第三節 地牛節二十七日の勅命
敵勢ヴァンサン平野東進の報に接し、余はすべての臣に命ず。
諸侯は手勢を率いマッサブレユ城塞に参集せよ。
以後はマッサブレユ城塞に余の本陣を置くものとす。
なお、コンセーヴに上洛すること此を禁ず。
万神の加護厚き偉大なるエルヌコンス王 セルイス五世
わかってても虚しいものね、蜃気楼って。
「なんたることかッ!」
ついさっきまで、街で普通の女の子してたお姫様が古武士みたいに叫んでやがる。
「これではまるで、陛下自ら敵から逃げているようではないかッ!」
「まるでも糞もその通りでしょ」
瓦版でその勅令を知り、あたしたちはクトリヨンの街から船へと駆け戻ってきた。
さすがは、うちの船員。実にお尋ね者らしく耳聡い連中で、この騒ぎを聞きつけ、せっせと出航準備まで始めてる始末。
そう、奴らはわかってる。
風雲急を告げるこの一報に、あたしが逃げの一手を選ぶことを。
東方帝国で新皇帝が践祚したときも、クレンヘルゲルが西方同盟に加盟したときも、あたしたちは南方洋奥深くへ逃げ込んだ。
それが賊の流儀だから。
船と旗以外、何の後ろ盾も持たない海賊が生きていく知恵にしてルール。だから、王が都を棄ててまで逃げる利点もあたしたちにはわかる。
ちなみに、今はあたしの部屋――船尾楼の船長室に数人が集まってる。うちからはフォルシとベリスカージ、プラニエの家臣は爺さんとルードロン。ま、ちょっとした会議ってとこか。
「なんて、なんて軟弱な……」
「王が軟弱なのはあたしも認めるとこだけど、この利点はわかるのよね」
驚愕の表情を向けてくるプラニエ。あんた、ちょっと自分で頭使いなさいよ。あたしなんか頼ってどうするの。
「城を枕に、って国内最大の都市でやれると思う?」
「あっ……」
「そう、王都を戦場にしない策でもある、ってこと」
それに、軍隊による掠奪も最小限でしょうね。西方同盟巡礼軍は信心深いお行儀の良い軍隊。傭兵混じりのエルヌコンス軍が駐屯してるよりも治安はいいのかもね。
若い王にしては、なかなか思い切った手だとは思う。
「し、しかし――」
「とはいえ、これは愚策だわ。この戦争、下手すりゃ数日中に終わる」
「え? どういう、こと、ですか?」
夏の太陽に照らされてた笑顔の面影は、もうない。
「まず、ここで攻勢に出た敵が明らかに上手であること」
「そうが仰るが、ヒューゲリェン殿。我らはこの一月余り同盟の輸送船を拿捕し続け、その積み荷の過半が攻城戦の備えだったように見えたのだが」
騎士ルードロンはそこそこ慧眼だ。うちの船員もこれっくらいだと助かるのに。
つまり、準備不足のまま、敵は王都へ向けて進軍したことになる。ルードロンはそこまで読めている。その先が読めれば悪くない将帥になれるとこね。
「だから、敵が上手なの。準備不足による犠牲を一種の必要経費と割り切って、早々に王都を落とすつもりなわけでしょ」
いわゆる、非道、邪道。騎士道や王道から外れる、外道。だけど、これを実施できる度胸と冷酷さは戦争に必要なものだとあたしは思ってる。
戦争が長引けば長引くほど、奴らのリスクは高まるわけだし。
「それに対して、この王都放棄の勅令は愚策も愚策。最低もいいとこ」
「敵に犠牲を強いることもできませんからな」
古兵のソワーヴ爺さんがぽつり、と。まったくもってその通り。
東西に広いエルヌコンスが西方同盟と戦うには、少しずつ戦い、少しずつ敵を削り、少しずつ後退するしか手がないはず。
西部のヴァンサン平野で、王都コンセーヴで、ルヴィシー丘陵で、中央のマッサブレユ城塞で、東部のペリールサン公領で、って感じに。
そうして、徐々に近づく西方同盟を恐れた他国の反応を引き出す。それがエルヌコンスにとっての数少ない選択肢なわけで。降伏を除けば、現実味のある唯一の選択肢って言ってもいい。
とはいえ、あたしはそれでもエルヌコンスは勝てないと踏んでるけど。
「せめて、陛下が無事に逃れられれば、マッサブレユ城塞を拠点に反撃――」
「それ、厳しいから」
ルードロンの言葉を速攻で否定した。
「だって、さすがに王が単騎で早馬飛ばすわけにはいかないでしょ?」
「当然、親分は子分を引き連れて軍勢のど真ん中でしょうな」
ベリスカージが腕を組んだまま頷く。
「逆に、敵は犠牲を覚悟で強攻したのに王都は無血開城。もちろん、王都に駐留する戦力を裂かなきゃいけないけど、そもそも戦力はあっちが上。絶対に、確実に、間違いなく、すぐに追っ手を差し向ける」
どこのどいつか知らないけど、輸送船にしろ今回の進軍にしろ、敵は思い切った策を実行できるやり手の軍師。
当然、この機会を逃しはしない。
「ルヴィシー丘陵を越えた東側――バンサローヌ川あたりで王が討ち取られる」
これで王手詰み。
「だから、戦争は数日中に終わる」
しんとする船長室。
あたしたち海賊にとっては別に騒ぐような事態じゃないけど、プラニエにしろ騎士たちにしろ、守るべき主君と王国の終わりが迫ってる。
プラニエが力なく口を開く。
「し、しかし、陛下のお側には数万もの軍勢が……」
「噂じゃ敵は十数万から二十万。籠城してるならともかく、野戦じゃ話にならないでしょ」
その小さな口から二の句が紡がれることはなかった。
幸い、この船に乗ってれば最後の負け戦からは遠ざけてやれる。たぶん、クロンヌヴィル侯爵もそこまで考えて、プラニエをこの船に乗せたんでしょうね。
で、ここで魔が差した。
あたしとしたことが、気が緩んだとも言える。
「ま……王を生かし、決着を先延ばしにする方法もあるっちゃある」
落胆するプラニエを前にして、何か言ってやろうなんて思ったのが間違いだった。
「リツカさん、それは?」
ここで教えたことをあんなにも後悔することになるなんて。
「殿軍がルヴィシー丘陵に留まる」
「えっ……つまり――」
お姫様の胸元には白い貝殻――安物の首飾り。
「捨て駒、ってこと」




