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白い結婚

第一話 白い結婚と悪役令嬢


 フランセ王国の名門――マルセイユ公爵家。

 その当主となったばかりの青年、アーノルド=マルセイユは、静かな寝室でひとりの女性と向き合っていた。

 紫の長い髪、整った顔立ち、そしてどこか妖しげな微笑み。

 彼女こそ、元“悪役令嬢”――アウルル。

 本来であれば王族に嫁ぐはずだった彼女は、第二王子によって冤罪で婚約破棄され、社交界から追放されかけた存在だ。


 だが。


「王命だ。拒否権はない」


 第一王子エリオットの一言で、彼女はアーノルドの妻となった。


(……なぜ、こうなった)


 アーノルドは内心でため息をつく。

 父と兄を失い、叔父に爵位を奪われかけ、ようやく取り戻したばかり。

 結婚どころではないはずだった。

 だが――


「……言っておく」


 アーノルドは、冷静に言葉を選びながら口を開く。


「お前を愛することはない」


 はっきりとした拒絶。

 それは政略結婚においては、珍しいものではない。

 しかし。


「ええ、存じています」


 アウルルは、にこりと微笑んだ。


「……は?」


 予想外の返答に、アーノルドは眉をひそめる。


「アーノルド様には、わたくし以外に大切な方がいらっしゃるのでしょう?」

「そんな人間はいない」


 即座に否定する。

 だが、アウルルは首をかしげた。


「ふふ……隠さなくてもよろしいのですよ?」

「隠すも何も——」

「禁断の愛、ですものね」


 その一言で、空気が変わった。

 ぞくり、と背筋に冷たいものが走る。


「……何を言っている?」

「ご安心ください。わたくし、すべて察しておりますので」


 にやり、と妖しく微笑むアウルル。

 その目は、まるで全てを見透かしているかのようだった。


(……何も察していないはずだ)


 だが、なぜか否定しきれない不気味さがある。


「では、わたくしはこれで」


 アウルルは優雅に一礼すると、そのまま寝台へ。

 まるで何事もなかったかのように。

 一方のアーノルドは——


(……気味が悪い)


 そう思いながら、静かに寝室を後にした。

 この結婚は、何かがおかしい。

 そんな予感だけが、胸に残っていた。


第二話 筋肉は尊い


 それから数日後。

 アーノルドは執務室で書類に目を通していた。


「はあ……量が多いな」

「公爵様ですからね」


 向かいに座るのは、赤髪の青年――ゴーランド。

 伯爵家三男であり、かつて騎士団で共に戦った仲間だ。


「助かる。お前が来てくれて」

「当然です。元上司ですから」


 軽口を叩きながらも、仕事は的確。

 信頼できる数少ない人間だった。

 そのとき。


「失礼いたします」


 扉が静かに開く。

 入ってきたのは——アウルル。


「お仕事の合間に、休憩はいかがでしょう?」


 後ろには侍女たちが控え、お茶の準備が整えられていく。


「……ああ」


 形式的に頷くアーノルド。

 だが、その視線の先で——

 アウルルは、じっと二人を見比べていた。

 アーノルド。

 ゴーランド。

 そして——

 にこぉ、と満面の笑み。


(……何だ、その顔は)


 妙な沈黙が流れる。

 ゴーランドもさすがに困惑していた。


「何か言いたいことがあるのか?」


 アーノルドが問うと。

 アウルルは、うっとりとした表情で言った。


「筋肉は尊いです」

「……は?」

「鍛えられた肉体、努力の結晶……素晴らしいですわ」


 意味がわからない。

 だが本人は満足げに頷いている。


「では、ごゆっくり」


 それだけ言って、去っていった。

 残された二人。


「……何だったんだ?」

「さあ……?」


 ゴーランドも首をかしげるしかない。

 だが——

 それは始まりに過ぎなかった。

 翌日。

 また来る。

 その次の日も。

 さらにその次も。

 毎回、同じように二人を見比べ——

 にこにこ。

 そして去る。


(……落ち着かない)


 理由はわからない。

 だが確実に、何かがおかしかった。


第三話 禁断の噂


 一週間後。

 屋敷の空気は、どこか妙だった。


(……視線が多いな)


