第22章|処理予定:空欄
扉の外の足音が、止まった。
止まっただけなのに、
心臓が跳ね上がる。
“来た”という音だった。
ユウが低く言う。
「来るな」
誰に言ったわけでもない。
自分に言ったのかもしれない。
セイルが周囲を見回す。
「出口は?」
「ない」
シオンが答えるより早く、ユウが言った。
記録室の扉は一つ。
その先は通路。
監視と回収の一本道。
閉じ込められた。
ここは保護の場所。
逃げられないように作られている。
ユウが舌打ちする。
「……面倒くせえ」
セイルが静かに言った。
「面倒じゃない」
「狙われた」
彼の目線が端末に戻る。
そこにある“空欄”が、ずっと気持ち悪い。
処理予定:――
決まっていないのではない。
決められない。
それは、管理側が一番嫌う状態だ。
未来の不確定。
予測の不成立。
そしてその原因は――
アルトのΔだ。
シオンは端末を再び操作する。
ログの詳細を開く。
記録はある。
搬送記録もある。
だが予定だけが抜けている。
抜けているというより、
書いた形跡がない。
シオンの喉が鳴った。
「これ……削除じゃなくて」
「“初めから存在しない”」
セイルが頷く。
「未来が書けない」
「未来が成立しない」
ユウが吐き捨てる。
「なら、良いことじゃねえか」
セイルはすぐ否定した。
「違う」
「未来が書けない状態は」
「管理が暴れる」
「不確定は、恐怖になる」
シオンは理解する。
管理は合理だ。
合理は確定を好む。
確定できないものは、排除する。
排除できないなら、
壊してでも確定させる。
それがこの世界のやり方だ。
そして今、管理は“本気”で確定しに来ている。
扉の向こうで、声がした。
無機質な声。
「未登録」
「侵入」
「回収」
短い言葉だけで構成された声。
そこには怒りも憎しみもない。
ただ処理がある。
ユウが小さく息を吐いた。
「……ドローンか」
セイルが耳を澄ます。
「歩兵もいる」
「あと――」
言葉を切る。
その切り方だけで分かる。
嫌なものがいる。
扉が、ゆっくり開いた。
白い装甲の兵。
銃口。
そして天井に浮かぶ監視ドローン。
照準が揃う。
その中心にいたのは、グレンだった。
彼の瞳は冷たいまま。
だが、どこか疲れて見える。
「逃走ではない」
再び同じ言葉を言った。
「侵入だ」
ユウが前に出る。
「侵入して何が悪い」
「仲間を取り返すだけだ」
グレンは淡々と言った。
「仲間?」
「登録されていない人間は、仲間になれない」
シオンの胸がざわつく。
登録されないと、人間じゃない。
そういう制度を、グレンは当然として語る。
グレンが続ける。
「未登録は誤差」
「誤差は、管理の外」
「管理の外は、未来の外だ」
ユウが吐き捨てる。
「じゃあ俺たちは」
「未来の外で生きる」
その言葉に、グレンの目がほんの僅かに揺れた。
だがすぐ戻る。
「なら回収する」
シオンは息を吸った。
未来は一本。
この状況で残る線は――
“ここで突破する線”。
シオンは短く宣言した。
「……Δ:希望収束」
弾が飛ぶ未来。
誰かが死ぬ未来。
逃げ切れない未来。
それらが消える。
残るのは、
“ギリギリ生き残る未来”。
未来が残ったということは、
誰かが救えない未来が確定するということだ。
シオンの口の中が苦くなる。
救いたい。
でも救えない。
それがこの能力の本質だった。
銃声が響いた。
短い。
乾いた音。
弾が壁に当たる。
火花が散る。
シオンの肩が熱を持った。
掠っただけ。
それでも痛い。
ユウが叫ぶ。
「伏せろ!」
セイルがレムを抱えたまま床へ滑る。
レムは声を出さない。
出せない。
存在が揺れるからだ。
ユウは瓦礫を蹴り、前に出た。
銃弾が飛ぶ。
照準がユウを追う。
だがユウは“撃たれる未来”を拾わない。
