第二節 貝の殻の首飾り
今日は地牛節末の休日――二十八日の白曜日。
「いいお天気ですね、リツカさん」
「……暑い」
いつもの短い会話。
クトリヨンの港町を照らす太陽は高く、街路の敷石さえも眩しいほど。
港の荷運びや空のカモメは普段以上に元気だけど、並んで歩くリツカさんはふらふらのよれよれだった。まるで、幽鬼か航海長さんみたい。
久しぶりに陸で迎えた休日を、私はリツカさんとふたりで過ごしていた。
もちろん、あのリツカさんを誘い出すのは大変だった。
舞踏会に臨む殿方の気持ちが少しだけわかった気がする。今度からお断りするにしても、もう少し優しく応対しようと心に誓うほどだもの。
「そ、その、あの……リツカさん」
「なに?」
「クトリヨンの街を、一緒に、見て回りませんか?」
「嫌、暑いし」
身も蓋もない!
「で、でも、せっかくのお休みですし……」
そんな話をしていたら、ベリスカージさんが後押ししてくれた。
「そういや、クトリヨンにゃ貴族や商家の娘さんに人気の通りがありましたな。あっしが案内した日にゃ官憲が飛んでくるような場所でさぁ」
リツカさんはむすっとしていたけど、結局、私とお出かけしてくれた。
やっぱり、嫌われてはいない、よね?
爺やは今朝からなにかと忙しそうにしていて、船を下りる時にも私の側にはいなかった。どうしたのかな?
「……あんたは元気そうね」
「はい?」
商店の並ぶ通りを歩いているとリツカさんがぼそっと呟いた。別に、これって呆れられてるわけじゃないよね? いつも通りのリツカさんだよね?
「こんなに……暑いのに……」
リツカさん、そんなにも夏が苦手なんだ。
「あ、そっか。リツカさん、北方の生まれですもんね?」
いつも船上にいるのに日焼けすることなく、肌が雪のように白い。白い肌は北方人の特徴だけど、リツカさんのそれは、なんて言うか、本当に綺麗。
「……船で浮上したいわ」
「あはは、空の上って寒いくらいですもんね」
時として、空飛ぶ船――三月のウサギ号は雲よりも高いところを征く。より太陽に近いのに、そこは凍てつくほど寒い世界でもある。リツカさんにとっては陸より空がいいのだろう。
この街区は高台にあって、港町クトリヨンが一望できた。その先には煌めく紺碧の南方洋。
ふっと、海風が斜面を登り、私たちを吹き付ける。
「最近――笑顔――」
「うん? 何ですか?」
風のせいでリツカさんの呟きが聞き取れなかった。
「なんでもない」
ふいっと、顔を背けられてしまった。
うーん、何だろう?
でも、こういうの楽しいな、って思う。
私は生まれながらにしてクロンヌヴィル侯爵ランサミュラン=ブリュシモール家のお姫様。城館も山麓にあって他家領からも遠かったし、友達と遊びに出かけたことなんてなかった。
そ、そりゃ! リツカさんは私より六つも年上だし、一軍の将として優秀で立派だし、しっかりしてるし頭もいいし美人だし、友達とかおこがましい、けど。
こうして、一緒にいると楽しい。
だから、もっとがんばろうって思う。ここで甘えちゃいけない。私はまだまだ未熟で、もっともっとがんばれるはず。侯爵令嬢として、騎士として、リツカさんの仲間として。
胸を張って、並んで歩けるように。
まだ無理だけど、敵船――獲物へは策具で飛び移れるようになりたい。船のことももっといっぱい知りたいし、星の見方も覚えたい。
それに、いつか、首級も挙げたい。挙げなきゃいけない。
「ちょっとそこ行くお嬢さん方!」
突然、路傍から声がかかった。
「港土産にどうだい? 貝殻の首飾りなんて、ちょいとおしゃれだろ?」
露店の主人がにかっと笑って、両手を広げている。
「興味ない――」
「わぁ! かわいい!」
そのまま行っちゃいそうになるリツカさんを引き留めて露店を覗く。だって、リツカさんのペースに合わせてたら、あっという間に街を東から西へ通り過ぎちゃいそうなんだもの。
「お姫様、金銀財宝いっぱい持ってるでしょうに」
もぉ、すぐそんなこと言う。
「でも、こっちの方が素敵ですよ!」
本当にそう思ったんだもん。
貝の種類なんて真珠貝の類しか知らないけど、目の前にあるのは海岸にたくさん落ちてる普通の白い貝殻。
こういうものも、最近になって――三月のウサギ号に乗るようになって初めて触れた世界。
「じゃ、買えば?」
暑さのせいかますます気怠そうになったリツカさんに言われて、とても大事なことに気がついた。なんで、お出かけ前に気づかなかったんだろう。
「あ、あの……私、お財布って持ったことないんです」
「はぁ? これだから貴族は」
心底呆れられちゃった。いつもは爺やに任せっきりだし、クロンヌヴィル侯領の城下では「お代は結構でございます、姫様」って言われてたし。
うーん、大失敗。
「これ、いくら?」
「おまけにおまけして銀貨二枚っ!」
流れるようなやりとりと動きで、今まで興味なさそうにしてたリツカさんが首飾りを購入した。魔法の指輪以外のアクセサリーしてるの見たことないのに。
でも、リツカさんも女の子だしね! 実はこういうの好きなのかも知れない!
「はい」
「はい?」
リツカさんは露天商から受け取った首飾りをぐいっと私に押しつける。思わず受け取っちゃったけど、どういうこと? 私、荷物持ち?
「あげる」
「え? あ、えっ?」
それだけ言うと、リツカさんはつかつかと歩き出した。その身に海風を纏ったみたいに颯爽と。帆を張った船のように勢いよく。
もしかして……これって、プレゼント?
「あ、り、リツカさん! ありがとうございます!」
「ん」
リツカさんは歩みも止めず、振り向きもせず、ちょっとだけ頷いた。
なんだろう。
すごく、嬉しい。
自分の鼓動が聞こえるくらいに――
「号外、号外! ごォがいだよォー!」
今にも鼓動が聞こえそうだったのに、瓦版の読売がそれを妨げた。
なんだろう。
すごく、邪魔された気分。
先行くリツカさんはすぐ読売に駆け寄った。そっか、今も領内に敵がいる以上、号外と言えば戦況を左右する情報に違いない。さすが、リツカさん。
私、騎士なのに、そんなことにも気づけないなんて。
「昨日、地牛節二十七日のこと! 都の王様がご命令を発せられた!」
国王陛下の勅命?
それを聞いてリツカさんは号外を奪い取った。お代の銀貨も投げるように支払い、すぐに文面を目で追った。
「こいつが聞いてびっくり! 王都コンセーヴを敵に明け渡すってぇお話だァ!」
え?




