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006 最強の復活

 ヴィクトリア王国の第一王女オリビア・ヴィクトリアがタケル邸を訪れていた頃のこと。

 王宮内の医務室では、弱冠19歳にして歴代最強の称号を欲しいままにした才色兼備の近衛騎士団団長――マシェリィ・スカーレットが静かに目を閉じていた。

 十日余の期間、飲食はおろか一度も目を覚ましていない彼女の体は以前と比べてかなり痩せていた。


 近衛騎士団の元騎士団長デイビッド・クラウンが起こした騒動で致死量の血を流していた彼女は、現在かろうじて息はあるものの、もう助からないだろうと誰もが思っていた。


 覚めないかもしれない深い眠りの中、マシェリィ・スカーレットは長い夢を見ていた。

 生まれて以来、敗北を知らない人生だった。剣の腕前や燈値(トーチ)の使い方、肉体的にも精神的にも彼女の右に出る者はいなかった。

 マシェリィは退屈していた。自分が頂点であることを、まだ少女だった頃に気付いてしまったからだ。

 彼女を妬み、嫌う者も多かった。時には悪質な嫌がらせも受けたが、そういう輩を圧倒的な実力で黙らせてきた。

 才色兼備。それでいて努力を怠らない彼女は完璧な存在だった。


 王都のスクールでの専門教育課程では騎士学を専攻したが、そこでも彼女の欲が満たされるようなことはなかった。

 そして19歳になった時、王族でも貴族でもない一般人がなり得る最高峰――王家直轄の近衛騎士団団長への勧誘のため、王宮の役人達がスカーレット家を訪れてきた。

 彼女の両親は喜んだ。スカーレット家は王都の外から小麦や野菜、果物類を仕入れる商人の家系だったが、マシェリィが近衛騎士団の団長になったことで、一般的な中流家庭からたちまち上流階級の世界へ駆け上がったのだ。


 近衛騎士団に入ってからも、彼女の乾きを潤すことはなかった。王家直轄の近衛騎士団は各世代で飛び抜けて優秀な人材の集まりだが、それでも彼女は群を抜いて最強を維持し続けた。


 そして、あの事件がやってくる。

 近衛騎士団の元騎士団長デイビッド・クラウンと現役の副団長ジャック・カエサルが王女リリシア・ヴィクトリアを誘拐し、シャルル大聖堂で彼らと対峙することになる。

 短い期間だっとはいえ、仲間である副団長ジャックとの真剣を用いた命の取り合いに躊躇してしまったのだ。


 あまりにも不覚。己の覚悟の弱さを思い知らされた。初めて痛感する敗北に、自分に対して腑が煮えかえるほどの怒りを覚えた。

 そういう状況の中で、クズ・タケルが持つ意味不明なほどの圧倒的な燈値(トーチ)を目の当たりにし、彼女は目を輝かせた。

 自分より強い存在がこの世界には存在する。彼と本気で剣を交えてみたい。それまでは死ぬわけにはいかない。

 飽くなき強さへの探究心が、彼女の生存本能をぶっ叩いて呼び起こそうとしている。

 タケルさん……私と戦ってほしい。


 ――静かな王宮内の医務室。交代で看護していたメイドが声を発した。


「マシェリィ様……っ! マシェリィ様が目を覚まされました……っ!」


 上半身は包帯だらけで、その他は白い清潔な布を纏った痛々しい姿のマシェリィ・スカーレットが突然立ち上がったのだ。

 少し痩せて細くなったが、それでも腕や腹の筋肉が包帯の上からでも薄っすらと見ることができる。鍛えられた引き締まった体は健在のようだ。

 しかし十日余も寝たきり状態だったため脚の筋肉が思うように動かない。長く、しなやかで、強靭だった彼女の脚が僅かに震えている。


「……私はずっと眠っていたのか」


 包帯だらけの体を触り、傷の具合を確かめる。少し痩せた胸をグッと抑えて拳を握った。


「そうか、私は負けたんだな……」


「……マシェリィ様っ! 急に立ち上がると危険です!」


 騒ぎに駆けつけたメイド達がマシェリィの体を支え、温かい飲み物を持ってくる。

 メイドの一人は王女リリシアを呼びに急いで飛び出し、スクールへ向かう途中だった王女を連れて戻ってきた。

 通常、一国のプリンセスが()()ことは滅多にないが、マシェリィの回復を聞いたリリシアは肩で息をしながら勢いよく医務室の扉を開けた。


「マシェリィ……っ!」


 暫くぶりに見るマシェリィの顔は痩せていて、リリシアの目には涙が浮かぶ。


「……よく目を覚ましてくれたわね。心配していたわ、マシェリィ」


「……リリシア様。申し訳ございません。私の力では、貴女をお守りすることができませんでした……」


 まるで姉妹のような信頼と愛情で、リリシアはマシェリィの手を優しく握る。

 それに応えるよう、マシェリィは震える脚で片膝をつき平伏した。


「私の立場でこういうことを言ってはいけないけれど、マシェリィが無事だったのなら、他に何も望まないわ……」


 その言葉にマシェリィの目にも熱い涙が出て込み上げてくる。


「……今後リリシア様がそのような言葉を口になさらずにすむよう精進いたします」


「ええ、よろしく頼むわ。これからスクールに向かうところだったけど今日は貴女の様子を見ることにしようかしら」


「それはダメです」


「えっ」


 マシェリィはさっと立ち上がってリリシアの体をくるりと扉の方へ向ける。


「私のせいでリリシア様の学業に支障が出ては困ります。ご学友が待っているでしょう、早く支度をしてください」


 この春までリリシアの学習指導をしていたマシェリィとしてはスクールをサボるなんてあり得ないといった様子だ。

 王宮のメイド達もくすくすと笑っている。


「さあさあリリシア様、急いでください。遅刻は許しませんよ」


「えぇ……? 目を覚ました途端にそんな感じ?」


 マシェリィに背中を押されながら、重い足取りでリリシアはスクールに向かう。しかしその顔は笑みに満ちている。いつも通りのマシェリィが戻ってきたことが、リリシアは何よりも嬉しいのだった。


 騎士団長マシェリィ・スカーレットが目を覚ました事実は王宮内に瞬く間に広がり、ヴィクトリア王国最強の人物の復活を誰もが祝い、喜んだ。

 この時、第一王女オリビア・ヴィクトリアはちょうどタケル邸を後にし、帰りの馬車の中だった。

 絢爛豪華な馬車の中で、オリビアは顔を真っ赤にして自分の膝を何度も叩いていた。


「……なにかしら、この感情は。非常に不愉快だわ……。どうしてこうも胸の動悸が収まらないのかしら」


 タケルに抱き止められた背中が、触られた胸が、熱くて熱くて仕方がない。生まれて初めての感情に、オリビアは戸惑っていた。


「……そうだわ。まもなく大量の(ゴールド)が手に入るから高揚しているんだわ。そうに違いないわ」


 オリビアは自問自答し納得すると、心地良い馬車の揺れを感じながら王宮への道を辿るのだった。

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