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第2章|拾ってはいけない引き金

地下道路の空気は、腐った鉄の匂いがした。

湿気と煤と、長い間“誰も通らなかった場所”の匂い。


ユウは救助対象の男を壁際に下ろし、呼吸を整える。

シオンは少年を抱えたまま、膝をついた。


「……まだ生きてる」


その言葉は、祈りじゃない。

確認だった。


アルトは端末を握ったまま固まっている。

指先が震えていた。


そこに残っているログが、現実より冷たい。


――【PHENOMENON NAME:Δ(DELTA)】


「……おかしいだろ」


アルトが掠れた声で言った。


「定義できない現象が、名前つけられるわけない。

俺たちは……まだ、ただの誤差だったはずだ」


シオンが少年の体温を確かめながら、静かに答える。


「管理は、誤差を嫌う。

嫌うなら、まず“形”にする」


「……形にしたら、回収できるから?」


「そう。捕まえられる」


アルトの喉が鳴った。


彼は内部にいた。

評価値と登録と配給が世界を支配しているのを、内側から見ていた。

だから分かる。


管理は優しいふりができる。

救済という言葉を使える。

でも本質は、秩序だ。


秩序は、例外を許さない。


ユウは会話に入らない。

彼は荷物を開けて、救助対象の止血を確認している。


その手つきは、もう慣れすぎていた。


拾って、繋いで、逃がす。

その繰り返し。


「――ユウ」


アルトが呼びかけた。

珍しく、迷いが混じった声。


「さっき、拾ったよな。

……救助パック。あんなの、そこにあるはずがなかった」


ユウは手を止めず、短く言った。


「拾えた」


「それが……Δか?」


ユウは返事をしない。

返事をしないのが、彼の答えだった。


自分で狙ってできない。

理由も分からない。

ただ、“拾えた”という結果だけが残る。


シオンは少年の顔を見下ろした。

うっすらと唇が紫色になっている。


「この子……登録消失の気配がある」


アルトが目を上げる。


「レムみたいに?」


「近い。……でも違う。

消えるというより、“消されかけてる”」


シオンがそう言った瞬間、空気がまた変わった。


――ノイズ。


耳の奥に、黒い砂を流し込まれるみたいな感覚。


アルトの端末が、再び黒く滲んだ。


「……来る」


声に出したのはアルトだった。

彼の勘は、管理側の追跡の匂いを知っている。


上から、微かな振動が落ちてくる。


地下道路の天井。

崩れたコンクリートの向こう側で、何かが移動している。


監視ドローンではない。


もっと重い。

もっと規則的。

そして“人間の歩幅”。


「……部隊だ」


ユウが初めて顔を上げた。


その目は静かだ。

だが静かなほど、“逃げる判断”が即座に出ている。


「運ぶぞ」


シオンが少年を抱え直す。

アルトが男の肩を担ぐ。


そしてユウが先頭に立つ。


「この先、出口は?」


アルトが訊く。


ユウは迷わず答えた。


「ある。けど、運が悪いと――」


言葉が途切れた。


その瞬間、前方の闇の中で、何かが光った。


赤い点。

照準。


「ッ!」


ユウが反射で身を屈めた。


銃声。


乾いた音が、地下に反響する。


壁が砕け、粉塵が舞った。

もしユウが屈んでいなければ、頭を撃ち抜かれていた。


「狙撃……!?」


アルトが息を飲む。


そして闇の奥から、声がした。


落ち着きすぎている声。

感情が薄い声。


「対象確認。

BORDER REMAINS。

回収命令を執行する」


光の中に、影が見えた。


人間。


装備は管理軍の規格。

だけど動きが違う。

“迷い”がない。


そして、その背後で――


空気が裂ける。


彼の周囲だけ、音がほんの少し遅れて届く。

視界が一瞬、ズレる。


シオンが震える息で言った。


「……Δ適合者……」


敵だ。


こちらと同じ“歪み”を持つ存在が、

もう武器として出てきている。


アルトは歯を食いしばり、端末を握り直した。


「最悪だ……

もう戦争になってるじゃないか」


ユウは、銃口を見たまま言った。


「……拾って逃げる」


