003 ちょっとしたハプニング
金や銀などの貴金属を採掘する作業は過酷で危険を伴うものだ。
金を手にするためには、山を掘り進んで金鉱石と呼ばれる見た目には白っぽい自然石を集めることから始まる。
掘り進んだトンネルの落盤や人体に影響を及ぼす有毒ガスの発生などの危険はもちろんのこと、採掘現場が他国との国境付近となればまた別の問題も出てくる。
だからこそ、作業員の士気を上げるために王女オリビアの激励が必要になってくるのだ。
「最近就任された騎士団長とご一緒したことがなかったから、この件お願いしようと思っていたのに……どうもお身体の具合がよくないみたいなのよね。だから貴方にお願いするわ。日取りについては追ってお知らせるわね」
ジュディが提供したティーカップを口元に運びながらオリビアは淡々と言った。
客間の準備はできていなかったが、王女の機嫌が良さそうなのでジュディはホッとしているようだ。
先ほどのオリビアの話から、騎士団長マシェリィ・スカーレットはまだ目覚めていないのだろうか。それとも、目覚めはしたものの動ける状態にないということだろうか。タケルはマシェリィのことが気がかりだった。
「さて、わたくしの用は済んだことだし、後はこの者に任せるわ」
このままでは王女は帰ってしまう。その前に、マシェリィのことを聞き出したいタケルは、ティーカップをテーブルに置いて立ち上がろうとするオリビアに声をかける。
「マシェリィ……いや、騎士団長は無事なんスか?」
「さあ? わたくしは知らないわ」
立ち上がり、特に興味のない顔で答えるオリビアにタケルは苛立つ感情を抑えて話を続けた。
「いや、ちょっと待ってください。近衛騎士団は王家直轄なんスよね?」
せっかくオリビアの機嫌が良いのだからこのまま帰ってもらいたいジュディは「それ以上何も言うな」という目でタケルを睨み付ける。が、タケルの口は止まらない。
「王国のために、リリシア王女を守るために、必死で戦った騎士団長をもうちょっと気遣ってあげてくださいよ」
空気が凍る。
王宮の役人、近衛騎士団の団員達そしてジュディも、息をすることさえ忘れて固まってしまう。
今までオリビアに意見した者がいただろうか。いや、いない。当のオリビアも驚いた様子でタケルを見つめていた。
この後どうなってしまうのか。誰が先に口を開くのか。王宮の役人や近衛騎士団の手に負える状況ではない。
ジュディは心臓が止まりそうで、吐き気さえ感じている。
あの馬鹿っ! せっかく近衛騎士団にしてもらってお屋敷まで準備していただいたのに……たった一日で無職になるつもり!? オリビア様に意見するなんて何考えてんの!?
「……そう、ね。覚えておくわ」
ジュディの心配を他所に、鳩が豆鉄砲を食ったような顔でオリビアは目をぱちぱちとさせていた。
オリビア様、以外と素直ぉ!? よく分からないけど助かったのコレ!?
