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遥かなるかな空と海 第一部  作者: 嘉野 令
第二章 私掠船稼業
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第四節 星空夜話

 物言わぬウサギのポムポムさんをいくら抱き締めても眠れない。

 船上での「二度目の初陣」を終えた夜。胸は高鳴り、瞼の裏には昼間の光景。寝返りの数はもう数えるのをやめた。

 結局、戦ったのは主に仲間たち――家臣と水夫たちで、私は剣を振るう機会もほとんどなかったのだけれど、ヴァンサン平野とは違い、最低限の義務を果たした。まだ少し悔しいけど、ソワーヴ爺やが「大将とはそういうものです」というから、納得した方がいいのだろう。

 やっと、父と兄の名代に成れた、と思っていいの、かな?

 名乗りを上げた瞬間、血が騒いだ。きっと、これが、戦場の高揚感。こんなにも騎士に相応しくない私でも感じることができた戦士の気持ち。

 やっぱり、そわそわして眠れない。少し、甲板で夜風に当たって来よう。

 寝間着の上からケープを羽織り、角灯(ランタン)を手にそっと扉を開く。すぐそばのハンモックには爺やがいて、すぐに気づかれた。

「プラニエ様?」

「ちょっと、その、お散歩」

「……お気をつけて」

 何かを察してくれたのか、ひとりで行かせてくれた。ただ眠かっただけかも知れないけれど。

 夜の船というのは不思議なもので、音が絶えないのにすごく静かな気がする。

 いま、三月のウサギ号は飛行せず、海原を進んでいる。拿捕した船を曳航しなければならないからだ。だから、今夜は久しぶりに波の音のする夜。

 波の音と、海風の音と、軋む船体の音、それに、誰かのいびき。もうだいぶ遅いから水夫たちの歌声は聞こえない。

 一応、船内にも灯りはあるけど、足元が暗いから階段で転びそうになったり。恥ずかしい姿だけど、誰にも見られてない。大丈夫大丈夫。

 上層甲板(メン・デッキ)に出ると、まずにおいが変わる。潮の香り。

 ばたつく帆布を見上げると、空は雲も少なく星がたくさん。解いた髪が夜風に煽られる。昂ぶっていた気持ちが、わだかまっていた思いが、吹き流されていくみたい。

 私の角灯に気づいたのか、当直の水夫と目があった。

「今晩は」

「こ、こんばんは」

 普通に挨拶したつもりだったけど、何か戸惑わせちゃったみたい。背の高い南方人の水夫は目もあわせず、船尾の方を指差した。

「船長ならあちらです、お姫様」

「え、こんな時間に?」

 背の高い水夫はそれだけ言うとそそくさと行ってしまった。身分のせいで余計な気遣いをさせてしまっているのかも知れない。

 ともあれ、彼の言う通り船尾楼を見上げると、確かに明かりが灯っている。航海術のことはよくわからないけど、遅くまでなにかお仕事だろうか?

 そういえば、乗船以来――つまり出会って以来、ヒューゲリェン船長とじっくり話したことがない。この船に女性は私と彼女だけなのに。

 ルードロン曰く「船長から夕食に誘われたりするのが通例なんですけどねぇ」とのこと。海賊船だから普通じゃないのかも知れないけど、もしかして、私って船長に嫌われてる?

 私は船に揺られながら、船尾楼甲板(プープ・デッキ)へと登った。


 ヒューゲリェン船長は風上に腰掛けていた。角灯を釣るし、本の(ページ)を捲っている。確か、彼女は私より五つか六つ年上なのだけど、月明かりと角灯に照らされた船長はもっと大人びて見えた。老けて、というわけではなく、しっかりとした、みたいな。兄と同じくらいの年齢なのに。

