第一節 祝杯
これは大衆食堂? それとも酒場? まわりのテーブルではみんな昼間からお酒飲んでるし、酒場でいいの、かな?
クロンヌヴィル侯の娘プラニエ・ファヌーともあろう者がこんなところにいていいのだろうか? なんて、堅苦しいことを自分で考えて、ちょっとどきどきする。
低い天井、薄暗い店内。籠もった空気に、酔客の喧噪。
ここはクトリヨンの港近くにある船乗り御用達というお店――躍る鯨亭。
拿捕した西方同盟の輸送船を曳航、クトリヨンに帰港した三月のウサギ号の船員たちはすぐさま街へと繰り出した。彼らがまっすぐ向かったのが、この躍る鯨亭であった。彼ら船乗りは港々に行きつけの店を持つという。
陸の恋しさ、っていうのかな? 私にとっては初めての、それも、三週間足らずの航海だったけれど、これほどまで大地に里心を抱いていたなんて。
海を愛する彼らが陸に恋い焦がれる理由もわかった気がする。
そんな共感を察したから、っていう訳ではないのだろうけど、掌帆長のベリスカージ・ヘルセルガリスさんは私たち海兵を躍る鯨亭に案内してくれた。
「ま、あんた方はもう俺たちの仲間だからなッ!」
例の不器用なウィンク――右目は眼帯に覆われてるから、もちろん左目――で彼は私たちを誘った。
船に乗っただけじゃ、私たちはお客さんでしかない。でも、共に航海し、共に戦った今、私たちはやっと仲間として認められたんだと思う。
こういうの、いいな。
「しかし、リツ――ヒューゲリェン殿の姿が見えないが?」
席に着き、見渡しても船長――リツカさんが見当たらない。数十人で店に押し寄せたから今まで気づかなかった。
「そういえば、ソワーヴ翁も航海長殿も来ていませんな?」
ルードロンがさらにいない者に気がつくと、背の低い水夫――たしか、名前は帆桁のフリーゴルさん――が答えた。
「ああ、あの辺の頭良い方々はエスラニージ商会ってとこ行って、戦利品売りつけてまさぁ」
「そう……」
ソワーヴに関してはベリスカージさんからの要請で私がお願いしたのだ。私掠船稼業の結末を把握しておいてもらいたかったというのもある。南方組合と海賊の複雑な関係が私にはいまいちわからないのだ。
だけど、せっかくなら、リツカさんと一緒に来たかったなぁ。
そうこうするうち、何卓ものテーブルに次々とお酒と料理が運ばれてくる。
「あのぉ、ベリスカージの旦那」
「おう? なんだい、オヤジ」
ベリスカージさんに話しかけた初老の男性は、どうやらこのお店の店主のようだ。
「お宅のラッキさんが勝手に厨房入っちゃってるんですが……」
「料理はあの馬鹿唯一の取り得なんだ、勘弁してくれや」
司厨長さん、今日くらい休めばいいのに。
「へぇ、こっちも人手が増えて助かるっちゃ助かっとるんですが……その、厨房の女共を口説いてしょうがないもんで」
「ははっ! じゃあ、オヤジ。乾杯したら、例の大会やるぞ、って伝えてくれや」
「例の大会、ですかい?」
何のことだろう?
「おうよ! それであの軟派野郎はすっ飛んでこっち来っから!」
豪快に請け負うベリスカージさん。首を傾げながら厨房へ帰る店主。
「君たちは何を企んでいるのかね?」
ルードロンが問うと、ベリスカージさんはにやりと笑った。
「なぁに、企むなんてとんでもねぇ。今日はあんた方の歓迎会も兼ねてんだ。主役のお姫様ともっともっと仲良くなろうって話さ」
「え、私?」
どういうこと?
「モノホンのお姫様にくらくらキテるうちの連中があんたを口説く――お姫様口説き落とし大会をやるんだよ!」
うん?
ちょっと、何かすごいこと言われたような気がして、すぐに理解出来ない。
え?
「あっはっは! それでソワーヴ翁を外したのか!」
ルードロンが大笑いしている。
「あったりめぇよ! うちは正真正銘の下郎しかいねぇからな! あんな爺さんいたんじゃ、仕込み杖で全員斬り捨てられちまう!」
「これだからお前ら海賊は! なんて無礼で行儀正しいんだ!」
貴族のくせして海賊と意気投合のルードロン。っていうか、あなた、なに盛り上がってるの!
「え、ちょっと、待っ――」
「なんて無礼なッ!」
混乱する私に代わって席を立ったのはリック・ラビネーゲ・ルバーベル。さすが、幼い頃から一緒にいる父の家臣にして私の友人。爺やがいない以上、孫の彼に守ってもらわなきゃ。
「ルードロン殿もルードロン殿です! 侯爵令嬢のプラニエ様を、その、く、く、口説くなんて、なんて破廉恥なッ!」
「ま、そんなに興奮すんなよ、坊主」
怒るリックを宥めているのか挑発しているのか。ベリスカージさんは余裕綽々だ。
「余興だよ、余興。何もいかがわしいことしようってんじゃねぇんだからよ」
そんな単語にびっくりしたけど、ちょっと安心した。
「そんなにお姫様が大事なら、坊主。お前も騎士の端くれなんだろ? お前が誰よりも先にお姫様を口説き落とせばいいじゃねぇか!」
「ちょっ!」
「ななななななななななな何を言ってるんだ! ぼ、僕がプラニエ様を、を、く、か――」
顔を真っ赤にしてぷるぷる震えるリック。
私も言葉にならないけど、さっきから自分で顔が真っ赤なのはわかってる。口説く、って何よ! 何なのよ!
「だっはっはっは! 若いねぇ!」
「若い若い!」
「がんばれ、騎士様!」
「お姫様、待っててくれよォ!」
水夫たちから冷やかしの声。その中にはルードロンの声も混ざっている。まったく、もぅ!
「よーし! じゃあ、野郎共ォ!」
そんなリックを尻目に、ベリスカージさんは立ち上がった。数十人の水夫もそれに倣う。
「海と空と船に!」
「海と空と船に!」
「海と空と船に!」
「海と空と船に!」
「海と空と船に!」
粗野で野太い水夫たちの声と一斉に掲げられる酒杯――これが、海賊の乾杯。
「海と空と船に――」
私も小さく、それに続いた。
※異世界なので飲酒に関する法令や文化が現代日本とは異なります。




