第三節 開戦
困った。
ほんと、これ、どうすればいいわけ?
「むにゃー」
むにゃーじゃないでしょ、お姫様。
そろそろ夕八刻、日も暮れた。躍る鯨亭での宴はまだ続いてる。
いつも通り、ガルダーンが異国の歌を歌い、フォルシが姿を消し、フリーゴルが吐き、マルブが服を脱ぎ、ベリスカージが飲みまくる。
いつもと違うのはラッキが女給を口説かず倒れてることと、この馬鹿騒ぎに騎士たちが加わってること。爺さんとルードロンは倒れたままだけど、リックがちょくちょくベリスカージに絡まれてる。泣かされたり、笑わされたりしてる。何を話してんだか。
ま、それはいいんだけど――
あたしは下戸だから基本的にいつも隅っこにいる。で、飽きたら船に帰る。今日もそのつもりだったのに。
いま、膝の上にはプラニエ・ファヌーの頭が乗っかってやがる。
綺麗に編み込んだ金色の髪はもうぼっさぼさで、きめの細かい肌は火照ってる。大きく開けた口から「むにゃー」ときたもんだ。
放り捨てるわけにもいかず、酔い潰れた女の子に膝枕してやってるあたしって何?
ほんと、もう、どうすればいいわけ?
「はぁ……」
あの日、王城でクロンヌヴィル侯爵と契約してからこっち、なんか調子が狂いっぱなし。ただただ、おかもののお客さんが船に乗ってるだけなのに。
とはいえ、それが不思議と嫌な気分じゃないのも事実だし、問題。
あたしとしたことが、情にほだされてる? 父の跡を継いで、七十人にもなる荒くれ者を統率する、海賊船長のこのあたしが?
容赦なく獲物を襲い、利益と生命を掠奪するこのあたしが?
船を沈めないためなら、共に航海する船員を見捨てるこのあたしが?
冗談じゃない。気をつけなきゃいけない。
船長を失った海賊一味を守るために、普通であることは辞めたのだから。
帝都の大学で学びたいことはまだいくらだってあったし、母さんのお墓参りだってだいぶ行ってない。
それでも、あたしは臨んで賊の頭領になったんだから。
「リツカ、さん……?」
嫌なタイミングで起きた。起きやがった。あたしの膝の上で碧い瞳をぱちくりさせちゃって。とんだ眠り姫だわ。
いま、あたし、感情むき出しの顔してたのに。
「え……?」
きょとんとしてやがる。
「あ、わ、わわ! ご、ごめんなさい!」
慌てて起き上がるプラニエ・ファヌー。「あう」とか「えっと」とか「すみません」とか呟きながら、頬に手を当ててる。
こんな経験、お姫様にとっては初めてのことでしょうね。
「目、覚めた?」
「は、はい……」
「そう」
短い会話。
この子になんて言葉をかけてあげようか。そんな風に考えてる自分が嫌だ。
海賊船の船長は誰にも気遣いなんてしない。してはならない。
相手がエフォンマリンド皇帝だろうが、最愛の家族だろうが関係ない。広い海と空にぽつんと浮かぶ船の、唯一にして絶対的な王者なんだから。
「ごめんなさい、私……」
「飲み過ぎ」
「はい……」
短い会話。
並んで座ってるから目も合わせない。膝の上が空いたからやっと足が組める。これでやっと落ち着いた。
もう帰るか、船に。
「うぉい、お嬢ちゃん!」
うちの水夫並に下卑た声がする。振り返るまでもない。酒臭い。酔客だ。
案の定、そこにはどっかの船乗りらしい赤ら顔の醜男がいた。しかも、五人も。醜い、汚い、臭いが五倍とか死んでくれればいいのに。
「何? 何の用?」
あたしは基本的に粗野な連中は誰であろうと嫌いだ。うちの船員だって例外じゃないのに、他人ならなおさらだ。
「お前みてぇながりがりに用なんかねぇよ。大事な大事な用があるのはこっちのぷりっぷりのお嬢ちゃんの方に決まってんだろ?」
うっわ、気持ち悪い。お姫様、ドン引きしてんじゃない。だいたい、誰ががりがりか。
「その子はうちの客なの。手ぇ出さないで」
もっと正確に言えば商品、か。侯爵から預かった金百万の大事な商品。そう思って接しなきゃいけない。
「おいおい。構ってもらえねぇからってひがむなよ。お前みたいな鶏ガラ女は俺の手下が遊んでやっからよォ?」
にたにた笑いながらこの糞野郎はあたしの肩を掴んだ。
もちろん、こんな三下連中と遊んでやるつもりはないし、あたしの肩と父の外套にいつまでも触らせとくつもりもない。
はたいてやろうとした瞬間――
ぱしん!
手の速い奴がいた。
あたしの肩に置かれた小汚い手を払い除けたのは、プラニエ・ファヌーだった。
「リツカさんに――」
さっきまで酔い潰れてだらしない姿を晒し、つい今し方は恥ずかしそうにおずおずしていたお姫様が、洋上の戦場で見せたあの険しい顔つきに変貌している。
そのままの勢いで椅子から立ち上がり、クズ連中に向き直って躊躇いなく抜刀。
「汚い手で触れるな、下郎ッ!」
そんな、まるで自分のことのように。
プラニエ・ファヌーの怒声を聞いて、今まで酒宴もたけなわだったうちの船員と彼女の騎士たちが一斉に覚醒した。どいつもこいつも血の気の多い奴らだ。
「そこへ直れェ! このクロンヌヴィル侯女プラニエ・ファヌーが叩っ斬ってくれるッ!」
ほんとに、もう、この子は――
※異世界なので飲酒に関する法令や文化が現代日本とは異なります。