その言葉は、いつもと同じだった。


だが今回は違う。


拾ってはいけないものが、

この戦場には落ちている。


そしてそれを拾った瞬間――

世界は、もっと壊れる。


地下道路の闇は、ただ暗いだけじゃない。

湿った壁が音を吸い、距離感を壊す。

どこから撃たれたのかすら分からない。


シオンが少年を抱えたまま息を殺し、壁際へ滑り込む。

アルトも男を支えながら身を伏せた。


ユウだけが、真正面を見ている。


視線の先――

赤い照準点が、もう一度ゆっくりと動いた。


「狙撃じゃない」


ユウが低く言う。


「……誘導だ」


アルトが眉を寄せる。


「誘導?」


「逃げ道を切って、俺たちを“そこ”に追い込む」


ユウの指が、闇の奥を指した。

照準点の動きが一定すぎる。

揺れがない。呼吸がない。

人間の狙撃じゃない。


“狙撃の形をした拘束”。


その時、闇の中の影がもう一歩前に出た。


月明かりも届かない地下で、

彼の装備だけが異様に整って見えた。


黒い防護スーツ。

硬質な胸部装甲。

腰のホルスターには、短機関銃。

腕には制圧用の拘束具。


そして一番不気味なのは――


顔。


ヘルメット越しではない。

生身の顔が見えた。


無表情。

感情の起伏を削ったような目。


「回収対象、確認完了」


声が響く。


「ユウ、アルト、シオン。

ならびに未登録個体二名。

回収命令に従え」


アルトが息を呑む。


「……名前を知ってる。

くそ、もう管理側の優先度が……」


優先度SSS。

アルト自身のΔの“代償”が、もう帳尻を合わせてきている。


シオンの指先が震える。

少年の体温は、落ち続けている。


「時間がない」


シオンが言う。


「戦闘を避ける。抜け道を――」


その瞬間、赤い照準が光った。


ユウの肩の横――

アルトの端末を狙った。


「ッ!」


弾が走る。


金属が弾け、火花が散った。

端末は床に滑り落ち、画面が砕ける。


アルトの顔から血の気が引いた。


「……ログが……っ」


管理側に残されたログ。

そして今ここで得られる“現象の証拠”。


それを奪われたら、こちらは透明になる。

だが同時に――

それを奪われたら、相手はΔを完全に“確定”できる。


敵は、奪いに来ている。


「やるしかない」


アルトが息を吐き、立ち上がろうとした。


だがユウが手で制した。


「待て。あいつ……普通の回収兵じゃない」


闇の奥の回収者が、ゆっくりと手を上げる。


その動きに合わせて、周囲の空気が歪んだ。

音の届き方が一瞬だけ変わる。


シオンが、喉の奥で凍る。


「あの感じ……

“正しい結果”を押しつけてくるタイプ……」


敵は、淡々と言った。


「現象を確認。

排除を開始する」


次の瞬間――


狙撃点が増えた。


赤い点が、ユウの胸。

アルトの眉間。

シオンの肩。

救助対象の男の心臓。

少年の首。


五点。


同時に撃てる配置。


あり得ない。


狙撃手が一人なら不可能。

ドローンなら反応が遅れる。


でも、この配置は “確定していた”。


ユウの背中が冷たくなる。


「……来るぞ」


撃発。


銃声が重なった。


時間が引き延ばされたみたいに、

弾が走る線が見えた気がする。


――死ぬ。


その未来が確定する寸前に、

シオンの喉が勝手に動いた。


「……Δ:希望収束セイヴ・ライン


名前が落ちた瞬間、世界が折れ曲がった。


弾道が変わる。

壁が割れる。

瓦礫が跳ねる。


“救える未来だけが残る”。


ユウの胸を狙った弾は、鉄骨に弾かれた。

アルトの眉間の弾は、破片に当たって逸れた。

シオンの肩を狙った弾は、天井の亀裂に吸われた。


だが。


救助対象の男の心臓へ向かった弾は――


止まらなかった。


シオンの目が揺れる。


「……っ!」


救えない未来が、確定した。


男の胸に血が広がる。

身体が跳ねる。

意識が落ちる。


アルトが叫ぶ。


「やめろ!!」


その叫びと同時に、アルトの視界が黒く滲んだ。


正しさが成立する前に、

正しさそのものが崩れる感覚。


アルトは歯を噛み、短く告げた。


「……Δ:評価崩壊ゼロ・ジャッジ


瞬間、敵の照準が乱れた。


