第二節 私の正義
本当は、ただ、三月のウサギ号なら、リツカさんとなら、もしかしたら勝てるかも知れないって思ったから。
最初は「捨て駒」って言葉にぎょっとした。
だけど、一月半くらいこの船で過ごして、私たちならなんでもできるって気持ちになっていた。なにせ、西方同盟の輸送船をたくさん拿捕して、戦況を揺るがし続けたんだもの。
リツカさんの智略、ベリスカージさんの腕っ節、フォルシさんの航海術、ガルダーンさんの砲術、水夫のみんなの団結力。ラッキさんはさておくとして、三月のウサギ号と私たち騎士が決死の覚悟で力を合わせれば、単なる捨て駒に終わらずに済むかも知れない。
でも、そうなのだ。
リツカさんたちには、死地へと赴く理由がない。
「では、我らは船を下りる」
残念だけど、楽しかった私掠船稼業もここまで。
いつかこの日が来る。わかっていたことだけど、口にしてみるとずっしりと重い。貝殻の首飾りが胸を締め付ける。
それでも、私は征かなくちゃいけない。
私は誇り高き騎士なのだから。
「……席、外して」
怒っているのか、呆れているのか。リツカさんは目を逸らし、ため息とともにそう呟いた。
一月半が長いのか短いのか、私にはわからないけれど、その短い言葉が誰に向けられたものなのかわかるくらいの仲にはなれたと思う。
目配せすると、爺やとルードロンは黙って席を立った。ベリスカージさんもそれに続き、船尾楼の船長室にはリツカさんと私だけが残された。
窓からは夏の陽光が差し込んでいる。
「口調が変わっても、考えは変わりませんよ?」
船上での「二度目の初陣」を終えた夜。物言わぬウサギのポムポムさんをいくら抱き締めても眠れなかった、あの夜。
星空の下、私はリツカさんと約束した。
「無理でも嘘でもないんですから」
ふたりでいるときは無理しなくていい。最初は戸惑ったその約束も、今では私にとって掛け替えのない大切なもの。
「……死ぬってわかっていても?」
「はい」
だからこそ、正直でありたい。
「怖い、ですよ。私は父上やリツカさんみたいな強い人間じゃないですから」
何度やっても獲物の船に乗り移る瞬間は怖い。足が震えているから、それが声に現れないようにするのが精一杯。敵と剣を交えたことなんてまだ一度もない。
そのうえ、今度は負けるとわかっている戦いに挑まなければならない。
「でも、それは逃げる理由にはならないじゃないですか」
私は誇り高き騎士なのだから。
「騎士は、貴族は、いつか命を投げ打って戦うから領地と領民を支配しているんです。私が今日まで豊かな暮らしを続けてこられたのは、その責務を今この時に果たすからなんです」
そんなこと、リツカさんなら百も承知だろう。身分制の初歩も初歩なんだから。それでも、リツカさんは私を止めようとしている。相変わらず、海賊らしい素敵な傲慢さ。
「その義務背負ってんの、あんただけじゃないでしょ。エルヌコンスは騎士の国なわけで」
「なら、それは私でありたい。私なんかができるのだから」
何でだろう? リツカさんの厳しい質問にすらすらと答えられる。
「だいたい、たった十騎で何かできると思ってんの?」
「旗を掲げていれば、私たちに続く人たちが必ず現れます」
ヴァンサン平野で聖騎士と対峙した時は、名乗ることすらできなかったのに。
「ねぇ、偽善なんでしょ? あんた自身、この行動が偽善だってわかってるでしょ?」
「偽善でもいいと思ってます。誰かの役に立てるのなら」
そうか。そうなんだ。
あのときはただ責務を果たそうと参陣した。ただただ、クロンヌヴィル侯と侯世子の名代として戦場に臨んだ。
形式的な意味だけは理解してたけど、本当のところでわかってなかった。
それが、今はわかる。
「私、わかったんです」
わかるようになったというか、リツカさんに、この船に教えてもらった。
「人が生まれて、生きて、死ぬ意味。それって、てっきり自分自身で見つけるべきものだと思っていました」
だから、私は自分に義務を課した。
「そのつもりでこの船に乗ったのに、ここではみんながお互いを頼りにしてた。私よりも強くて逞しい海賊の皆さんがリツカさんを信じ、頭が良くてちょっとひねくれてるリツカさんが荒くれ者の皆さんを信じる」
そこに加われたこと、それが私は嬉しかった。
「あんたはまっすぐ過ぎ」
ひねくれてるなんて言ったお返しなの、かな? リツカさんは怒ってる。怒ってるけど、怖くない。だって、リツカさんのおかげなんだもの。
「そんな私を、そうあるべきという私の意味を見つけてくれたのは――」
そう、だから、弱い私でも正義のために戦える。
「リツカさんですから」
もう一度、絶望的な戦場で、あの聖騎士と対峙したとしても、私は私の正義で以て立ち向かうことができるだろう。
今なら、その自信がある。
「ありがとうございます。リツカさんの優しさのおかげです」
私の心からのお礼に、リツカさんは立ち上がった。椅子が倒れるほど激しく。
「優しさ? 優しさだって?」
あのリツカさんが、顔を真っ赤にしていた。黒鼈甲の眼鏡の奥に、涙を湛えながら。