 廊下を歩けば、使用人たちがちらりとこちらを見る。

 そして、ひそひそと何かを話す。

 明らかに不自然。

 その原因は——


「お兄さま!!」


 突然、扉が勢いよく開いた。


「ユー二フルム!?」


 妹が飛び込んできた。

 顔は涙でぐしゃぐしゃ。


「ひどいです……!」

「な、何がだ!?」

「わたしの婚約者を……!」

「……は?」


 話が見えない。

 だが次の言葉で、全てが繋がった。


「ゴーランド様と、そんな関係だったなんて……!」

「…………は?」


 完全に思考が止まる。


「どういうことだ」

「屋敷中で噂になっています! お兄さまとゴーランド様が恋人同士だって!」

「誰がそんな馬鹿なことを——」

「白い結婚を宣言した理由が、“言えない相手がいるから”で!」

「……っ」

「その相手がゴーランド様で、“禁断の愛”だから隠してるって……!」


(……あの女だ)


 すべて繋がった。

 初夜の会話。

 あの意味深な発言。

 そして、あの視線。


「違う!!」


 アーノルドは思わず叫ぶ。


「そんな事実は一切ない!」

「でも……でも……!」


 ユー二フルムは涙をこぼしながら叫ぶ。


「お兄さまの馬鹿ぁ!!」


 そして、飛び出していった。


「……最悪だ」


 頭を抱えるアーノルド。

 完全に、誤解が完成していた。


第四話 白い結婚の終わり


 その日の夜。

 アーノルドはアウルルの部屋を訪れた。


「話がある」

「はい」


 いつもの微笑み。

 だが今回は逃がさない。


「誤解を解く」

「はい、大丈夫です」

「だから——」

「わかっております」

「……わかっていない!」


 思わず声を荒げる。


「俺はゴーランドとそんな関係ではない!」

「ええ、表向きはそうですよね」

「違う!」

「秘密ですものね」

「違うと言っている!!」


 完全に話が通じない。

 アウルルは、すべてを“理解しているつもり”でいる。


(……どうする)


 このままでは、噂は広がる一方だ。

 そして——妹との関係も壊れる。

 しばしの沈黙。

 やがて、アーノルドは決断した。


「……白い結婚は、取り消す」


 アウルルの目が、わずかに見開かれる。


「だから」


 一歩、近づく。


「夫婦としてやり直す」

「……」

「これで、納得するか?」


 逃げ道を塞ぐ。

 誤解を断ち切るには、それしかない。

 しばしの沈黙の後——

 アウルルは、ふっと微笑んだ。


「……ふふ」


 その笑みは、今までとは違っていた。

 どこか——

 楽しげで。


「ええ、もちろんですわ」


 そう言って、彼女は優雅に一礼する。


「では、これからよろしくお願いいたしますね——アーノルド様」


 その言葉に。

 なぜかアーノルドは——

 嫌な予感を覚えていた。


(……何か、間違えたか?)


 だがもう、後戻りはできない。

 こうして——

 奇妙な夫婦生活が、本当の意味で始まったのだった。


第五話 悪役令嬢の反撃


 マルセイユ公爵邸の朝は、いつもよりも妙に騒がしかった。


「……何だ、この空気は」


 執務室へ向かう廊下を歩きながら、アーノルドは眉をひそめる。

 使用人たちの視線が、昨日までとは明らかに違う。

 ひそひそ声。

 だがその内容は、もはや隠されてもいない。


「公爵様と奥様、ついに……」

「やっぱりそういう関係だったのね」

「でもゴーランド様は……?」


(やめろ)


 内心で頭を抱えながら、足を速める。

 白い結婚の撤回。

 あの場では最善の一手のつもりだったが——


(状況が悪化している気がする)


 そう考えながら扉を開けた瞬間。


「おはようございます、アーノルド様」


 そこにいたのは、アウルルだった。


「……なぜここにいる」

「夫の執務を支えるのは、妻の務めですもの」


 にこやかに微笑む。

 だが、その目はどこか楽しんでいるように見えた。


「書類の整理、終わっておりますわ」

「……は?」


 机の上を見る。

 山のようにあったはずの書類が、整然と分類されていた。

 しかも——


「優先度順に並べ、必要な箇所には付箋もつけておきました」

「……」


 一枚手に取る。

 完璧だった。

 無駄がない。正確。判断も的確。


(……ただの令嬢ではない)