撃つべき理由が壊れる。

当てる判断が成立しない。

再演算が暴走する。


敵の狙撃点が、消えたり点いたりを繰り返し始めた。


だが敵は、揺らがない。


むしろ静かに言った。


「……誤差。

なら、是正する」


彼の足元の砂埃が、唐突に舞い上がった。


空気が裂ける。


そして、次の一発が――

“正しい結果として成立する”速度で放たれた。


アルトが避ける前に、

弾は彼の脇腹を抉った。


「ぐっ……!」


血が落ちる。

膝が折れそうになる。


敵は、確信を持った声で言った。


「当たる。

それが正しい」


シオンが理解する。


――この敵は、“結果を確定させる”Δだ。


救えない。


このままでは、全員が回収される。


ユウは、床に落ちた端末の破片を踏んだ。

その中で、ひとつだけ妙に目立つものがある。


小さな黒いカートリッジ。

封が切れていない。

新品。


あり得ない。


ここは地下道路。

医療区画でもない。

こんなものが落ちているはずがない。


だが。


それは、拾える。


拾えば、状況が変わる。

逃げ道が繋がる。

生存ルートができる。


ユウは、手を伸ばしかけて止めた。


――拾ってはいけない。


直感が叫んでいる。


拾えば、帳尻が来る。

別の場所で、誰かが死ぬ。


でも。


今ここで拾わなければ、

この場で全員が死ぬ。


ユウの指先が、黒いカートリッジに触れた。


空気が裂ける。


喉が震える。


「……Δ:拾遺干渉リクレイム


その瞬間、世界が“都合よく”折れた。


床の一部が崩れ、

壁の裏に隠されていた通路が開いた。


逃げ道。


確かに逃げ道。


「走れ!!」


ユウが叫ぶ。


シオンは少年を抱えて走る。

アルトは血を押さえて走る。

ユウは最後に振り返る。


敵は追ってこない。


いや――追えないのではない。


敵の目が、ユウの手の中にある黒いカートリッジを見ていた。


それを見て、初めてほんの少しだけ、表情が動いた。


「……拾ったな」


声が低く落ちる。


「それは……

拾ってはいけない引き金だ」


ユウの背中が冷たくなった。


拾ってしまった。


“何か”を。


通路は細かった。

人が通れるだけの幅。

壁は湿っていて、手をつくと指先が黒く汚れる。


シオンは少年を抱えたまま走る。

少年の呼吸は弱い。

抱えた腕の中で、命が滑り落ちそうだった。


アルトは脇腹を押さえながら走る。

血が指の隙間から滲み出る。

走るたびに視界が白くなる。


ユウだけが、後ろを見ない。


――見られない。


手の中の黒いカートリッジが、重すぎた。


「ユウ……それ、何だ」


アルトが息の切れた声で言う。


ユウは走りながら、短く返す。


「拾った」


「だから、それが何なんだよ!」


アルトの声は苛立ちではなく、恐怖だった。


拾ったものが世界を歪める。

それはもう理解している。

だが今回拾ったものは、敵が言った。


“拾ってはいけない引き金”。


その意味が、怖い。


シオンが足を止めずに言う。


「……外に出る。出口が近い」


通路の先に、薄い光が見える。

崩落したマンホールの隙間。

外へ続く。


ユウは速度を上げた。


その瞬間――

足元の空気が揺れた。


「……っ?」


地面が、鳴った。


ズン、と腹の底に響く振動。

通路の壁の粉塵が落ち、

瓦礫が小さく跳ねた。


「何……?」


シオンが息を呑む。


アルトが端末の残骸を握りしめ、目を細める。


「……通信、拾える」


彼の手元の簡易バックアップ端末が、微弱な電波を掴んだ。


だがそれは、こちらの仲間のものではない。


管理側でもない。


――黒市系統。

闇の回線。


「……NIGHT?」


アルトの声が震える。


次の瞬間、通信が割り込んだ。


雑音混じりの声。

笑っている。


『――やあ。やっぱり拾ったか』


ユウが足を止めた。


シオンが振り返る。


「……ノクス?」


アルトが顔を歪める。


「お前……どこにいる」


ノクスの声は軽い。

だが軽すぎて、不気味だった。


『どこでもいいだろ。

問題はお前らが今、何を拾ったかだ』


ユウはカートリッジを見つめる。

