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遥かなるかな空と海 第一部  作者: 嘉野 令
第三章 躍る鯨亭にて
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第二節 あたしにどうしろと?

「船長! 一大事でさぁ!」

 エスラニージ商会の商館を出た途端、喚き散らしながら駆け寄ってくる甲板(デッキ)のマルブの姿が目に飛び込んできた。

 せっかくの良い気分が台無しだ。

 今の今まで南方洋でも大手の商会と交渉してて、結果、高値で戦利品を売りつけたとこだってのに、何かのトラブル?

 まぁ、停泊中の問題というのも度々発生する。

 たとえば、腐った官吏、飢えた同業者、やり手の商人が何かを仕掛けてきたとか。荷卸しで誰か怪我したとか、検疫で病気が見つかったとか。航海中と比べれば些細なことが多いけど、無法者のあたしたちには致命傷になりかねない。

 だからこそ、こういうときは慌てない。

「何があったの?」

 船上にいるときと同じように冷静に対処したい。

 あたしが冷たく訊くことで、マルブを落ち着かせる。ただでさえ、こいつら馬鹿なんだから。動揺してたら余計に使えないわけで。

「お、お姫様が大変なことになってまさぁ!」

 それだけ聞くと、プラニエ・ファヌーの侍従――ソワーヴ爺さんはステッキを掴んで駆けだした。偉いわ、この爺さんも。

「ええい! お主、早く案内せい!」

「へ、へいっ!」

 で、マルブに連れられて躍る鯨亭に来てみれば、これだもの。

 久しぶりに走ったせいで吐き気がするし、この惨状を前に頭が痛い。ちなみに、フォルシは途中で走るのを諦めてやがった。根性なしめ。

 そう。確かに、お姫様が大変なことになってた。

「あえー? りちゅかひゃん、おろいれすよぉ」

 なんだ、この酔っ払い。

「リック! お前が着いていながらなんて様だッ!」

「す、すみません……お爺様おえっぷ」

 爺さんの叱責とリック某いう若い騎士の嗚咽。あっちはあっちでダメな方の酔い方っぽいけど、それよりもプラニエ・ファヌーの方が、なんていうか酷い。

「ねーえー? りちゅかひゃーん、きいれまふー?」

 いつもは気張ってて固い顔した、お人形さんみたいな貴族の娘。

 それが今や、顔を真っ赤にし、目は虚ろ。口はだらしなく半開きで、酒だかよだれだかを垂らしてる。服も乱れてる。おいおい。

 いろいろダメでしょ、これ。

「ちょっと、誰よ。お姫様に安酒飲ました奴」

「あっしでさぁ、お嬢」

 悪びれもせず、上機嫌なベリスカージが答えた。

 こいつめ!

「いやぁ、まさかここまでご機嫌になるとは思いませんで」

「まったく……ソワーヴさん、これ、なんとかして」

 さすがにお姫様をこんな安酒場でへべれけにしとくわけにはいかない。侍従の爺さんに任せて宿か船に帰らせよう。

 こうなると、爺さんは仕事が早い。孫だというリックの胸倉を離して、お姫様の元へ駆け寄った。

「ささ、プラニエ様、帰りますぞ」

「えー、まや、りひゅかひゃんちょにょんでなひー」

 何語だ、それ。

 これだから酔っ払いは嫌い。下戸のあたしには理解出来ない。それに臭い。

「侯爵令嬢ともあろうお方がこのような醜態を晒してはお家の名誉に関わりますぞ」

 まったくだ。

 それなのに、お姫様はここで暴走した。

「うっぴゃあーい! じーにゃのびゃかー!」

 だから、何語だ。なんて思う間もなく、お姫様は暴れ出した。

 エルヌコンス王国屈指の大貴族クロンヌヴィル侯爵ジュリアル・ダルタン・ランサミュラン=ブリュシモールの令嬢――プラニエ・ファヌー・ランサミュラン=ブリュシモールが古兵の侍従に向かって――

 酒瓶を投げつけた。

 って、おい!

「プラニ――ぐばぁ!」

 瓶の底が爺さんの眉間へ見事に命中。なんだ、この娘。

「お、お爺様! 大丈夫うっぷ」

 いや、青年騎士よ。お前こそ大丈夫か。

「んみょー! わらひはみょうきゃいじょくにゃのらー! もひょーむにょにゃーの!」

 ダメだ、このお姫様。

 安酒の力を借りて、何かの秘めた力を解放しちゃってやがる。十七の貴族のご令嬢が発揮しちゃいけない何かを発揮してる。それに臭い。

「で、ベリスカージ」

「あい、お嬢。なんでございやしょう?」

「これ、どしたの?」

 あたしが指差した床も酷い有様だった。

 爺さんが倒れ伏してるのはさておくとして、同じような姿でラッキや水夫、ルードロンとかいう騎士も倒れている。

「ああ、こいつらですかい。こいつらはみんなお姫様を口説こうとした連中でさぁ」

 しれっと言う。いやいやいやいやいや!

「それ、昏倒してる理由にならないでしょ」

「気にくわなければぶん殴るのが海賊流だとは教えましたさ、そりゃあ」

 そりゃあ、じゃないわ、馬鹿。

「りーちゅかひゃーん!」

「ひゃあ!」

 完全におかしくなったプラニエ・ファヌーが抱きついてきた。

 よっぽど、流れるまま床に投げ捨ててやろうかと思ったけど、さすがに思い留まった。だから、こう、抱き留める形になった。

「ちょ、ちょっと……!」

 お姫様、完全に正体をなくしてやがる。重い。それに臭い。

「……きゃいじょくっていーれふねー」

 なんて、ぽつりと呟くお姫様。

 たぶん、「海賊って良いですね」とでも言ったんでしょうよ。

 酒臭い息して。

「はっはァ! お姫様が海賊に憧れるたぁ、こりゃあ参りましたな!」

「うるさい、黙れ」

「あい、お嬢」

 ほんとに、この掌帆長はどこまでわかってやってるんだか。

 プラニエ・ファヌーっていう女の子が無理して騎士たらんとしてることくらい、誰が見たって明らかで。騎士たちが船の中で浮いてるのもわかりきったことで。

 親睦会とでも言うのか。やりたいことはわかるけど、できればあたし抜きでやってくれりゃあいいものを。

 まったく、この馬鹿共は。

「で、これ――」

 今や、お姫様はあたしをぎゅうっと抱き締めてる。それに臭い。

「あたしにどうしろと?」

 勘弁してよ、もう。

※異世界なので飲酒に関する法令や文化が現代日本とは異なります。

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