかげで生き残った。あのままなら死んでいたのに。ここに来て、ようやく死の怖さを感じて足が震えた。やっぱり情けない。情けなさ過ぎる。

 じっと、船を見つめてしまった。私の命を救った船を、船員たちを。

 荒くれ船員に混じって、佇まいの違う人の姿が見える。違和感を覚えて目を凝らす。

 肩に外套を羽織って、船尾楼の上に立っている――きっと、船長だろう。眼鏡をかけているようにも見える。それほど背は高くなく、髪が長い。

「……女、船長?」

 そして、船は雲間に消えた。

※遅筆なので執筆を優先しています。返信等々の反応はできないと思います。ご容赦ください。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