第2話 恋人役の条件
放課後。校舎の外に出ると、昼間の熱気がまだ地面に残っていて、風がぬるかった。
あたしは昇降口の柱にもたれながら、スマホを見ずに、ぼんやりと空を眺めていた。
「お待たせしました、純さん。急に呼び出してしまって、ごめんなさい」
「ううん、こっちこそ。まだ帰るところだったし」
月乃宮柚穂は、いつも通りきれいに着こなした制服姿で立っている。
その雰囲気だけで、周りと少し違う空気をまとっているのが分かる。
「改めて言うけどさ……あたし、本当に男装して、恋人役なんてできると思う?」
「できます。というより、あなた以外だと困るの」
「即答すぎない? もうちょっと迷ってくれてもいいと思うんだけど」
「迷う理由がないからよ。あなたは無理に距離を詰めてこないし、変な噂を広めるタイプでもないでしょう? それに、背も高いし、声も低めだから、ちゃんと男の子に見えると思う」
「分析されてる気がするんだけど」
「安心して。好意的な分析よ」
「それ、余計に緊張するんだけど……」
柚穂は小さく笑ってから、少しだけ真剣な顔になる。
「この話、遊びじゃないの。あたし、本当に“恋人がいる”ってことにしないと、家の人たちが納得してくれないの」
「……それって、そんなに切羽詰まってる?」
「ええ。夏休みの間に、顔合わせの話まで進みそうだったから」
「うわ、それ、普通に重いやつじゃん」
「だからこそ、信用できる人にお願いしたかったの」
◆◆◆◆
校門から少し離れた、小さな公園に入る。
ブランコは使われておらず、ベンチに座ると、夕方の風が少しだけ涼しかった。
「で、具体的には、あたしは何をすればいいの」
「基本は、恋人として一緒にいること。学校でも、外でも、必要なときは並んで歩くし、連絡も取り合う」
「それって、もう普通のカップルじゃん」
「“役”としてね」
「役って言われると、余計に実感わかない」
「最初は、それでいいわ」
「……あたし、演技とか得意じゃないよ?」
「自然でいいの。むしろ、頑張って演じようとしないでほしい。あなたはそのままで、“柚穂の恋人”って顔をしてくれればいい」
「そのままで、恋人の顔って、どういう顔なの」
「堂々として、あたしの隣に立ってくれる顔」
「ざっくりしすぎじゃない?」
「でも、想像できるでしょう?」
「……なんとなく」
少しだけ、胸がむずっとする。
「あと、ひとつ大事なことがあるの」
「なに」
「家族には、男装のことは言わないで」
「え、そこも秘密?」
「ええ。“恋人ができた”まではいいけど、“実は女の子で、しかも男装です”なんて言ったら、説明が面倒になるでしょう?」
「……それは、たしかに」
「だから、聞かれたら“学校の人”とか、“そのうちね”って、うまくかわしてほしいの」
「難易度、高くない?」
「純さんなら、できると思う」
「その自信、どこから来るの」
「今、ちゃんと断らずに聞いてくれてるところ」
「……それ、理由になる?」
「なるわ。少なくとも、あたしにとっては」
◆◆◆◆
公園を出て、また校門の前に戻る。
「じゃあ、まずは何から始めるの」
「服を見に行きましょう。男装用の」
「いきなり本格的だね」
「中途半端だと、余計に目立つから」
「なるほど……確かに」
「明日、時間ある?」
「あるけど、なんでそんなに急ぐの」
「急いでるの。あたしの夏がかかってるから」
「重いなあ……でも、そこまで言われたら断れないじゃん」
「ありがとう、純さん」
「まだ感謝されるほど、何もしてない」
「いいえ。引き受けてくれた時点で、もう十分よ」
柚穂は、少し照れたように視線を逸らした。
「……じゃあ、明日ね」
「ええ。明日から、恋人役として、よろしくお願いします」
「こっちこそ。……ほんとに、変なことにならなきゃいいけど」
家に帰る道すがら、あたしは自分の影を見下ろす。
その影が、明日から“男の子役”になるなんて、まだ全然実感がわかなかった。
でも、なぜか、不安よりも先に、少しだけ楽しみな気持ちが湧いていた。