「今晩は、ヒューゲリェン船長」

「ん? あら、お姫様?」

 夜七刻過ぎ――深夜だから、さすがに意外だったようだ。眼鏡の奥の瞳が丸くなった。

「どうしたの?」

「少し、眠れなくて」

「そう」

 短い会話。

 足を組んだだらしのない姿勢で座っているけど、読んでいるのは異国語の難しそうな本だ。

「何を、読んでいるのですか?」

「東方の歴史書」

 誰もが抱く海賊のイメージとは真逆の高い知性を感じる。というか、貴族の私より高度な教育を受けているみたい。

「読み終わったら貸そうか?」

「東方の言葉は、ちょっと」

「そう」

 短い会話。

 普段から黒鼈甲の眼鏡をかけていて船長の素顔はよく見えない。それに、こんなに近くで顔を見たのは初めて。

 よく見ると大人っぽい美人でちょっと羨ましい。並ぶと私の童顔が一目瞭然になりそうな気がする。私があんな顔だったら、敵の騎士相手に堂々と名乗れるのに。

 そんなことを考えていたら、ぱたん、と彼女が本を閉じた。長い髪を耳にかけ、私を見る。

「今夜はもう、騎士の仕事、終わったの?」

「え?」

 騎士の仕事? どういう意味だろう?

「口調」

「口調?」

 彼女が何を指摘しているのか、よくわからな――

 あ!

「あ、これは……大変失礼した、ヒューゲリェン船長殿」

 ああああああああ、やっちゃった!

 乗船から戦闘までずっと頑張ってきたのに、気づいたらさっきから普通に話しちゃってた。私は貴族の娘じゃなくて侯爵の名代として船に乗ってるのに。

 船長は大きくため息をついた。私の失敗を呆れているのだろうか。

「ひとつ、船長に殿はいらない。船の上ではそういうことになってんの」

「は、はい……」

 乗船以来、ベリスカージさんたちに少しずつ船のことを教わっているが、まだまだ知らないことだらけだ。

「ひとつ、あたしは二代目で先代の船長はあたしの父親」

 確かに、それは事前に聞いている。南方洋の「狂ったウサギ」こと、海賊アウグゼ・ヒューゲリェン船長。相当なつわものだったらしい。

「だから、ヒューゲリェン船長とかやめて。ややこしい」

 船を継承したと言っても、爵位を継承するように称号までも受け継ぐ風習はないのか。それとも、彼女だけのこだわりなのか。

「相分かった。では、何とお呼びすれば……」

「ん、別に、単に船長でいいけど……」

 波の音に誘われて、海面に視線を落とす彼女。

「いや、ん、あ、あと、もうひとつ!」

 何か言おうとしてたみたいだけど――

「無理して騎士っぽい口調にしなくていいから。気持ち悪い」

 気持ち悪いとはとんだ言いがかりだと思うけど、無理してるのは看破されてる、ってことか。

「あ、しかし、これは、私の、否、余の……」

 ぬぅ! うまく言葉にならない! 気にしだしたら、どっちの言葉も出てこないじゃない!

「無理してなきゃどっちでもいいんだけど、さ」

 今度こそ呆れられた! 見るからに、本当に、呆れてる! 苦笑された!

「無理は、嘘と紙一重だから」

 船長は、ふと真面目な顔に戻って頬杖をつく。

「あたし、あたしに嘘つく奴、嫌いなの」

 もちろん嘘はよくないけど、なんて自分勝手な理屈。でも、その勝手さが、何者にも囚われない海賊らしい気もする。

 故郷から遠く離れた海の上で触れる、優しさとは違う何か。

「じゃ、じゃあ……その」

 なんだろう、なんかちょっと恥ずかしい。

「ふたり……ふたりだけのときは、気を、つけます」

「よろしい」

 言うやいなや、船長はすっくと立ち上がった。

「リツカでいいから」

「え?」

「呼ぶの」

 簡単なことなのに、唐突でわからなかった。

 つまり、船長を名前で――リツカって呼んでいいってこと? 船長じゃなくて? 友好的な何か? 嫌われてなかった? 気のせいだった?

「そ、それなら私もプラニエ――」

 勢い込んで話すも、船長――リツカさんは異国の歴史書を抱えて船尾楼を下って行った。

「おやすみ、お姫様」

※一部の表現を変更しました。

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