黒い。

表面に、ほとんど見えない刻印がある。


――GENESIS規格。


違う。

それだけじゃない。


刻印の奥に、さらに古い文字がある。

かすれた、遺物系の型番。


――ORBIT。


「……ORBITの?」


シオンが言いかけた。


ノクスの声が即座に返ってくる。


『そうだ。

そしてそれは、“ただの装備”じゃない』


『……回収側が欲しがるのは、Δ適合者だけじゃない。

Δを“引き起こす道具”だ』


アルトの顔色が変わる。


「引き起こす……?」


『正確には、“発動条件を固定する”

って言った方がいいかね』


ノクスの声が、少しだけ低くなる。


『ユウ。拾ったな?

拾える形でそこにあったんだろ』


ユウは答えない。


答えられない。


あった。

拾えた。

だから拾った。


それだけだ。


ノクスは笑った。


『それが帳尻だ。

お前のΔは、拾って繋ぐ代わりに

“別の場所で壊す”』


『お前は逃げ道を拾った。

だから今――

別の場所の逃げ道が閉じる』


シオンの喉が凍った。


「……別の場所?」


アルトが端末を握りしめる。


「どこだよ……!」


ノクスが、淡々と言った。


『今、お前らが救った“外”だ』


その瞬間。


外の光が――消えた。


マンホールの隙間から見えていた薄い光が、

黒い影に覆われる。


巨大な何かが、上にいる。


重い金属音。

空気の圧迫。


通路の出口が、塞がれた。


「……来た」


ユウが低く言う。


そして壁の向こうから、声が響く。


さっきの敵とは別だ。

もっと機械的で、もっと冷たい。


「Δ現象確認。

引き金装置、確保対象に追加」


「BORDER REMAINS。

拘束・分離・回収を開始する」


シオンが息を呑む。


「……分離」


それは、殺害より怖い言葉だった。


アルトが歯を食いしばる。


「やっぱり……

俺たちを殺す気じゃない。

“分けて回収する”気だ」


ユウは出口を見上げたまま、短く言った。


「塞がれた」


「じゃあどうする!?」


アルトが叫ぶ。


ユウは握っていた黒いカートリッジを見た。

拾ってしまった引き金。


逃げ道を拾った代償。


ここで使えば、もっと大きな帳尻が来る。

でも使わなければ、回収される。


シオンの腕の中で、少年の呼吸がさらに薄くなる。


その瞬間、シオンの喉が勝手に震えた。


救える未来が、一本に収束する。


だが同時に――

救えない未来も確定していく。


「……Δ:希望収束セイヴ・ライン


次の瞬間。


出口の塞がれた影の下に、

“抜け道”が見えた。


ほんの数十センチ。

瓦礫の隙間。

通れるか通れないか、ギリギリ。


ユウが即座に動く。


「行ける!」


ユウが瓦礫を押し、隙間を広げる。

シオンが少年を先に押し出す。

アルトが血を垂らしながら続く。


ユウが最後――


その瞬間、出口の上から腕が伸びた。


拘束具。


ユウの肩を掴む。


強い。

人間じゃない握力。


ユウが引き剥がそうとした瞬間、

アルトが振り返り、喉を震わせた。


「……Δ:評価崩壊ゼロ・ジャッジ!」


拘束具が一瞬止まる。

掴む意味が崩れる。


その隙にユウは滑り込んだ。


三人は外へ転がり出た。


瓦礫の路地。

崩れた街の下層。

空には、管理軍の輸送機の影。


そして――

出口を塞いでいたのは、装甲車だった。


回収部隊が完全に出てきている。


シオンが少年を抱え直し、歯を食いしばる。


「……もう隠せない。

世界が……Δを戦争の理由にしてる」


アルトが血を押さえたまま、呟く。


「俺たちは……

発見されたんじゃない」


「――確定されたんだ」


ユウは、黒いカートリッジを握りしめたまま言った。


「……拾ったせいで」


その言葉は、後悔ではない。

ただの事実だった。


だがその事実が、世界を一段階進めた。


管理はΔを“現象”としてではなく、

“回収すべき資源”として扱い始めている。


そして敵は、もう言った。


拘束。分離。回収。


戦争は、始まってしまった。

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