 アーノルドは静かに息を吐く。

 悪役令嬢。

 そう呼ばれていた女の実力を、初めて実感した瞬間だった。


「……助かる」

「光栄ですわ」


 そのとき。


「失礼します」


 扉が開き、ゴーランドが入ってきた。


「おはようございます、公爵……っと」


 視線が止まる。

 アウルルとアーノルド。

 そして——

 またしても。

 アウルルの視線が、二人を行き来する。

 じーっ。

 にこぉ。


(やめろ)


「本日も、お二人は仲がよろしいですわね」

「よくない」

「誤解です」


 即座に否定する二人。

 だがアウルルは満足そうに頷いた。


「ええ、ええ……秘密ですものね」

「違う!!」


 アーノルドの叫びが響く。

 だが、もう遅い。

 ゴーランドは半ば諦めた顔で肩をすくめた。


「……否定するのも疲れてきましたね」

「諦めるな」


 真顔で言い返す。

 そのやり取りを見て——

 アウルルは、くすりと笑った。

 その笑みは、以前よりも柔らかいものだった。

 だが。


(……何かがおかしい)


 アーノルドは気づき始めていた。

 これはただの勘違いではない。

 意図的だ。

 この状況は——


「アウルル」

「はい?」

「お前、わざとやっているのか」


 静かに問いかける。

 その瞬間。

 部屋の空気が変わった。

 ゴーランドも息を呑む。

 アウルルは、一瞬だけ目を細め——

 そして、にこりと笑った。


「何のことでしょう?」

「とぼけるな」

「ふふ……」


 その笑みは、もはや“無垢な令嬢”のものではない。


「では、少しだけお教えいたしますわ」


 アウルルは一歩、近づいた。


「わたくし、冤罪で婚約を破棄されましたの」

「……ああ」

「何もしていないのに、“悪役令嬢”にされて」


 その声は穏やかだった。

 だが、底にあるものは——冷たい。


「誰も信じてくださいませんでした」


 静かに言葉を重ねる。


「ならば、どうするべきだと思います?」

「……」


 アーノルドは答えない。

 いや、答えが見え始めていた。


「利用するのです」


 アウルルは微笑む。


「噂も、誤解も、人の愚かさも」


 ぞくり、とした。


「だって——」


 彼女は楽しげに言った。


「こんなにも簡単に、人は思い込んでくださるのですもの」

「……お前」

「ご安心ください」


 アウルルは軽く一礼する。


「これは、わたくしの復讐ではございません」

「なら何だ」


 その問いに——

 彼女は少しだけ考える素振りを見せてから。

 にこりと笑った。


「強いて言うなら、遊びですわ」

「……ふざけるな」

「ふざけてなどおりません」


 真っ直ぐな目だった。

 その瞳の奥には——確かな意志がある。


「わたくしはもう、ただ捨てられるだけの令嬢ではありませんもの」


 その言葉に、アーノルドは息を飲む。

 そして。

 ようやく理解した。


(こいつは——危険だ)


 美しく、聡明で。

 そして、人の感情を操ることに躊躇がない。

 悪役令嬢。

 その呼び名は——

 決して間違いではなかった。

 だが同時に。


(……面白い)


 心のどこかで、そう思ってしまった自分がいた。


「いいだろう」


 アーノルドは静かに言う。


「その遊び、俺も付き合う」

「……あら?」


 アウルルの目が、わずかに見開かれる。


「ただし」


 一歩、距離を詰める。


「ほどほどにだ」

「ええ、承知しておりますわ」


 微笑み合う二人。

 その空気は——

 もはやただの政略結婚のそれではなかった。

 一方。


(……俺、帰っていいですかね)


 ゴーランドは、そっと視線を逸らしたのだった。









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― 新着の感想 ―
これ、ゴーランドが1番かわいそう。誤解は解けてない辺り、アーノルドかゴーランドの人望がかなり無いのでは。 あと、婚約破棄王子もその内♂な噂で報復されそう。そしてこの国と公爵領は腐った令嬢達の園へ、、…
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