狙ってはできない。
それでも、“拾う”という行為が呼ぶ。
ユウは短く吐いた。
「……Δ:拾遺干渉」
拾ったのは、床に落ちたプラスチック片だった。
そんな物に価値はない。
だが拾った瞬間、現実が歪む。
壁の一部が崩れる。
煙が上がる。
視界が遮られる。
兵の照準が遅れる。
ほんの一瞬。
だが一瞬あれば、ユウは動ける。
ユウは壁を蹴り、距離を詰めた。
銃口の下に潜り込む。
殴る。
硬い感触。
装甲が響く。
兵が倒れる。
シオンは息を呑んだ。
ユウの戦い方は、
強さじゃない。
“死なない状況を拾う”戦い方だ。
だからこそ、怖い。
帳尻合わせは必ず来る。
その時、端末が勝手に震えた。
画面が点滅する。
エラーコード。
照合失敗。
回収対象再計算。
何度も何度も。
端末が暴走する。
シオンの背筋が冷える。
これは――アルトだ。
アルトのΔ。
評価崩壊(ZERO JUDGE)。
まだここにはいない。
でも影響が届いている。
世界が判断できなくなっている。
グレンが眉をひそめる。
「……再計算が終わらない」
その瞬間、ドローンが揺れた。
照準が乱れる。
銃口が上を向く。
兵たちの動きが止まる。
当てる判断が成立しない。
撃つべきか。
撃っていいのか。
撃てば正しいのか。
それを判断する土台が、崩れていく。
シオンは震える声で呟く。
「アルト……」
ユウが叫ぶ。
「今だ!」
セイルがすぐ動く。
レムを抱いたまま、通路へ走る。
シオンも続く。
だがユウだけが、一瞬止まった。
止まった理由が分かる。
拾った代償が来る。
ユウの目線が、壁の上を見た。
天井の補強材。
鉄骨。
それが軋んでいる。
崩れる。
崩れてこちらに落ちる。
この崩壊は、ユウが拾った結果の帳尻だ。
シオンの喉が詰まる。
ユウだけが巻き込まれる。
未来の線が、そうなっている。
救える未来が残るために、
誰かが救えない未来を背負う。
シオンは歯を食いしばる。
そして、短く叫んだ。
「……Δ:希望収束!」
線を引き直す。
崩落でユウが死ぬ未来を消す。
代わりに何かが確定する。
それでもいい。
ユウを失う未来は、残せない。
鉄骨が落ちる方向が、わずかに逸れた。
地面に激突する。
粉塵が舞う。
ユウの足元はギリギリ無事だった。
だがその瞬間、シオンは理解した。
救った。
救った分だけ、
別の場所で救えない未来が確定した。
胸の奥に、冷たい重みが増えた。
それが罪だ。
ユウが歯を食いしばりながら走る。
「……借りができたな」
シオンは答えられない。
借りじゃない。
罪だ。
SAVE LINEで救うたびに、
シオンは選別している。
ユウは笑わなかった。
「アルトが言ってた」
「“正しさが成立する土台”が壊れるって」
シオンが息を飲む。
ユウは続ける。
「いま、壊れてる」
「俺らにとっては都合がいい」
「でも世界にとっては」
「一番嫌な音だ」
セイルが低く言う。
「アルトは……起きてる」
「Δが暴れてる」
シオンの胸が締め付けられる。
処理予定:空欄。
それは救いじゃない。
アルトが壊れ始めている証拠だ。
そして壊れれば壊れるほど、
回収は加速する。
管理は恐怖で動く。
恐怖は戦争を作る。
シオンは息を吸い、短く言った。
「急ぎましょう」
その声が震えていた。
焦りじゃない。
未来が減っていく音がした。
通路の先に、赤い灯が見えた。
搬送区画。
輸送車の音。
金属扉。
そして、表示板。
《監視ドーム経由》
シオンは喉が鳴る。
アルトは、まだ間に合う。
間に合う未来が残っている。
だからこそ怖い。
間に合う未来が残っているということは、
間に合わない未来が、すでに無数に消えているということだから。
そして、シオンは確信する。
ここから先は、
逃げる物語じゃない。
奪い返す物語だ。