生きた心地がしないのはジュディだけでなく、同席する役人と騎士団員達もそうで、王女が席を立ったのに彼らは座ったまま立ち上がることを忘れてしまっている。
面食らってぎこちない足取りで部屋を出ようとするオリビアを見て、慌てて役人と騎士団員達は席を立つ。
この空間で一人だけ冷静でいるタケルはオリビアの返事に納得がいかなかったのか、あろうことか追撃を仕掛ける暴挙に出た。
「待ってください、まだ話しは終わってないって」
帰ろうとするオリビアに肩に手を掛けて足止めする。この男メチャクチャだ、と全員が思った。
オリビアに意見するだけでなく、その肩に手を置くなんて命がいくつあっても足りない。死に急ぎの愚行そのものだ。
ジュディの顔からは無音の悲鳴が飛び出している。
「あっ……」
肩を引かれたオリビアは体のバランスを崩してしまい、勢いよく後方へ倒れてしまったのだ。
そんなに強い力で引っ張ったつもりのないタケルは、驚きのあまり咄嗟に王女を抱き止めた。そろそろジュディの怒りは限界に近い。
「おっと、大丈夫……すか?」
王女を後ろから抱きしめるタケルの手に柔らかい感触が伝わる。目の前にあるオリビアの長い髪から漂う香水のような甘い匂いが一瞬でタケルの脳を焼き尽くし、それが豊かな胸であることに気付いていない。
手のひらに収まりきらない熱く柔らかい重みを確かめるようにタケルが鷲掴みで揉み込むと、オリビアの体がビクッと跳ねた。
事故とはいえ、オリビアは生まれて初めて男性から胸を揉まれてしまい、タケルは生まれて初めて女性の胸を揉んでしまった。
あのバカタレ、なにやらかしてんのよ。と、ジュディの怒りは爆発寸前だ。
「うわぁ! ご……、ごめんなさいっ!」
ようやく事態を把握したタケルは逃げるようにオリビアの体から離れる。
「いえ、わたくしこそ失礼……」
常に威厳と余裕に満ちているオリビアが、見たことのないほどしおらしい態度で謝った。
役人と騎士団員達は口をあんぐり開けて固まり、ジュディは立ったまま口から魂が抜け出てたような顔をしている。
少しの間、熱を帯びたようにぼーっとしていたオリビアはハッと我に返って首を何度か横に振り、すぐにいつもの口調に戻った。
「……長居しすぎたかしら。失礼するわ」
王女がお帰りになる合図を出されたということで、放心していたジュディは気を取り戻してサッと部屋の扉を開ける。
謝罪した方がよいのだろうか。しかし、メイドの立場で主人の無礼を口に出してよいものか……とジュディは頭を悩ませるが、結局は無言のまま何も言えなかった。
門の外までお見送りしようと部屋を出ると「ここで結構よ」とオリビアはジュディの動きを制したのだった。
「……ご来邸、ありがとうございました。お気を付けてお帰りください」
「ええ。またお邪魔するわ」
ジュディに顔を合わせることなく、オリビアは去って行き、騎士団員達もタケルに一礼して出て行ったが、一人だけ部屋に残った騎士団員がタケルに話しかけた。
「タケル殿……いや、タケル副団長。騎士団への就任おめでとうございます。第一分団のルシウス・スチュアートです」
ルシウスの年齢は30代くらいで、これまでタケルが見た騎士団の中では若手の部類に入るだろう。
彼は中性的な顔をしており、いわゆるイケメンというやつだった。ルシウスは少し興奮しているのか、落ち着きのない感じだ。
「副団長は覚えてないかもせれませんが、シャルル大聖堂での一件があった時、自分もその場にいたんです。本当に感動しました。自分も王都のスクールでは敵なしだったんで、正直に言って自分の腕にはかなり自信があったんですけど……。ついこの間、まだ10代の超天才――マシェリィ団長が現れて、そして先日、そのマシェリィ団長を凌ぐ強さのタケル殿が現れたんです。世の中広いなぁ、俺って全然凄いやつじゃなかったんだなぁって実感して……。そんなマシェリィ団長とタケル副団長の下で近衛騎士団を務めることができて、本当に嬉しいんです」
かなりテンションが上がっているのか、ルシウスはどうしてもタケルに挨拶がしたかったらしい。
息を荒くして詰め寄ってくる年上のイケメン騎士に、タケルはちょっとだけ恐怖を感じた。
「……あっ、もう行かないと。オリビア様を待たせるわけにはいかない。それではタケル副団長、またお会いしましょう」
まだ若手だからだろうか。これまで出会った近衛騎士団のような威厳や品格を感じさせないルシウスは、元気よく部屋を出て行った。
この場に残ったのは王宮の役人、タケル、ジュディの三人だった。




